#34 わたしと仲間

 みんなは一斉に楽器を下す。口は自由になったはず。なのに、その場には小さな息切れの声が響くだけで、誰の声もしない。


「……うわぁ!いまめっちゃ凄くなかった?!」


 静寂を最初に打ち破ったのは沙楽だった。食い入るように周りの奏者たちの顔を見渡す。その顔は興奮しているようにほんのり赤い。


 途端にみんなは互いに顔を見合い、一気にざわめき出した。


「初めはどうなるかと思ったけど…」


「指揮なしでここまで吹けたの凄くない?」


 誰もが満足できた、『良い』演奏。夏の蒸し暑さも相まって、その場には確かな高揚感が生まれた。


「舞香ちゃん、高いミ出たよ!」


 ぜぇぜぇと息切れの激しい夏琴が、喜びを抑えきれないというように体全体ではしゃぐ。


「うん!ちゃんと聞こえたよ!」


 舞香は楽器の管を抜きながら、嬉しそうに笑った。『イエーイ!』と二人は手を合わせる。パンッ、と歯切れの良い音がした。


「C、主旋律めっちゃ聞こえた。やればできるじゃん」


 美鈴が満足げに頷いた。その手放しの称賛に、祐揮はきょとんと首を傾げ、響介は気恥ずかしそうに天を仰いだ。


「里津ちゃんピッチ良いね!全然揺れてなかった」


 沙楽は呆気にとられたような顔で、隣の里津に声を掛けた。里津は無表情のまま、ペコリと頭を下げた。


 周りが歓喜に溢れている中、花音だけはぼんやりとしていた。


「ねえ、今の良かったよね?」


 夏琴が興奮覚めやらぬという様子で、誰かに話しかける。彼女は花音の方を見ていた。


 花音は周りを見渡す。みんなは花音を見ている。その顔に確かながあることに気が付き、花音は目を見開く。


 悪意の高笑いでも、陰で囁く苦笑いでもない。『友達』と『仲間』に対して向けた、ただの飾らない単純な笑顔。


「……うん…」


 花音はみんなの顔を眺めながら、首を縦に振る。意識なんかしてないのに、口が勝手に動く。


「なんか…楽しかった!みんなと演奏出来て!楽器吹くのってこんなに楽しいんだ…!」


 花音はそう言うと、笑った。遠慮なんてなかった。思いっきり心のままに笑った。


「―――わたし、部活が好き!吹奏楽、大好き!」


 再び窓から陽の光が差し込む。それが花音の楽器にちょうど当たって、黄金色の優しい光が生まれた。


 花音は腕の中で眠る楽器を強く抱きかかえる。好きじゃなかったはずの楽器が、今はなによりも輝いて見えた。


 途端、誰かが『ぶっ』と口から吹き出した。それを合図に、なぜかみんなは声を立てて笑い出した。


「え、急にめっちゃ素直w」


「可愛いっ」


「おもろ…w」


 なんでみんなが自分を見て笑いを堪えているのか分からなくて、『え?』と花音は首を傾げる。


 なにか面白いことを言ったわけでもないのに。ただ楽しかったから、『楽しい』って口に出しただけなんだけどな。


「…そうだね!あたしも楽しかった!」


 花音の対角線上に立つ沙楽がそう言った。どこかほっとしたように、安心したように笑う。


「確かに、楽しかった!」


「それな!」


「本番もこの調子で頑張ろうね!」


 みんなは顔を見合わせ、口々にそう言う。音楽室に響く、少年少女たちの楽し気に笑い合う声。


 それはどこにでもあるような、有り触れた光景。瑞々しさと儚さを含んだ、青春のたった一ページ。


 それを壁越しに感じながら、吹雪はそっと微笑む。顧問、教師である吹雪の目に映るのは、眩しいほど純粋な十代前半の子供達だった。



【♪♪♪】



 時刻は午前8時。部員はみなコンクール会場に向かうため、赤字覚悟で頼んだという大型バスに乗り込んでいる。


 座席は事前に決められていた。そうでもしないと『この席がいい』とか『○○の隣がいい』とか揉めだす子が現れるから。


 出発したときから今の今まで、バスの中は常に騒々しい。とにかく喋りたい年頃の中学生に、コンクール前だという緊張感は何処にもないようだ。


「みんな静かに!うるさすぎるから!」


