#16 変化と噂
【6月15日】
「はい、ここまでの範囲はちゃんと復習しとくように。じゃあ授業を終わります」
数学担当の女性教諭・
授業が終わると、教室内は一気に騒がしくなる。
昼休み。この学校は弁当は誰と食べてもどこで食べても良くて、みんなそれぞれ友達と固まりだす。
そんな中、花音はいつも颯爽と教室を出ていく。
何故なら花音には一緒に弁当を食べる友がいないからである。
クラスで友達が一人も居ないのは花音だけなので、その中でひとりぼっちでは食べづらいことはご想像頂けるかと。
だから花音はいつも、人気のいない場所でお弁当を食べていたのだ。
この日もそうするつもりだった。
「ねぇ」
お母さんが作ってくれた弁当を持って教室を出ようとしたその時、誰かに後ろから話しかけられた。
花音が教室で話しかけられるなんて滅多にないことだ。誰だろう、と思い振り向く。
そこには部活友達の里津が居た。
「あ、加藤さん?」
里津とはミーティング前や帰り道ではいつも話しているが、教室で話すのはこれがほとんど初めてだった。
花音に話しかけた里津は、なぜか何も言わない。でも何か言いたげな顔をしてモゴモゴしている。
「……っと…」
里津は口数は多くないが、曖昧な物言いはしない子だ。だからこんな風に言葉に詰まっている姿は珍しい。
「……?」
そんな里津を見て、花音もだんだん戸惑ってくる。
もしかして、知らず知らずのうちに里津に何かしてしまったのだろうか。
里津とは仲の良い関係を続けられていると思っていた。気に触るようなことはしていないつもりなのだが。
「里津、篠宮ちゃんに言いたいことがあるんでしょ?」
すると、誰かががひょこっと里津の隣に来る。ボブカットをハーフアップにしている彼女は、このクラスの女子学級委員・
純恋は清楚でほんわかとした雰囲気が漂う子で、クラスで『すみちゃん』と呼ばれて慕われている人気者だ。
里津から少し純恋の話は聞いていた。里津の幼馴染らしく、いつも学校ではふたりで行動していることが多い。
部活は美術部に入っているらしく、初めて花音と里津が話した日に、里津が下駄箱で待っていた子だ。
花音とは面識がほぼ無いにも関わらず、『篠宮ちゃん』と渾名で呼ばれたことに少し驚く。
言いたいこと?なんだろう。やっぱり何か気に触ることをしたのだろうか。花音は内心落ち着かなかった。
「すみちゃん…」
「ね?ほら、言おうよ。」
里津は助けを求めるように純恋の顔を見たが、純恋は『頑張れ』と言わんばかりに里津の肩をぽんぽんと叩く。
里津は『あの、』と再び花音と向き合った。
「あの、ご飯……」
里津は机の上に乗っている花音の水色の弁当袋をちらちら見ながらそう言う。
「あのさ…ご飯…うちらといっしょに…食べ…る?」
「……えっ、」
たどたどしい里津の言葉を最後まで聞いた花音は、驚いて目を見張った。
「えっ?!わっわっわたしと?!」
驚くあまり勢いよくガタッと立ち上がった。うおっ、と目の前に居る里津と純恋が反応する。
『お弁当一緒に食べよう』って、誘われてるってことだ。このわたしが?!
