第3話 祝杯と裏切り

――3日後


 王立研究所、アガルマ研究室の上級研究員たちは、朝から顔を合わせては悪態をついていた。


「ちっ、ネイサンの野郎なにしてやがる」

「もう3日もサボりだぞ。ふざけやがって。戻ってきたらきっちり締め上げねえと」

「つか、あんなカスこの研究室にいるか? 無断欠勤を理由にクビでいいだろ。あいつのボケっとした顔見るとイライラしてしょうがねぇんだよ。殴ったくらいじゃ収まらねえんだ」

「まあ待て。気持ちはわかるがあの便利な雑用係を失う訳にはいかねえだろ」

「あいつ、ガラル語の解読なんて夢見てるからよ、仕事押し付ければなんでもやってくれるからな。チョロいもんだぜ」

「ガラル語の解読なんてできるわけねーっつうの! ゴブリンの鳴き声を翻訳するほうがよっぽど現実的だぜ」

「ハハハハハ! まったくだ。3級のバカは現実ってもんが見えねえ」


 好き勝手放言しては爆笑する。陰口ではない。彼らはネイサンの前でもまったく同じような話題を平気で口にしていた。ネイサンとて木石ではないから、悪口を言われれば傷つくし、バカにされれば悔しくなる。しかしそれを表に出したり怒ったりしない。それで上級研究員たちはますます調子に乗るのだった。

 幸い、今この場にネイサンはいなかった。


 その中で、ネイサンへの罵詈雑言にただ一人付き合わなかった研究員が口を挟んだ。


「でも、3日も出てこないのはさすがに心配ですよ。いままでどんな事があっても仕事休まなかったネイサンです。それこそ病気しても家族が死んでも年中無休で働いてきた人だ。この休みはちょっと異常です」


 ジェイル一級研究員。アガルマ研究室で唯一ネイサンを真っ当に扱っている研究員だ。味方であったわけでは無いが、少なくともほかの研究員のように雑用を押し付けたりバカにしたりはしていなかった。

 上級研究員の一人が、フンと鼻を鳴らす。


「さすがジェイルさんは真面目だな。あんなゴミの心配なんてしなくてもいいのに。しかしまあ、言うことはわかりますがね」


「私が様子を見てきましょう。幸い、ネイサンの立ち寄りそうな場所には心当たりがあります。以前残業しても仕事が終わらず研究室を締め出されたときに、王都の安宿に泊まっていたことがあるんです。ネイサンは家を持ってないから、多分今回もそこにいるでしょう。」


「おやさしいことで」


 上級研究員たちの白けきった目は無視して、ジェイルは外出の準備をする。教授に外出の許可を得ようとすると、「ネイサンなんぞのためにそこまでせんでもいいと思うが」と渋ってはいたものの、万が一宿で野垂れ死になどされていては困るので結局許可した。

 こうしてジェイルは、ネイサンの泊まる宿屋、「ぼんくら亭」へと向かったのだった。



◆◆◆◆



 ぼんくら亭は王都の裏路地にある小さな宿屋だ。素泊まり20ガルド。お世辞にもきれいとは言えないが、破格の安さで泊めてくれる。

 宿屋の主人に心付けを渡してネイサンの部屋を聞いたジェイルは、教えてもらった部屋の前で扉をノックした。


「ネイサン、いるか? ネイサン?」


 一応死んでないことは宿屋の主人に確かめてある。大声で何度かノックすると部屋の中から物音がして、扉が開いた。


「はい……はい! ネイサンです。何事でしょう!? ……へっ? これはジェイル一級研究員。どうしてこんなところへ?」

「いや、君がいつまで経っても研究室へ顔を出さないから様子を見に来たんだよ。もう3日も無断欠勤なんて君らしくないからね、心配したんだ」

「3日!? 私は3日もここにいたんですか?」


 ネイサンは心底驚いたように叫んだ。彼の姿をよく見れば、服はしわくちゃ、ひげは伸びたまま、頬も若干こけ目の下には大きなクマがある。言葉通り三日間寝食を忘れてなにかの研究に没頭していたのだろう。

