第2話 ガラル魔法
「っと、喜んでいる場合じゃない。文の構造がわかったなら、さっそく、意味の解読だ!」
涙を拭き終えメガネを掛け直し、ネイサンは再び「グリモワール写本」へと向かう。研究ノートを片手に翻訳を試みる。
この研究ノートもまた、ネイサンの魂と言えるほど大事なものだった。
30年間、バラバラのガラル単語をコツコツと研究してようやく100数語ほどの辞書じみたものができていた。と言ってもガラル語は格用法も変化系も複雑極まりないので、混同や錯誤が大いに残っている可能性がある。慎重に解読を進めていく。
さらに数時間かかって、ネイサンはようやくグリモワール写本の内1つの呪文を解読し終えた。たった一文訳すだけですでに疲労困憊だ。ガラル語の難解さは誰よりも知っているネイサンだが、改めてその複雑さに驚かされる。
だが、肉体は疲れていても精神は高揚している。解読できた一文を早速ネイサンは唱えてみることにする。
「『ルミノウスグロウ』は光を発する魔法だ。確かめるにはもってこいだな」
研究ノートに書き記した呪文を指でなぞる。指先がわずかに震える。ついに翻訳できた古代ガラル語の魔法。研究者でなくとも、その魔法を発動するのは夢だった。ガラル語は、かつて栄えた謎多き超古代文明、ガラル帝国の魔法言語とされている。その言語の特徴は、最も魔法の呪文に適したものであり、ガラル語を使った魔術は、現代の魔法とは比べものにならない力を持っていると言われている。
伝説の超古代魔法。少年の空想のような魔法が、ついに今実現するのだ。
呪文を唱えようと大きく息を吸い込んだところで、急に不安が首をもたげる。
「……でも、ここで放って大丈夫だろうか。『ルミノウスグロウ』には光意外の言葉は含まれていない。炎も雷も出ない。研究室で発動しても安全のはずだが……」
生来の自信のなさ。今まで自分でやったと誇れるものはなにもないのだから仕方ない。もし解読が間違っていたら? 単語の翻訳が間違っていたら。ガラル語の文の構造の発見が、そもそも単なる偶然の並びだとしたら?
「……いや、僕は、僕の翻訳を信じる。いままでの30年間の研鑽を信じる」
ネイサンはついに決意して、自分の杖を構えた。これでも魔法研究者なので、自前の杖くらいは持っている。普段は研究に忙しいので自分で魔法を使うことはほとんどないのだが。それを抜きにしてもネイサンの魔法力は並以下だ。街で活躍する魔法使いたちに比べたら、ほとんど一般人と変わらない実力しか無い。
明かりをつける基礎魔法、「ライト」も、ネイサンが発動したら小さな蝋燭ほどの輝きしか無い。
そのネイサンがガラル語魔法の『ルミノウスグロウ』を発動させる。一体どんな効果が起きるのか。
高鳴る鼓動を抑えられないまま、ネイサンはじゅもんを唱えた。
「……『ルミノウスグロウ』」
とたん、研究室に目もくらむような閃光がほとばしった。庶民の平屋一面分ほどもある研究室の隅々まで明るく照らし出される。「ライト」とは比べるべくもない、圧倒的な光量。
数倍? 数十倍? いや、数百倍もの光かもしれない。
「すごい……! これがガラル魔法……!!!」
疲れ目には眩しすぎる光だったが、ネイサンは目を覆うことも忘れて杖からほとばしる白い輝きを見つめた。初めてのガラル魔法発動で浮かれているせいもあるが、『ルミノウスグロウ』は不思議と人の目にはやさしかった。部屋全体を照らし出すほどなのに、眩しく感じない。むしろどこか安心するぬくもりを感じる魔法だ。
「……おかしいぞ? こんなすごい魔法を発動しているのに、全然疲れない」
魔法の発動には
せっかく長年の研究が実ったのに、魔力切れで死ぬわけにはいかない……と考えたネイサンだったが、不思議と魔力発動中のあの体から力を奪われる感覚がなかった。呪文を唱えたときにほんの少し、まさに「ライト」を発動したときのようなわずかな魔力の減りを感じたくらいだ。
