#30 隠された恋心

「今年のコンクール、どこまで行けるかな?」


 沙楽は上に飾られてある賞状を見上げた。彼女の目には『金賞』という文字が映っている。


 光輝も同じようにそれを見上げる。自分達が確かに手に入れた賞のはずなのに、今はそれがほぼ遠いもののように感じる。


「それは、どうだろう。なんとも言えないね。」


「……正直さ、それどころじゃ無かったじゃん、いままで」


 沙楽はその文字から目線を逸らす。少し投げやりに、自虐的に笑った。


「廃部するかもって言われてから、あたしたちはそれを阻止する為だけにずっと動いて、それで精一杯だった。正直、コンクールでいい成績を残したいなんて願ってる場合じゃなかった。」


「……そうだね。」


 沙楽の言葉に、光輝は深く共感した。そして、楽器庫の壁に貼ってあるポスターを見た。

 

『目指せ!ゴールド金賞!』随分前に引退したであろう先輩が書き残した文字だ。


 この言葉は、かつてのこの部の目標だった。金賞常連の所謂『強豪校』だったとはいえ、毎年この賞を必ずとれるとは限らない。


 自分たちが油断している間に、いままで銅賞ばかりだった部が急に強くなっているかもしれない。


 何が起こるか分からないのがコンクールだ。『強豪校』の座は、いとも簡単に奪い取られてしまう。


 奪われないように、『金賞』の歴史を守るように、あんなに必死に練習していたのに。


 去年の冬、『あのこと』があってから、このポスターは誰の目にも見られなくなった。それどころじゃ無くなって。

 

