第7日目 クラフト 推奨背景色:白

 そして、いざ、羊の目の前に立った。相変わらずそのつぶらな瞳は俺の瞳をじっと見つめ返してくる。

 焦点はバッチリ合い、不思議そうに顔を傾けている。


 手元の石の剣を見た。こんなので、今からこいつを殺すのかよ。こんないとおしいふわふわの生き物を。このギザギザの重い石の塊で。こんな分厚い刃で、こいつの肉を引き裂くのか。


 そんなことできるのか。


 俺が。動物の死を連想するので言えば、道端で跳ねられて死んでいる狸とか、そういうのしか縁がない。


 俺は夜間腕に突き刺さった矢の痛みを思い出した。

 体を裂かれる。死ぬほど痛かった。それを、こいつに同じこと、いや、それ以上の苦痛を与えるのか。


 凝視しているその羊の目は心なしか不安そうでもある。


 はっと気がついた。


 今時分はどんなに険しい表情をしているのだろう。

 こんなのを見せられたら、誰だって不安になるだろう。


 ……ここから帰るんだ。


 笑顔だ。最後の瞬間位笑顔で逝かせてあげよう。


 覚悟して、羊の前に立ち、剣を振り下ろした。


 だが、一瞬の気の迷いのせいか、降り下ろした剣の太刀筋はどうも曲がっていたようで、上手く羊の頭を一撃で切り落とすには至らなかった。


 そもそも俺は巨大な刃物なんて扱ったこともないから当然の事だった。


 切っ先がその純白の毛のなかに入り込み、肉に深く入り込んだ瞬間、「めえへええへえ!」と、大人しそうな見た目からは想像できないほどの大きな悲鳴をあげて、羊は一目散に俺の前から逃げ出した。


「そうだ。そうだよなぁ……一発でやってやんないと……、そうなるよなぁ……」


 でも……一発ってどうやって……。

 山から飛び降りながら羊を殺すことも考えたが…。

「あまりにも現実味が……」


 仕方……ないよな。


 俺は残ったうちの一匹の純白の体毛をガシッと掴んだ。

 その感触は想像していたよりも固くザラザラしていて、体から蒸発した汗がの塩が毛の表面についた土と混ざり合ったような指触りだ。

 これでも野生の羊だとしたら綺麗な方なのだろう。しかし、その感触と微妙に漂っている生物いきものの独特な匂いが、余計なリアルさとえぐみを俺に感じさせた。


 羊をがっしりと抑えたまま剣で一撃で首を落とせる訳でもなく、何度も剣を振るって羊を切り、いや、もはや殴り殺した。


 嫌な感触だった。死んだ魚を捌くのとは違う。

 筋肉の動きを剣の柄を通して感じた。それがまたやけに生々しくて、元の世界での屠殺とさつに対する自分の甘えを自覚した。


 近くにいた三匹の羊を殺し、手元に残ったのは一滴の血も吸い込んでいない羊毛と、きれいな赤みの羊肉だった。


 生き物がただの固形物に変わる瞬間。


 命の儚さ。


 死を傍観する虚しさ。


 ぎゅっと胸が押しつぶされるような感覚。


 これで、自分の手で生き物を殺したのは四回目だ。


 かまどを作るために、コメットに丸石を八個渡したところ、コメットは昭和の親父のような気むずかしい顔をして、首を横に振った。


 どうしたのか、と聞いたところ、コメットは残った棒で、地面にガリガリと字を書き、「俺は疲れた」と草を掘った茶土の筋で俺にそう示したのだった。

 こいつはちゃんと日本人なんだ。そして地面に文字書けるんだ。そう思って少しの間ボーッとその文字を眺めていったが、その間に文字は薄くなっていき、書いて数十秒経ったときにはすべて消えていて、元通りの草ブロックになっていた。


「いや困るって……。あんたが働いてくれなきゃ俺何もできないじゃん」

 俺が口を尖らせてそう言うと、コメットはまたしても渋い顔で首を横に振る。


「えぇ……」

 急にどうしたんだ。確かにあんなに動いて重労働ではあるんだけどさ。


 いや……そういえば、こいつを介さずにクラフトしたことが俺には一回だけある。

 作業台だ。

 作業台を作ったとき、目の前に現れたインベントリの白い石板の上で、正方形の窪みにぴったりと収まっている白樺の板材をあまりにも自然に右上の四つ窓に並べた。


 わかった。それと同じことを作業台でやれば良いんだ。


 インベントリは開けで、スロットバーは数字だから……。

 俺は顔を地面においた作業台の上に出して大きく言った。

「つk」


 言い終わる前に、黒い半透明のフィルムとこれもまた三×三の正方形に並んだ九つの窪みと、その横に点在するひとつのマス。インベントリに似た石板のような作業台のUIがぽっと出てきた。


