第8話 アエルリア
それからネイサンは王都を幽鬼のようにさまよい歩いた。探すのはただ一つ、死に場所だ。
歩くたび足や肋骨が痛んだ。おそらく折れてるかヒビが入っている。でもそんな痛みすらどうでもいい。心が空っぽで何も感じなかった。
ジェイルの最後の言葉が、ずっと頭をリフレインしている。
『じゃあな、おっさん、せいぜい無意味な一生を恥じてそこらで野垂れ死んでくれ』
そうだ、死のう。
死んでしまうのが一番いい。
30年の研究は徒労に帰した。もう生きてる意味なんて無い。自分の人生はこれで終わりなのだ。
ふと、西の空を見上げる。そこには王都で一番高い建物……ムーン大聖堂の尖塔があった。
どうせ死ぬなら、空を見て死にたい。そんな理由からネイサンは尖塔を目指し歩いた。
◆◆◆◆
「うん、ちょうどいいな」
大聖堂まで来る頃には夕方になっていた。尖塔の窓から眼下を一望すると、西日が王都の家々を真っ赤に染め上げている。
「思えば、尖塔の頂上まで登ったのはこれが初めてだったな……」
せっかく王都に住んでいたのにもったいない。ネイサンは田舎から出てきて王都に来てからは研究に忙しい日々だったので、ゆっくり観光することもなかった。
「さて、やるなら早くしないと」
大聖堂は参拝客向けに開放されているが、尖塔はそうではない。王立研究所の名刺を出して、こっそり入れてもらったのだ。怪しまれてはいないと思うが、もし警備の巡回に見つかったりしたら困る。
ネイサンに身寄りはない。田舎の両親も数年前に看取った。今となっては、こんな息子の不名誉を見せなくてよかったと思う。
「……最後に、こんなきれいな景色を見れて、よかった」
恨み言一つこぼさず、ネイサンはただ静かに尖塔から身を投げ出した。
――。
――――。
――――――。
静かだ。耳のそばに渦巻く風の音以外、何も聞こえない。
地面まで落ちるのは、案外時間がかかるのだな
ふと、ネイサンは思う。どうせ死ぬのなら、やってみたいことがある。
それは宿にこもってグリモワールの解読を進めていたとき、最後に訳した魔法呪文。
数あるガラル魔法の中で、ネイサンが一番気に入った呪文。
「――
呟いた瞬間、地面にまっすぐ落ちていたネイサンの体が宙に浮いた。
「おおっ」
そのままネイサンの意志に従い自由自在に飛び回る。はじめは体の姿勢を保つのも難しかったが、すぐに感覚を掴むと鳥よりも軽やかに飛ぶことができた。
「すごい! すごいぞアエルリア! 飛ぶのがこんなに気持ちいいだなんて」
夕陽に染まる王都の上空を、ネイサンは舞う。見咎めるものなどいない、ずっとずっと高空を。壁も遮るものもない、ほんとうの自由。
「ああ気持ちいい。楽しい。すごいな、ガラル魔法は」
死ぬ前のちょっとしたお試しで……そんなつもりで発動した飛行魔法に、ネイサンはすっかり夢中になっていた。王都の空を自在に飛び回るのはこの上なく楽しくて、清々しかった。気づけば落ちることすら忘れて飛び続ける。
30分も飛んでいても、まったく魔力は尽きなかった。しかも上空にいるのに全く寒くない。速度も方向転換も自由自在だ。ガラル魔法の神秘をネイサンは身体で体験した。
上空から王都を見下ろす。王国最大の街であるはずのそれが、なぜだかひどくちっぽけに見えた。そこに込められていた様々な人間関係、しがらみが、酷くくだらないものの思えてくる。
空の上からでは水平線の先までよく見える。ミストリア王国も、その先も、ずっと遠く広く世界は広がっている。
「――――こんなに世界は広かったのか」
赤く染まる空を眺めていたら、急に死ぬのが惜しくなってきた。自分はまだこの世界を何も知らない。見てない風景、言ったことのない場所、知らない言葉、食べたことのないものがたくさんある。
「どうせ、研究所はもう追い出されたんだ」
死んだ気になって、新たな人生を歩むのも悪くないかもしれない。すくなくとも、知りたいと思うことはできてしまった。
「アエルリア、ありがとう。なんだか生まれ変わったような気分だよ」
自殺する気はとうに失せていた。赤く染まる夕日がきらめく星々に変わるまで、ネイサンはずっと空を眺め続けていた。
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