第2日目 死んだ 推奨背景色:黒

 気がついたら最初にこの世界に来た時に寝ていたところに同じようにまた寝ていた。さっきと違うところは、目の前に広がるのは強い陽の光に照らされた空色ではなく、大粒の星々がちりばめられた黒だった。それも、元居た世界のように街灯に照らされた、くすんだ深い藍色ではなく、「brack」のピクセルを敷き詰められた無機質な漆黒の空だ。


 痛みで全身の汗が引かない。いや、正確には痛みのだ。

 全く訳がわからないことが続く。今度はなんだ?

 何かの火器物に引火したようなジュッという音がどこからか聞こえ、次の瞬間に背中に信じられないほどの強いけるような痛みを感じた。

風が一点に凝縮されたような背への強い突風。肉が裂ける感覚。骨が砕ける音。蒸発する血の臭い。


 起き上がってさっきまで俺が居たはずのシラカバの樹を見てみると、樹の上部分は以前として空中に浮いたままだが、その地面は深くえぐれ深いところにはわずかに石ブロックが見えている。直径四メートルほどの半球状の窪みが地面にぽっかりとできていた。

 見覚えのある地形だ。ジリッという砂が擦れたような着火の音、背後から全身を包むような炎。半球状の巨大な地面の窪み。窪みの中に転がっている握りこぶしほどのシラカバの原木。


 理解するのに時間はかかった。だが、薄々わかってきた。

 要するに俺は死んだのだ。そう理解した瞬間、青ざめる他なかった。鼓動がバクバクいって鳴り止まない。混乱と恐怖に頭が支配され、汗がだくだく流れる。手が震える。視界が狭くなる。俺という存在が疑わしく思えてくる。


 今ここに居る俺は誰なんだ? 今動いているこの心臓は誰のものなんだ? この皮膚は、この髪は、この感覚は、この感情は。いったい何なんだ。

 ここが偽りのデジタルな世界だとしても自分が自分ではないなにかに生まれ変わってしまった感じがして、とてつもなく、本当に気味が悪い。

 気持ち悪さに苛まれて、意味もなくドットの髪をむしる。


 そんな最中さなか、「ヴゥーウ」という掠れた一つの呻き声が、動転していた俺の気を引き戻した。

 抱えていた頭をあげると、たぶん一番見覚えのあるCubeのモンスターがいる。ああ、こいつのことも何回見たのだろう。懐かしい。

 俺の目の前にいるのは、緑色の肌と水色のパツパツのTシャツ、青いズボンに灰色のベルトを通した人間型MOB。いわゆるゾンビと言われる存在だ。


 真っ黒で虚ろな目をして、両手を俺の方に突きだしてゆっくりとこちらに近づいてくる。


「くっさ!」

 急な激臭に鼻を刺激され思わず声に出してしまう。あまりにも臭すぎる。酸化した肉の臭い……?適当だが。例えるなら金曜日に持って帰ってきて翌週の月曜日にそれを思い出してはじめて開けたような臭いだ。

 おいおい公害だろこんなもん。


 自分に対する気味の悪さと、このゾンビに対する気持ち悪さがせめぎあって、よくわかんないけど今は正気を保っている。


 俺がくっさ!と小声で言って、露骨に嫌な顔をすると、それを見てゾンビは急に、怒り狂ったように「ヴァアアァ!」と獣のような叫び声をあげた。

 まずいと思ったのも束の間、やつが突き出していた両腕をブンブン振り始めてマジ走りモードになったかと思うと、次の瞬間、すさまじいスピードでこちらに迫ってきた。


 威圧的な立方体の緑色の顔と大きく見開いた目が俺を硬直させる。


 俺がゾンビに驚いて動けないでいると、次の瞬間、気がついたら俺の左頬に強い衝撃が来た。


 頭から勢いよく地面に転がり、俺の腹にゾンビが馬乗りになっていた。


 あまりにも一瞬の出来事で脳の処理が追い付かず、じんじんと左頬の痛みを感じながら呆然としていると、視界が緑色の太いなにかに大部分を遮られる。


 しまった-と思う暇もなく、ただ漠然とした恐怖感じながら、俺の鼻の真正面に再び強烈な衝撃を食らった。


 強烈な痛みと共に視界がぐらついて、顔の真ん中がひしゃげる感覚を生まれてはじめて理解した。


 そしてまた、横に大振りの首の骨ごと持っていかれそうな殴打を一発。すでに俺の脳機能は半分麻痺したような状態で、痛みすら感じなくなってきた。パニックで上手く呼吸ができない。


 抵抗する間も無くつぎつぎやってくる衝撃と、まだ怒り足りないのか、ゾンビがその太い腕を高々に振り上げていることに、俺は泣きたくなるような絶望を覚える。


 最中さなか、俺は湧き上がる様な怒りを覚えた。


 何に対する怒りかはわからない。いや、おそらくただ一方的に殴られているこの状況にだが。しかし、それだけでは説明できないような煮えたぎる怒りが、俺の意思を確固たるものにした。

