#35 良かった。
バスを降りると、そこからは目まぐるしいほど忙しかった。
打楽器を搬入のトラックの中から全員で協力して出し、ステージ裏まで運ぶ。
それが終わると、チューニング室に案内されるまでの時間まで、入口のロビーで他の団体と共に待機する。
「ねぇねぇ、あの学校凄くない?」
すれ違う他校の生徒にひたすら挨拶をしていると、誰かが驚いたようにそう言った。
すぐ近くに並んでいる団体。その生徒達はみんな、青色のジャケットと赤色のネクタイを身に纏っている。まるでパレードの衣装のようだ。
女子でもズボンを履いており、揃いも揃って前髪はオールバック、髪が長い人は団子に結んでいる。
「なんか強そう…」
花音はポツリと呟く。溢れんばかりの強豪オーラについ圧倒されてしまう。
「うちらの次かな」
花音の横にいる里律はつい先程配られたパンフレットに目を落とす。ページを何枚か捲って、若中の名前が載ってあるページを開く。
花音が覗き込んで見ると、『広島市立若の宮中学校』のすぐ上に『広島市立黒沼中学校』と書かれてあった。部員数は21人とあり、若中より少し多い程度。
「待って黒沼中って去年、支部まで行ってたところ…」
「え?!最悪じゃん!強豪校の次とか大ハズレなんだけど」
すぐ後ろにいる美鈴たち二年生が、憂鬱そうに顔を顰めながらヒソヒソと話している。
花音はふと、自分の着ている服に目を落とす。それはいつもと何も変わらない、半袖ポロシャツとジャンパースカート。
特に不満はなかったし、いつも通りの制服で出れる方がどこか安心感がある。
だけどあんな学校を見てしまうと、なんだか自分たちが凄く見劣りしているような気がして、花音は少し気が落ちた。
里律がサックスパートの先輩に呼ばれ行ってしまったため、花音はひとりでぼんやりと周りを見渡す。
受付に今や今やと並んでいる長蛇の列が、視界の端に入り込んだ。
保護者であろうおばさんたちが『入館料が高いわねぇ』と愚痴を零しているのが聞こえてきた。
「おーいっ!」
そのときだ。すぐ後ろから女の子の声が近づいてくる。こっちに来てる?と振り返ろうとした瞬間、先に背中と叩かれる。
「……え、」
花音は目を丸くした。そこに居たのは部員ではなかったが、花音がよく見知っている人物だった。
「風歌?!」
「よっ!」
ピンクに黒のライン入りのTシャツとショートパンツの私服で現れた風歌は、へへへっと笑う。
突然のことに、花音は呆気に取られる。
「いや、よっ!じゃなくて…なんでここに…」
「あれ?言ってなかったっけ、見に行くって」
風歌は首を傾げる。すかさず花音は『聞いてない聞いてない』と否定した。
「ってか、部活は?」
「あー大会が三日前くらいに終わったから、今休み!」
『タイミング神じゃない?』と風歌は人懐っこい笑みを浮かべる。ああ、そういえば七月末に地区大会がある、って言ってたな。
「そうだったんだびっくりした…でも来てくれたんだ」
「当たり前でしょ?親友の大舞台なんだから!」
流石に風歌が来るとは思わなかったが、花音はそこまで動揺しなかった。
むしろ嬉しかった。親友が自分のためにわざわざこんな遠い場所まで足を運んでくれたことが。
「てか、あいつは?」
「あ、西江」
すると、後ろからまた別の声が聞こえてきた。今度は低い声だった。
二人が振り返ると、そこに居たのは響介だった。体がチューバのケースに半分隠れている。
「マジで来たんだ、来るつって来ねぇ詐欺かと思ってた」
「ふーがそんなことする訳な……え、それ楽器?」
初めてチューバを見たであろう風歌が『デカくね?』と目を丸くする。
響介の様子からして、風歌が来ることを知っていたのだろう。
何故か花音だけその旨を知らされていなかったことを思うと、なんとも言えない淋しい気持ちになる。
「てか北上、今日はサボらなかったんだね」