「嫌ならいいけど…」
「えっいや、全然嫌じゃないけど、なんでわたしと…?」
花音は置かれた状況を理解できずにそう聞くと、純恋が『里津ね、篠宮ちゃんのこと気にしてたんだよ』と言う。
「里津から篠宮ちゃんの話をよく聞いてたから、私がご飯に誘ってみたら?って言ったんだけど、恥ずかしかったみたい、笑」
純恋はふふっと悪戯っぽく笑い、『篠宮ちゃんと仲良くなれて嬉しかったんだよね〜?』と里津の腕を指で突く。
「えっ、わたしのこと、そんなふうに思ってくれてたの…?」
花音は驚きのあまり、呆然としながらそう言った。
里津は話しているときも無表情のときが多い。そういう性格だからだと思うが、わたしと話しても楽しくないのかなと不安になることもあったから。
花音のその言葉を聞いた里津は、一気に顔がトマトのように真っ赤になった。
「…いっ、いや、違うから!うっ、嬉しいなんて、思ってないもん!」
里津は怒りながらそう言うと、花音の腕を軽くバシッと叩いた。その様子を見ていた純恋が笑う。
「この子ツンデレだからさ、笑」
花音は叩かれた腕を押さえながら里津を見ると、里津は顔を耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに手で顔を隠していた。
花音が反射的に『加藤さん顔…』と呟くと、里津は花音を下からギロリと睨みつけた。顔が真っ赤なのを誤魔化すように。
その姿がとても可愛らしくて、花音は里津にいままで感じたことのない愛らしさを覚えた。
「ってことだから篠宮ちゃん、一緒に食べよ!」
「…うん!」
純恋にそう言われ、花音は目を輝かせる。迷うこと無く頷いた。
嬉しい。里津が本当は花音と仲良くなって喜んでいたこと。
それと、友達の友達という関係性でしかなかったはずの純恋が、花音と普通の友達のように接してくれることも嬉しかった。
それに、ずっと憧れだったんだ。友達同士で席をくっつけてお弁当を食べてみたくて。
いつも楽しそうにお弁当を食べているクラスメイトたちが、いつも花音には眩しく見えていた。
きっと自分には出来ないことだなと、諦めていたのに。
最近は学校で良いことばかりだ。
いいのかな。こんなに良い思いばかりして。後からバチが当たらないかな。
でも、それでもいい。今はとにかく自分の身に起こった良いことを、素直に喜ぼう。
花音はそう思い、ワクワクした気持ちでお弁当を持って二人に着いていった。
【6月17日】
「あ、篠宮さん!廊下行く?」
放課後のパート練習の時間。音楽室を出ようとした花音に美鈴が話しかけた。
「あ、はい。教室に忘れ物して…」
「ごめんなんだけど、ついでに三年生の教室行ってさ、木管の先輩たち呼んできて貰っていい?今から二、三年だけでミーティングがあって…」
美鈴は顔の前で手を合わせて『お願い!』と懇願した。
「分かりました!」
花音は美鈴の頼みを承諾する。美鈴は『ありがとう〜』と手を合わせた。
【♪♪♪】
木管パートはいつも、音楽室の近くにある三年生の教室で楽器ごとに別れて練習している。
花音が廊下を少し歩くと、すぐに三年三組の教室が見える。サックスパートの練習場所だ。
花音は先輩たちを呼ぼうと、教室の窓から中の様子を覗く。しかし、そこに先輩たちは不在だった。
代わりに、クラリネットの一年生の
あれ、なんでクラリネットの二人がこの教室に居るんだろう。と花音は疑問に思う。
いつものクラリネットの練習場所である隣の三年二組の教室を見ると、中でなにやら見知らぬ先生と生徒が話し合っていた。
なるほど。今日は三年二組が使えないから、クラリネットとサックスが一緒に練習しているのか。と花音は納得した。
「やっぱり一番好きな奏者は…」
端のほうにサックスの里津も居て、三人で円になって椅子に座り、わいわい楽しそうに雑談をしている。
その声が、こちらにまでよく聞こえてくる。
「
ハーフツンテールの髪型をリボンで留めている髪型が特徴の莉音がそう言った。
……綾瀬星楽。
