第8日目 狼 推奨背景色:黒
彗太が出会ったそのオオカミは、眉毛が特徴的だった。きりっとしているが、なぜだかわからないけど異常なほど眉毛が太い。
他のオオカミもいるなか、その太さは他の一線を画し、彫りの深さはさながらトム・クルーズのアマイマスクを彷彿とさせるものがある。
ミッションインポッシブルをこの前現実で見たばかりだった彗太はそのトム・クルーズ似のオオカミがツボに入り、どうにか仲間にできないかと近寄った。
彗太が近づいても、そいつは一切警戒するそぶりを見せなかった。彗太は軽くしゃがみ込み、恐る恐るその頭に触れ、背中までなでおろした。
ふさふさの明るい灰色の毛は、見た目の通りファッサファサで、こんなもん生えてるだけで寒さすら防げるか怪しいだろう、と疑問が浮かんでも、それがどうでもよくなるくらいのさわり心地だった。
さらに、オオカミの体温、筋肉の動き、ふんわりした手触りの手触りの奥から伝わってくる。
インベントリの中から小さい彗太も出てきて、オオカミの首筋にどかっとつかまり、その毛並みを全身で堪能した。
彗太達はオオカミの背中にほおずりしながら夢中でなでた。
あたりが暗くなりはじめ、彗太は我に返った。朝方森に入り、すぐにオオカミの群れを見つけたのでおそらく十分弱ほど撫でていただろう。彗太ははっとして目を開けた時、このオオカミと目が合った。そのとき毛深いトム・クルーズは彗太たちを怪訝そうな顔で見つめていた。
慌ててその身から手を放し、軽く謝りつつ、何かこいつにあげられるものはないかとインベントリの中を漁った。
「コメット、オオカミって仲間にするために何が必要なんだっけ?」
すると、コメットはインベントリの中で豚肉を指さした。肉は「僕はお前にとって貴重な存在だよ」みたいな感じでインベントリの隅っこにでーんとふんぞり返っている。
トム・クルーズが仲間になるなら、と彗太は迷いなくその肉をインベントリから勢いよく引っ張り出した。
その時、何かを感じ取ったのか、オオカミがコメットの手元に鼻を寄せたのに気が付かなかった。
そして彗太の出す勢いが良すぎて、その肉はオオカミの顔面をバシン、と叩いた。軽快な音は夜の深いタイガの森に吸い込まれていった。
野生の狼に攻撃したプレイヤーは、一定時間を過ぎるまで無条件で攻撃対象になる。
ダメージを与えた者はいくら危害を加えるつもりが無かろうとこの世界のシステムに見逃されることはなく、オオカミの反撃対象外になることはない。
オオカミは急激に目を充血させる。たくましく生える首回りの体毛は逆立ち、目の色を変えて彗太にとびかかった。
「うわぁっ!」突如として様子が変化したオオカミに彗太は驚いて、しりもちをついた。
それを見逃すまいとオオカミは彗太の体の上にのし掛かり、腕に噛みついた。
「がああっ!」
うでの筋繊維がぶちぶちと切られる感覚、そしてとてつもない痛みで彗太は体をのけぞらせる。死に物狂いでオオカミの体を振りほどき、腹を蹴ってオオカミを撥ね飛ばした。
一瞬、宙に浮いたオオカミはダメージは受けたもののそれが決定だ担っている様子はなく、身を来るっと一回転させて着地した。依然目は赤くしたまま、ぐるるる……と唸りながら彗太の様子をうかがっている。
「やりやがったなこの野郎。俺はただ肉をお前にあげようとしただけなのに。いち」
彼もやられてばかりではなかった。右手を豚肉から石の剣に持ち変えて臨戦態勢に入る。
じりじりとお互いに距離を見定め、様子をうかがい合う。十数秒のにらみ合いの末、先に切り出したのはオオカミの方だった。
さっきと同じく、牙を剥き出しにしてまっすぐ彗太の首筋を狙って飛びかかる。
彗太は剣の腹でそれを受け止め、オオカミの体を横に流し、いなす。
再びオオカミが飛びかかってくるが、それもなんとか彗太はかわすと、オオカミは有効だを与えられないことにしびれを切らしたのか、体の向きを彗太の真正面からはずし、彗太の前を走りぬける。
ようやくあきらめたか。そう彼が胸を撫で下ろしたのも束の間、若干振り向きつつオオカミを流し見していた彼の視界から消えた直後、さらに向きを変えて彗太に飛びかかった。
そんなことだろうと思った彗太は、さらに剣を構え、オオカミの牙を遮る。
「くっそっ。そんな躍起になんなよ。俺だってお前を殺したくないんだよ」
が、この動物の体もまたかなりの質量がある。それになかなかの重さがある石の剣を扱い続ければ当然手のひらの筋肉も疲弊してくる。
突進してきたオオカミの勢いに押され、彗太はそのまま後方へ剣を落としてしまう。
じりじりと距離を詰められる。
辺りは完全に日が落ち、周りの森からは木々の静寂のなかに何やら怪しい息づかいが聞こえてくる。
警戒するべきはこいつだけじゃないな……。
「ガルゥルルル……」
そう思案する彗太には関係なく、またもやオオカミの牙が丸腰の彼の右脚を襲う。
「だああっ!」
強烈な痛みが下半身全体にしびれるように伝わり、地面に倒れ込んだ。
彗太は、自分側から明確な敵意を示さないことを良いことに、一方的に攻撃してくるオオカミに煮えるような苛立ちを覚えた。
「お前、マジでっ、ふざけんなよ」
脚に噛みつくオオカミの腹をおもいきり殴った。
オオカミにこたえているようすはあるが、倒れている体勢では威力に乏しいものになった。その結果、オオカミは依然彗太の右脚から口を離そうとしない。
この世界では一度受けた痛みが継続することはないので激痛が走り続けているわけではないが、いつまでも噛みついてくるオオカミに彗太は殺意を覚えた。
振りほどこうと必死に動く彗太に、わずかながら振り回されるオオカミ。
拮抗している状況を打ち砕いたのは突然オオカミの腹に刺さった一本の矢だった。
「ウゥッ」と弱い声を出して噛みつく顎をようやく脱力させたオオカミは、地面にたおれこんだ。
何が起きたかわからなかった彗太は、突然の助けに驚き、様々な思考が頭を巡る。
助けが来た?誰?というか俺の他に誰か居るのか?よかった。とりあえず安心だ。
矢が飛んできた方向に顔を向ける。
その瞬間、彗太の頬、右目の直下に矢が深々と刺さった。
そして刹那、彗太は見た。白い人影を。
不意に笑みが零れる。
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