風歌はからかうようにニヤニヤと笑いながら響介を見上げる。昔は風歌より響介の方が背が低かったのに。
というか響介自身、元々背は低い方だった。体育時の整列だといつも前の方で、幼馴染三人の中でも一番小さかった。
よく『チビ』とみんなから馬鹿されていたのに、いつの間にか越していたなんて。
「は?当たりめぇだろ。俺がいなきゃ誰が
響介は腕を組み、風歌に対して偉そうにふんぞり返っている。
確かにチューバ吹きはこの部で響介ただ一人しかおらず、重要人物であることには間違いない。
だがこうも調子に乗っている姿を見せられるとなんだか冷めてしまう。まだ一年生のくせして何をそんな知ったげに振る舞っているのだろうか。
「ふーん、なんか真面目になったねー」
そんな響介を見て、風歌はふふんと鼻で笑う。それが気に食わなかったのか、響介は『あぁん?』と睨みを利かせる。
「俺は元々真面目だから」
「うーん元ヤンに言われても…」
「誰が元ヤンやお前」
「まぁ、そっちの方がいいけどさ」
しばらく響介と風歌は謎の小競り合いをしていた。その光景を傍目で見ながら、懐かしいな、と花音は微笑んだ。
互いに気の強い性格で、思ったことはすぐ口に出すタイプだったことも相まって、ふたりは小さい頃からしょっちゅうこんな風に意味の無い言い争いをしていた。
大抵は響介が乱暴な行動を取って、それを風歌がお母さんさながら『そんなことしちゃダメだよ!』と咎めることから始まる。
当然響介がそれを素直に聞くはずはなく、気が付いたら喧嘩に発展する。
それがヒートアップしたくらいで焦りだした花音がおばあちゃんを呼びに行くと、『仕方ないねぇ』と笑いながらおばあちゃんが仲裁に入る。
その後は何事も無かったかのようにまた仲良く遊び始める、というのがもはや恒例行事だったと思う。
「まあ、今の方がいいと思うけどねー」
「ほー?お前は昔と変わらず、いけすかない奴だ…」
「ねぇ北上くんちょっと来てー!」
響介が喧嘩腰になったそのとき、彼を呼ぶ声が聞こえた。
『あ?』と響介がそちらを見ると、そこにはいつもの如く騒がしいトランペット&トロンボーン部隊が居た。
「大瀬のこと起こしてくれない?」
響介に助けを求めたのは夏琴だった。
夏琴が指さした先には、トロンボーンの楽器ケースを抱き枕にし、壁に縋ってぐっすりと夢の世界に入っている祐揮と、その彼の肩を揺さぶっている舞香の姿かあった。
「嘘だろこいつ…」
「いや私達も起こそうと思って色々試したんだけどマジで全然駄目でさー、もう『北上チョップ』を使うしか…」
夏琴は神妙そうな面持ちで、響介の引き締まった腕を吟味する。
ふたりの会話を聞いていた風歌が『北上チョップって何?』と花音に聞く。
「あ、その名の通り、北上くんのチョップだよ。あの眼鏡の…風歌知ってるかな?大瀬くんっていうんだけど、あの人しょっちゅう寝ててみんな困ってるんだよね。でも…」
花音は風歌に説明しながら、『こんな風に』と楽器を持っていない方の手で強めに空振りをする。
「北上くんがこんな風に叩いたら、一発で起きるんだ」
『いつも寝てる』で定番の祐揮が、本当に何度起こしても一向に目覚めない時がたまにある。『北上チョップ』はその際に使われる最終手段だ。
彼の鍛え上げられた筋力で一発、バシッと叩けば、祐揮はすぐ『ハッ!』と夢から覚める。
「えー俺、今あんまり力使いたくねぇんだけど…」
「今日、朝早かったから眠いのかな。」
「いやだとしても、普通こんなところで寝れねえだろ。」
響介は呆れたような、しかしそれを超えてもはや尊敬の意に達したような顔で祐揮の寝顔を見る。
「マジそれな!緊張とは無縁って感じで逆に羨ましいよ。私なんて心臓バックバクなのに。ねー、舞香ちゃん!」
「え、そう?そこまで緊張してないけど…」
舞香は祐揮の肩から手を離すと、いつも通りの平然とした様子で首を傾げた。頭の動きと一緒に艶のある黒髪がたらりと落ちる。
