第7話 ジェイルの嫉妬
馬車の中でもジェイルは尊大な態度を崩さなかった。
「どうだネイサン、王宮関係者だけが乗れる馬車だ。お前はもう一生乗る機会もないだろう。今のうちに味わっとけよ」
「ジェイル、どうして僕の研究を横取りしたんだ?」
ネイサンはずっと思っていた疑問をまっすぐぶつける。ジェイルは王宮までの態度が嘘のように顔を歪めて怒鳴りだす。
「横取りじゃない! ガラル語の解読に成功したのは私だ。もうとっくに王宮も認めてる! お前は自分が訴えれば変わるとか思ってるのかもしれないが、遅いぞ! ガラル語解読の研究はとっくに私の論文で研究所に提出してある。資料もグリモワールもすべて私名義だ。アガルマ教授の査読と推薦文も確保済み。王国魔法院への新規呪文の登録だって終わった。お前の研究はとっくにぜ〜〜〜んぶ私のものになってるんだよ!」
もはや人格まで歪んだのではないかと思うほど、醜い姿だった。
そこにネイサンが仲間だと思っていた、少なくとも信頼できると思っていた年下の研究員の姿はなかった。
もしかしたら、教授に強制されたのかもしれない……そんなネイサンの希望は、崩れ去った。
「なんで……」
「うん?」
「なんで、こんなことをするんだ。同じ研究者だろう。なんで人の成果を、横取りしたりするんだ」
それは、ネイサンにとっては何気なく発した疑問だったが、ジェイルの核心を突くものだった。
ジェイルは先程以上に顔を歪め、ネイサンを睨みつける。
「それは、お前が私よりずっと優れた研究者だったからだ!!!!」
名誉、金、研究者としての栄達。そんな言葉を予想していたネイサンは、思わず戸惑った。
「…………え?」
「わかってないとでも言うのか!? ああその態度がムカつくんだ! 本当は私のことも見下していたんだろう」
「ちょっと待ってくれジェイル、なんのことかわからない」
「あの研究室はぼんくらばかりだった、だが私は違う! 私だけはお前の才能に気づいていた!!」
もはやネイサンの言葉に耳を貸さず、ジェイルは怒鳴り続ける。
「お前が古代ラティン語で書かれた「ゲルニカ呪文叢書」を完訳したとき、私は嫉妬で気が狂いそうだった! 古代ラティン語は私の専門だ! 基礎学校から10年も研究してきたんだ。なのにお前は私よりはるかに優れた翻訳を発表した。専門用語も文意の把握も完璧だった。文体さえ美しかった。あのとき、私は恥を忍んでお前に訊ねたんだ。どうやってこんなに完璧に古代ラティン語を使えるのかって。そしたらお前はこう言った『片手間でやったのだから恥ずかしい。自分なんかまだまだです』だと! だったら、だったら俺の10年は何だったんだ!!!」
そんな事を言ったかもしれない。正直ネイサンはよく覚えていなかった。どうしてジェイルがそんなに怒っているのかも、実のところよく分からなかった。
口角泡を飛ばしジェイルは喋り続ける。
「ざまあみろ! お前の研究成果は全部奪ってやった! この国の学術界にもうお前の居場所はない。四十超えのおっさんがうざかったんだよ! あんたみたいなくたびれた、冴えない見た目の、中年男から誰にも真似できない研究が生まれているかと思うと死にたくなったんだ!」
その後もジェイルは色々なことを捲し立てた。ネイサンは、根気よくジェイルの言い分を静かに聞き続けた。
その中にはネイサンが気づけなかったこと、注意しそこねたことも確かにあった。しかしそれは、どう考えても人の研究を奪っていい理由になるとは思えなかった。
言いたいだけ言って少しスッキリした様子のジェイルは、嘲るように笑う。
「お前はたしかにすごいよ。誰もが不可能だと笑った、ガラル語を解読したんだ。だがお前の役割はもう終わりだ。ガラル語の文字はもう読める、お前の作った文法集も、辞書もある。もう後の翻訳は私とアガルマ教授でもできる。研究室のメンバーを使ってもいいな。どうせ私が教授になるんだし。だがそこに、お前の席はない」
「ジェイル、せめてガラル語の全面公開は待ってもらえないか」
「だから、お前はもう関係ないって言ってるだろ! 本当にうざったいな!」
突然ジェイルは馬車の扉を開けた。高速で走っている馬車の外は風景が次々と飛び去っていく。ジェイルは続けて、ネイサンを扉の外へと蹴り飛ばす。
「おらあっ!」
「うわっ」
慌てて扉の枠に掴まり落ちることを避けたネイサン。しかしジェイルは容赦なくその体や手に蹴りを入れ続ける。
「落ちろ! 落ちろ! おちろおちろおちろおちろ!」
馬車の外は王都のスラム街だった。いつの間にかここまで走ってきていたのだろう。昼間は人影もなく、あったとしても王家の紋がついた馬車を見咎める者などいるはずもない。
二人の格好を見れば、どちらの身分が低いか一目瞭然なのだから。
「落ちろぉぉおおおっ! ネイサン、てめえの研究は全部私のものだ!」
ついにネイサンの指が扉枠から離れる。激しく地面に叩きつけられて、呼吸が止まる。走り去っていく馬車から、ジェイルの哄笑が聞こえた。
「じゃあな、おっさん、せいぜい無意味な一生を恥じてそこらで野垂れ死んでくれ」
地面にうずくまったまま、ついにネイサンは泣き出した。四十超えの男がみっともない、と思っても止まらなかった。体と心が両方痛くてどちらのほうが痛いのかも分からなくて、ただ呆然と涙を流し続けた。
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