 そんなネイサンにジェイルは苦笑した。


「その様子じゃろくに寝てないし食べてないな。ひとまず何をしていたのか聞きたいし、どうだい、今やっていることは一度中断して、飯でも食いに行かないか。奢るよ」


 ネイサンの懐事情をよく知るジェイルはそう最後に付け加える。ネイサンは恥ずかしそうに顔を赤らめて答えた。


「は、はい。すみませんが、ほんの少しだけ下で待っていてください。すぐに身支度していきますので」



◆◆◆◆


 ジェイルの訪問を受けて、ネイサンはすぐに洗面し髭を剃り、服を着替えた。ジェイルに会うまで正直自分のむさ苦しい格好にまったく気づかないでいた。

 研究室で唯一親切にしてくれる(それは、普通の社会では同僚としての常識程度の間柄だったが)ジェイルにはネイサンは大きな恩義を感じている。ジェイルはネイサンに雑用を押し付けないし、聞えよがしに悪口を言ったりしないし、突然殴ってきたりもしない。ネイサンが親しみを感じるただ一人の同僚だった。


 ぼんくら亭に食堂はない。宿を離れて近くの大衆食堂に入ったネイサンとジェイルは、適当に料理を注文した。混雑時を外れているので、大衆食堂は適度に空いていた。

 料理がテーブルに運ばれてくると、二人は食べながら話をする。


「それで? 結局なんで3日も研究室を空けたんだネイサン」


 ジェイルはネイサンよりずっと若い20代の研究員だが、1級研究員なのでタメ口で話す。対してネイサンは敬語を使わなければならないが、もともと人間関係に無頓着なネイサンは気にしていなかった。


「そうです。ジェイルさん、ぜひ聞いてください。実は……」


 さすがに気分が高揚しているネイサンは、わざと声を潜めてもったいぶるように言った。


「……ついにガラル語の解読に成功したのです!」


 カラーン、と音を立ててジェイルが皿にフォークを取り落とした。あんぐりと口を開け、目をわななかせている。


「………は? ほ、本当に?」

「はい、本当です。自分でも信じられません」

「本気の本当に? 千年間誰も解読できなかったあの古代ガラル語を? 王国学術界の不可能研究に指定されているガラル語を?」

「間違いありません。そうだ、さっそく研究成果をお見せしましょう」


 ネイサンはキョロキョロと周囲を見回す。あいにく大衆食堂なので、魔法の実演に向いている物は少ない。


「火や雷は当然駄目。水や氷も駄目……おおそうだ、あれなら!」


 ネイサンは店の前に放置されている素焼きテラコッタの壺に目をつける。一抱えほどもあるそれはオリーブオイルやワインを仕入れたときに使ったものだが、一度使うと匂いや色が染み付いて二度は使えないのだ。よって非常に安価だが使い捨てとなっている。

 本当は街の収集所に持っていかなければならないのだが、大きくかさばるためついつい片付けが後回しになるのだった。


「ジェイルさん、ちょっと」

「あ、ああ」


 ジェイルを誘い、店主にも許可を取ったネイサンは店の前の素焼きの壺を魔法で片付けることにした。店の外に出ると、壺を適当に空き地に移し、魔法を発動する準備をする。

 なんだか妙なことをやっているというので、いつしか店内の客や周囲の人々も集まってきた。


「十分気をつけますが、念のため危ないから下がっていてください……ではジェイルさん、見ていてください」

「ああ」

「いきますよ……ヴェンティソニック!」


 ネイサンがガラル呪文の風魔法を唱える。すると、まず壺の周囲に細い竜巻が出現した。


「ファーム……バンタ……ヘルカット!」


 ネイサンが細かく呪文で調整をしていくと、次第に竜巻の中でさらに小さな渦が生じ、風の刃で壺を切り刻んでいく。

 それはまるで見えない削岩機ののようだった。強度は低いとはいえ素焼きの壺が見る間に粉砕されすなとかしていくのだ。しかも風の刃も砕かれた砂も竜巻によって一切外に出ない。

 周囲にどよめきが起きる。誰もこんな高度な魔法は見たことがないのだ。しかも魔法を行使しているのはくたびれた中年の男とあってそのギャップに誰もが驚かされた。


 なにより、ネイサンの偉業を理解でき最も間近で見れたジェイルの驚きは人々の比ではなかった。口を開けたまま硬直し、目だけは爛々と輝いている。今、王国史に残る大発見が生まれたことにジェイルだけが打ちのめされていた。

 やがて壺が完全に砂になり、ネイサンは風魔法を解く。続いて「サバルカンナラ」という土魔法呪文を唱えると、砂があっという間に新たな形を作った。小さなレンガとなった元素焼きの壺は、小さく持ち運びしやすい形となって店の隅に積み上げられた。