 一番前の座席に座っている副顧問の詩歩が、怒ったように声を大にして注意する。すると喧騒はすこしばかり落ち着いた。


 花音は後ろの方の席に座り、ただ窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めていた。


「緊張してる?」


 ふと花音は隣に座っている里津にそう声を掛けた。里津は目を瞑っていたが、花音の声で目を開ける。


「いやそんなに、どんな感じかよく分からんけん」


「あー、わたしも緊張はしてないかな…親来る?」


「母さんと…あと多分姉ちゃんも…」


『姉ちゃん』という単語が里律の口から出た途端、彼女の顔がぐにゃりと歪む。心底嫌そうな顔をして『はあ…』とため息をついた。


「お姉ちゃんに来てほしくないの?」


「やだあの人、サックスだったからか知らんけど、『ここのピッチが悪い』とかダメ出しばっかしてくるし」


 そういえば里津の姉はこの部活のOGだと聞いたことがある。しかも同じ楽器。


 そうなると、やはり妹に色々と口出しをしたくなるのが姉心と言うやつなのかもしれない。


 里津からすれば余計なお世話なのかもしれないが、花音は里津を少しだけ羨ましく思った。


 兄弟に経験者が居れば楽器のことを色々と聞けるだろうし。そうしたら上達のスピードも速まりそうで、自分にとってのプラスにできる。


「だから里津ちゃんは上手なんだね!」


「いや別にそんなことないし」


「さっき褒められてたじゃん!」


「あの先輩はそういう人じゃん」


 花音は里律を褒め続けるが、里律は何故かそれを認めようとしなかった。


 揺れ動くバスの中で、謎の言い争い(?)が繰り広げられた。


『えぇ?そんなことないよー』と言おうと、花音は里津の方を見る。すると、窓の外の景色はすっかり変わっていた。


 大きな建物やデパートがそこら中にあり、車道には車、歩道には人がたくさん存在していた。


 ここは県内でも都心の方で、人が栄えている町だ。


「もうすぐ着くので、降りる準備をしてくださーい!」


 副顧問の絃子が席から立ち上がり、バス中に聞こえる大声でそう呼びかけた。


 みんなは出しているものを鞄にしまったり、シートベルトを外したりなど、ほぼ一斉に動き出す。


『着いたー!』『なんかドキドキしてきた!』などと興奮した声が、そこら中から聞こえてくる。


「里律ちゃん、頑張ろうね!」


 花音は里律にそう言って笑いかける。すぐに『うん』と返されると思ったが、里律は何故だか何も言わず、花音の顔をじっと見るばかりだった。


 花音は不思議そうに首を傾げる。里律はふっと花音から視線を外し、『ん、』と首を縦に振る。


「……もね。」


 少々棘々しさを孕んだ声。でも、初めて花音を呼び捨てにしたその口の角度は、ほんの少しだけ上がっていた。


 それに気が付いて、花音は目を大きく見開いた。『わぁ…』と、思わず感激の声を漏らす。


 滅多に見れない貴重な存在である、里律の笑う顔が見られた。それが嬉しくて。


 里律は自分が笑っていることに気がついたのか、すぐに口角を下げた。恥ずかしかったのか、顔がみるみる内に赤くなる。


 そんな友達が可愛くて愛らしくて仕方なくて、花音は『かわいい…』と零した。


「か、可愛いって言うな!」


 里律は不服そうに頬を膨らませると、むすっとしてそっぽを向いた。ショートボブに切られた毛先が頭の動きと共にくるりと揺れる。

 

 ごめーん、と笑いながら花音は里律の肩に手を乗せた。そのとき、窓の外に白い壁が見えた。


 真っ白な壁はお洒落な形に掘られてあり、見栄えの良い外観に仕上がっている。それはそれは、巨大な建物だった。


……第61回広島県吹奏楽コンクール中学校小編成部門


 本日、この会場で開催される。


 県のすべての吹奏楽部が心待ちにしている、年に一度の大舞台が。

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