第三楽章 「若の宮中学校吹奏楽部」
#10 はじめまして。
゛広島市立若の宮中学校゛
それは、広島のとある小さな町『若の宮町』に立律された、町唯一の中学校。
いわばどこにでもある公立中学校だが、この中学校には非常に残念な点が三つほどある。
ひとつ目、生徒数が少ないこと。
何十年も前に設立された頃は、一学年で二百人を超えるなんて当たり前だった。
しかし少子高齢化の影響か、生徒数が減少の一途を辿っており、今では一学年で百人も満たず、たったの二クラスしかない学年もある。
だが、これはどこの学校でも同じようなことは起こっているだろう。
ふたつ目、設備環境。
何しろこの学校、『白銀山』という山奥に設置されており、超絶アクセス不便な学校なのである。
登校には急な坂をずーっと歩く必要があるし、夏には校舎の中に虫が大量発生する。
更に校舎も、築何十年も建っているためか正直言って、外面、内面合わせてかなりオンボロである。
なんとか使えるような設備は整ってはいるものの、お世辞にも綺麗とは言えない。
みっつ目、部活。
中学生の醍醐味と言っていいはずの部活だが、若の宮中学校はまず部活数が少ない。
文化部は三つ、運動部は2020年に女子卓球部、男子ソフトテニス部、サッカー部が人数不足により廃部になり、六つだけになった。
さらにその残った部活動の中でも『強豪』と呼べる部活動はひとつもない。
ほとんどの運動部では大会に出ても初戦負けが当たり前で、何か称号に残せるものがほとんどない。
加えて教員不足のため顧問も不足していて、全くその競技の経験のない教員を顧問にせざるを得なかった部活もちらちらある。
そのような環境のため、部活動に対してあまりやる気がない生徒の方が多く、幽霊部員が大量発生している部活動もある。
……しかし唯一、優秀な顧問のもとで毎年大会でも上位の順位に位置していた部活があった。それが『吹奏楽部』であった。
だが、それも去年の話。去年、優秀なはずの顧問に数々のパワハラ言動が発覚してしまった。
それは教員委員会にまで行き渡り、大問題になったその後、顧問が自主退職という事態にまで発展した。
これで若の宮中学校の頼みの綱だった吹奏楽部は、一時廃部を考えられるまで落ちぶれてしまった。
しかし、それで諦めることはなかった。
この若の宮中学校吹奏楽部は今年、新たな顧問を迎え、一新して生まれ変わることを決意した。
そして今日も、町で唯一の吹奏楽部の音は町中に響き渡っている。
【♪♪♪】
「じゃあ、金管パートは基本的に、この音楽室で練習するようになるから」
部活発足会が終了すると、各楽器でパートに分かれて練習を始めた。
「木管は人数が多いから楽器ごとで分かれるけど、金管は人数が少ない上に二年が自分しかいないから、みんなでまとめて練習する形になるから覚えてね」
そう説明するのは、パーマでサイドテールが特徴の、少し気の強そうな二年生の先輩だ。その周りで花音たち一年生が立っている。
先輩から見て右から、美人な女子。眼鏡の女子。背が高い男子。明後日の方向を見て棒立ちしている響介。猫背でおどおどしている花音。
という順番で並んでいる。前半三人は花音が知らない人物だった。
後ろの壁には、『毎日笑顔でBIG SMILE!』『心の乱れは音程の乱れ 毎日を大切に』と、習字で描かれた目標らしき張り紙がドドンと張ってある。
「じゃあ早速だけど、自己紹介しようか」
と、美鈴は一年生たちに呼びかける。一年生同士で『誰からやる?』と顔を見渡し、とりあえず端の人から順にしようということになった。
右端の美人な子が『自分からでいい?』と言ってくれたので、花音は一番初めにやらずに済みほっとした。
「
美人な子、舞香はペコリと頭を下げる。その動きと同時に、長くて綺麗な黒髪がさらりと垂れ下がる。
それを見た美鈴が『きれい…』と感激したように呟いたのが聞こえてきた。
副部長の沙楽がかわいい系の美人なら、舞香はキレイ系の美人だった。小顔の細身で鼻が高い。
特に髪が綺麗で、テレビで見る女優のような黒髪ロングヘアーは、風にでもふわりと靡けば、誰しも思わず二度見すること確定だろう。
舞香は自己紹介をそこで終わらせるつもりだったのだろうが、周りのみんなの熱い視線に気がつくと、
「…あ、よろしくお願いします」
と後付けして、今度こそ紹介を終えた。次はその隣に居る眼鏡の女子の番だ。
「一年二組の
と言うと、まるで目上の人間を相手にしているかのように、深々と頭を下げた。
夏琴は茶色の丸眼鏡を掛けて、鎖骨あたりまである長さの髪をお下げにしている、『The・優等生』という印象の女の子だった。
その印象は話す言葉にも現れており、ただの自己紹介でここまで丁寧に話す子を、花音は他に見たことが無かった。
次は背の高い男子の番だが、彼はさっきから突っ立ったままびくともしていない。よく見ると、目を瞑っている。
まさかと思うが、寝ているのだろうか。
先輩が困った様子で『お、おーい』と声を掛けるも、返答がない。
