海が見える

秋のやすこ

海が見える

カンカンと照らす太陽は昨日の豪雨も忘れてしまうほどに、水たまりを殺し続けている。

お母さん雲が必死に産んだ水たまりが、いとも容易く、まるで人間が蟻を踏み潰すかのように、水たまりは太陽に意見も言えずに死んでいった。

太陽は殺人鬼だ。水たまりを殺すし、時には人間をも殺してしまう。まさに無慈悲の象徴、悪事を悪と思っていないアイツは他人の感情なんて考えずに淡々と熱を放ち続ける。

でも海は強い、太陽に負けずに戦っている。大昔に雲と協力して大きい氷を作って氷が溶けたら水が増えるように太陽に対抗した。

でも海は太陽以外にも敵が多い、本当の敵は他の星や太陽なのに、地球の自然たちは何億年も前から、自然たち同士で争っていた。


11歳の少年厄見傀人が死人になりかけたのは10歳の夏。今日のように水たまりが大量虐殺されている日だった。自動車が地面を削る音が響く大通りでボールを追いかけ轢かれた。子どもが集中してる状態というものはなんとも不思議で、我々が聞いたとともに手に持っている物をそこらの便所へ投げ捨ててしまうような不快極まりない音であろうと、子どもの耳には重たい扉が構えてるように届かず、突っ走っていってしまう。

自分にとって最愛である一人きりの母親の声でさえも、傀人には百均で買ったちっぽけなゴム球によってかき消された。

大通りに響くのは地球外からなにかが降ってきたかのような轟音、傀人は痛みで泣き叫ぶ暇もなく、手術室に運ばれた。


幸か不幸か、後遺症もなく数週間の入院期間を経て傀人は全治した。しかし傀人は入院中よくこんなことを呟いていた。


「どこかから声が聞こえる」


事故から一年、聞こえる声は健在だが、事故に遭ったことも忘れてしまうほどに元気な傀人は家の近くの公園で虫取りをしたりと、11歳に相応しい夏の少年として、どこからか聞こえる声と共に太陽にも負けずに生きている。


ある日傀人は一向に現れることない声の主を捕まえてやろうと、声が大きくなる方角へと、まず自室を回り探した。押入れ、便所と探っても探っても声の主は傀人には会いたくないらしく一向に現れやしない。それにどんどん音が小さくなってきている気がする。

そういえば大きく聞こえるのは外だったなと、報道番組で速報が流れてくるかのように、脳内に記憶が届いた。

記憶が届けば動くのは簡単だ、幸いにも傀人の家は新旧の家を繋げた二世帯住宅。今傀人の脳は階段を下り、古い家側に繋がる渡り廊下を走り抜け縁側に向かう指令を出した。


築60年の家、入れば日本特有の古風なイメージと温かみのある

まるで時代劇に出てくるような大きい和室が視界いっぱいに入る。

そして次第に大きくなる声…

声が投げた問いは、どうやらこちらの家に来るのが正解だったらしい。となれば120点満点の回答を叩き出すには縁側から庭に出ることが正解だろう。


退院してから傀人は縁側から出たことがない。それは果てしなく不気味な気が漂っているから、側から見れば太陽光が木々の間を抜け、ポツポツと暖かい光が地面を照らしているとても過ごしやすい環境なのだが、傀人にはその暖かさがなぜか自分を狙っているようで、その光が傀人を蝕んでいるような感覚がするのだ。

傀人にとっての太陽光はまるで命を奪っていってしまうような、人殺しの光に見えた。

縁側から出てしまえば最後、自分は殺されてしまうのではないかと、あるはずもない恐怖を感じていた。


だがそんな思考は捨て去らねばならない、今傀人がやるべきなのは一向に姿を表さない声の正体を暴くこと。

この世に生まれて11年、人生最大の勇気はなんの変哲もない縁側から降りることに使われた。

暖かい日光、爽やかな風と共に踊る草木たち、そんな心地良い空間に降りるだけだったはず。

異変にはすぐに気づいた。

元から大して大きくなかったが身長が元より相当縮んだみたいだがそんなことより必死に探していた声は傀人の真横にいる。…さっきまで気配なんていう生物にしか備わっていないものがなかった声に気配が宿っている。傀人は動けない。今動くと殺される気がする、捕まえようなんて思わなければよかったと人生最大の勇気を出した直後に人生最大の後悔をした。


「迷い込んだみたいですね」


ずっとこもって聞こえていた声が今日初めて鮮明に聞こえた。声の感じから推測するに傀人と一緒くらいの年齢、あと数週間もすれば声変わりに入り、中期にもなれば色々苦労するだろう。