「うわ強っ!前から思ってたけど、舞香ちゃんってメンタル強くない?」
「えっ、そうかな?そうでもないと思うけど…」
夏琴は目を輝かせる。こんな風に夏琴が舞香のことを尊敬の眼差しで見ることは珍しくないが、演奏に関すること以外では初めてだった。
「流石、若中のトップ・オブ・ザ・トランぺッターだね!」
すると先程まで同級生と話していた美鈴が、後輩の元へやってくるなり、なにやら凄そうなパワーワードを言い放った。
「えっ、それ私のことですか…?」
「『若中で一番上手いトランペット奏者』。舞香ちゃんにピッタリでしょ?今思いついたけど」
美鈴はそう言って誇らしげに笑う。『いいですね!それ!』と夏琴も共感する。
「今度からそう呼ぼっと!」
「えっちょ、ふたりともやめてくださいよ。そ、それなら北上くんとかだって同じじゃないですか?」
舞香は心底恥ずかしそうに首を横に振ると、助けを求めるように響介を指さした。
まさか自分に振られると思ってなかったのか、響介が『は?』と眉を上げる。
「うーん、なんか響介くんは違うかなー」
美鈴は響介を一瞥すると、微妙そうな顔をした。
「パートに一人しかいないのと、パートの中で一番上手いのは違うと思うよ」
夏琴がそう言って苦笑いを浮かべると、舞香は『確かに…』と合点したのか頷いた。
「え、なんで俺急にこんなディスられてんの?」
響介は何が起こっているのか分からないと言わんばかりに周囲をキョロキョロ見渡し、たまたま隣に居た花音にそう聞いた。
『んーなんでだろうね』と花音は曖昧に笑って誤魔化す。
すると突然、『つまり僕たちはまだ成長段階ってことだよ』と響介の真後ろから図低い声が聞こえてきた。
響介が驚いたのか『うわっ!』と声を上げ、後ろを振り返る。
「うわビビった、お前驚かすなよ!」
「え?なんのこと?」
声の主はようやく夢から目覚めたらしき祐揮だった。『ふわあー』といつものように腕を伸ばす。
今は楽器ケースを手に持っているから、後ろじゃなくて前にだが。
そしてコンクール当日なのにも関わらず、いつものように彼の眼鏡は曲がり、寝癖は立っている。
「お前なあ…」
響介が呆れたように呟き、その場はどっと笑いが起きた。夏琴は笑いながら『はいはい、寝癖直すよー』とどこからか櫛と鏡を取り出した。
「じゃあ、先に客席行ってるね」
風歌は花音の肩を叩いてそう声を掛けると、『頑張ってね』と片手でガッツポーズをした。
「うん!頑張るから聴いててね!」
花音は笑ってそう返し、手を大きく振る。風歌は『耳の穴かっぽじって聴くわ』と強気に笑い、花音に手を振り返した。
そして、花音に背を向けて歩きだした。
花音はそんな風歌の後ろ姿を見送っていたが、ふと風歌は少し歩いたところで足を止め、立ち止まった。
『ん?』と花音が不思議に思い目を見開く。
『風歌、どうしたの?』と花音が口を開こうとしたそのとき、風歌はその場に立ち尽くしたまま、ほんの少しだけ体を動かし振り返った。
風歌はきょとんとした顔で自分を見る花音と、その後ろで仲間に混じって笑っている響介、両者に視線を送る。
「風歌…?」
花音は思わず、六年もの間付き合ってきた親友の名前を呼ぶ。
彼女らしくもない、その静寂を孕んだような瞳は、どこかで見たことがあった。
いじめられて泣いている花音を慰めているとき。友達と喧嘩して、体中傷だらけになって楽器庫に帰ってきた響介を𠮟りつけたとき。
風歌は幼馴染のふたりから視線を逸らすと、目をゆっくりと伏せ、そっと微笑んだ。
「……良かった。」
風歌はそれだけ言い残すと、再び花音に背を向け歩き出した。
風歌はそれから客席の奥へと姿を消すまで一度も振り返ることはなかったが、花音は最後まで親友の背中を見つめていた。
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