第2話
画面の上で指は暇を持て余していた。記事を読みながら先を急いでいたり、ゲームでの待機画面になっていたり、というわけではない。検索エンジンへの入力キーボード。操作を拒むものは何もないその画面で、迷い箸のように指が漂う。履歴に残っている英単語の和訳検索は、どれも数十秒で終わっていたのに、もうかれこれ五分は経っているだろう。先に進まないと、と頭ではわかっているのだが、気持ちだけが先走って、どの道に進めばいいのかわからない。
はぁ、、なんでこんな事も出来ないんだろう、、、
俯いたままでは、余計に暗い方へと考えが傾いてしまいそうで、そっと顔を上げる。見渡せば、電車の中は可愛い人や、綺麗な人ばかりで、やっぱり俯いていれば良かった、と思う。ふぅっと軽い深呼吸をしてゆっくりと動かす指先。
「可愛くなりたい」
メイクだとか、髪型だとか、細かいことは考えずに、思いを吐き出すようにただそれだけを打ち込んだ。検索を押せば、想像以上の記事の多さに目を疑う。どれを見ればいいのかわからぬまま、下から上へと指を動かしていけば、目に留まった一つのサイト。
「初心者必見! 一から可愛くなる方法!」
これ、かな、、
開くと、全てを網羅しているんじゃないかと思ってしまうほどの情報がそこには詰まっていた。全て段階毎にまとめられて、何から手をつければいいのか一目瞭然なサイト。その製作者に感謝しながら、じっくり読み進めていく。
これ、彼女は全部やったのかな。街中で見かける可愛い人もみんな、こうして努力したから、可愛いのかな。
膨大な情報量を前に、何もしてこなかった自分がどうしようもなく憎い。早く、可愛くなりたい。先を歩く彼女には、走らないと追いつけないのだから。顔を上げた時にはもう、最寄り駅を通り過ぎていた。
「ねぇ、カフェ寄ってこうよ!」そう言い寄る彼女の笑顔はやっぱり器用で、「ごめん、今日はちょっと用事があるの。」と断れば、すぐにしゅんと悲しそうな表情に変わる。
「そっかぁ、一緒に行きたかったなぁ。」
不貞腐れた様子でぶつぶつと不満を吐露する彼女に、「また今度誘ってよ。」と伝えると、「うん! そうするよ。」なんて満足そうな顔をする。
ころころと変化する表情。いつの間に感情表現が上手になったんだろうか。純粋な眼差しに今更ながら胸が痛む。それでも私は「また明日。」と、彼女よりも控えめに手を振り、いつもと違う駅に降りた。
改札を出て歩いているだけなのに、やけに周りの視線を感じる。髪を切った次の日みたいな、そんな感覚。そのせいか、ぎこちなくなってしまった歩き方のまま、私は人混みの中を進んだ。
ここ、でいいのかな、、
お店に着けば、昨日見ていたあのサイトを開く。最初に出てくるのが、「まずはここから! 髪型特集!」という小見出し。書かれているものを探しながら店内をうろつく。コスメやスキンケア用品が沢山並べられているその光景は、私が見慣れているはずもなく、全て真新しいものだった。他のお客さんもみんな可愛くて、自分だけが違う世界にいるように思えてくる。そんな疎外感の中しばらく探すと、割と店先に置かれていた、ヘアアイロンとヘアオイルがあった。見つけられた嬉しさにほっと胸を撫で下ろす。だが、それも束の間。
どれを選べばいいんだろう、、、
想像以上の品数で一つ一つの違いが全く分からない。慣れない場所で、視界の情報も上手く頭に入ってこず、置いてあるポップや詳細を見るが、無意味と化してしまう。
「何かお困りですか?」
丁度横から聞こえたその声。そこには、店員さんが優しそうな目でこちらを見ていた。大丈夫ですと言って逃げ出したい気持ちを必死に押し殺し、「どれを、選んだらいいか、分かんなくて、、」と、今の自分の精一杯で助けを求める。もっと違う言葉の方が良かったなとか、もっと自分で見てからにすれば良かったなとか、そんな私の後悔よりも早く、店員さんは「かしこまりました。私の方で説明させていただきますね。」と私に微笑んだ。もしかしたら、私みたいな初心者の人も、案外いるのかもしれない。店員さんは慣れた様子で説明をしていく。私は緊張の中、耳から入ってくる言葉を頭に伝えるのですら精一杯だった。
いつもより一時間早く鳴る目覚まし時計。まだ空は暗い。けれど、遠足の日みたいに目覚めが良く、自分の素直な好奇心に笑ってしまう。顔を洗って、朝ごはんを食べれば、急いで洗面所に向かう。昨日帰ってから練習したとはいえ、まだ不安は拭いきれず、ゆっくりと昨日のサイトでやり方を確認しながらヘアアイロンをかけていく。仕上げにヘアオイルをつければ、鏡に映る自分の姿に、我ながらいい出来だと思ってしまった。記載されている所要時間を大幅に超えてしまったが、きっと明日はより早く出来るようになるだろう。まだ時間に余裕がある。自分の頬にそっと両手を添えて、少しだけ口角を上げてみた。前よりちょっとは上手く笑えているような気がして、嬉しくなる。その感情が抑えきれなかったのだろう。親に向けた「行ってきます。」の声は一段と明るく、大きかった。
「今日なんか髪、綺麗だね! 可愛い。」
教室に入るなり、そう言ってくれる彼女。今まで私が髪を大胆に切っても、一週間後くらいにやっと気付いた様子で声をかけてきていたのに。やはり自分が変わると相手の変化も気付きやすいのだろうか。「ありがとう。」と素直に感謝を伝える。目の前で「いえいえ。」と微笑む彼女は今日も可愛い。私は少しでも、近づけているのだろうか。
もっと、もっと、彼女みたいになりたい。
次の日も、その次の日も、私はずっと彼女の背中を追いかけた。
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