力が沸き上がる。体温が上がる。この怒りをこいつにぶつけてやりたい。


「ざっけんじゃねえ」

 白目をむいて殴打してくるゾンビを腕をガシッと掴み、強引に振り払って勢いよく体を横に倒した。


 ゾンビは案外簡単に地面に倒れ込み、俺は立って体勢を立て直す。


 間をとりつつ、徐々にその距離を詰めていく。

 目で睨み合って、フットワークで歩幅と呼吸をリズムをずらす。

 その時、なんとなく現実よりも体が軽いことに気がついた。


 先制攻撃に出たのはゾンビだった。


 まっすぐこっちに走り、俺の顔面めがけて思いっきり腕をぶん回す。


 遠心力で肩からちぎれるんじゃないかというほどの質量と速度を持ったその一撃を、身を逸らしてぎりぎりのところでかわす。ゾンビの指先で、ぶん、と空気を殴る音が耳をかすめた。


 自分の腕の重さに振られて無防備な状態になったゾンビに、拳を顎目掛けて放つ。

 しかし、喧嘩などしたことがなかった俺の打撃は狙いが大きくずれて、緑色の額に擦るように命中する。


 頭頂部から飛ぶように後ろに倒れ込んだゾンビは、よろけながらもその足で再び地面を踏み締める。


 ちゃんと効いている!


 少し負い目を感じると共に自分の攻撃が通用することに自信を取り戻す。

 この腕は、この筋肉は、あの1年間は、無駄ではなかった。


「ヴアアァァ!」

 ゾンビが血走った目で腕を大きく振りかぶる。


 この世のものではない光景のおぞましさに、恐怖–が頭によぎる。


 俺もゾンビに向かって走り出す。

 右腕を振りかぶって、ゾンビの顔面目掛けて力一杯拳を叩きつける寸前、左肩に割れるような衝撃が襲う。


 ゾンビの太い腕が、破壊せんとばかりに、俺の左肩側面にたたきつけられた。


 骨が折れるような痛みに顔を歪める。


 死にそう。でも。


「ああああ!」


 左肩に押し付けられた拳を振り払う。


 ゾンビの右腕がこじ開けられて、無防備になる。


 憎悪に塗れていたゾンビの顔が一瞬、恐怖の色に染まる。


 わかりやすくでかい的になった土手っ腹に、俺は全力の一撃をぶち込んだ。


 その瞬間、ゾンビの体は一瞬硬直し、呻き声を上げながらアイテムと黄緑色の経験値のオーブを散らして肉体が消滅した。

 蒸発した肉体か、エネルギーの残りかすか、魂か、同時に黒く小さい煙が細く夜空に登っていった。


 彗太の体は、何度も顔面を殴られて、縦横無尽に細かい動きを続けて、ボロボロでへとへとだ。

 それでもなお、彗太にむちを打つのは闘争心と自尊心だ。


 視界の隅に何か白い人型をとらえた次の瞬間、激しい痛みに左腕を襲われた。

「ああああ!」

 思わず悲鳴を上げる。


 左腕をみると、太々とした棒に括りつけられた固く尖った矢じりが深々と刺さっていた。

 横を見て動乱する瞳孔のピントを合わせると、無表情のスケルトンが遠くから俺を狙っている。

 吹き出す汗と絶望が入り混じり、俺の腹は氷をぶち込まれたように冷たい。


――――――――――


 私はコメットの大ファンだった。

 自分と同い年でありながら外国の他の大人たちをなぎ倒していく圧倒的な強さと才能が、私にはとても輝いて見えていた。

 池田選手。下の名前までは公表していなかったが、プレイヤー名そしてアカウント名【Comet(コメット)】にちなんだ名前だという噂はたっていた。


 映像では大きな瞳の可愛らしい顔でにこやかな表情を見せる彼だが、試合になると獲物を狩る狼のような鋭い眼光で何人もの敵を一人残らず叩き潰す。私はそのギャップに惹かれたのだった。

 世界大会につながるCube日本予選のさらに予選、九州大会で彼が圧倒的な実力を見せて一位通過を手にした時点で既にその後の活躍を確信していた。


 しかし、二年前から彼はメディアから姿を消している。

理由は全くの不明で、私は彼が最後にインスタグラムのアカウント消した日から、ずっと彼を追っている。


 退屈な現実を放り出して、彼と一緒にCubeの世界で暮らせたらどんなに楽しいことか、私は常日頃から本気で空想に耽っていた。




「え……なに? ここ」


 そして今、私の夢は半分叶っていた。


「あっ、すごい……私のスキンだ」


 これは夢なのか、現実なのか、正直わからない。


「これって……なんだろう。夢って感じじゃないけどな……」


 でもどっちでも良い。

 周りには、明るい色に彩られた立方体の世界。

 目の前の光景、澄んだ空気に、体がぶるぶるっと震える。


「ああ、すごい心地良い……」


 夢を夢で終わらせるかは、自分次第だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る