銭湯・花の湯

宵形りて

〜ある日の出来事〜


「今日の番頭はユウキちゃんかい。……制服姿で鞄もあるってこたぁ、学校帰りかい?」


「シゲさん、いらっしゃいませ」


 銭湯・花の湯と紺の暖簾をくぐると、古式ゆかしい銭湯の番台で、高校生の番頭がにっこりと笑顔を浮かべていた。


「いやぁ、いいもんだねぇ。おやっさんのこわい顔より、若ぇ子のピチピチのめんこい笑顔のほうが、おらたちの一日の疲れも取れるってもんさぁ」


 料金のやり取りをしながら、シゲと呼ばれた老人は軽口を叩く。


「あっ、最近はそういうの良くないんですよっ! 男女平等!」


「おやおや。我らジジババのアイドルに叱られちまったよ」


 番頭に叱られてもどこ吹く風で、そのままシゲはハッハッハッと笑いながら暖簾(のれん)をくぐる。


「シゲさん、長湯は気をつけてね!」


 常連のシゲはさっさと服を脱いで、洗い場へ。

 扉をガラガラと開けると、もうもうと湯気と熱気がこもった向こうに、富士の描かれた壁となみなみと湯をたたえた広々した風呂が見える。

 だいぶお客で賑わっていて、壁を挟んだ向こう側では子どもたちがキャッキャと騒いでいるようだった。

 シゲは空いている洗い場の一角で、顔見知りの若者を見つけた。


「おっ、シゲさんじゃん。今日も生きてたんですね」


「お前ぇもな、アキ坊」


「ちょっと、いつまでその呼び方?」


「おらからしたら、アキ坊はいくつになってもアキ坊さぁ」




 17、18歳ころの立派に成長した体つきの相手も、80歳を超えて数年たつシゲからしたら、いつまでも子ども扱いだ。

 ふたりは隣り合った洗い場に腰掛けて、蛇口を捻る。


「参ったなぁ、これでも部活でなかなか活躍してて、エースって言われる立場なんだよ?」


「おっ、また一等をとったんか?」


「決勝はぎりぎりだったけどね。なんとか一本決まってよかったよ。ユウキが作ってくれたお守りが効いたのかもなぁ」


「ユウキちゃんは剣道部のマネージャーとか言うのをやっとるんだったか」


「うん。楽しそうにやってるし、助かってるよ。ああいうの見てると、向いてるんだなーって思う。こまごま洗濯したり、ほつれた部分を繕ったり。大ざっぱだから自分じゃこうはいかないなって思うよ。この前は差し入れ作ってきてくれたけど、美味かったなぁ」


「ほう、気遣いできて料理上手なら、こりゃあお前みてぇな粗忽もんにゃあユウキちゃんはもったいない恋人じゃねぇか」


「いやいや! まだ恋人とかじゃないから!」


 アキは慌てて否定するけれど、シゲさんは大笑いしながら頭を洗っているだけだ。


「まだっつーことは、いずれはそうなる気があるんだろ?」


「…………」


 ふたりはきゅっと蛇口を捻って、泡だらけの体を洗い流していく。


「おらはアキ坊だけじゃなく、ユウキちゃんもその気があると思うがな」


「やめてよ。こんな奴にーーユウキとつりあわないよ。ユウキ、けっこうモテるしさ。先週も先輩から呼び出されて告白されてたし」


 その言葉に、「おっ!」と周囲の顔見知りの年寄りたちも反応する。


「それでどうなった?」


「なんじゃ、なんじゃ。ユウちゃんってモテるのかい?」


「納得だわなぁ。にこぉって笑うと一等めんこい。おらたちも癒されるからなぁ」


「今はああいうほっそり色白なのが流行ってんだろ」


「うんうん。ほれ、韓流アイドルみてぇな感じだね。個人的にゃあ、もうちょい肉づきがいい方が好みだがなぁ」


 周囲が盛り上がっているうちに、アキはさっさと泡を流し終わって、湯船へと向かう。なぜか連れられるようにシゲを始めとするメンバーも湯船に浸かる。


「言っちゃあなんだが、アキ坊もなかなか捨てたもんじゃねぇよ。鍛えてて良い体しとるし、顔だってちっこくて。おらたちは似合いのふたりだと思うがなぁ」


「うんうん。この前ふたりで歩いてるのを後ろから見たけんど、背ぇが高い彼氏と、さらさらの長い髪の彼女で絵になっとった」


「ありがと。ーー……実はさ、この前告白したんだ」



「なっ! なに!?」


 周囲は一気に色めき立った。


「先輩からの告白に焦ったわけじゃなくて、ずっと前から決めてたんだ。今月、ユウキの誕生日なんだよ。だから告白して、行ってみたいって言ってた水族館に一緒にその日に二人で行かないかって誘ってさ」


