78%の彗星「cube」

ruckynumber

覚醒編

第1日目 攻略開始 推奨背景色:白

 現在


 昨夜、何かが起こった。


 自分にとって大切な何かを見た気がする。


 しかしそれが前世の記憶のように思えてくる。


 なんだったのか、微塵もわからない。


 たしか、俺は何かを成し遂げた。その事実だけは虚しいことに明確にわかるのだ。


 自分にもし何か使命があってここに来たのだとしても、俺を送りつけた人、ごめんなさい。

 俺は自分が何をしたら良いのか知りません。


 だからせめて、この世界で何があっても絶対に生き延びるために必死で強くなろうと、そう心に決めたんだ。



 ――――――――――――



 澄んだ空気と暖かな日差しで目が覚めた。

 体を起こす手のひらに、くしゃっという感触が残る。

 薄く赤いあとがついた手のひらを一瞥してから、体を任せていた大地に視線を落とす。

 草むら……?


「なんだ……ここ?」


 突如として見知らぬ場所にいるという混乱から、周囲を見渡す。


 目の前には断崖絶壁の鋭い、山。

 それを背景に広大な草原が広がり左側には白い幹の木がところ狭しと並ぶ森林。シ、ラ、カバ……?

 水の流れる音に気がつき後ろを向くとすぐ近くには、浅く、不自然に青い川が流れていて、水中に魚の群れがはっきりと見える。

 周辺には牛や羊が居てそれらはのそのそと草を食べてはただ野原を歩く。


 そして―――。

「四角い……!」

 眼前に、今実際に目の前に広がっている光景は、いやがうえにもCubeの、俺がかつて夢見憧れていた世界そのものだった。

 遠くの山も、空に浮かぶ白い雲も、幹に乗っかり生い茂る葉っぱも、すべてブロック。

 豚の耳も、花の花弁一つでも、風に揺れ動く草の根一本だって、何もかもが角張っている。

 完全に目の焦点が合っていない羊も、現実離れした人間の声で収録された牛の鳴き声も、鶏の卵から小さい鶏が生まれる現象も。

 何から何までが体に染み付いた空間。目に焼き付いていた景色だった。


 そう、数年前に指を痙攣させ白熱した戦いを繰り広げたあの景色となんら変わらなかった。

 今、俺の目の前に広がっているのは……。


「キューブの世界……!」


 すぐそこを流れる川で自分の顔を見てみた。

 柔らかい朝日が照り付け風に波打つ水面みなもに確かに映っている。


 前髪が重い黒髪の頭に、一筋の白が入った水色の瞳。

 肩から下は白のインナーに黒に近い紺色のシャツジャケット。下に履いている黒いワイドパンツには左足の方に一つの流れ星がイメージされたマークが入れられている。


 何百、いや何千回見たのだろうか。二年前、インタビューの時にプレイしてそれっきり見ていなかったが、忘れもしない。

 自分が頬をさわり、確かな感触があるこの体は、画面の中で見た【コメット】そのものだった。

 驚きを隠せない。おかしい。意味がわからない。開いた口が塞がらない。豆鉄砲に打たれた鳩とは、いまの俺を指す言葉だろうか。


 そして彗太は不本意だった。

 cubeをやめてから二年間、何十回、どれ程深く恨み始めたことを後悔したかわからないこのゲームに、自分自身が生まれ落ちたと実感した途端、嫌悪の何倍にも勝る感動が、二年間、殻にとじ込もって卑屈になっていた彼の心をほんの少し動かした。


 なぜか、溢れそうになる涙を拭いて俺はもう一回自分が置かれている状況を整理した。

 最初に、昨晩cubeのVR版を起動した記憶はない。どこかの親が太い同級生とメディアの中でコラボした時に頂いたプレゼントならあるが、押し入れの奥底にしまったはずである。

 俺がスタンドライトでパソコンを殴りつけようとした瞬間、気がついたらこの草原に寝ていた。


 近くを横切る川の水面には朝日が反射し、川のせせらぐ音が聞こえ、その中では魚たちが、アルゴリズムにしたがったゲームのなかの理に敵わない動きではなく統率のとれた一つの群れとして同じ種類で固まった泳ぎを見せている。

 地面に顔を近づけて草ブロックを観察してみるとなおさらよくわかる。草一本一本のテクスチャはもちろんない。しかし、手のひらで地面の表面を弄んでみると、しなやかで、細く薄く、わずかに内側に水分を感じる何かを指の先でさわっている感覚がある。

 そして臭いを嗅いでみるとどうだろう。幼少の時に嗅いで以来まともに感じたことのない野草の臭い。これが果たして今十六歳の俺の夢で再現可能であろうか?


