#24 挫折

『ねえばあちゃん!今日かっこよかった!』


 響介は小さい頃、若の宮中学校の演奏会によく出向いていた。


『あらそう?おばあちゃん、嬉しいわあ。』


 理由は簡単だ。祖母のキタガミおばあちゃんが、顧問で指揮者だったから。


 響介は両親との記憶が薄い。父親は夜勤勤務で響介たちとは生活リズムが合わないし、母親は仕事の都合で海外を飛び回っていて滅多に帰ってこないから。


 だから、響介と二歳上の兄・翔太は、父方の祖母であるキタガミおばあちゃんに育てられた。


 響介にとっておばあちゃんは、親に代わって愛情を目一杯与えてくれる暖かい人でーーーーそして何よりもかっこいい存在だった。


 舞台に立って指揮棒を振り、ひとつひとつの演奏をまとめ上げるおばあちゃんの姿は、本当に輝いていて眩しかった。


 家に居るときの、ほんわかとした優しいおばあちゃんとは全然違う。あれは、『教師』としての威厳のある顔だった。


 いつか、自分も何かであんな風に輝きたい。響介はそう思っていた。

 


【♪♪♪】



『響介くん凄いですよ。初日であんなに動けるなんて!』


 体育館の中を瞬時に走り回る響介を見て、コーチが感心したような表情を見せた。


『あの足の速さ、多分ですがお兄ちゃんを超えてます。おばあさん、ぜひバスケをやらせてあげて下さい。あの子は伸びますよ。』


 孫息子に対する手放しの称賛に、「本当ですか?!」と付き添いのおばあちゃんは喜びの表情を浮かべる。


 響介が小学二年生のとき、兄の翔太が既に入っていた、若の宮小学校のミニ・バスケットボールクラブの体験に行った。


 ボールを地面に叩きつけながら走って、シュートを決めるーーー響介は初めて体験したその日から、バスケが好きだと強く感じた。


 こうして響介は兄を追いかける形でミニバスに正式に入った。


 響介は運動神経が良く、走るのも早くて体力も有り余るほどあり、スポーツをするのにもってこいの体だった。


『あの小さい子誰?!ずっと動いてる!』

『あのシュート決めれるなんて凄いわ!』


 入ってからというもの、響介はその才能をどんどん発揮していった。


 疲れ知らずでずっと走り回り、どんどんシュートを正確に決めていく。響介は周りから見ても目立つ存在だった。


 すでに同期の中で『一番上手い子』という扱いを受けていたし、『あの子は化けるよ』と保護者からも期待されていた。


 その期待に答えるよう、響介は高学年にもなると、毎回試合でスタメンをとるようになる。


 時には上級生を負かして試合に出ることもあった。


 その頃になるともう、響介の生活はバスケを中心として動くようになった。


 放課後はクラブに行き、クラブのない日も自主練は欠かさなかった。


 友達からの遊びの誘いも、練習を理由に断っていた。放課後も休日も全部バスケに注ぎ込んだ。


 そのくらい、響介はバスケが好きだった。


 相手選手を瞬時に交わしながら走って、両手で華麗にシュートを決めるーーーその瞬間、響介は自分が世界で一番輝いていると疑わなかった。


 バスケは、響介の生きる意味でもあった。


 だから、毎日必死に頑張って、上手くなれるように、もっと上を目指せるように、努力していた。


 なのにーーーー


『おい、大丈夫か?!』


 小学五年生の秋、試合中のことだった。シュートを打とうと膝を曲げた瞬間、いままで感じたことのないような痛みが走って、響介は倒れた。


『半月板損傷です。膝の中にある半月板がボロボロに傷ついています。治療は出来ますが、発見が遅かったので、長くて一年以上は掛かるかと…』


 搬送された整形外科の医師の冷静に言った言葉が、響介はすぐに理解できなかった。現実味がなかった。


 半月板損傷。膝の過度な使いすぎのせいで膝の中にある半月板が傷つき、膝が痛んだり変形してしまう病気。


 そのとき、響介は次のキャプテン候補だった。六年生が引退したら、四番のユニフォームを着て試合に出てもらうから頑張れよ、とコーチに言われていた。


『最後の夏の大会、絶対優勝しような!』メンバーともそう約束していた。


 治るまで一年以上。その間、激しい運動は辞めるようにと宣告された。試合に出るなんてもってのほかです。と。


 試合に出られない。それは、憧れだった四番のユニフォームを着ることも、メンバーと最後の大会に出ることも、出来なくなったということ。


 響介はそれを理解した瞬間、深い暗闇の底に突き落とされたような気がした。


 確かに、練習中や体育の授業に時々、膝の痛みは感じていた。


 でも、響介はそれに気が付かないふりをしていた。もし周りにバレたら病院に連れて行かれて、仮に怪我でもしていたら練習が出来なくなるかも、と恐れていたから。


 どうして。どうして、その時点ですぐに誰かに言わなかったんだ。どうしてすぐ病院に行かなかったんだ。


 そうしたら、治療だってもっと早く終わって、そしたら、夏の試合に出れたかもしれないのに。

 

