第12話 北の明星亭の朝

 ネイサンは久しぶりにゆっくりと眠った。


 10時過ぎにようやく起きたネイサンは、固まった身体をほぐして顔を洗い、簡単に身支度をすませると北の明星亭の食堂へと降りる。


「あ、おはようネイサン!」


 にっかりと、上る朝日よりも晴れやかな笑顔で迎えてくれたのはメリッサだ。


「よく眠れたみたいで良かったよ! 寝てたから起こさなかったんだ。おなか空いてる? すぐ朝ごはん用意するね」

「おはようメリッサ。良いベッドだったよ。朝食は……」


 簡単なものでいいと言いかけたところで、ネイサンのお腹がなった。

 久しぶりにゆっくり寝てストレスからも開放されて、胃が急に空腹を感じたのかもしれない。


「……お願いします」

「はーい!」


 嬉しそうにメリッサが笑って、厨房へとかけていく。

 ネイサンは適当な席に座ってぼうっと開店前の食堂内を眺めた。


 掃除を終えたばかりなのか、店内は清浄さとほんの少し水気を含んだ空気に満ちている。端っこにバケツとモップが有り、その周囲の床はまだ乾ききっていない。開店前の店を見るのは初めてだが、お客さんを迎えるという期待に満ちた空気は好ましかった。


「はーいおまたせ! モーニングなんて作るの久しぶりだから親父がはりきっちゃった」


 ネイサンの前に次々と皿が置かれる。トースト、ベーコンとスクランブルエッグ、新鮮な野菜サラダ、コンソメスープ、ヨーグルトとオレンジ、それに香りの良いコーヒーが置かれた。


「トーストは好きなだけおかわりしてね! あ、それともクロワッサンや白パンのほうが良かった? そっちも温めるよ」

「いやいやいや、もう十分だよ大丈夫、トーストで。ありがとう」

「そう? じゃあなんかあったら呼んで」


 そう言い置いてメリッサは仕事に戻っていく。

 こんなにたくさんの食事を朝から食べるのは久しぶりだった。食べきれるかな……とネイサンは苦笑するが、食べ始めるともりもり食欲湧いてきた。


 サラダはみずみずしく新鮮で、スクランブルエッグはふわふわ。ベーコンはカリッと香ばしく焼き上げられており、トーストはたっぷりのバターが添えられていた。コンソメスープは出汁の旨味がよく出たやさしいホッとする味で、こちらにも刻んだキャベツとベーコンが入っていた。どれもとてもおいしい。

 食事をしながら、ネイサンはなんとなくメリッサのことを眺めていた。

 

 食堂は昼からの営業だ。その準備でメリッサはテキパキとよく動いていた。テーブルを拭き掃除を済ませる。物品の在庫を確かめ補充する。外へゴミ出しのついでに必要物品もとってくる。特別なことは何もしてないが、様々な仕事を手際よく片付けていく。それでいて、ネイサンの方にも気を配って時折そっと困りごとはないか視線で確かめてくる。


『すごいなあ……自分ならああいった仕事を覚えるだけで一年くらいかかりそうだ』


 妙なところに感心しつつ食事をする。

 やがて出された食事はすべて平らげ、コーヒーのおかわりをもらう。ネイサン自身自分がこんなに食べれるとは思わなかった。久しぶりに満腹だ。


「はー、ごちそうさま。とてもおいしかったよ。それに久しぶりに家庭的な料理を食べれて、うれしかった。生き返った気分だよ」

「あはは、大げさだね。でも良かった。そんだけ喜んでもらえたならこっちも作った甲斐があるってもんさ」


 皿を片付けながら、おやじー、おいしかったってー、と厨房に声をかけるメリッサ。主人のゴートが厨房からニヤっと笑ってうなずいてくる。

 料理の感想は誇張でも何でも無かった。久方ぶりに人にやさしくされ、思いやりのこもった料理を食べて、生きる活力が湧いてきたのだ。お金はいらないと言われているとはいえ、なにかお礼をしたいとネイサンは思う。

