第9話 再出発
自殺を思いとどめたネイサンだが、特に行く当てもない。
ひとまず宿屋「ぼんくら亭」に戻ると、なぜか宿屋の主人が待ち構えていた。
「聞いたぞ、あんた無職になったんだってな」
「へ、なんで知っているんですか?
「金を払えねえやつを泊める部屋はねえ! とっとと出ていけ!」
「いやちょっと、まだ今晩の宿賃は払って……」
問答無用で追い出された。なんとか部屋の荷物を回収できたのが救いか。
「無職になったからっていくらなんでもあんまりだ……」
荷物を抱えて(といってもずだ袋と研究カバンしかない)裏町を歩きながら、ネイサンは愚痴る。
いかにも無法な「ぼんくら亭」主人の振る舞いだが、恐ろしいことに王都では合法の行為である。もしネイサンが抗議して警邏を呼んだとしても、捕まるのはネイサンの方である可能性が高い。
この国は無職の者に非常に厳しい。場合によっては、夜町中を歩いていただけでしょっぴかれることがある。泥棒や強盗などの犯罪者予備軍とみなされるからだ。
だからこそ平民はなんであれひとまずギルドに登録して、職有りの身分を手に入れるのである。それがたとえ冒険者――日雇労働や魔物討伐によって金を得る危険だが誰でもなれる職業――であってもだ。
「冒険者か……」
それもいいかもしれない。とりあえず無職から脱出するには一番手っ取り早い方法だ。登録だけなら三〇分もあればできる。
長年ペンしか持ったことのない四〇代の男が肉体労働の冒険者を始めるなど、何を言っているのだと思われそうだがそこはネイサンにも成算があった。
なぜだか笑みが込み上げてきた。研究所をクビになった上宿屋からも放り出されたというのに、前向きに先のことを考えている自分がおかしかったのだ。以前のネイサンなら決してこんなことはなかった。宿屋を出されたのもなにか自分が悪かっただろうかとグズグズ考えて一歩も進めないでいただろう。
王都の空を飛び回ったときから、なにかネイサンの心は吹っ切れたように晴れやかだった。
だがこのままではまずいのは確かだ。とうに日は暮れ、夜になれば各街区の関所は閉じられる。王都では夜間目的のない通行は禁止だ。
とはいえ、このまま冒険者ギルドに顔を出しても門前払いかせいぜい薬草詰みの仕事しか回してもらえないのが関の山だ。ちょっとした準備がいる。
どちらにしろ、新しい落ち着き先を探さないと……とネイサンが悩んでいると。
「あの……、そこのおじさん!」
突然後ろから声をかけられた。振り返れば、蜂蜜色の髪が印象的なかわいらしい少女が立っていた。
ネイサンは目をパチクリする。美少女はまだ成人したてかそこら(王国では16歳からが成人とされる)にしか見えず、当然知り合いではない。
道でも訊ねたいのかな? とネイサンは考え、腰をかがめ目線を合わせた。
「僕ですか? はい、なんでしょう?」
自分の子供くらい年下の少女相手にも、丁寧な口調で話しかけるネイサンである。対して美少女は、どこかためらいがちな雰囲気だった。
「あの、突然話しかけてごめんな。おじさん、この前うちの
それでネイサンも思い出した。ガラル魔法を初めて人前で披露したとき、そんなことをしたのだった。
思えばあのときの自分はずいぶんうかつだったな……と内心苦笑しつつ、ネイサンは微笑む。
「はい、僕ですね。じゃあ君はあの料理屋の……」
「あたしメリッサ、そこの娘なんだ。ところで店の名前くらいちゃんと覚えてよ。『北の明星亭』って立派なのがあんだから。まあ、店の中身は大したもんじゃないけどさ」
「ごめんごめん。北の明星亭ね。うん、覚えたよ。料理もお酒もおいしかった。あの時はごちそうさま」