殺気のない声を聞いて安心とはまた違うおだやかな気持ちが心に浸透していく。少しだけ涼しい感覚が全身を覆っているのを肌で感じられる。


「迷い込んだというより、私のせいで入り込んでしまった…かな」


目線では傀人のことを見つめて話してはいるが気にしている素振りは感じられない、自身の気の向くままというのがとても似合っている。


「あなたが探していた者ですよ。傀人さん、起きているのでしょう?いや…寝たふりというより、動けなくなってしまった…かな」


見抜かれていると気づいた刹那、落ち着きを取り戻していた傀人の体に電撃が走る…と思った。だが落ち着いた感覚は衰えることはなく、気楽に瞼を開けることができた。

次にやる動作は胴体を上げることだが腰が抜けてしまい思ったように上げることができない、元々非力な方で事故からすぐ回復したのも奇跡に近いのだ。


「腰が抜けてしまいましたか?時間もありませんし手を貸してあげます、手は伸ばせますか?」


なんとも弱々しい「うん」が口から放たれたもので、昨日まで公園で蝉を捕まえていたとは思えない。入院時代に戻ったようだった。


「そろそろ私たちの食事の時間です。私たちにとってなくてはならないものですがそれに直撃すると死んでしまいますよ。歩けますか?歩けないようでしたらおぶって行きます」


「君?人間?」


風貌はどう見ても人間だが雰囲気は人間のそれではない、人間には絶対に出せない雰囲気である。なぜなら人間の雰囲気にはどれだけ抑えていても必ず欲望、優しさ、興味などが混ざって放出される。

それは時に愚かで、時に純粋である。

傀人は幼少期からそれらの雰囲気を感じ取ることができた。最愛の母は優しさがとても多かった、だからこそいつまでも大事でいる。

しかしこの者にはそれが全く感じられない、欲望も優しさも、興味すらも。どんな感情も持たずに傀人に接している。


「私はここの木の葉ですよ。最近風に飛ばされてしまいましたがなんとか生きながらえています」


この庭の木の葉だと言い張る者は髪が緑色で白のワイシャツを着て、スーツパンツを履いている。木の葉の要素なんてものは髪色しかない。

しかし夢ではなく、現実であるという事実が傀人の脳を焼き尽くそうと襲ってきている。11歳には少々難しく、傀人が今できることは名前も知らない、人間でもない者に荒く質問するだけ。


「でも君、明らかに人間だよね、木の葉らしい部分なんて髪の色だけじゃないか」


「それは傀人さんが想像する木の葉がそういう像だからでしょう、あなたが私をどう見ているのか、私にはわかりませんが。傀人さんは私のことを落ち着くものと思っているのでは?」


言葉の意味を必死に理解しようと傀人の脳は言葉の引き出しを、焦って開けすぎてしまった。脳は疲れたらしく、しばらくは考え事ができそうにない。

そしてドカンという無数の爆発音と衝撃が響き渡った。空は暗く染まり、辺りには逃げ惑う草たちがいる。


「来ましたね…急いで縁側に行きましょう。衝撃波だけでもどうなるか…」


木の葉と傀人の間を一つの衝撃が二人を襲った。衝撃波を感じて1秒も経たずに縁側とは逆の方向に吹き飛ばされた傀人は、去年吹き飛ばされたことを思い出した。

傀人は友達ができにくい存在だった。雰囲気を感じ取ってしまうがために、自分から相手と距離を置いてしまう。人の全てを感じることがどれだけ辛いか、最初は優しくともいつかは自分を欲の塊の愚かな目で見るのかと、わかりもしない未来を勝手に想像して、勝手に腹を立てて相手との距離を置いて、そんな自分がいつも嫌で、生きているのが正直辛かった。

いつも思っていた、こんな能力なんて持たずにいたらどんなにも幸せだったろうと。

木の葉はそれを感じなかった、優しさも欲望も興味もない木の葉は、数回の会話しかできていないが、木の葉となら、楽に会話ができそうだったから、もっと話していたかった。


「傀人さん!生きてますか!?」


知らぬ間に気絶していた。あのまま死んでいたらどうなったいたかとかそんなことを少しだけ考えてしまうのは、あの時のことを思い出したからだろう。五体満足で産まれてくるのはいいことだと思われているが、本当にそうであり五体満足以上で産まれてくるのもなかなかに苦しいのだ。


「生きてますね。よかったです、雨の次は太陽が来ています。私たちはこれから戦わなければいけないんです」


「さっきの爆破は、雨?」


「はい。傀人さんが気絶している間に止んでくれました」


「太陽と戦いに行くって…」


長くは聞いていられなかったが、自然の戦争の話だった。なにも人間だけが欲に動かされるものではなく自然もそうだと言っていた。自然は一見楽しそうに生きているが、何億年も前から同族同士で争っている悲しい生命体だと。


海と一緒に戦うらしい。海は強いけど、太陽の強さには敵わないらしくて年々弱っているらしい。

太陽以外にも敵が多くて、地球はみんなのお母さんだけど、地球全体が揺れて人間も他の生物も全て葬ろうとしてしまうらしい。


「愚かなのは自然ですよ。欲が見にくい、だからこそ愚かなんです。人間は愚かなのではなく賢いんです、賢いからたくさんの感情をもつんです。それが愚かに見えるだけですよ。では」



目が覚めてから傀人は海に向かった、傀人が見た海はいつもと同じくゆらゆらと、のんびり生きている。声はもう聞こえなかった。

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