第四楽章 「音楽室の仲間たち」

#15 エイプリルフール?

【6月8日】


 季節は春から夏に移り変わろうとしている。梅雨のジメジメとした毎日。


 先日まで行われていた前期中間テストも終わり、今日から部活が再開する。

 

 若の宮中学校の三階には、今日も楽器の音が鳴り響いている。


(わ、ここネジが壊れてる…)

  

 花音は楽器を持つようになってから貰った、学校の備品である使い古したボロボロの譜面台を苦労して立てた。


 その上に水色のクリアファイルを置く。楽譜ファイルだ。その中に入っている基礎練習用の楽譜をペラペラとめくって開く。

 

「はーいじゃあ、ロングトーンしまーす」


 パートリーダーの美鈴がメトロノームの針をカチッとセットする。


 すると、みんな一斉に楽器を構えだす。


「ご、ろく、ひち…」


 美鈴の合図の声とともに、6人が一斉にブレスを吸う。


 音楽室内にB♭の音が鳴り響く。


 初心者だらけで音程も不安定、お世辞にも綺麗だとは言えない音だが、それでもみんな慣れない楽器に必死に息を入れるのだ。


 B♭から一オクターブ上のB♭八拍伸ばす。終わり頃になると、みんな息が苦しいのか顔を顰めている子が多い。

  