「返事は!?」


「はいか?」


「いいえか!?」


「いや、待ってくれって」


「…………」


「だから今日は花の湯に来るか迷ったんだけど、やっぱり顔見たくて、気づいたらいつも通りに来ちゃってさ」


 アキはハァと大きいため息をついて、湯船のふちに背を預けた。


「なんか、料金をやりとりする時とかも、目線が合わないわけ。戸惑わせたかなーとか、嫌われたのかなーとか、いろいろ考えちゃってさ」


「アキ坊……。なんて声をかけりゃあいいか分からんがーー残念だったな。諦めろ」


「まっまだ返事はこれからだってば!」


「いーや。我らのアイドル、高嶺の花。ユウキちゃん相手じゃ仕方がない」


「さっきと言ってること逆じゃないか……。お似合いとか言ってたのに」


 がっくり肩を落とすアキに、ガハハと笑う。




「実際、返事を聞いて見にゃあ分からんからな。ダメだと思って聞きゃあ良い。それで良い返事だったら儲けもんじゃないか」


 じっとり上目遣いでシゲをうらめしそうに見るけれど、アキも確かにそれしかないことは分かっている。


「分かったよ、そうする……」


「じゃ、聞こうじゃないか! ユウキちゃんの答えをよ!」


 と、ざばぁっと音を立てて湯から立ち上がり、シゲさんが風呂場から出ていく。アキは「えっ!? 今から?」と慌てて追いかけて行った。


「いや、ちょっと今すぐはユウキも困るって……」


 手早く体を拭いて、服を身につけていくシゲに言い募るが、全く言うことを聞いてくれない様子に、アキもため息をついて服を身につけていく。

 シゲにひとりだけ突撃させるわけにはいかない。

 ドタバタと番台に向かっていくシゲに、諦めまじりに声を掛ける。


「やっぱり止めない? 明日にでもひとりで聞いとくからさ」


「思い立ったが吉日っていうだろ!」


「いや、思い立って行動すべきはシゲさんじゃないでしょ…」


「なによりこの耳で結果を聞きたいじゃないか!」


「それが本音か!」


 言い合っているうちに、番台についてしまった。


「ユウキちゃんよ!」


「シゲさん、お帰りですね。……アキも一緒に?」


「う、うん」


「いやいや、帰る前に聞きたいことがあって来たわけよ」


 ふんっとシゲさんは鼻を鳴らす。




「なぁ、“祐樹ちゃん”よぉ。男らしく、アキ坊へのーー晶子への告白の返事をしたらどうなんだ?」


 詰襟姿の男子高校生・ユウキーー祐樹に、シゲさんが意気込んで迫った。


「シゲさん……」


「余計なお世話なのは百も承知さ! けどよぉ、すれ違ってるお前らを見てはいられんよ」


「さっきまで面白がってたくせに」


 長髪の少女がぼそっと小さくツッコミを入れる。


「ーー晶子、ごめん……」


 祐希が戸惑いと気恥ずかしさを混ぜたような顔で、口を開いた。


「えっ……!」


 祐樹から断られたと思った晶子は、ひゅっと息を一瞬息を止めると、泣きそうな顔で下手な笑顔を作った。


「ううん。いいんだ……。返事はそうなんだろうなって……さっきも思ったところだったし」


「いや、違うんだ。返事をすぐできなくてごめん。実はゆかり先輩に先に告白されてて……。先輩からは返事は要らないって言われてたけど、あらためてきちんと断ってケジメをつけてからじゃないといけないと思って」


 祐樹は真面目な顔つきで続けた。


「それに、本当は俺から言いたかったんだーー」


「えっ?」


「晶子、俺と付き合って欲しい。ずっと晶子のことが大切で、好きだったんだ」


 驚いて固まってしまった晶子に代わって、シゲがーー滋子が動いた。


「はっはっは! はっぴーえんどじゃないか」


 ほれっと声をかけて晶子の背を押す。急に近づいた距離に戸惑う二人をにやにやと見物している。


「あっ」


「……髪、まだ乾かしてないんだな」


「う、うん。シゲさんが急いでここまで来たんだよ」


 はにかんで髪の毛先を摘んで見せると、目線が合う。


「…………シゲさんのお節介も、たまにはありがたいかな」

「…………うん、そうかも」


 その場に、女湯から出てきた常連たちが「おっ」と気づいて近寄って来る。


「告白の結果は良かったみたいだね!」


「おめでとさん」


「いやぁ、良かった良かった!」


 賑やかになった入り口近くで、銭湯・花の湯ののれんがそよ風に揺れた。

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銭湯・花の湯 宵形りて @yoikatarite

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