去ぬる夏
ミヅハノメ
朱夏
亡霊だということは、最初から理解をしていた。了解も、認識も、把握もしていた。
だってその女の子は、八月の特別な四日間にしかいなかったし。名前だって教えてくれなかったし。いつも同じ白いワンピースを着て、艶やかな濡れ羽色の髪を、同じ麦わら帽子で押さえていたから。
最初に会ったのはもういつの頃だったか覚えていない。たぶん幼稚園くらいの頃だったように思う。その年頃の子供が、たまたま出会った知らない子と名前も呼ばずに仲良く遊ぶなんて田舎では普通だった。私がお盆だけに帰省するタイプの家の子だった、ということも、その子に対して数年間疑問を持たないことの一つの原因ではあった。
小学校低学年くらいから、姿かたちの変わらない女の子に対して疑問を持ち始めた。いや、変わらない、というのは少し語弊があるかもしれない。変わっていないように思えるのだ。同い年の子と遊んでいたという記憶があるのに、その時の彼女を思い出そうとすると、今の彼女と全く変わっていないように思える。同じように成長しているはずなのに、彼女の幼年時代をどうしても思い出せない。
何歳なの、と、訊いたことはある。彼女はきょとんとして、走り回って赤みの差した頬をゆるりと持ち上げて、「きみと同じだよ」と言った。私は彼女に年齢を教えたことはなかった。
彼女は私の前を先導して歩いていた。彼女のワンピースに憧れて親にねだった私のワンピースも、彼女と同じように風を受けて大きく膨らんでいた。それでも彼女の方がずっと可愛くってずっと素敵だった。丁寧にあしらわれたフリルは、彼女の大人びた顔立ちによく似合っていた。
「自分がかわいいって思えば、女の子は皆かわいくなるのよ」
「そんなこと……」
「かわいいって思えば、自分のかわいさが続くための努力をするでしょう? 自分がかわいいって思うのは自分に自信があることと一緒。自分のことを信じている人のことをかわいくないなんて思う人はいないよ」
時折見せる彼女の知性も、やはり私とは到底同い年ではないように思えた。
河原に辿り着いて、私と彼女は綺麗な石を探しはじめた。彼女は深縹色の丸い石を見つけ、私は薄紅色がマーブル模様になった小さな石を見つけた。私達は互いにそれを交換して、それからしばらく川の流れを眺めていた。たまに魚が跳ねて小さな波紋を作ったが、光の揺らめきとともに消えてしまった。永遠に続くフィルム映画を見せられている気分だった。けれど、そこに同じ風景はひとつとしてなかった。
二人とも服を着ていたから川の中には入れなかったけれど、水を両手ですくって掛けあうのは涼しかった。帰り際、彼女は「ねえ、夜にもきてよ」と言った。斜陽を遮る彼女の麦わら帽子が揺れている。太陽の影でも、彼女の瞳は強く輝いている。
私は彼女の言葉通り、夕飯を食べてからすぐに彼女のところに行こうとしたが、祭りに行くのだと勘違いした親に浴衣に着替えさせられてしまった。私はからころと鳴る下駄で走っていった。人の流れに逆らうように進んでいく。
彼女は薄い水色の浴衣に身を纏っていた。私がハアハアと息を切らしながら目を丸くして彼女を見つめれば、「きみが浴衣を着てくる気がしたから」と彼女は薄く微笑んだ。麦わら帽子のない彼女は風景に溶けてゆきそうなくらい透明で、繊細で、髪の毛の先なんかはもう暗闇と同化してしまっていた。私は彼女に触れるように手を伸ばしたが、彼女はそれをするりと避けた。
「花火を持ってきたの」
色とりどりの花火。炎色反応、と父が言っていたことを思い出すが、それ以上のことは私の脳から出ることはない。彼女が「きれいだね」と言ったから、それ以上の感想は必要ない。私はコクンと頷いて、彼女の隣で花火に火をつける。
彼女がきらきらいろんな色に染まっていくのを、私は花火と一緒に眺めていた。彼女の瞼が閉じるたびに長い睫毛が私の脳髄ごと揺らしている。彼女の下駄が鳴るたびに私の鼓膜は彼女以外を知覚できなくなる。彼女は赤色だった。赤色で、青色で、黄色で、緑色で、その全てだった。
線香花火以外の手持ち花火をやり終え、彼女は「すこし休憩しましょう」と言って、人が座れるように丁寧に削られた岩に腰掛けた。彼女の隣に腰掛けると、彼女が空を指さす。
「心星というの」
いっとう強く輝く星が、彼女の指の先にあった。空の真ん中ではない、彼女の指の先に。
彼女はそれからいくつか星を指して、私に名前を教えた。星の飛ぶ空は彼女の頭の中と同じようなかたちをしていたのだと思う。だってあんなにも多くの光が輝き、そのどれひとつとして、同じ色をしていないのだから。
おぼえられた、と彼女が私に微笑みとともに訊ねる。残念ながら記憶力がそれほどよくなかった私は、最初に彼女が言った心星しか覚えてはいなかった。ただ彼女はそれでいい、と言った。それが一番大切なこと、と。
最後に線香花火を一緒にした。川のせせらぎが一瞬強くなったかと思うと、私の手元の明かりが消える。隣の彼女のものはまだ輝いている。
「――もう、なつもおわりね」
何故だか泣いてしまいそうな気分になった。私はパッと顔をあげて彼女を見たが、彼女の横顔は真っすぐに線香花火を見ていた。
彼女はふと線香花火から視線を外し、私を見て微笑った。思わず、手を伸ばす。彼女に触れようとしたことなどほとんどなかったのに、何故か無性にふれたくなった。さっき避けられたことが頭の隅にひっかかっていたのかもしれない。
私の手が彼女にふれそうになった瞬間、ほぼ同時に線香花火が落ちた。
彼女も瞬きをする間にいなくなっていた。
「――――」
握っていた線香花火も、遊んだ花火を入れていたバケツも、私の目の前からは魔法のように消え去ってしまっている。私はたったひとりで河原に佇んでいた。最初からそうだったのだ。私はずっと独りだった。
目を強く瞑った。
線香花火の色がじんわりと焼き付いていた。しかしそれは徐々に薄くなり、遠ざかり、やがて水彩のように滲んでしまった。
あなたの影は、私がおとなに近づくほどに遠ざかっていく。
去ぬる夏 ミヅハノメ @miduhanome
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