「…よしっ!じゃあここまでにして、一旦休憩しよ!」


 他にもリップスラー、タンギングなどの一通りの基礎練習をした後、美鈴はみんなに休憩を言い渡した。


 あぁ、ようやく楽器が置ける。と花音は喜びに溢れた。


 管が何回もグルグル巻かれているホルンは、普通に持っても相当重い。


 加えて握力も体力も全く無い花音にとっては、それがとんでもないくらい辛く、練習中はいつも腕が痛くて仕方がないのである。


「あー梅雨ってやだなぁー」


 雫で濡れている窓の外を見ながら、美鈴がはぁーとため息をつく。


 まだ四時過ぎなのに、青空が黒い雲で覆われているせいで室内は薄暗くじめっとおり、まるで夜みたいだ。


「湿気で音程悪くなるの、ほんと最悪」


「私も嫌です、頭痛くなるし…でも体育の授業が中止になるのは結構嬉しいかも笑」


 夏琴がふふっと笑いながらそう言った。花音は内心でそれに強く共感していた。花音は運動が嫌いだからだ。


「あ、俺、傘忘れた」


 すると、今日は珍しく目が覚めている祐揮が突然、間抜けな声を出した。


 いや今日、朝から土砂降りだったけど。


「はぁ?また帰り道あんた傘に入れなきゃじゃん。」


 夏琴が祐輝を呆れた表情で見ながらそう言い、みんなが笑い出した。


 花音が部活に入ってそろそろ二ヶ月経つが、もうすっかりパート内のみんなの性格が分かってきた。


 花音の直属の先輩である美鈴は、五人の後輩たちをまとめて指導しているしっかり物だ。


 パーマにサイドテールという少し強気そうな見た目とは裏腹に、後輩たちにも気さくに接する面倒見の良い人。


 とにかくよく笑う人で、些細なことで愉快そうに大笑いする。そのおかげで、金管パートの雰囲気は明るいものになっている。


 トランペット経験者の舞香は、初めは美しい容姿と、パートの同期でひとりだけ出身小学校が違うことから、あまり話さない印象が強かった。


 しかし最近では慣れたのか、話に少しずつ参加するようになったり、トランペットの同期で初心者ある夏琴に積極的に教えている。


 もうひとりのトランペッターの夏琴は、真面目な優等生、という感じなのにも関わらず、よく話す子だった。


 それもただ単におしゃべりというわけではなく、周りの空気をよく読み、会話が盛り上がるように言葉を選んで話しているのが分かる。


 また周りに気が使える子でもあって、ムードメーカーかつサポート役を担っている。


 トロンボーンの祐揮はThe・いじられキャラである。基本寝ているが、起きている日は急に突拍子もない発言をして、周りからツッコまれている。


 だが、彼のその発言にみんなが笑うので、結果的に彼もまた雰囲気を明るいものにしている。


 そしてチューバの響介と、ホルンの花音。この二人はそもそも元の性格に積極性がなく、ほぼ口を開かないので、存在感がまるで無い。


 花音は脳内で頷いたり共感したりしているが、響介の方はどう思っているのかは、花音にはわからない事だった。


「あ!そうそう!」


 水筒の水を飲んでいた美鈴が、突然水筒を置いてパチンと手を叩いた。


「コンクールの曲の楽譜、昨日一年生の貰ったんだよね。」


 美鈴はそう言うと、ガタッと立ち上がって楽器庫に向かった。


……コンクール。


 花音はその響きに胸が高鳴った。


「え、一年生ってコンクールに出れるの?私、一年生ってコンクール出ないものだって聞いてて…」


 楽器のつば抜きをしていた夏琴が、隣でMy楽器を丁寧に磨いている舞香にそう聞いた。


「一年生が出ないとか吹きまねだけする学校もあるみたいだけど、うちの学校は出るんだって。先輩たちだけだと人数が足りないからって。」


 舞香が答えると、夏琴が『わぁー、コンクール、楽しそうだけど大変そうだなぁ』と苦笑いする。


 そうか。わたしも、八月にはあの大ホールで演奏するんだ。花音は改めて自覚すると、まだ楽譜を貰ってすらないのに緊張してきた。


「そうそう!自分等は去年は打楽器で出たんだよね!」


 美鈴が楽譜を持って戻ってきた。


「でも今年は、一年生にも吹いてもらわないとなんだよねー」


 美鈴は楽譜をみんなに配りはじめた。どのパートの楽譜も全部で二枚のようだ。


「あ、トランペットは高元さんがファーストで、住吉さんがセカンドね。」


 吹奏楽の曲では同じ楽器で『1st(一番)』『2nd(二番)』『3rd(三番)』と楽譜が別れているパートもある。


 簡単に、1stが一番上で音域が高く、2ndは1stのハモリ的な役割を担う、という認識だ。


 ただ、ユーフォニアムやチューバなど、比較的人数の少ないパートは楽譜が別れていない。


 先輩が1st、後輩が2ndなどと別れることが多いが、パートに同学年が二人以上いる場合だと、演奏技術が高い方が1stになりがちである。


 花音はホルンの2ndの楽譜を貰った。ホルンは中音域なのにも関わらず、ト音記号表記の楽譜だ。


 みんなは貰った楽譜に目が釘付けになっている。


「…まーち…えいぷりる…りーふ…?」


 一番上には『マーチ「エイプリル・リーフ」』と曲名がデカデカと書いてある。


 エイプリルリーフ…エイプリルフール…4月1日?その曲名は、あの日にちを連想させた。


「エイプリルフール?嘘ついてもいい日?」


 トロンボーンの楽譜を眺めながら、祐揮は間抜けな声を出す。夏琴が『エイプリル!』と強めに訂正した。


「で、今年のコンクールの自由曲で吹くマーチエイプリルリーフ、去年のコンクールのA部門の課題曲なんだよね。」


 美鈴が総譜スコアをペラペラとめくりり、中を吟味する。


「なんで自由曲に課題曲を…?」


 花音は疑問に思ってそう小さく呟いた。今年の自由曲として吹くのが、去年の課題曲?どういうことなのかと首を傾げる。


「それはだね、理由があるのだよ」


 そのとき、背後から突然声が聞こえてきた。


 ぎゃぁっ?!と花音は驚き声を上げる。花音の隣の祐輝もうわぁ!と悲鳴を上げる。


 振り返ると、花音の真後ろには三年の沙楽が立っていて、花音の椅子の背もたれ部分に手を付いていた。


 やっぱり、沙楽が近くに来るとふわりと柑橘系の香りが漂ってくる。


「沙楽先輩!」


 美鈴は沙楽の存在に気がつくと、途端にぱああっと顔が明るくなり、一気に沙楽のもとに駆け寄った。


「今日は部活来れたんですね!」

 

「予定だった生徒会の会議が無くなったし、せっかくだから美鈴ちゃんが立派に先輩してる姿、見たかったし!」


 沙楽は飛びっきりの笑顔で微笑む。それはまるでファンたちに笑顔を振りまく人気アイドルそのものだ。


「えぇ!そんな、嬉しいです!」


 美鈴は目をキラキラ輝かせて、子どものような笑顔で沙楽と話している。


 普段わたしたちの接しているときのしっかりした姿とは、全く違う。花音はそんな美鈴の姿を見ながら思った。


「あ、でね、なんで自由曲で去年の課題曲を吹くかって話なんだけどーーー」


 沙楽はまだ何も分かっていない一年生たちに説明を始めた。


「今年、有難いことにたくさんの一年生が入ってきてくれたね。でもやっぱりみんなまだ初心者だから、あまりにも難しい曲をコンクールで吹くって、厳しいじゃない?」


 沙楽は一年生たちに問いかける。『うんうん』とみんなは頷いた。


 このバンドは一年生部員が11人、先輩部員が6人の、半数以上が楽器初心者だ。そんな中で演奏できる曲に限りがあるということは、花音でも分かる。


「そこでね、みんながちゃんと演奏できて、尚且つみんなが成長できる曲って何かなって、あたしと部長と吹雪先生で考えついたのが、コンクールの課題曲!課題曲は、誰でも演奏できるようにどれも比較的難易度が低めに作られているんだ。その中でもより吹きやすい典型的なマーチ形式の曲を選んだってわけ!」


 沙楽はへへん、とドヤ顔をした。おぉー、と感心の声が挙がる。


 正直、まだコンクールについてあまりよく分かっていない花音は、説明されてもいまいちピンとこない。


 でもとにかく、この曲は吹きやすい曲だということは分かった。


「あ、そろそろあたしも練習しなきゃ。それじゃ、みんな練習頑張ってね〜!」


 それだけ言うと、沙楽は手を降って音楽室を出た。


「あぁ先輩お美しい方…」


 美鈴はそう呟きながら、音楽室を出ていく沙楽の後ろ姿を見つめていた。メロメロで。


 その姿は、推しを追いかけているファンのように愛に溢れていた。


「ほんと、マドンナって感じ、沙楽先輩」


「みんな沙楽先輩可愛いって言ってるよ。優しくて面白いし、欠点ないよね。」


 舞香と夏琴も小声でそう話している。


……なんだか、みたいな人。


 花音は記憶の片隅に居るの姿と、さっきの沙楽の姿が重なる。


 二ヶ月後には、わたしもあのときおねえちゃんが立っていたステージに立つんだ。


 あのときはただの観客だったけれど、今回は出演者。


 おねえちゃんとの約束に、一歩でも近づけるように頑張ろう。この曲を、吹けるようになろう。


 花音は貰ったばかりの新しい楽譜をぎゅっと握りしめると、そう心の中で誓った。

 



 



 


 

 


 


 




 




 


 

 



 



 


 

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