「へへ、そんな褒めてもらえると嬉しいね。……ってそうじゃなかった! あんた、さっきぼんくら亭を追ん出されてただろ? あの宿屋の主人は業突く張りで人が悪いので有名なんだ。災難だったね」
眉を下げて心配そうに言うメリッサ。そこに心から同情してくれている気配が感じられてネイサンは嬉しかった。
「はは、見てたのかい? これは恥ずかしいところを見られちゃったな」
「あんたは悪くないよ! あんなネズミでも追い払うように叩き出すあいつが酷いんだ。それでさ、おじさんもし行く当てがないなら、うちに来ない?」
「北の明星亭に?」
メリッサはこっくりとうなずく。
「あんたのこと、あたしもあたしの親父も探してたんだ。うちの店、初めてガラル魔法が使われた店ってことで評判になっちゃって、ちょっと今繁盛しててさ。あんたにもう一度お礼が言いたいって親父が言ってたんだよ。あたしも、テラコッタの片付けは本来あたしの仕事だったから、ちゃんとありがとうって言いたかったし」
「あんなの、僕が勝手にやったんだから気にしないでいいんだよ」
「そんな不人情、店の名がすたるよ。王都の裏街は貧乏だけど人があったかいことを誇りにしてんだ。それでさ、あんな他のこと探してたらたまたま王宮前に有名な学者の見物に行った時、あんたを見かけてさ」
ジェイルと口論していたところまで見られていたのか。ネイサンはなんだか恥ずかしくて頭をかいた。メリッサは続ける。
「なんか……あのいけ好かない貴族野郎にずいぶん馬鹿にされていたけど、あたしはあんたがすごい魔法使ったの見ていたからさ、なんであんな酷いこと言うんだろうってちょっと怒ってたんだよ。しかもせっかく見つけたと思ったら馬車でどっか行っちまうし。そしたら今度はこの裏街で宿から追い出されているだろ、あんたつくづく不運なんだねえ」
「いやあ、なんだか恥ずかしいところばっかり見られていて、きまりが悪いな」
「何言ってるんだ。あんたはなんにも悪くないだろう!? あんたの周りにいるやつがちゃらんぽらんであくどいってだけさ。それで、お礼と改善にあんたのことほっとけなくてさ。うちは宿屋もやっているんだ。良ければうちに泊まりに来ないかい?」
ネイサンは目をしばたたかせる。
こんなに真っ直ぐな善意を向けられたのは久しぶりだった。メリッサの焦げ茶色の瞳には純粋にネイサンの身を案じる光が宿っている。立て続けに裏切られ人間不信になりかけていたネイサンでも、信じたいと、信じてもいいと思えるくらいに。
ネイサンが、隠し事を明かすように控えめな声で言った。
「なんとなく察しているかもしれないけど、実は僕、無職なんだ。勤め先を追い出されてしまってね。もちろん無職のままでいるつもりはないけど、僕なんかを泊めたらお宅に迷惑がかからないかな?」
「なーに職の一つや二つ無いくらいのこと気にしてんだい。裏街にゃ掃いて捨てるほどいるよ。夜の女蹴り回して小銭稼いでるような連中よりおじさんのほうが1億倍上等だよ」
メリッサは、太陽のように輝く笑顔を向けて言った。
「うちはさ、お礼したいのもあるけど、何より困っているやつをほっときたくないんだ。あんたが困っているんなら、遠慮なく頼んなよ」
地獄に天使とはこのことだ。涙をこらえて、ネイサンが頭を下げる。
「ありがとう……お世話になります。よろしく、メリッサさん」
「堅苦しいねえ、そーんな気にすんなって」
メリッサがネイサンの背中をバンバン叩く。彼女の力は案外強くて、長年の研究生活で枯れ枝のように痩せているネイサンは危うくふっとばされすになった。
そこで、メリッサがはたと気づいたように言う。
「ところでおじさん、名前なんてんだっけ?」
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