プロローグ 後編 推奨背景色:黒

「お帰り! 彗太!」

 顔をボードの前につきだしながらニカっと口角を上げて笑う父に、若干引きぎみになりつつただいまと答えた。


 IT関係で働いている彼は基本的に家に居ることが多い。

 自他ともに認める自由人の彼は、最初自宅でできる仕事を追い求めこの職に手をつけたが、元来スポーツマンであった彼に家にずっと居る変わらない日々が相当な苦痛らしく、彼の自腹で大幅な出費をし、家にボードで降りられる一、二階直列式スライダーをつけてリフォームした。


 さらに本格的な筋トレ器具を自分お部屋に置き、日中自分を飽きさせないトレーニングを続けた結果が今のガタイのよさである。


「はあ、また隣の源蔵さんに手土産持っていかないと……」

 ため息をついた母は劉生に箱の雪見大福を持たせた。

「源蔵おじいちゃん優しいから大丈夫だよ?」


 僕たち家族は聞き慣れたものだが友達を家に呼んだときは毎回驚かれる。

 そして多大な近所迷惑となるためスライダーの使用は半年に一回と母に定められた。


「そういう問題じゃなくて……。いいから行ってきて」


「一緒にちょっと食べてきてもいい?」

 劉生は嬉しそうに目を輝かせた。隣の源蔵おじいちゃんとは僕たち兄弟は幼いときから遊んでくれた仲で、血は繋がってなくても劉生はもちろん、僕も源ちゃんのことは大好きだ。


「いいけど、早く帰ってきなよ。おじいちゃんもう寝る時間だから」

「はいよー」

 劉生は呑気な返事をして軽い足取りで玄関から外に出た。


「他のご近所さんにもそろそろ事情を伝えるべきかしら……」

 母はそう言うと、キッチンに備え付けたあった新聞紙を丸めて父の頭をスパーン! とシバいた。

「いてっ」

 父は舌を出して母に軽く謝罪と日頃の感謝を伝えると食卓についた。


「しっかし、彗太ももう高二だもんな! 早い! どうなんだ。弓道の方は。弓には触れたか?」

 父が米粒を飛ばしそうな勢いと声量で僕にそう言った。


「うん。射てた。まだ全然的に当たらないけど、腕立てと姿勢矯正の賜物で力がなくてぶれることは全然ない。一年間全く射ってこなかったけど、これがあの高校の強さの秘訣だって知ったら、納得するかも」

 目の前のから揚げに箸を伸ばしつつ答える。

 二年生に上がってから俺は弓道にドハマりした。なにせ、一年間の努力が実を結ぶときがやって来たのだ。来る日も来る日も一番最後まで残り練習を重ね、その努力を見込まれて顧問の谷岡には信頼を置かれている……と思う。

 一年の頃は谷岡のことを本気でぶん殴ろうかと思ってタイミングを見計らっていた時期もあった。


 ふいに父が変わらず明るい様子で聞く。

「だけど、彗太がゲーム部入らないって聞いた時は父さん驚いたぜ」

「ちょっとそれ言わなくても⋯⋯」

 父の言葉に対して母は制止するように言った。

「なんでだよ?」

「あの時はいろいろあったじゃない」

「今は大丈夫だろ。なぁ、彗太」

 僕は肉を噛み千切りながら静かに頷いた。

「あの頃はひどかったじゃん! 今はもうやっと落ち着いてきたけど……」

「だから今は平気だろ」

「だからってわざわざ掘り返すことないでしょ? みんな貴方みたいに絶対自分を強く持ってるなんてできないの」

「だってあんなに真剣だったんだぜ? もったいないだろ」

「彗太が別の事したいって言ってるんだから良いじゃん!」

 両親は言い合ったあと、はっと僕の顔を見る。


「べつに今更気にしてないよ⋯⋯」

 ぎこちない両親の様子を見て出来るだけ気にしてないふりをして味噌汁の最後の一口を味わった。


「彗太、お前が戻りたくないならそれでいい。だが……優勝までしたんだ。正直俺はお前の才能が羨ましいよ。だから……ああ、なんていうか……また前向きになったくれたら父さんと母さんはいつでもお前を応援するからな」

