#11 愉快な仲間たち
「私は逆にホルン第一志望だったよ〜」
隣でトランペットのケースを開けている夏琴が、ついさっき幼馴染にブチギレていたときとは別人のように―――優しい声で話しかけてくる。
「トランペットも志望に入れてたから良かったんだけどね」
夏琴は『篠宮さんは本当に災難だね』と苦笑いする。
しかしだとしたら、花音は更に納得がいなかった。
夏琴がホルンを希望していたなら、夏琴がホルンを担当して、花音がトランペットをやればいいだけの話ではないか。
なぜ、そこをわざわざ逆にする必要があった?
「え、なんでだろ、楽器の特性?や、いうてトランペットとホルンってマウスピースの形も似てるから大して変わらんのに」
『まさか、先生間違えたんかなw』と美鈴はけらけらと笑っている。 夏琴も『だとしたら重大ですね。事故ですよ事故』と笑う。
夏琴は眼鏡&お下げ髪という、いかにもな見た目に反し、よく喋る子だった。
花音はこの時間も実は、ほとんど何も発言していない。話を振られ、ただただ頷いているだけだ。
だから、美鈴と夏琴が既に打ち解け合っている様子を見て、内心ひどく驚愕していた。
美鈴がホルンのケースのキーをカチャと外し、蓋を開ける。黴臭いような匂いがして、中から金色の綺麗な…とはお世辞にも言えない、埃っぽいホルンが現れた。
「うわ汚な!このホルンずっと使ってなかったから…後で掃除やな」
美鈴は顔を顰めながら、表面についている埃を指でさっさっと払い、『持ってみる?』と、楽器を取り出して花音に渡した。
花音はそれを受け取る。美鈴は片手で軽々と持ち上げていたが、あまり力のない花音は両手でも充分な重さを感じた。
キタガミ楽器店に置いてあった楽器百科事典で、何回も写真は見たことはある。しかし、あの楽器店でホルンは売ってなかった。キタガミ楽器店では
だから、こんなふうに実物を目の前で見るのは、六年前の定期演奏会のときに『おねえちゃん』に触らせて貰った以来だった。
そうだ。おねえちゃんも、ホルンを吹いていた。
しかし、彼女が持っていたホルンの構造まではあまり記憶がないので、これが実質初めてのような感じだった。
中で管が何巻もぐるぐる巻になっている。なのに先端についているマウスピースはとても小さくて、そのギャップがなんだか不思議だ。
「カタツムリみたいで可愛いくない?自分は結構気に入ってるんよ」
美鈴にそう言われて『はい…』と答える。
確かに、この形は、雨の日に突如出現するカタツムリそっくりだった。
半ば無理矢理やらされることになったホルンだったが、そう考えると少しだけ愛着が湧いたような気がする。
「先輩、これ壊れてまーす」
と、隣から寝ぼけたような声がした。『えっ?!壊れてる?!』と美鈴が焦って駆けつける。
「なんか、この棒が外れてるんですけど…」
祐揮は左手にトロンボーンの本体を、右手にコの字型の細長い棒を持ち、美鈴に見せる。
「あぁ、いいの。これはそういう構造だよ。この棒は『スライド』っていって…」
……と、このようなアクシデントはありながらも、なんとか全員無事に楽器を組み立てた。
「じゃあ、せっかく出したのに名残惜しいんだけど、初心者のみんなはマウスピースを鳴らすことから初めないといけないらしい、だから楽器は閉まって!」
美鈴がそう言うと、舞香以外の一年生は『えー』と不満気に嘆き、名残惜しそうに出したての楽器を仕舞う。
そこで、花音は母親の言葉を思いだした。
母親が中学で吹奏楽部に入部したときは、基礎練習の名目で、最初の一ヶ月間はずっとマウスピースしか吹かせてもらえなかったらしい。
花音の母親は学生時代、中途退部や中途入部を繰り返しながらも、ほぼ吹奏楽部に所属していたらしい。中学はトランペット、高校はユーフォニアム。
美鈴は椅子を六人分用意すると、一つの椅子を中心に置く。そしてその他五つをその周りに円状に並べて、『ここに座って』と一年生たちに呼び掛けた。
左側からトランペット、ホルン、トロンボーン、チューバという順番になるように、舞香、夏琴、花音、祐揮、響介という並びで席に座る。
「まず、このマウスピースをくちびるの真ん中にあてて、息を吸い込んでくちびるを震わせながら息を出して、こんなふうに……」
美鈴はお手本としてホルンの小さなマウスピースを唇に当てると、軽く息を吸って鳴らした。『ブー』と振動音が鳴る。
「そしたら次は、さっきみんなに配ったこの『チューナー』の使い方を説明するね。」
美鈴のマウスピースを持っていない左手には、白色の四角い、押しボタンが沢山付いているゲーム機のような機械を持っていた。
一年生たちにも一人一つずつこの機械が配られている。形は皆同じだけど色はそれぞれ違って、花音に渡されたのは水色のものだった。
「この『チューナー』は、音を確認するための道具で、例えばピアノでいう『ド』を楽器で吹いたら、ここの画面に『
で、その下でゆらゆら揺れているこの棒は『音程』の揺れ度合いを表してて、この棒がピタッと止まるほど音程が合ってるってこと」
