第2話 唯一無二の

「係長、勤続十年表彰おめでとう」


 会社の永年勤続表彰の懇親会で、隣の席に座った課長がそう労いの言葉を掛けてきた。


「仕事は順調。あとは結婚だけだな。いい人はいないのか?」

「ははは、課長。そういうの最近はセクハラになるそうですよ?」

「おっと、いかんいかん。人事部に怒られるのは敵わんからなぁ」


 僕がたしなめると課長は薄い頭をポンと叩きながら、笑って自分の失言を誤魔化した。


「すみませんね。どうにも女性とは縁がないようで――」


 あの夜から二十年が過ぎた。

 結局あの後すぐに僕と彼女は、僕の両親の捜索願に応じて捜しに来た警察に見つかって、それぞれの家へと連れ戻された。

 僕はすぐに学校に復帰したけれど、彼女はそのまま登校しなくなり、そして彼女の親ともどもどこかに引っ越しをして、僕の前からいなくなってしまった。両親や先生に聞いても彼女がどこへ行ったのかは誰も教えてくれずに僕はひとり取り残され、僕らの駆け落ちはあの夜に想像した通りに無残な結末を迎えたのだった。

 それから彼女には会っていない。

 どこへ行ったのか、探す手立てもなく僕は彼女と過ごしたあの夜の記憶とともに時を重ね、中学を卒業し、高校を卒業し、成人をして大学に通い、卒業して就職して、そして今日は入社十年目の表彰を受けている。

 それでも僕の記憶にはいつまでも、あの夜の彼女の姿が焼き付いて残っている。

 それは呪いのような初恋だった。僕はあれから恋をしていない。いや、あの恋を僕はいまだに続けている。彼女に抱いたあれほどの感情を、僕は他の異性に抱けなかったのだ。

 それでも僕は構わなかった。

 あの廃バスの夜の底で、二人で支え合ったあの時間。

 それは唯一無二の過去だった。

 僕と彼女だけが経験をした唯一無二の時間。

 たとえそれが時間を経た美化であったとしても、決して誰にも貶めることはできない絶対の記憶。

 この二人だけの過去があったから、僕は今の自分として生きている。


「情けないですが、ゆっくり出会いを待ちますよ――」


 だから僕は課長の発言も笑って流すことができ、


「あれ、もう帰るのかい?」

「ええ、明日も仕事がありますんで――」


 懇親会を途中で抜け出し、独身住まいのワンルームマンションに帰宅して、ひとりの夜をゆったり過ごすことができるのだ。

 酔い覚ましのシャワーを浴びて、湯上りの身体に冷えた水を流し込み、僕はBGM代わりに点けたテレビの音声を聞き流しながらソファーに座り、スマホを開いてSNSのタイムラインを流し見ながら今日のトレンドを確認する。

 入社十年目の永年勤続表彰というイベントがあっても変わらない、いつもと同じ夜を焦燥もなく平穏に過ごす。

 だからこんな僕の人生が、この夜を越えずに終わりを迎えることになるなんて、僕には一度だって想像することができなかった。

 だって呪いのような初恋が本当に呪いかどうかなんて、僕がそんな残酷な冒涜をあの夜の二人の記憶に向けられる訳がなかったのだから。

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