第4話 ネイサン、目を覚ます

「う、うーん……。あれ、ここはどこだ? 今は何時だ?」


 ネイサンが寝ぼけ眼をこすりながら体を起こしたとき、宿の部屋は明るかった。窓からは日差しが差し込み、とっくに夜は明けているらしい。


「ふわーあ、ずいぶん寝ちゃったな。そうか、ジェイルさんが連れてきてくれたのか。いたた、ずいぶん体が凝っちゃった」


 バキバキと背骨の音を鳴らしながら大きく伸びをし、ベッドから立ち上がる。魔法時計の時間を確かめると、なんと祝杯を上げた日から2日経っていた。


「まっ、あれから僕はまる二日も眠っていたのか!? まずいまずい今日こそは研究所に顔を出さなきゃ。ジェイルさんには研究のことを説明しておいたから大丈夫だとは思うけど……」


 そうだ、研究を完成させていたという言い訳なら教授もお目溢ししてくれるかもしれない。研究室ではきっと雑用も溜まっているだろう。みんなはきっと怒るし、殴られるかもしれないが、ガラル語解読の話をすれば追い出されることはないはずだ。

 自分は、それだけの大成果を挙げたのだから。それはジェイルも認めてくれたことだ。

 いくらか憂鬱な気分の晴れたネイサンは、出勤するため身支度を始める。するとようやく、街が騒がしいことに気づいた。


「お祭りでもやっているのかな……?」


 そう思って窓を開け外を見ると、信じられない者が目に飛び込んできた。


「ばんざーーい! ばんざーーい! ガラル語の解読ばんざーーーーい!!! ジェイル博士ばんざーーい!」


 ネイサンの予想はある意味、正しかった。王都は街中お祭り状態となって浮かれ騒いでいる。 あちこちで祝福を告げる魔法花火が打ち上げられ、紙吹雪が舞い、人々は酒盃を片手にお祝いを叫んでいた。あちこちには魔法で色が変化する旗のぼりが掲げられ、それにはこう書かれている。


『祝! 古代ガラル語解読の大偉業! ジェイル研究員の大成果!』

『国王陛下が発表! ジェイル研究員は今年のミストリア大勲章授与が決定!』

『歴史的大発見にジェイル研究員は王立研究所教授へ! アガルマ教授は賢者へ昇進が決定!』


「な、な、な、な……」


 ネイサンは呆然と窓の外を見つめた。


 なんだこれは?


 何が起こっている?


 なんでガラル語の解読がもう知れ渡っている? まだ教授にも伝えてないのに。しかもなんで、解読に成功したのがジェイルということになっている?


「ジェイル研究員の大成果って……ガラル語を解読したのは僕じゃないか……」


 自己評価の低いネイサンだが、さすがにこの旗のぼりに書かれていることには困惑した。古代ガラル語はネイサンが30年をかけて必死に研究し翻訳に成功したもので、それはほかの誰にもできることではない。


「そうだ、ジェイルさんが教授に報告したときに、なにか間違って伝わったんだろう。まだ2日しか経ってないんだもんな。僕の承諾なしに発表されたのは困るけど、ガラル語の解読なんて歴史的な成果なんだ、王宮が勇み足で発表しても仕方ない」


 現実の光景を受け入れられないネイサンは必死に自分を納得させようとする。


「そうだよ。これから研究室に行ってちゃんと事情を確かめよう。こんな祝福ムードだ。きっとみんな僕を待っているはず。もしかしたら、お祝いしてくれるかもしれないな。そうとなればちゃんと研究レポートを持って行って……」


 ネイサンがそう呟いて自分の机を見たときだ。思わず目を見開く。そこにあるはずのものが無かった。


「無い! 無い! グリモワールと翻訳ノートが!!!」


 無かったのはそれだけではない。ガラル語に関する研究資料、ネイサンが少しずつまとめていたガラル単語の辞書的ノート、その他翻訳作業に使っていた一切のものが机の上から消えていた。

 再び呆然とし、床にへたり込むネイサン。

 はっとして、今度は自分の研究カバンに飛びつく。


「よかった、こっちは無事だ……」


 魔法で鍵がかけられる研究カバンの方の中身は無事だった。研究資料持ち運びのためなけなしの給金で買った高級品で、持ち主以外が盗んだり開けようとすると魔法で攻撃が行われる。そちらに入っていたグリモワールの2巻以降の写本や国内各地から集めたガラル語の石碑や碑文の写しなどは無事だった。

 とはいえ、ネイサンが30年間コツコツと続けてきた研究成果の大半が消えてしまったことは事実だ。

 打ちのめされ床に座り込んだネイサンは、乾いた笑いをこぼす。


「は、はは、宿屋に、泥棒が入ったのかな? ここは安い宿屋だもんな。しまった。こんなことならセキュリティのしっかりした宿に泊まるんだった。ははは、しかし変わった泥棒だな……ガラル語の研究資料なんて、盗んでも価値はわからないだろうに……」


 もちろん、そんなわけはない。頭ではすでに答えが出ていても、心がそれを受け入れるのを拒んでいた。


 まさか、まさかそんな。


 いくらなんでもそんな。


 研究者として、いや人として、そんなことをしてはいけないだろう。するわけ無いだろう。


「…………研究室に、行かなくちゃ」

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