「! わかったぞ、ガラル魔法は人間の体内魔力ではなく、大気中の魔素や地脈を霊脈から魔力を吸い上げて発動しているんだ。これなら発動車は魔力をほとんど消費しなくて済む。火を着けるのに火花だけ出すようなものだ。あとは周辺の魔素が燃料となってくれる」
ガラル魔法はあまりに常識外の、素晴らしい魔法だった。
これまでの魔法理論では、人間の体内魔力を超える魔法は発動できなかった。複数の人間が集まって複雑な詠唱を重ねて発動する「典礼魔術」というのもあるが、それも各人の魔力量を限界としていることは変わりない。
だが、ガラル魔法なら事実上、限界がない。大気中の魔素の濃度や地脈の流れにも影響されるだろうが、事実上無尽蔵に魔法が発動できることになる。
さきほどネイサンが数倍とか数百倍とか考えていたがとんでもない。数万倍、いや、状況によっては数億倍もの力を持つ魔法が発動できる可能性がある。
「すごい、すごすぎるガラル魔法! やっぱり僕は間違っていなかった。これで人々の生活が豊かになる。王国の暮らしは一変するぞ」
その優秀な頭脳によって、ネイサンの頭の中には未来の王国の暮らしがはっきりと思い描けた。それは魔法産業革命とも呼ぶべきバラ色の未来だった。平民から貴族まで誰もが魔法の恩恵を受けられる世界。ガラル魔法を使えば王国の守りは盤石になり、数千年の平和が約束される。
『いや、戦争に使われるのは嫌だな。そこは僕がしっかりと規制を作ろう。ガラル語を解読したのは僕なんだ。僕がルールを決めて、暴走しないよう見張ろう。この力は、弱い人々の平和と繁栄のために使われるべきだ』
そんな未来まで夢想して……ふと、ずっと『ルミノウスグロウ』を発動していたことに気づいたネイサンは慌てて魔法を消した。元の暗闇が研究室内に戻る。かなり長時間つけていたはずなのに、まったく疲れを感じない。ガラル魔法には驚かされるばかりだった。
「はあ、はあ、『ルミノウスグロウ』、うまくいった。これならほかの魔法も……」
ネイサンの前に置かれたグリモワール写本は、もはや最難関の古書ではなかった。宝物の詰まった宝物庫に見える。そして宝物庫の鍵は、ネイサンだけが握っているのだ。
「〜〜〜〜っ!!! 僕は解読するぞ。訳して訳して訳して……ガラルの神秘を、全て解き明かして見せる」
研究が実った喜びにふるえ、拳を握って叫ぶネイサン。だがすぐに不安が首をもたげた。
「待てよ、もうすぐ朝になる。このまま明日になったら、また教授たちから雑用を頼まれてしまう」
ようやくガラル語解読の目処が立ったのだ。心ゆくまで研究に没頭したい。しかし朝になれば、きっと様々な雑用をしつけられ酷使される時間が始まる。
ネイサンは悩んだ。普通の人ならば即決するところを、大いに悩んだ。すべてはネイサンの人の好さから来るもので、これを教授や上級研究員に漬け込まれたのだ。
やがて、ネイサンは一つの決断をする。それは今までの彼ならば考えられないことだった。
「…………すみません教授、上級方。僕は初めて、研究室をサボります!」
決断してからは早い。研究室内の自分の荷物と研究資料(もちろん、いちばん大切なグリモワール写本は厳重に)まとめたネイサンは、戸締まりをしっかりと済ませた上で王立研究所をあとにした。
「これからどうしよう……ひとまず宿屋を探すか」
3級研究員として雀の涙ほどの給料しかもらっていないネイサンは(しかもさらに教授から「指導料」だとか名目を付けてピンハネされていた)、定住所を持っていない。たいていは研究所にそのまま寝泊まりしていた。それもまた教授や上級研究員からバカにされる一因となったが、そんな生活を押し付けているのはほかならぬ彼らなのだから呆れたものである。
私物や財産と呼べるものはほとんど持っていない。ひとまず落ち着く先を探してネイサンは、財布を振ってため息を付きつつ安宿を探しに王都の裏路地へと向かった。
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