美鈴はチューナーを指さしながら説明する。
「それで、チューナーのここのボタンをピッって押したら、ポッポってメトロノームが鳴るの。』
美鈴は右下の『
すると、すぐ上にある丸いボタンが赤く点滅し始め、その点滅に合わせてチューナーから『ポッ、ポッ、』と、一定に刻む音が聞こえてくる。
なんだかアナログ時計の長針が、一秒ごとにチカチカと動く音と似ている。
「このチューナーを持ちながらマッピ…あ、マウスピースを吹いて、この画面に『
美鈴は説明を終えると、『よしじゃあやってみよう!』と一年生たちに呼びかける。
一年生たちは一斉にチューナーの画面を見ながらマウスピースを吹き始めた。
花音はホルンのマウスピースに息を精いっぱい入れ、『ブー』という音を鳴らした。
しかし、画面には『
たまに『B♭』が画面に表示されて『おっ!』と感激しても、すぐに『
この画面に出てくる英語たちは、ドイツ音階の『ドレミファソラシド』だ。
例えば、『
「意外と難しい!」
「息が入ったらなんか唇が振るわない……」
唇を震わせつつ、しっかり息を入れて正確な音を鳴らすのは、慣れていない初心者にとっては難しいことなのだ。
そもそも、これは本当に小さすぎないか?と花音は手の中にあるホルンマウスピースを見ながら疑問に思う。
体験で吹いたトランペットのマウスピースもかなり小さかったが、それ以上に小さいだろう。
なのに、この中で唇を動かして音を変えることなんて出来るのだろうか。花音は不安だった。
「あはは、むずいよねー」
美鈴は笑いながら眉を潜めると、『わかるわー』と共感した。
「んとね、これ
美鈴はそういうと、チューナーで
「だから、吹いてて画面に
美鈴は丁寧に説明するも、一年生たちはいまいち理解出来ていない様子だった。いや、理解出来ていないというより、そんなこと出来やしないと思っているような。
「まぁ最初は誰だって出来ないと思うから、そんな焦らずに少しずつやっていこう」
美鈴はそう言って微笑んだ。その美鈴の姿を見て花音は『優しいな』と思った。
よく、『中学からは上下関係が厳しくなる』『体験のときは優しいのに、入部した途端に先輩が怖くなった』などといった話を聞く。
しかし、三年生の沙楽もそうだが、この部活の先輩は思っていたよりも怖くなさそうだった。……まぁ、後々厳しくなる可能性もあるが。
そのとき、美鈴は一番端っこの席に座っている舞香の方に目線を向けると、あっ、と声を上げた。舞香はトランペットを持ったまま、吹いていいのか分からない、というふうにキョロキョロしながら狼狽えていた。
「あ、ごめん、舞香ちゃんは普通に吹いていいよ」
美鈴が声をかけると、舞香は『あ、はい…』と返事をしつつ、もう一度周囲をぐるりと見渡し、恐る恐るといった具合にマウスピースを唇を当てる。
そうか、舞香は楽器がすでに吹けるのだから、他の一年生たちのように基礎としてマウスピースから始める必要はないのか、と花音は気づく。でも他の皆がマウスピースをやっている中、ひとりだけ普通に吹くなんて、やりづらそうだ。
舞香はすう、と素早く呼吸すると、楽器に息を吹き込む。途端、その場にいた全員が目を丸くした。
トランペットのベルから、張りのあるロングトーンが鳴り響いた。凛とした真っ直ぐな音色。明らかな格の違いを、初心者たちに見せつけているようだった。
「……えっ、上手だね!」
夏琴が一番に声を上げる。深く感心している様子だったが、当の舞香はというと、
「いや全然そんなこと、今のはピッチも悪かったし…」
と苦い顔をして、トランペットの管を抜いたり、差し込んだりを繰り返している。
「舞香ちゃんっていつから楽器やってんの?」
「確か…小四からなので、四年目です」
「四年?!やば!自分より長い!」
「まぁ、一年くらい吹けなかった期間もあるんですけどね」
美鈴は『そんなん上手いに決まっとるやん!』とますます感心を深めていた。
一方の舞香は、たくさん褒められて恥ずかしいのか、手でさっと前髪を垂らして、せっかくの綺麗な顔を隠していた。
「よーし!私達も頑張らなきゃね!」
夏琴はガッツポーズを決めると、『ね、篠宮さん!』と右隣に座っている花音に話しかける。
花音は自分に話しかけられると思っておらず、焦って『うえっああっ、あ、はいぃ!』とおかしな声を返してしまった。
一番右隣には、手を膝について項垂れている響介の姿があった。彼もまた花音と同じように、化け物みたいに大きな低音楽器・チューバに強制指名されたそう。
響介はしきりに『なんで俺が…』と呟き、絶望的な顔をしていた。
ホルンのとは比べ物にならないほど大きなマウスピースを、床に振り落とそうとしては堪え、また振り落とそうとしては堪えて、という謎行為をひたすら繰り返していた。
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