「気持ち悪い」という感情について

百の桃

「気持ち悪い」

服のタグがカサカサして「気持ち悪い」、肌に張り付くような湿気が「気持ち悪い」。世の中にはたくさんの「気持ち悪い」という感情が存在する。今挙げた二つは生理的な気持ち悪さである。


僕が感じる「気持ち悪い」は、これ以外にもある。

例えば、一学期末の保健のテストでは答案に大きく100点と書かれて返ってきた。しかし一問、ばつ印がスルーされていた。黙っておけば満点のものを、僕は間違えていることを言ってしまった。黙ったままその“100点”を持ち帰っても、なんだか「気持ち悪い」と感じたからだ。


他にも例を出そう。僕は双子であり、妹がいる。この妹は僕より早く家に帰ってくる。そして僕が帰ってきた時には真っ暗な夜の町とは反対に、家からは明るい電気の色が漏れ出ている。リビングに入って左を見ると、テレビとソファを占領しながらスマホをいじっている妹がいる。その妹とやらは小一時間リビングを占領すると(彼女にとっては何時間も)、2階の自室に籠るのだ。家のことは何もせずに。僕は妹のことが「気持ち悪い」と感じる。


理解できない、共感できないことを「気持ち悪い」と片付けてしまっているのだろうか。理解することを放棄してしまっているのだろうか。僕はそれは嫌だと思った。だからこの「気持ち悪い」という感情を分析してみることにした。


まずはこの感情を観測することから始めた。


[第一観測]

「気持ち悪い」と感じた対象者はクラスメイトである。彼は僕に、何度もしつこく「生徒会長のくせに寝んなよぉ〜」と言ってくる。まだ生徒会長にはなっていないし、これだけじゃないのだが所謂ダル絡みである。もちろん授業を寝ることは悪いことだ。でもわざと寝ている訳でもないし、授業を放棄しにいっている訳でもない。改善しようと努めている僕に対してしつこく言ってくる。「気持ち悪い」と感じた。


[第二観測]

対象者は部活の後輩である。彼は入部間もなく、僕に「黙れや」と言った。「あぁやばいなこれ」と思った。気持ち悪さと共に、大きな呆れと驚きが襲った。それ以降も彼の横柄な態度は変わることなく、「あんた」だの身内ネタだかなんだか知らないが、おかしな言動を繰り返している。彼は面白いと思っているのだろうか。それならば尚更気持ち悪い。


映画にもなった有名な小説の「ワンダー」や大ヒットした映画の「グレイテストショーマン」では、それぞれの社会で「気持ち悪い」と排除されそうになる。

なぜ人は、実生活でそのような人に出会えば「気持ち悪い」と思うのに、これらの作品たちには感動を覚えるのだろうか。

僕は思う。視点が違うのだろうと。映画を観る時は自分視点でありながらもどこかしら主人公たちに寄り添った視点を持つようになる。しかし、現実では自分主体の視点しか持ち合わせることができない。映画での「気持ち悪い」という視点は二の次であるのだ。だから感動を覚える。

例えば障がいに対する出来事がある。中学生のときのことだ。「お前障害やん!」と言いながら笑っている輩がいた。なにそれと思った。気持ち悪いと思った。彼らにとって障害というのはネタなのだろうが、それを抱えて生きている人はたくさんいる。僕は軽蔑した。


「気持ち悪い」というのは自分が受け入れられない事や物に出会った時に感じるものだと思う。その対象にこれ以上近づいたり、その関係が続くと、自分にとってよくないと感じると「気持ち悪い」と感じるのだと思う。ただ、以前の僕みたいに「気持ち悪い」をそのまま放棄してしまうのはよくない事だと思う。

クラスに気持ち悪いと言われている男子がいたとしよう。たぶんこの場合見た目や言動から気持ち悪いと言われているのだろうが、「気持ち悪い」と発している人はちゃんと彼と関わったことがあるのだろうか。人には必ず、ひとつくらいは良いところがある。たったひとつのことで拒絶するよりも、少し踏み込んだ方が自分にとっても周りにとってもいいことが起こるかもしれない。


僕は「気持ち悪い」という感情を適切に、そして大切に扱っていこうと思う。

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