 大切にしてきたこの言葉は、いつの間にか置き去りにされたのだ。


「正直なところ、何賞だと思う?今のこの現状。」


 沙楽の問に、光輝は眉を顰めて考えた。


 新入生も入った、新若中サウンドを思い出しながら。


 それ自体、去年までと比べると明らかにクオリティは下がっている。


 宮沢は酷い顧問だったが、同時に腕のある顧問でもあった。宮沢が行った学校は、必ず強豪校になると有名だったくらい。


 実際、宮沢の指導はどれも為になるものばかりだった。若中が強豪校になったのも、宮沢のおかげなのが大きいだろう。


 それに比べると、今年から来た顧問・吹雪は指揮者経験も無く、まだ年若い。


 失礼なことを言うが、指揮自体振り慣れてないのかどこかぎこちなさがあるし、時々分かりづらいときがある。


 宮沢がかなり大げさに指揮を降っていたので、余計そう思ってしまう。


 だが、宮沢の罵詈雑言はコンクール前が一番酷く、それこそ目も当てられないほどだった。それに比べたらよっぽどマシだ。


 それに、この悪評だらけの部活の顧問になってくれただけ有難いこと。吹雪が居なければコンクール出場どころか、部活も続かなかっただろう。


 吹雪には感謝しているからこそ、自分たち三年生が手助けできるところはしてきて、共に支えてきた。


 そして何より気の毒なのは、一年生だ。


 普通どの学校でも、一年生の初心者だとコンクールは出ないか、出てもほぼ吹き真似か打楽器出場のどれかだろう。


 実際、光輝は二年前のこの時期ずっと基礎練習ばかりで、楽譜なんて貰ったことも触ったことも無かった。


 それと比べると、今年の一年生は不憫だ。まだ楽器も持って間もないのにいきなり曲を吹かされて、コンクールに出させて。


 本来なら基礎に打ち込ませてやりたい所を、上級生が足りないばっかりに過酷なことをさせてしまっている。


 ただただ不甲斐なくて、申し訳なかった。


「金は、無理かもね。」


 光輝は沙楽と目を合わせないままそう言った。


 『金賞』のレベルの高さを。取ることの難しさを、光輝は身に沁みて分かっている。


 それは沙楽もきっと同じだ。


 沙楽は何も言わないまま、机の上に置いてある黒いボイスレコーダーを手に取った。


 この夏、これに毎日の合奏を録音していた。


 沙楽はメニューボタンを押すと、音源一覧が画面に現れた。一番下のメモリまで矢印を降ろした所で、決定ボタンをピッと押した。


 その瞬間、ざあああああと雑音に近いような音が爆音で流れてきた。


 なんだこの音。光輝は呻き、思わず耳を塞ぎかけた。沙楽もうっ、と顔を引き攣らせる。


 しかしよく聞くと、これは『マーチエイプリルリーフ』の演奏の音源だ。確か、今月の初めにやった一年生も入れた初合奏のときの。


 音が悲鳴を上げているかのように、汚い。音程もとにかく悪く、うわわわんと揺れている。ハーモニーもぐちゃぐちゃ。


 縦は揃ってないわ、対旋律や伴奏が大きすぎてメロディーを覆い隠しているわで、とにかく散々な演奏だ。


 そうだ。初合奏の日、練習が終わった後この録音を吹雪と沙楽と三人で聞いて、あまりの悲惨さに耐えきれずに途中で聞くのを辞めたんだった。 


 元々レコーダー自体古くて音質はかなり悪いのだが、それにしたって酷すぎる。


『これ、銅賞も貰えなくない?』誰かがそう呟いて、場の空気はカチコチに凍ったのだった。


 どうして今更、この音源を?光輝は沙楽の行動が理解できなかったが、なんとか最後までその音源を聞き終えた。


 すると沙楽は、今度はカーソルを一番上まで持ってきた。そのメモリは、つい昨日の最新の演奏だ。


 沙楽はもう一度再生ボタンを押すと、また同じ曲が流れてくる。


「……え、」


 光輝はハッとして目を見開いた。


 音程は所々悪いが、それでもさっきよりかは安定していて、聞くに堪えないレベルではない。


 縦もきちっと合っているし、音量のバランスも良くなり、ちゃんと主旋律が一番に聞こえてくる。


 クオリティまだまだ低いが、一番最初の演奏に比べると断然良くなっている。


 あまりの急激の変化に光輝は呆然としたまま、ただ流れてくる音声を聞いた。


 まさに目の鱗が落ちた状態だった。まさかこんなに変わっていたなんて、全然気が付かなかった。


 あれだけ毎日合奏を聞いてきたのに。


 どうやったらここの音程が良くなるか、ここが揃うのかと、日々試行錯誤してきたのに。


「あたしはさ、もう結果とか気にしなくてもいいかなって思ってて。」


 音声を聴きていた沙楽がポツリと呟く。その顔はいつになく真剣だった。

 

「たった一ヶ月弱でこんなに変わったんだよ。ここまで変えられるような奏者達の集まりなんだよ。」


 沙楽はレコーダーを机の上に戻すと、すぐ近くに置かれていたスコアに目を落とす。


「それって、凄いことだよ」


 五線譜上の小さな音符が映り込んだ瞳を、沙楽はゆっくりと伏せた。


「…うん。」


 光輝は首を縦に何度も振って、ただ頷くしか出来なかった。


 何か言いたくて、口をモゴモゴさせる。いつの間にか後輩たちがこんなに成長していた。そのことに気付いた喜びを顕にしたかった。


 でも、その思いを上手く言葉に出来なくて、何も言えなかった。


「……ふふっ」


 そのまま黙り込んでしまった光輝を見て、沙楽は突然笑った。


「な、なんで笑うの?」


 光輝は戸惑う。沙楽は笑いを堪えながら『なんかさ』と呟く。


「真田くんって勿体ない性格してるよね」


「もっ、もったいない?」


「優しくて周りのことも色々考えてるのにさ、あんまり喋らないからそれが伝わりにくいというか」


「あ…」


「真田くんあんまりみんなと話さないけど、頭の中は部活のことでいっぱいでしょ?せっかくめちゃくちゃ後輩思いなのに、それがイマイチ伝わってないのが残念だなーって」


 沙楽はからかうように笑う。光輝は何も言えなかった。バッチリ図星だったから。


 光輝は自分が口下手だという自覚はあった。人と話すことは得意ではないし、男友達と居るときも存在感は無い。


 だから、実際のところ部長なのにあまり表立って指示を出したことがなく、そういうのはほとんど沙楽に任せてしまっている。


「でも、あたしは真田くんのそういうとこ嫌いじゃないよ。」


 沙楽は再び光輝に笑いかける。とびっきりの、みんなを惹きつける笑顔を。


「えっ?」


「あのとき、真田くんが辞めなくて嬉しかった。一緒に部活出来て、本当に良かったと思ってるよ。」


 光輝は沙楽の言葉に、飛び上がるくらいの勢いで驚天した。


 目を大きく見開いて、何度も瞬きを繰り返した。


「練習、付き合ってくれてありがとう。コンクール頑張ろうね。」


 沙楽は光輝に笑いかけると、スコアを回収してさっさと楽器庫を出ていってしまった。


「あ…」


 誰も居なくなった室内で、光輝はただただ呆然と突っ立ってるだけだった。


 沙楽の言葉が頭の中で反響する。次第に、口角が崩れていく。


……僕と、一緒に、部活出来て、良かった?


 僕、良かった?


「……なわけ、ないよね。」


『そんなはずない』光輝は自分に言い聞かせるように何度も呟き、うんうんと首を縦に振る。

  

 沙楽があんな思わせぶりなことを言うから誤解してしまったが、沙楽は元々そういう人間だ。


 沙楽は見た目は言わずもがな、勉強も運動もトップだし、社交的でコミュケーション能力も高い。


 教室でもどこでも、いつだって沙楽の周りには男女問わずたくさんの人が居た。まさに『高嶺の花』だ。


 一方の光輝は、見ての通り内気で口下手で友達も少なく、勉強くらいしか取り柄のないヒョロヒョロのガリ勉。


 あの子とはほど遠い場所にいる人間だ。住んでる世界があまりにも違いすぎて、釣り合わない。

 

 今はこんなに気を置ける間柄だが、もし同じ部活に入っていなかったら、光輝と沙楽は関わり合うことさえもきっとなかっただろう。


 沙楽がこんな自分に笑顔を向けてくれるのだって所詮、部活仲間だから。協力しあわないといけない関係だから。


 僕のことなんて所詮、良くて友達か、知人くらいにしか思ってないだろう。


「真田先輩ー!サックスの人たちが呼んでますよー」


 ガチャ、とドアが開く音がして、中から女子部員が入ってきた。


「あぁ、今行くよ!」


 光輝はさっと表情を真面目なものに変えると、準備室を出た。


 コンクールまで、あと一週間を切っている。

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