「え? まだ『作れ』って言ってないんだけど」


 それから検証したところ、どうやら発音は作業台の石板を現すトリガーにはならず、作業台の上に頭を移動し、作業台の上面を見ることで他は無条件で開くようだった。


 そして、所持品の中から丸石を八つ、中央の窪みを避けて円形に配置することで俺が求めていた物が右の正方形に丸石が姿を変えて現れた。


「よっしゃできた! かまど! ていうか別に俺だけでも作れるんじゃん。てか、俺が作った方が早いじゃん」


 俺がコメットに言うと、こいつはにんまり笑った。

 なるほど。こいつは自分の作成欲を満たすだけということだな。

 何て自分勝手な野郎だ。くそっ、かわいいな。


 満を持して、かまどからジンギスカンを取り出す。

 微かに湯気を立ち上らせるジンギスカンに、あち、あち、と手の上で躍らせながらただ本能の赴くままかぶりついた。


「いただきます……」

 そう呟いて口に肉を運ぶ。

 かぶりついた瞬間に肉汁が口のなかで弾ける。


「うめぇ……、やばい、うますぎて泣きそう……」

 とてもいい焼き加減と厚すぎない温度、なぜか完璧に調整されている塩加減。

 先ほど全く感じていなかったのが嘘だったかのように、油の芳醇な香りが口の中でとろけて鼻に抜ける。

 極限の疲労感からのこれだ。グッと目頭が熱くなる。


 基本的に、小さいコメットが持っている時はミニチュア、俺が持ってるときはブロック、原寸の道具だ。


 すげえなしかし。細かいところまで【マイクラ】のまんまじゃん。


 でも不思議だな。マイクラの記憶なんて全部消去したと思っていたのに。案外覚えてるもんだよな。


 それから、俺は農業を始めた。

 シャベルを作り川から水を引き、草原の丘から降りて少し低いところに畑とちょっとした白樺の木材の拠点を作った。


「肉、旨かったなぁ」

 ボヤきながらコメットは石でできた鍬を土に入れ込む。

 水路沿いの柔らかい土を耕しては種を集め植える。ここ何日かはそればかりだ。

 たまに川の上流から泳いでくる魚を焼いたり、川の中にひっそりと生息する昆布を少しづつ取ってはこれもまた焚き火に乗せて食っている。


 だが……。


「いい加減嫌になってきたぜ……」

 日照りの中で汗水垂らして畑を耕し、1日に一回は川の水に全身浸かり、時には木を少し伐採して、広大な草原を種を集めるためだけに歩く。


 小麦は呆れるほどに実りが遅く、夜疲れてベッドの上で横になる時、本当は麦に害虫がいるのではないかと疑うことも少なくない。


 あと、明確な表示はないけれどここではしっかり喉が乾く。

 なので、いちいち川に行って手ですくって飲んでいるのだが、めっちゃめんどくさい。

 川のなかにタラとかシャケがいるから結構鬱陶うっとうしくもある。


 PVPに適したバージョンはこんなの居ないからな。

 どうしてもその時のサバイバルの感覚が残ってるんだよな。

 どうもこの世界と俺がやっていたサバイバルの世界の間にズレがある。

 木を切ると葉っぱから棒落ちてくるし、何となく全体的に世界の色味が明るい気がする。これに関しては今俺がここに存在しているのが原因かもしれないが。


 それにしてもやはり川に飲みにいくのはダルい。

 それをきっかけにガラス瓶を何個か作った。


 おっと、いけない。

 こんな思案していたらすぐにまた夜が来てしまう。

 とりあえず、資材をしまう倉庫と、安心して眠れる場所がほしい。


 ツールには困ってない。材料さえあれば、「石の斧が欲し……」と頭で考えた頃にはすでに小さいコメットが作っている。

 必要な時に素早く仕事をこなしてくれるのは大変ありがたいことだ。

 しかしながら、早すぎるのも考えものである。

「おい、コメット、そろそろ斧が必要な時期かな……って思いはしたけどさ、まだ俺作ってなんて一言も……」


 俺がそう言い終える前に、コメットは鋭く研がれた石の斧の切先を俺の頬に突きつける。


「あは、2本目も作ってくれたんだぁ……木いっぱい切るもんねぇ……あぁありがとねぇ……」

 震える声で礼を言って、俺は緑単色の種を持って土の中に手を突っ込む。

 爪の中まで細かい土が入り込む嫌な感覚があるが、手を土の中から引き抜いてみるとどうだろう。

 湿った土の粒子が指のしわにこびりつくことはなく、川の冷水で今洗ってきたかのように俺の手のひらは綺麗だ。


 重い斧を肩に担ぎ、シラカバの木の前に立つ。

 野球バットのように肩の上から勢いよく振ろうとしたが、肩が外れそうなので、体ごと横に軽くスイングすると、ズコーン! と気持ちいいくらいに刃が綺麗に原木に突き刺さり、木には大きなヒビが入った。

 体ごと振り回すようにしてもう一回刃を当ててみると、気の一部分だけポコンと壊れて、原木ブロックが地面に転がった。

 こんな軽い力で⋯⋯文明の力ってすげえ。




石炭と丸石を採取した鋭い山の麓に、さらに穴を開けて拡張した、仮拠点を作った。

周りが臼灰色の空間で囲まれたひんやりした空間だ。


日が照りつけるなかでの農業はスキンの衣服をすべてまとっている状態だと耐えがたい暑さを感じることが多かった。どうにかして対処できないかと模索した。風が強い日には服がはためき、ジャケットのなかで空気が通り抜けていくのを感じたので、ためしに袖から手を抜いてみると、簡単に脱ぐことができた。


今までスキンを解除するという発想が無かった。そしてその下のTシャツまでも脱ぐことだできたので、猛暑を感じる日は上半身半裸で作物を収穫することもあった。

はばかる必要がある人目は無いが、なんとなく下半身を露出することは避けた。


農業を始めてから四日と少し時間が経った。

作物の成長の速さは俺が思った二倍で、チェストの中身は小麦と種が大きなスペースをとっていた。


空腹になることも最初期に比べて減った。

安定した生活ができ始めたところで、俺は生活の労働の比重を農業から冒険へと傾けた。


白樺の大森林を抜け、草の色が黄緑色からかすかに深い緑色になった。赤い花が咲く草原を少し行くと、松の木が群生するタイガバイオームに入った。


タイガってたしか現実でも寒いところだよな……そう思い出した。肌寒さを感じて、移動で少し汗ばんでいた体に、脱いでいた黒のジャケットを羽織った。


一匹の狼がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る