「ふぅ、こんなところでしょうか」


 わあっと歓声が上がった。特に店主などは顔中を笑顔にしてネイサンに感謝した。


「あんたすげえよ! 妙な野郎だと持っていたがとんでもねえ魔術師だったんだな! 感動した! 今日のお代はいらねえ!」

「なあ、今のは一体どうやったんだ!? あんな呪文俺は知らなかったぞ」

「ねえねえ、うちの前にもテラコッタが積み上がって困ってるんだ、ついでにこっちも片付けちゃくれないかい? もちろん手間賃は払うからさ!」

「い、いえ、僕は魔術師ではなくて、その……」


 人生で初めて人に囲まれ感謝され、褒められ、わたわたするネイサン。

 そんな彼を救い出すようにジェイルの腕が囲みから抱き寄せた。


「すまない、彼は私の連れなんだ。みんな驚いたのはわかるが、ひとまずこの場は引き取ってくれ。埋め合わせはしよう」


 そう言って自分の財布から金貨をひとつかみ、周囲へとばらまく。ネイサンの周りに集まっていた人々が慌てて金貨を拾った。


「みんな金貨を一人一枚! 驚かせたわびに配ろう。かわりに今日のことは黙っていてくれないか? 本当はまだ見せてはいけない王立研究所の魔法なんだ」


 ジェイルの言葉でネイサンはようやく研究の秘匿ということに思い至った。ジェイルの言う通り、軽々しく人前で見せていい魔法ではなかった。ジェイルはネイサンよりずっと若いのに、さすがよく考えているなあと感心する。

 金貨を拾うのに夢中になっている人々を尻目に、ジェイルはもう一度ネイサンを大衆食堂の中に連れ込んだ。店主にも金貨を十枚渡して、酒の注文をする。


「さあ、昼間だが構いやしない。店の酒をありったけ持ってきてくれ! 今日は前祝いだ! 王国の歴史に残る大発見をしたんだからな!」

「おーうっ! なんだかよく分からないがめでたいんだな! それならとびきりのワインを開けるぜ! うちには大したもんはねえけどな、ガハハ!」

「じぇ、ジェイル? いいのかいこんな……まだ勤務時間だろう?」

「何言ってるんだネイサン! 今日は王国の魔法研究史が変わった日だぞ、こんな日に飲まないなんてどうかしている! さあ、君も乾杯しよう! 僕は幸せ者だ、奇跡の目撃者なんだから!」

「は、はは、ジェイルそんな褒めてもらえるとは光栄だな。僕なんか三十年間も研究してようやっと生み出せた成果らしい成果だ。恥ずかしくて仕方ないよ」

「何を言っているんだネイサン! この研究は素晴らしいぞ! 間違いなくこの百年で最高の研究成果だし、発見者は歴史に名を刻むだろう。胸を張り給え! ネイサン!」

「ありがとう……ジェイルにそんなに喜んでもらえて、僕もようやく喜びが湧いてきたよ。ばんざーい! ガラル語ばんざーい!」

「乾杯だ! 店のみんな、乾杯だ! 町のみんなも乾杯だ! 今日、ミストリア王国の歴史は変わるぞ!」


 店の中はあっという間に宴となった。客がみんなネイサンとジェイルへジョッキを打ち合わせ、万歳三唱し、乾杯しては飲みまくる。店の中で歌い出すもの、踊り出すもの、みんなが日の高いのを忘れて浮かれ騒いだ。

 ガラル語解読の偉業はネイサンとジェイルにしかわからなかったものの、町の人々はそんなの関係なく楽しく浮かれ騒いだのだ。


 ネイサンは生まれて初めて人から褒めちぎられもみくちゃにされて、すっかり舞い上がっていた。元々自己評価の低いネイサンだ。ちょっと褒められ優しくされただけで無限の感謝と喜びが湧き上がってきた。ネイサンは人生で初めて心ゆくまで飲み、騒ぎ、人々と抱擁し合った。研究を進める以外で初めて、生きててよかったと思えた……。



◆◆◆◆



「お~いネイサン、宿についたぞ〜」

「うーん、ムニャムニャ……」

「ったく、しょうがないな。……宿屋のご主人、すみません。ネイサン飲みすぎちゃって……はい、久しぶりのお酒で、浮かれちゃったみたいです」


「……ええ、大丈夫です。彼、大変な仕事終えたばかりなんです。今はゆっくり休ませてあげたい。宿代は先払いしておきますから、寝かせてあげてください。はい、前金」


「ネイサン、部屋についたぞ」

「うーーん……」

「ほら、水と一緒にこれを飲め。二日酔いを治す薬だ」

「うーーん……、ありがとう、ジェイルさん」

「なーに、感謝されるには及ばないさ。さ、ベッドでゆっくりお休み、。いつまでも好きなだけ寝たまえ」

「う〜ん……ムニャムニャ」

「おやすみ、ネイサン。……君が目覚める頃にはすべてが終わっている。ではネイサン、良い夢を」

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