聞き覚えのある名前が出てきて、花音は悪いことだと分かっていながら、こっそり聞き耳を立てた。
「莉音ちゃんマジで星楽ちゃん好きだよね〜」
小柄な体型で、艶のある髪を横結びにしている詩音が、自分の触覚を指でくるくるいじりながら半笑いでそう言う。
「だって、『百年に一度の天才美少女』って呼ばれてるんだよ?可愛いし演奏めっちゃ上手だし!」
かつて世界中に名を知られた天才演奏家、現代版ベートーヴェンとも呼ばれた有名人。
元広島交響楽団のクラリネット奏者、綾瀬星楽。
星楽は美しい容姿と高い演奏技術の持ち主で、その綺麗な音色は『夜空に煌めく一等星』と呼ばれるほど。
その音を聞いた聴衆は、一瞬にして彼女に心を奪われてしまうらしい。
「ピアノとか音楽をやってる子だったらみんな知ってるよ!前にヤマハで星楽ちゃんが演奏している映像見たんだけど、マジで一目惚れしたもん!色々凄すぎて!」
星楽はもう奏者は引退しているが、星楽の演奏の映像は今でも残っていて、それは画面越しにでも現在の人々の心を掴んでいる。
花音も一応は、小さい時から音楽に通じている人間なので、名前と情報くらいは知っていた。
そのときは、『めっちゃ凄い人』という印象だけだったけれど。
あそこまで星楽ちゃんが好きな子が現代にも居て。やっぱり凄い人だったんだ、と花音は感心した。
「マジでせっかく星楽ちゃんと同じ楽器出来るんだから、頑張ろうね紫音ちゃん!」
莉音はよほど星楽のファンなのか、興奮して足をバタバタさせている。
紫音はそんな莉音を半笑いで見ながら『はいはい』と適当にあしらう。
「もおー!詩音ちゃんってホントりおの話聞かないよね!昼休みにお弁当食べるときもさ…」
詩音の塩対応が不満だったのか、莉音はぷくーと頬を膨らませた。
しばらく莉音は紫音に対して不満を漏らしていたが、ずっと黙っている里津をふと見て、
「そういえば里津ちゃんは昼休み、誰とお弁当食べてるの?」
莉音は里津にそう聞いた。その声を扉で外で聞いていた花音はピクッと反応する。
「すみちゃんと篠宮さんの三人で食べてるよ。」
里津はなんの躊躇いもなくそう言った。
『篠宮さん』と自分の名前を出されて、花音は少し心臓がドキっとした。
「あぁ!すみちゃんって、美波純恋ちゃん?小学校同じだったよね!」
里津は『うん、幼馴染なんだ』と付け加える。
「篠宮さんは…なんか聞いたことある気が…」
紫音はしばらく『うーん』と考える素振りをする。
「あ!
紫音の口から出てきたあっけらかんとした言葉に、花音は少しホッとした。
焦った焦った。同じ部活なのに、自分の存在を知られていなかったらどうしようと思って。
まぁ、有り得そうな話ではあるのだが。
「え、里津ちゃん、篠宮さんと仲良いの?」
すると、莉音がやけに眉を潜めながら里津にそう聞いた。
とても神妙そうというか、怪訝そうに。花音は莉音のそんな様子を見て、なんだか心が落ち着かなくなる。
「うん。部活入るときに仲良くなって。」
里津はそんな莉音の表情も特に気にしていない様子だった。
しかし、莉音は眉を顰めたままだ。里津もそんな莉音の顔を見て、『ん?』と不思議そうに首を傾げる。
「なに莉音ちゃん、そんな嫌そうな顔してどうしたの?」
同じく莉音の顔に違和感を持ったであろう詩音がそう聞いた。
あ、多分、これ聞かないほうがいいやつだ。花音はそう悟った。
この重苦しい雰囲気は、これから花音のことを噂をすることを予兆している。多分、悪いことを。
花音には、それがよく分かっている。
ここから去らなきゃ。きっと、聞いたら傷つく。
頭では分かっているのに、何故だが足が床に張り付いて動かない。
なぜだか、動けない。
「篠宮さんって、」
莉音のその声が聞こえた瞬間、花音は思わず後退りをした。
あぁ。そのまま後ろに言って、ここから去れたらいいのに。
「篠宮さんって、いじめられてるんだよ。」
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