 俺の右手に生い茂る白樺の森に視線を移す。

 深い緑色をした角ばった無数の葉が風に揺れるのを眺めながら、黒い斑点のある幹に触れてみる。ごつごつした幹からは、予想していた通り現実と同じような質感と肌触り、さらには人間やそこらの小動物など等とは比較にならない重い質量を感じる。


 土と同じように臭いを嗅いでみると、なんだろう、恐らく昨日にでもここら一体で雨が降ったのだろうか、苔むしたようなつんと鼻を刺激する木の独特な水臭さがする。

 見てくれはもうそれは完全に「Cube」の「シラカバの原木」である。でもやはりゲームの世界の中に人間が感じる五感の一部を溶かしたような違和感を感じる。


 羊や牛にも近づくことを試みたが、泥臭さと割りと動きが生物してて触る勇気が出ずに諦めた。なんか毛がわさわさしてた。


 夢なのか。試しに左手をつねってみた。むず痒いような鬱陶しい痛みが左手首の甲に残る。前から思っていたことだが、本質論的に腕をつねるこの行為は夢から覚める手段として効果を示さないだろう。

 仮説を裏付けるように、この馬鹿げた夢から目覚める気配は感じられない。


 ところでなぜ、こんなにも明瞭な明晰夢を、俺が忌み嫌うテーマで見ているのか。嫌悪の対象として今日の話題に上がることが多かったのが原因だろうか。

 冷静に俯瞰して見たとして、俺の頭は目の前に広がる四角い世界を異常なほど高い再現率で俺に見せている。

 むしろ、再現という域を越えているかのように思える。


 夢というには無理がある。Cubeの中に現実世界が中途半端に混在しているような気味が悪いこの場所は、まさしく異常と言う他ない。


 結論はもう出た気がした。

「どうやってここから帰るんだろう」


 今パッと思い付く手段で二つ。実現可能かは置いといて。

 エンダードラゴンを倒して現世に帰るあのゲートに入ること。

 今ここで死ぬこと。


 エンダードラゴン関係はまず無理だ。俺の中で発作が起きる。今周りの、陽気で楽しい立方体の世界を見ているだけで今気分が悪い。石炭を掘り出した頃くらいにきっと吐き出すだろう。


 死ぬ方は。普通に嫌だろ。さっき腕をつねったときに普通に痛み感じたもん。当然のことながら、つねった程度じゃ肉体にダメージは無い様子だった。「いてっ!」とか「い~!」みたいなノリ程度の痛みでは到底死ぬことはできないだろうな。


 また、現実では落ちたらほぼ確実に死ぬ五~六メートルほどの崖や穴にCubeのプレイヤーが落ちても、体力が半分以上残った状態で無理なく生還することができる。

 さらには、ゾンビとかスケルトンにグサグサされて瀕死の状態でも、少し休息をとりながら食料さえ口にすればもとの状態まで完治させることができる。


 そう考えるといや本当に、この肉体の生存力が人間離れしていることに逆に恐怖を抱く。

 この世界で死ぬと言うことは、現実に匹敵する、もしくはそれを上回る苦痛を伴うのかもしれない。


 目の前の木をさわりながら考察に耽っていた最中、意識を物理的世界に引き戻した俺は空の色の変化に気がついた。

 みたところ、動物や草木の影が少し傾き、先程までのような照りつけるような眩しい日差しはなくなっている。プロローグのようになめらかな事の運びだと思った。


 しかし、もうすぐ日が暮れ始めるというのに俺は特に何をしようかという気にもなれない。

 キューブ一日目は大抵、全力で原木を素手で殴り、基本的なツールでインベントリを固めておくのが定石である。

 正午から数時間経過したくらいの、夕暮れとも言えない空を再び見て、俺はシラカバの原木を素手で殴ってみることに決めた。

 昔からノリは悪い方ではない。


 節くれ立った拳の痛みをある程度覚悟した上で白い幹の表面を力一杯殴った。ただ好奇心というものがあった。手の甲と原木が衝突する瞬間、思わず目をつぶってしまう―――。

 が、結果は意外だった。痛みは全く感じず、さっきまで大岩を押しているかのようにびくともしなかった樹が、特段激しい抵抗もなしにいとも簡単に壊れてしまった。

 またそこには、一メートル四方の立方体の空間と、ニュートンがぶちギレそうな樹の上半分を媒体とした物理学への侮辱が存在する。


 ―――――――――――――――

 

 空は日が暮れ始めていた。


 辺りには怪しい気配が漂い始めていた。


 茜色の空を背後に真っ直ぐ飛んできた遠矢は、血のような赤黒い液体と、同じ色の光を帯びていた。

 一切のブレもないその一筋の姿は、さながら黒い彗星のようだった。

 矢は、誰にもその姿を見せることなく草原にわたる浅川にその身を投げた。


【コメット】は自分のしたことに驚愕し、または酔いしれて、背後から迫り来る脅威に気がつかず、彼の至近距離で高威力の爆発が発生。この世界における人一人の致死量のおよそ二・一倍のダメージを負った。

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