 父さんの言葉を尻目に、母はなにも言えずただじっと俯いていた。

 まただ。何度目だろうか。数えるのも億劫で、僕はもう慣れた話の展開とそれに付随する言葉だった。

 簡単に若年で成功してしまったから、親に無謀な期待を抱かせてしまっている。

 僕に密かな期待をしている両親に始めて気がついた一年前の夏、自分親に対して初めて、錆びた鉄をなめたような嫌悪感を感じた。


「ごちそうさま」

 僕が食器を片し、ちょっと、もういいの? という言葉を聞き流しながら二階の自分の部屋に続く階段の手すりに手をかけたとき、母は心配そうな表情で僕の顔を見た。

「自分がちゃんと納得できる選択をしなさいよ。未来を見据えてね」


「うん。後悔は無いよ、今」

 肯定と言う名の突き放しが、僕の得意技になっていた。




 部屋の照明もつけず、コードの根元がちぎれかかった金属製のスタンドライトの白い明りだけをつけて自室のベッドにうずくまっていた。

 揺れるカーテンから差し込む月の光が、絶え絶えに弱々しくベッドを照らしている。

 しんと静まり返った暗い室内。耳を済ますとコンビニで連日バカ騒ぎしている大学生の声と、夜行トラックのエンジン音が、二階からでも小さく聞こえる。

 五月の下旬の夜。しんと湿ったぬるい寒さで腕の冷えに気がつき、僕は薄いパーカーを羽織って窓を閉めた。


 少し前の事を思い出した。何度も思い出している。経験したこともないような怒濤の日々。色々なところへ電車やバスで向かっていった、手の指も凍るような刺すように寒い冬の事だった。


 推薦のために各種SNSを始めて、この機会を逃すまいともがいていた。

 世界大会で優勝した翌日、様々な会社、団体、有名人、学校などから一斉に連絡が来た。

 Cubeのおかげで学校の勉強が壊滅的になっていたため、もらった取材や仕事の案件は、多少無理をしてでも受けた。

 こんなにも僕を必要としてくれるのかとうれしくなった半面、僕に乗じて収益を上げているとも言える様々な大人に、親と同じような薄々嫌気がさしていた。


 影響はそれだけではなく、僕の大会の結果に対する世間の反応も、毎日のようにどこかで目に入った。最初はそれこそかつてない注目をされていい気分だったが、顔も名前も知らない他人から意見を受け入れているうちに、僕と言う人物が分からなくなっていった。

