第3日目 殺した 推奨背景色:白

 ブロックで作り上げられた世界の夜、月明かりに照らされた草原のなかポツンと、左腕の痛みの余韻に悶える少年がいた。


 今は痛みは無い。だが無機物の何かが左腕に入り込んでいる違和感がある。

 激痛を覚悟して矢に手をかけて一気に引き抜く。しかし再び肩から指先まで痺れるような激痛が走ることはなく、大きい抵抗もなくぬるりと抜けた。

 刺さっていた箇所を覗いてみると、大きな穴などの目立った外傷はなく、深々と太矢が刺さったにも関わらずまっさらしている。自分の腕に気味の悪さを感じた。


 矢を抜いて周りを見渡した。

 居た。あいつだ。無機質な顔でこっちを向いているガイコツ。スケルトンが俺に次の矢を構えている。

 疲れと空腹で思考が鈍り、逃げるか戦うかのんびり迷っていたのも束の間、ビュン!と音を立てて俺の頭の左を掠めた。

 冷や汗が背中からどっと出た。そして瞬時に、これは相手にしてはいけないやつだと悟った。

 慌ててスケルトンから遠ざかると、俺への反応は無くなった。


 近くに敵はそう多くない。だが少し遠くには、八本の足を持ち頭に密集する細かい赤い目、短い脚で草の根を踏みしめる緑の爆弾、じっとどこかを見つめる刻み海苔のような細々とした黒い腕。


 ゲームの中だとデフォルメされた対して怖くもない見た目をしているそいつらだが、こうやって同じ目線で眺めると、遠目からでも身の毛もよだつような心地がする。


「隠れよ」


 俺は地面を殴り壊し、地中に隠れた。


 月明かりが遮断され、暗闇が極限となる。


 俺はそこで息を潜めた。


 全身は痛く、心臓も肺もバクバクいってボロボロの状態なのに、耳や目だけはその感覚を研ぎ澄ませている。

 今この瞬間に実感した。動物の本能だ。


 生き物は体力も肉体もボロボロで、なにか栄養を摂取しなければいけないとき、自分の器官の感覚を限界まで引き上げ、なんとか生き延びようともがく。

 今の俺の状態は、それと全く同じだ。


 もちろん、現実ではこのような極限状態は陥る事は無かった。

 ほんの少し、体が軽いこのマイクラ世界だからこそゾンビと戦って生き残れたと思う。


 この先、俺はここで生きていくのか?


 俺以外、この世界に誰も意思疎通出来る人がいないかもしれない。ずっとこの場所にいたら、あるいは言語を忘れるかもしれない。俺しか、そう、俺自身しか信じられるものが無いのだ。

 あの瞬間、追い詰められた肉体が躍動やくどうし、命を守り抜いた。


 風前の灯火とも言えるこの命を次に瞬間に繋ぐために俺はただ土の中で、鼓膜が鳴り止まない静寂の中で夜を過ごした。


「ヴウゥゥウ……」

 上からさっきのようなゾンビの呻き声が聞こえる。

 スケルトンのカランカラン骨を鳴らして歩く音、シャーシャー何かを吐いているクモの鳴き声も。


 奴らが俺の頭上を通るたび、心臓が口から飛び出そうになり、冷や汗が止まらなかった。

 一ブロック向こうの地上にはおぞましいほどのモンスターが獲物を探して徘徊しているのだ。

 たった、一ブロック向こう。


 いまに土を掘り返されて四肢を引き裂かれて食われるんじゃないかと想像し、そのたびに気絶しそうになっていた。


 しかしモンスターが歩き回る音は次第に無くなって、ダメージを受けている声が聞こえるようになった。

 俺はすぐにわかった。

 朝が来たと。


 でもまだ出てはいけない。

 俺は敵が完全に死滅するその時を待った。


 そして日差しに悶える苦しそうな声も聞こえなくなったところで、上のブロックを掘ると、すぐ穏やか日差しが差し込んできた。上を見上げると雲が浮かぶ青空が見えた。


 東を見ると、何も遮るものがない容赦ないほどの陽光。

 温かみがあり、時折その光から目を逸らすと、網膜が焼けたようにその部分だけ眩んで見える。

 目覚める前俺がいた世界と性質は何も変わらない。ただただ四角いだけの太陽が、草原を照らしている。


 あたりには骨や腐肉が散乱していて、モンスターはほぼ消滅していた。


 前には一体のエンダーマンが燃えずに残っていた。

 目は合わせていない。一般のゲームならばそれこそ生まれて間もない時は神経の一部をエンダーマンとの距離感を掴むのに割きそうなものであるが、俺はあの黒のっぽに対して警戒する気力すら残されていない。


