嘘つきな私
なな
嘘つきな私
私は嘘つきだ。それは他者に対してだけの話には留まらない。自身の心にでさえ平気で嘘をつく。
常に相手の顔色を窺い、相手の行動や意見に同調する。自身の感情や考えには全て蓋をして。
それが私───宇曽愛美の日常である。
私は昔から自己主張が苦手だった。恐らくそれは自分に対する自信の無さ故だと思う。周りのクラスメイトは勉強や運動が得意であったり、ピアノや絵が上手であったりと皆何かしら秀でていることがある。しかし、私は何もかも平凡あるいはそれ以下だ。
誰かに誇れるようなことは何一つとして持ち合わせていない。
そして、陰気でコミュニケーション能力の乏しい私には気軽に話し掛けられる友人でさえ片手で数え切れるくらいしかいない。
いつしかそれらが大きな劣等感へと変わっていった。そしてこんな自分には価値がないと思うようになり、自分の考えや感情は押し殺して他人に同調する癖がついた。
高校に入学することを機にそんな自分を変えようと試みたが結局失敗に終わった。高校1年生の2学期になった今も何一つとして変わっていない。
「愛美ー!」
放課後になり、昇降口に向かって私が廊下を歩いていると背後から声が掛かった。
「ん?」
私が振り向くと、そこには同じクラスで親しくしている菜乃華の姿があった。リュックサックを背負っており、私と同様今から帰宅するところなのであろう。
「週末遊びに行くところってどうする?もうすぐ週末だしそろそろ決めた方が良いかなって」
愛美が帰る時間に間に合って良かった、と菜乃華は微笑む。
「うーん、どこが良いかな⋯⋯?」
私は顎に手を当て、最適解を模索する。
(どこって言えば良いんだろう·····?)
私の頭に真っ先に浮かんだのはカラオケ。特別歌が得意な訳ではないけれど歌うことは昔から好きだった。でも、もし菜乃華に微妙な反応をされてしまったら、変に思われてしまったら、と考えると言い出せなかった。
私が自己主張出来ない要因は自信の無さだと思っているが、もしかしたらその根底には否定されることや嫌われることを恐れる気持ちがあるのかもしれない。
高校に入学し、せっかく出来た貴重な友達である菜乃華を失いたくないという思いが心のどこかにあるのだろう。
(やっぱりダメだな私)
いつものように、自分が行きたい場所一つも口に出せない自分に心底嫌気がさす。
黙り込んでいる私を見かねたのか菜乃華が口を開く。
「ウチは、ショッピング行きたいって思ってて。愛美は他にどっか行きたい所ある?」
「良いね!私も丁度ショッピング行きたいなって思ってたんだ」
そう言って私はまた自分の気持ちを偽る。
「マジ?それなら良かった!」
菜乃華の顔がぱあっと明るくなる。それを正面から見て端正な顔だと改めて思う。菜乃華はスタイルもよく勉強も運動もとにかく何でも出来る。明るい性格故に誰とでも打ち解けられ、男女問わず人気者だ。まるで自分とは生きる世界が違うような、そんな存在だ。
「お昼ご飯はどうする?」
「うーん、何がいいかな?菜乃華は何食べたい?」
私は質問を質問で返す。これも私がよくする手段の一つ。自分の前に相手の意見を聞き、自分はそれに合わせるのだ。
「私はパスタ食べたいかな」
「良いね、じゃあそうしようか」
私は当たり前のように菜乃華に同調する。
「⋯愛美はそれで良いの?」
「え?うん」
私は何故そう聞き返されるのか分からないままコクリと頷く。
「いや、愛美自分の意見全然言わないから無理してないかなって思って」
菜乃華の言葉に私は下唇を噛んだ。言わないのではなく、言えないのだ。喉の近くまで込み上げてきた言葉をグッと堪える。
私だって自分の意見を言おうと努力をしなかった訳ではない。今までだって最大限の努力はした。それでもやはり出来ないのだ。
「いや、別に無理なんてしてないけど」
私は、自身の声がやや尖るを感じた。
「本当に?」
まだ聞くのか、と思わず眉間に皺が寄りそうになるのを何とか堪え私は無言で頷く。
「それなら良いんだけど。でも愛美も何か意見言ってよ。何か一つでも良いから。それなら簡単でしょ?」
菜乃華のその言葉に自分の中の何かがプチンと切れるのを感じた。
(それが出来たら私だって苦労しないのに。何でも出来る菜乃華に私の気持ちなんて分かるはずない)
私は無言で菜乃華に背を向け、近くの階段を駆け下りた。後ろから菜乃華の声が聞こえたが、私は振り返らなかった。歩く同級生や先生達を早足で追い抜き、昇降口へと向かう。外靴を取り出し、それをいつもより乱暴に床に落とす。それを履いて私は昇降口を飛び出した。
上空は暗雲に覆われていた。激しい雨が降り注いでいる中、私は傘もささずにひたすら走る。前髪が雨で濡れて額に張り付いても、水溜まりの水が足に跳ねても私の足は止まらなかった。