 通知はその後一週間に渡って鳴り止まず、怖くなってアカウントを消した。


 進学実績を気にしていた当時の中学の担任に小言を言われたが、そんな言葉を気にしている余裕がないほどに、まだ未熟だった僕にとって苦痛の日々が続いた。


 当時珍しかったインフルエンサー推薦入試は、フォロワーが多いSNSアカウントが無くても取材を受けまくった甲斐あって知られたこの顔で苦労の末合格することができた。


 勉強机の横、床に直で置いているデスクトップパソコンと、小さなローテーブルに乗っているその周辺機器に目をやった。

 これは僕の二代目相棒だった。さらなる高みを目指すため、七か月間バイトして、今までの貯金をすべてつぎ込んで、調べながら自分の手で一から組み立てた。


 完成し、初めて起動に成功した時に僕が発した奇声は、父が一週間連続でスライダーボードを使用し、八日目で母が絶叫した時の声の半分に匹敵すると劉生は言っていた。


 初代のノートPCは⋯⋯どこだろうか。家の押し入れにしまってあるのか、それとも劉生が使っているのか。今では所在が分からない。


 金属質な機械たちの表面には薄く埃がかぶっている。

 今は全く使っておらずこいつらも押し入れにぶち込んでしまうべきだと、いや、いっそのことどっかに売り飛ばしてしまおうかと思う。

 しかしなぜだろうか。いざ片付けようと押入れの扉を開けても、また表面をウエットティッシュで磨いてしまう。


 ―――


「ねえ、このノートパソコン使って良い?」


「パパ見て! 家作った! どう?」


「cube……知ってる!? やってる!? マジ!?」


「うん! 一緒にエンドラ倒そうぜ!」


「このサーバーで世界中の人と戦えるらしいよ。やってみない?」


「難しい~。勝てない~。でも楽しいからやってる」


「っしゃぁぁ! 始めて1st取った!」


「僕バイトして、ちゃんとしたPC買ったわ。これで僕無敵」


「銀河最高三連勝? いぇーい、僕最高七連勝~」


「へえ~上位六十名が勝ち上がれるのか……一年後ね……」


「父さん、僕さ、ちょっと頑張ってみたい。これ見て、インフルエンサー推薦ってのがあって……」


「やった……。本戦出場? ヤバイ銀河、ちょっと泣きそう……」


「『はい、はい。いや、もうあのときはとにかく必死で、気がついたら生き残ってました』」


「明日AM5:00から取材……うん、大丈夫。OK」


「なんだよこれ……。何でこんなん言われなくちゃいけねえんだよ」


「『はいそうです。やっぱり、困難なものにこそ価値があると思いますし、ワクワ……』」


「うん……。そうだね。次の夏の大会も……うん。わかったよ母さん。頑張ってみる」


「ふざけんなよ。なんなんだよこいつら! 僕だって一生懸命やってんだよ。日本ベスト8だって十分だろ!」


「コラボの依頼⋯⋯。名前を使われる側になったのか⋯⋯僕」


「銀河、僕きついわ。ごめん、正直限界だ」


「僕、cube辞める」


 ―――


 みんな言うんだよなぁ。若い内は好きなことしろって。


 じゃあ文句つけんなよ。あてにすんなよ。


 邪魔すんなよ。身の程わきまえろよ。


 別に、有名になんかなりたくねぇよ。顔と名前知られたくねえよ。


 ただ僕は、純粋に楽しんでいたかっただけだったのに。


 特殊な推薦を利用する選択を取った僕の責任でもある。

 そんな前代未聞のきな臭い入試方法に協力してくれた両親にも感謝してる。


 ああ、僕は何がしたいんだろう。自分のとった選択肢に勝手に後悔して、落ち込んで、周りを避けて、今まで大切にしてきたもん手放して先生に怒られつつ弓道部初めて、筋トレ三昧で毎日疲れて帰ってきて、僕はどこに向かうんだろうか。

 僕が通っている高校は、勉強を放棄し、たまたま世の中に広く受けるネタを当てた子供を正当化した大人達のエゴの産物だ。


 学力もろくに身についてない、挨拶すらできない礼儀もなってないそんな三年生を僕はいっぱい見てきた。

 そんな烏合の衆の一人だという事をふと自覚すると、どうしようもなく恥ずかしく、情けなくなってくる。


 後悔だ。重い、重い自責の念が、僕自身を押しつぶすほどに大きく膨れ上がっている。表面上は取り繕っていても、深い後悔が僕の精神を内側から蝕んでいくのだ。

 最初から、やらなければよかった。ゲームなんて出会わなければよかった。今僕を狂わせているのはゲームCube、それに心を惹かれたあの幼き日の僕自身だ。




 スタンドをつかみ、力任せにスタンドライトをコンセントから引き抜いた。


 小さな明かりがあった部屋が完全に真っ暗になるのと同時にコードの根元が引きちぎれる。

 振り上げた勢いそのまま低い天井にデカい金属が当たってゴンと鈍い音が僕の部屋に響いた。


 その刹那、突然体がしびれる感覚に襲われる。


 なぜだか、風邪をひいたときのように脳が揺れる。


 気持ち悪い。吐き気? なんで。


 肉体の不快感を意識の外に追いやり、ウエットティッシュが近くに投げられたパソコンの上で金属の塊を振り上げる。


 Cubeを取る選択をしなければ――。


 Cubeに熱中しなければ――。


 Cubeに出会わなければ――。


「こんなことにはならなかった!」


 機械に向かって振り下ろそうとしたその時、電源につないでないそれがブーンという小さな音とともに起動した。


 その瞬間、モニタにも光が点る。


 そして異常な速さで、勝手に、画面にはタイトル画面のCUBEという文字。


 訳がわからず、意識が朦朧として、視界がぐらぐら揺れた。


 彗太は床に倒れこんだ。

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