 二日目の朝だ。

 敵は居ない。


 深く息を吸う。

 俺は生きている。

 これが俺の体ではなくても。


「俺は……生き残ったのか」

 しかしまだ実感がなない。これは、実際にはゾンビにむさぼられている自分が見ている幻想ではないか。そう疑ってしまう。


 もう一度頬をつねってみた。

 でもやっぱり、現実に帰る事はなかった。


 ふと、目線をしたの方に落とした。そこには、異臭を放つ腐肉が転がっていた。


 全てを思い出す。

 昨夜の惨劇を、あの死闘を。


 殺した。

 自分が殺されないように、全力で抵抗した結果だったとしても。

 正当防衛だったとしても。


 殺した。

 生き物をこの手で。

 俺と変わりなく動いていたし、感情も、表情もある。そして何より生物としての温もりがあった。


 殺した。

 もしかしたらもともと普通の人間で、俺みたいにこの世界に突如来てしまい、不慮の事故でゾンビ化してしまっていたのかもしれない。


 そんな存在を、


 殺した。殺した。生き物を、人を、殺した!


「うわあぁぁぁぁぁぁ!!!」


 叫んだら、しばらく止められなかった。


 自分のしてしまったことが何より恐ろしくて、そんなことをしてしまった事実を、認めたくなくて。

 喉が枯れてズキズキ痛くなるまで叫びまくった。


 この感情を溢れ出る涙で流してしまいたかったが、それじゃ収まり切らない。

 重い罪悪感が、俺の頭を潰すようにガンガン鳴っている。


 俺は、こんな世界で生きていかなければいけないのだろうか。

 これからどうしろっていうんだ。

 何をすれば元の世界に戻れるんだ。

 なんだ、なんなんだここは。

 俺が何か悪いことしたか?

 俺は現実で死んだのか?

 ここに生まれ変わったのか?


 じゃなければ……。

 もしくは……ゲームで言う【クリア】を達成すれば……。


 ここに来てしまったのなら。これが夢ではないのなら。

 ゲームのアバターの使命であるエンダードラゴンの討伐を達成するしかないのか。


 冗談じゃない。このゲームを一から攻略するなんて死んでもごめんだ。

 しかも画面のなかじゃない。今俺はこの世界に生身の人間として存在している。

 実際に、ここで生活を?


 俺は遥か遠くに見える山脈まで無限に広がる四角い世界を見渡した。

 そして絶望した。

 逃げ場なんて無いのか。


 そう実感したとたん、さっきの夜のような悪寒に襲われた。

 思い出したくもない。あの顔を見えない糾弾を。容赦ないほどに浴びせられる軋むような醜い声を。

 震える手を必死に押さえるが、当然止むこともない頭の中のトラウマ。

 喉がかすれ、視界は涙で一杯になる。


 そうだ。死んでみよう。夢が覚めるかもしれない。この中途半端にリアルな気持ち悪い世界を抜け出すんだ。


 俺からから見て太陽に背を向けてそびえ立つ鋭い岩肌の傾斜が急な山を見上げた。

 あそこに上って、一息に死のう。




 ひどく段差がついた岩の一辺に手をかけた。


 手足を巧みに使ってロッククライミングの要領で彗太は登り始めた。


 照りつける日差しの中、滴る汗と上がる息。彼の体はとうに限界を迎えている。


 だがそれに彗太自身は気づいていない。


 身体中に走る鈍い痛みと餓死寸前の空腹度が麻痺し、死ぬことしか頭にない。


 体から蒸気が昇り、筋組織が壊れていく。


 彗太は岩によじ登ることをやめない。


 やっとの思いで頂上に到達し、下を見下ろした。


 意識が遠退きそうなほど高いその景色に彗太は息を呑んだ。


 後ろから助走をつけて彗太は飛び降りた。




「っっ―!」

 強烈な痛みに俺は目を覚ました。

 目覚めて最初に見たのは、我が家の見慣れた白いの天井―――ではない。

 長方形の雲が浮かぶ無慈悲に真っ青な空である。


「ははっ」


 やっと思い出した。

 これで俺はすでに2回死んでいる。

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