 再び席にやってきたメリッサにネイサンは話しかける。


「メリッサ、朝食本当に美味しかった。君はお金はいいって言ってくれたけど、このままじゃ僕の気持ちが済まない。何か僕にできることはないかな?」

「だーかーらー、いいんだってそんなことは気にしないで。昨日も言ったけど、人助けはうちらの好きでやっているんだ。ネイサンは遠慮なく甘えてくれたらいいんだよ」

「うん、わかってるメリッサと親父さんのあったかい気持ちは痛いほど伝わっているよ。だからこれは、むしろ僕のわがままなんだ。この感謝をなにか形で表したいっていう僕のわがまま。なあ、なんか僕にもできることはないかな? 無職だからお金はほとんど無いけど、なにかできることがあると思うんだ」

「うーん、と言っても今困っていることなんて無いからなー」


 メリッサは顎に人差し指を当てうーんと唸る。何も思いつかないらしい。人の良い彼女の事だから、そんなこともあるかもしれないとは思っていた。

 でも、なにかこの北の明星亭のためにしてあげたい……そう考えていた時、ネイサンの頭にひらめくものがある。


「そうだ! これはどうだろう」

「へ?」



 ◆◆◆◆



 5分後、ネイサンの頼みでメリッサとゴートの二人は食堂の真ん中に佇む。

 仕込みの忙しい手を休めてもらって出てきたもらったのには理由があった。


「それではいくよ。――シルヴァレンディア」


 ネイサンが呪文を唱えると、メリッサとゴート二人の体がキラキラと光りを帯びる。その光はすぐに消えるが、二人はたしかに魔力が身体に入ってきたのを感じた。

 不思議そうに自分の体を見ながら、メリッサが言う。


「これが、守護の呪文?」

「ああ。現代魔法で言うバリアの呪文さ。様々な攻撃から二人の体を守ってくれる。といってもドラゴンとかの攻撃はさすがに防げないけどね。ただ、例えば夜道で強盗なんかに襲われてもまったく安全だよ。ガラル魔法は大地のマナから魔力を補充するから、一度かければずっと君たちを守ってくれる」

「おお〜。すごいんだねガラル魔法って」


 メリッサが素直に感心する。ゴートも興味深そうに自分の体を見ていた。


「それから……シルヴァレンディア・アスティス」


 次は両手を合わせてネイサンが唱える。ネイサンの身体から生まれた光は、今度は北の明星亭全体を包み込んだ。


「守護の呪文をこの家全体にもかけた。これで泥棒とか悪心を持った輩はこの家に近寄れないし、事故で壁や屋根が壊されることもない。火事になることもないよ」

「おお〜〜〜〜! す、すごいんだね〜〜〜! めっちゃいい呪文じゃん」


 メリッサがキラキラした笑顔で喜ぶ。ゴートも目を丸くしていた。


「ささやかだけど、これでお礼になったかな?」

「なるなる! すごいよネイサン。というかこれはもらい過ぎだよ。泥棒も火事も寄せ付けないなんてありがたすぎるよ。夕食はもっと豪勢にしないと、親父!」

「ああ、めいいっぱいごちそうこしらえるから遠慮なく食べてくれ、ネイサン」

「いやいや、自分はお礼のつもりで呪文をかけたんだから、それでお礼されたら本末転倒というか永遠に続いてしまうというか……。ああでも、よろこんでもらえたなら嬉しいです」


 グイグイと迫ってくる二人に、苦笑するネイサン。まったくこの二人は欲がないんだから……と内心で呆れる。自分も同じだということには気づいていない。


「そうと決まりゃあ。仕込み頑張らないとな! メリッサ、悪いが緊急で買い物に行ってくれるか? 店にある食材だけじゃ足りねえ!」

「合点だよ親父。開店前に急いで買ってくる!」

「わ、わ、なんだかすみません。……そうだ! メリッサ。僕も買い物について行っていいかな? 買い込むなら荷物持ちが必要だろう」

「そんなあ、あんたは一応お客さんなんだよ……ってもういいや! こんな言い合いしてんのもまだるっこしい。助かるよ、ついてきてネイサン」


 メリッサの許可ももらい、ネイサンはともに街へと繰り出した。

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