 「後悔」だなんて言葉ではとても表せない、深い深い絶望感。


 目の前が真っ暗になった。何も考えられなかった。


 そして、響介はバスケを棄てた。


 試合に出られなくてもチームに残ることも出来た。膝に負担が掛からないメニューで、練習に参加することも可能だった。


 しかし、他のメンバーが大会に向けて必死に練習しているのを他所に、隅の方でひたすら筋トレやドリブルをするなんて、耐えらないと思ったから。


 コーチには止められたが、響介は最終的にはチームを辞めることを選んだ。


 バスケを失った響介は、同時に生きる意味も失った。


 何をしても楽しくなかった。何をしてもつまらなかった。どうして生きているのか分からなかった。


 穴がポッカリと空いたような喪失感と、メンバーと離れざるを得なかった孤独感だけが、響介の心にいつまでも残った。


 そしてその感情を誤魔化すため、響介は非行に走るようになった。


 地元でもガラの悪い同級生や先輩と絡み、公園や空き地に屯するようになった。


 学校も遅刻したりサボったりすることが増え、家にも夜遅くまで帰らなくなった。


 そうしている間はバスケのことを一時的に忘れられた。なんだか、自分が強くなれた気がして。


 だから、何も知らないでそれを咎めようとする大人たちに、激しく反抗するようになった。


 お前に何がわかるっていうんだ。俺の気持ちなんて何も分からない癖に、偉そうなことばかり言うな。


 響介が「期待のプレイヤー」から「問題児」へと成り下がっていくのに、そう時間はかからなかった。


 響介は必死に努力していた。放課後も休日も遊びも全部捨てて、バスケに全てを注ぎ込んでいた。上手くなりたかったから。


 それだけ、バスケが好きだった。バスケが、響介の全てだったのだ。


 なのに、その結果がこれだ。あれだけ頑張って、何も残らなかった。


 結局、俺が頑張ったって無駄なんだ。俺なんかが頑張ったって、どうせいつか全部無かったことになる。


 響介はもう全部がどうでも良かった。学校も、友達も、自分のことも全部。


 おばあちゃんだけは、そんな響介を叱ったり、怒ったりしたことは無かった。


 ただ、いつも心配そうな眼差しで、帰ってきた響介を見るだけだ。


 そんなおばあちゃんを見るのも辛くて惨めで、響介はますます家に帰らなくなった。


 これは誰のせいでもない。強いて言うなら、怪我に気づけなかった自分のせい。


 それは分かっていた。それでもそれで納得出来るくらいの精神的余裕は、十一歳の響介には無かったのだ。


 ぶつける先がない苛立ちを、ひたすら怒号に変えていた。


 もうどうしたらいいか、どうするべきなのか、分からなかった。



【♪♪♪】



『そんなに毎日暇なら、部活でもやれば?』


 中学校に入学した直後。またいつものように遅い時間に帰ってきた響介を見て、兄の翔太が呆れたように放った一言だった。


『は?部活?』


 いきなりなんだと、響介は怪訝そうな顔で翔太を見る。


『別にバスケばかりをする必要はないんだし、部活にでも入れば、お前もそんなことしなくなるだろ。』


 翔太の見下したような言い方には腹が立ったが、「部活」という言葉にはやけに引っかかりを覚えた。


『……若中の部活って、何があんの?』


『それは自分で調べろよ。あれだ、サッカー部と男子テニス部だけは辞めろよ。今年廃部だから。』


 廃部する部活のことなんか聞いて何になるんだ。響介はだんだん苛々してきた。

 

 翔太と話すとどうも腹が立つ。響介は自分の部屋に戻ろうとした。


『じゃ、吹奏楽部?』

 

……スイソウガク?


 翔太の言葉に、響介はぴたっと立ち止まる。


『今、吹部大変そうなんだよ。なんせ去年まで居た顧問のクソジジイのせいで辞めた奴が大勢いるから。だからちょうど今、新入生を大量に募集してるってよ。」


 翔太は部活用の鞄から、使ったユニフォームを洗濯機に投げ入れる。 

 

「若の宮中学校バスケットボール部 四番」と書かれたそのユニフォームが、響介は嫌いだった。


『せっかくばあちゃんが顧問やってた部活なのに、廃部になったら、ばあちゃんが気の毒だとは思わない?』


 翔太はそれだけ言い残して、自分の部屋に戻った。






 




 




 

 

 

 


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