それからおよそ10分後、私は高校の近くにある小さな公園に辿り着いた。そして屋根付きのベンチにずっしりと腰掛ける。私が落ち込んだ時や親と喧嘩して家に帰りずらい時にいつも訪れるこの公園。雨が降っているせいもあるのかここには誰の姿もない。
(はぁ·····)
私はベンチの上で脱力する。びしょ濡れになった髪の水滴を絞り、ブレザーを脱げば思い起こされるのは先程の出来事。
少し冷静になった頭で考えてみれば自分自身に非があるのは明らかだった。
私は自分の意見を口に出すことが出来ない。だけど、第三者からしてみれば、私がそれを出来ないのも敢えてしないというのも同義なのだ。人間は相手の考えていることを完璧に読み取ることは不可能なのだから。まして、私はその悩みを菜乃華に相談したことは一度も無い。それなのに、自分を理解していて欲しいなど傲慢にも程がある。
最後の菜乃華の言葉だってきっと悪気があった訳ではないだろうに自分は酷い態度をとってしまった。
思い返せば思い返す程、後悔だけが募る。
どうしたものかと頭を抱えていると、どこからか足音が聞こえてきた。顔を上げるとこちらに駆けてくる菜乃華の姿が目に入る。
「愛美!!」
菜乃華は私が座るベンチに辿り着くと膝に両手を付いてハァハァと浅い呼吸を繰り返した。ここまで必死に走ってきたのであろう。いつもは綺麗に整えられているはずの髪は乱れ、白い靴下には泥が跳ねている。
「菜乃華⋯」
「愛美ここにいるかなって思って。さっきはごめんね。ウチ、愛美の気持ちを考えずに余計なこと言っちゃったよね」
菜乃華は荒い呼吸を整えながらそう言う。
「⋯⋯私こそ急に走って逃げたりしてごめん。菜乃華は何も悪くないよ。·····そもそも私が嘘つきだから悪いの」
「嘘つき?」
菜乃華はそう首を傾げた後、ゆっくりと私の隣に腰掛けた。
「うん。私、自己主張が苦手で何でも相手に同調しちゃう癖があるの。自分の心に嘘をついて」
菜乃華は無言で頷きながら、私の話に耳を傾ける。
「きっと、自分に自信がないのと、変なこと言って嫌われるのが怖いんだと思う。それで、何でも出来る菜乃華に私の気持ちなんて分からないって勝手に線を引いちゃったの。菜乃華は凄いよね、いつもクラスでも自分の意見を主張出来るし」
「·····愛美、そうだったんだね。確かに自分の意見を相手に伝えるというのは大切なのかもしれない」
でも、と菜乃華は一息おいて続ける。
「私思ったんだ。もし、世の中の人間が全員自己主張し始めたら絶対収拾つかなくなるじゃん?だから愛美みたいに話を聞く側に回ってくれる人も必要なんだなって」
「····そうかな?」
「うん。それに相手に同調することも時には大事なのかなって。ウチは何でも思ったこととか全部口に出しちゃう性格だから、中学の時に友達に言われたことあって。自己主張強すぎて他人の話全く聞かないよねって。それからそれを改善しようと思ってたんだけどなかなか難しくて」
私は無言で菜乃華の話に相槌を打つ。
「それで、ウチは何が言いたいかっていうと、愛美の言う嘘つきの反対が正直者だとして、完璧にそうなる必要はないと思うんだ。さっきも言ったけど相手の意見を受け入れてくれる存在も必要だからさ。もちろん自分の気持ちとかを全部押し殺しちゃうのも辛いと思うから、難しいことかもしれないけど少しずつでも伝えてくれたら嬉しいな」
「うん、ありがとう。菜乃華のおかげでちょっと気持ちが楽になった。すぐには出来るようにはならないと思うけど、これからは自分の意見をちょっとずつでも言えるようにもっと頑張ってみる」
「うん。じゃあもう一回さっきの質問してみても良いかな?·······愛美は週末どこ遊びに行きたい?」
菜乃華の大きな瞳が私を真っ直ぐに見据える。私は深呼吸し口を開く。菜乃華なら受け止めてくれる、そう信じて。
「私カラオケ行きたい。私実は歌うの結構好きなの」
「カラオケか!良いね、ストレス発散にもなるし、めっちゃ賛成!じゃあ、午前中カラオケ行って午後ショッピングにしようか」
菜乃華はそう言ってふわりと笑う。
「うん、そうしよう!」
菜乃華がしっかりと受け止めてくれた安心感から私は自身の頬が緩むのを感じた。
「ちゃんと愛美の意見聞かせてくれてありがとう」
「うん。まぁ、ほんのちょっとだけどね」
「でも最初の一歩が踏み出せたのは凄いことだと思うよ」
菜乃華はそう微笑む。
私は嘘つきだ。自分の感情や考えを押し殺し何でも相手に同調する。私はそんな自分が嫌いで仕方がなかった。だけど、今は嘘つきな私が必ずしも駄目だとは思わない。
───愛美みたいに相手の意見を受け止めてくれる存在も必要だよ
菜乃華にそう教えてもらったのだから。
空を見上げると、先程の大雨は嘘のように晴れ渡っていた。
「よし、じゃあそろそろ帰ろうか」
菜乃華の言葉に頷き、綺麗な虹が掛かる青空の下、私は一歩を踏み出した。
嘘つきな私 なな @aberia64
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます