第五楽章 「笑顔のメロディー」

一年目 七月

#22 初めての合奏

【7月3日】 


(大丈夫かな、失敗したらどうしよう…)


 蝉の鳴き声が五月蝿うるさくなった、照りつけるような真夏日。 


 花音はいつもとは違う場所に座り、どうしようもない不安を抱えていた。

 

 総勢17名が揃った音楽室。普段、中々一緒に練習することがないフルートやクラリネット、打楽器などとも今日は一緒に音を合わせる。


 音楽室は、いつもとは違うピンとした空気が流れていた。特に一年生は、花音と同じように落ち着かずにソワソワしている子も居た。


 今日は、一年生も含めた初めての合奏だ。


「これから合奏を始めます」


 部長の真剣な声とともに、指揮者である吹雪が指揮台に上がる。


「えー、いままでは上級生だけでやっていたけど、今日からは一年生も合奏に入って、本格的にコンクールに向かっての練習が始まります」


 吹雪はぐるっと音楽室を見渡す。六人から十七人に増えた合奏隊形は、以前とはかなり違って見えるようだ。


「一ヶ月後の8月3日、吹奏楽コンクールが迫っています。みんなの出る部門は何だったかな?そうね…じゃあ、高元さん」


 吹雪は一年生を名指しで質問した。四列目に座るトランペットの舞香だ。  


「えっと…小編成部門です」  


「そうね。少人数の学校が出る部門ね」


 花音たちの住む広島県の吹奏楽コンクールは、A部門、B部門、小編成部門の三つの部門があり、それぞれ曲数やルールも違う。


 若の宮中学校が出るのは、『小編成部門』だ。


 文字通り小編成、少人数の吹奏楽部が出る部門で、上限人数は25名。A編成が55名なのを考えると相当な差である。


 課題曲はやらず、自由曲ただ一曲のみ。制限時間は七分間。


「うちは部員が少なくて、しかもそのうち三分の二が初心者だと考えると、この部活にぴったりな部門だと思って出ることになりました。先生も今年で初めて指揮を降るので、まだまだ分からないことも多いけど、一緒に頑張りましょう」


 吹雪はそう言うと、『じゃあ、最初から通しで。』と言い、指揮棒をすっと構えた。それに合わせてみんなも楽器を構える。


 吹雪の指揮棒とともに、みんなが息をすばやく吸う。自由曲『マーチエイプリルリーフ』が始まった。


「……?!」


 途端、花音は周りから聞こえてきた音に驚いて、口からマウスピースを外す。


 木管楽器、金管楽器、打楽器が同じ部屋に集められ、同時に音を出すというのは想像以上の…爆音だった。


 えっ、合奏って、こんなに大きな音がするの?こんなに至近距離で楽器の音が聞こえるの?


 普段のパート練習とは比べ物にならないくらい。こんな爆音を聞いたのは人生始めてだった。


 少しの間、驚きのあまり呆然としていたが、『吹かなきゃ!』とハッとして、花音は何小節か遅れて吹き始めた。



【♪♪♪】

 

「はあ…ビックリした…」


「何が?」


 初日の合奏が終了し、パート練の時間。ぐったりしている様子の花音に、先輩である美鈴が話しかける。


「いや、周りの音が大きすぎてびっくりして…」


「ガチ?!それであんた、やけにキョロキョロしとったん?」


「え、びっくりしないんですか?」


「せんよ?笑」


 美鈴はいつものように声を立てて笑う。美鈴のこの豪快な笑い方も、もうすっかり聞き慣れた。


「最初、急に先生に当てられて、心臓飛び出るかと思った…」


 その後ろでは、舞香が花音と同じようにぐったりして、机に伏せっていた。それを見て夏琴が『お疲れだったね』と苦笑いする。


「舞香ちゃんは期待されてるんだよ。経験者だし」


「されなくていいよ…みんなどうだった?合奏」

 

「んー、ちょっと緊張したけど、そこまでプレッシャーはなかったよ!隣には頼れる1stがいるしねぇ」


 夏琴が悪戯っぽく笑う。『やめてよ〜』と舞香は嫌がっていた。


「でも舞香ちゃんの音、めっちゃ聞こえたよ」

  

 花音は振り返って舞香に話しかける。


 トランペットがホルンのすぐ後ろという配置のせいかもしれないが、経験者の舞香の音は十七人の合奏の中でもかなり目立って聞こえてきた。


「やだー恥ずかしい、下手だったもん今日…」


「それは私達に対しての嫌味かしら?」


 夏琴がそう返し、あははと笑いが起きた。 


「いやーなんか懐かしかったわぁ。あんな大人数での合奏」


 んー!と解放されたように伸びをしながら、美鈴がふとそう口にした。


「そっか、先輩達は六人ですしね」


「そうそう!でも一年の半ばくらいまでは結構人数も居たからさ」


『懐かしいなぁ』と、過去の思い出を懐かしんでいるはずの美鈴の目は、何故か少し淋しげに見えた。


「怖かった」


 すると、さっきまでの話の流れとは違う単語が聞こえてきた。


 声のした方を見ると、最近はちゃんと起きている祐揮がいつもよりも沈んでいる様子で項垂れていた。


「え?何が?合奏が?」


 夏琴が首を傾げると、祐揮からは『違う、先生が』と力のない声が返ってきた。


「なんか、いろいろ言われて、怖かった」


「うわっ分かる!なんか『そこの音聞こえない』とか『音程悪い』とか、ドストレートな言葉で指示してくる感じが…」


 そう思っているのは祐揮だけではなかったようで、夏琴は大きく首を降って『うんうん』と頷いた。


 確かに、今日の合奏中の吹雪は怖かったかもしれない。闇雲に怒鳴ったり誰かを公開説教した、という訳では無かったのだが…


「いつもの先生の感じとちょっと違ったよね、『ちゃんと吹け』って圧力掛けられてる感じした、怖いとはあんまり思わなかったけど…」


 舞香も同じように共感する。


「ね!私、『もっと音出して』って言われたけど、これ以上は倒れるて!って焦ったぁ!」


 これは夏琴本人から聞いた話だが、夏琴はあまり体が丈夫ではないらしい。


 特に小さい頃は病弱でしょっちゅう体調を崩していたから、今でも無理に体力を使うのは良くないと医者からは言われているらしい。


 トランペットやトロンボーン辺りはただでさえ目立つ上、先輩が居ない楽器だからか、かなり先生から厳しめの指摘を受けていた。


 花音は先輩が居るからかあまり指摘はされなかったが、端から見て少し同情していた。


「でも、北上くんは『上手い』って褒められてたよね?」


 ひとり話に入らず、離れでチューバを練習している響介に、夏琴が話を振った。


 吹雪は響介には『低音がすごく聞こえるよ、上手いね』と褒めていた。それで響介は少し注目を浴びたのだ。


「……まぁ…」


 しかし、響介から返ってきたのは淡白で短い返事だけだった。すぐにそっぽを向いて、練習に戻った。  

 

 そんな響介の姿に、花音は妙な引っかかりを覚え、『ん?』と首を傾げた。


「えっ?怖いって、川本先生が?」


 すると、疲れてぼんやりしていた美鈴が突然口を開いた。


「怖くなかったですか?」


 夏琴が聞くと、『いやいや』と美鈴は首を横に振る。


「ガチで?!今の先生は怖くないでしょ!」


 一年生たちと意見が違う美鈴は、『怖くない怖くない』と繰り返し否定する。


 逆に一年生たちは美鈴の意見が理解できず、『えー?』と揃いも揃って首を傾げた。


「圧力とかすごくなかったですか?怖かったですよ」


「いや、あのくらい全然『怖い』の範疇はんちゅうに入ってないって!」


「そりゃ、に比べたらマシだと思いますけど…」


 冗談半分の言い争いの中で、祐揮が突然、見知らぬ人物の名前を放った。


 するとその途端、美鈴の顔から笑顔が嘘のようにスッと消える。


宮沢みやざわ先生?」


 そんな美鈴に気がついていない花音は、悪気なくその人物について祐揮に聞き返す。


「去年の顧問だよ。知らないの?怖すぎて顧問を辞めさせられたっていう。そうですよね?」


「あっ、うん…」

 

 美鈴はふいっと目を背け、後輩たちとは目を合わせずに頷いた。まるで、気まずさを押し殺しているように。


「……先輩?」


 明らかに様子のおかしい美鈴に、異様な重苦しい雰囲気が流れる。


 花音はそこでハッとした。吹奏楽部の前顧問、昨年度にパワハラで辞めていったと噂だった先生。


 相当酷いことをしたと聞いていたし、そのせいで大勢の部員がやめていったことも知っている。


 ということは、そのときちょうどこの場所に居た美鈴は…


「ごめん、その人のことは聞かんとって」


 美鈴は口元を抑えて立ち上がる。その顔色は、血液が回ってないのかと感じるくらい真っ青だった。


「先輩、だい…」


 夏琴がそう言いかけたが、美鈴は『ごめんね』と後輩たちに謝ると、そそくさと音楽室を出て行った。


「……僕、何かした?」


 祐揮が去っていく先輩の後ろ姿を見ながら、ぽつりと呟いた。


 その呟きに答える者は居なかった。

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