すると、隣に居た夏琴が『おい!』と、さっきまでの『The・優等生』の印象とは打って変わり、寝ている男子の体を腕で思い切り突く。
熟睡していた彼は、たちまち『わぁふへぇい?!』と、なんとも間抜けな声を出して目を覚ました。なんと、本当に寝ていたのだった。
夏琴が『自己紹介!』と怒った声で言うと、『あぁ』と目をゴシゴシ擦りながら周囲を見渡す。
「トロンボーンになりました」
「いや、まずはクラスと名前からでしょ!」
「
夏琴がツッコミしつつ、裕輝は言い終わるとふわぁ〜と大きなあくびをした。
よく見てみると、裕輝は背だけでなく手足がとても長い。確かにスライドを動かして音を変えるトロンボーンにとても向いているだろう。
頭のてっぺんに大きな寝癖がぴょんと立っており、制服のシャツのボタンは三つとも全部外れている。
夏琴が『すみません。彼とは幼馴染なんですけど、こういうやつなんです』と言いながらペコペコと頭を下げた。
美鈴は『なんかおもろw』と笑い飛ばしていたが、なんだか裕輝はだらしない印象だった。自己紹介を終えると、再び目を瞑って寝始めた。
次は、響介のターンだ。
「…っと…えー、一年一組の北上響介です」
響介は小声で呟くようにそう言うと、『以上です』と颯爽に自己紹介を終える。『え、終わり?』と美鈴が突っ込む。
「あ、はい。」
言うことが思いつかないのか、言う気がないのか、早く終わらせたいのかは分からないが、何食わぬ顔で響介はそう言ってのけた。
響介は部活体験に来ていなかったので、彼が一番皆に知られていないだろうから、もっとじっくり丁寧にするべきだろうに。
響介は昔からこういう場…人前に立つと、途端に無口になるタイプだった。こういうところは変わらないんだな、と、花音は懐かしくさえ思った。
そうしている内に、気がついたら皆の視線が花音の方に集まっていた。
あ、やばい。もう自分のターンが回ってきた。ぼんやりとしていて気が付かなかった。
「あっ!あぁえっと、いっいっ一年一組の、ホルンの篠宮花音ですよろしくお願いします…」
焦りのあまり、とんちんかんな声が出てしまう。自分のその声が自分で恥ずかしくなった。
一刻も早く早く終わらせたいと思って、デクレッシェンドみたいにだんだん声が小さくなる。
周りの面々は、『え?この子なんて言ってるの?』とでも言いたそうに、不審そうな顔をしていた。その表情が花音の心に突き刺さる。
「自分は金管パートリーダーの二年、
美鈴はへへっと笑う。気が強そうな印象に反して控えめな感じで話すので、花音は内心驚く。
「やー見ての通り、金管パートいままで自分ひとりしか居なかったから、こんなに入って来てくれて嬉しいなっ!これからよろしくね!」
「よろしくお願いします!先輩!」
夏琴がハキハキとした声でそう言い、ペコリと頭を下げる。すると、美鈴はハッと目を見開いた。
『先輩…?あーそっか先輩になったのか、自分…」
美鈴は目をパチパチさせながら、手で自分の顔を押さえる。若干、頬が赤く照っている。
花音は一瞬、美鈴が何を言っているのか分からなくて首を傾げたが、少し考えてみてすぐに気がついた。
この先輩は二年生。だから、彼女にとっての初めての後輩は自分たちなのだ。―――当たり前のこと、だが。
「じゃあこれからたくさんそう呼びますね!先輩!」
「えー、なんか馴れんなー」
夏琴が目を輝かせながらそう笑うと、美鈴は恥じらうような顔を見せたが、どこか嬉しそうな様子だった。
トランペットが二人、ホルンが二人、トロンボーンが一人、チューバが一人。全員で六人の金管パートだ。
「てことで早速楽器に触れてみよう〜!」
美鈴はさっと切り替えると、『みんなが使う楽器はこれね。』と、あらかじめ並べている楽器たちを指さした。
トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバが一本ずつ。あれ、トランペットが一本足りない気が…
「舞香ちゃんはマイ楽器持ってるんだよね?」
「あ、そうです」
舞香は床に置いていた黒色の楽器ケースを、机の上に出す。『マイ楽器』とはその名の通り『自分で買った楽器』のこと。
「え、自分の持ってるの?」
それを見兼ねた夏琴が、興味深々と言った様子で舞香に話しかける。突然話しかけられ驚いたのか、舞香は『あ…』と少しだけ狼狽えていたが、
「うん、お父さんに買って貰ったの」
「そうなんだ。私、まだトランペットのこと何も分かんないから、色々教えてね」
小学校は吹奏楽部が無いところが多いため、中学校では大抵の一年生が『初心者』として入部してくる。花音もそれに当てはまる。
しかし、稀に舞香のような、楽器経験のある一年生が入ってくることもあるそう。
舞香ケースの中から、黄金色にキラキラ輝くトランペットが顔を覗かせた。
「わっ!金色のトランペットとか始めてみた!」
横から入ってきた美鈴が『すげ〜』と目を見張る。『ラピュタのやつ』と、夏琴が笑った。
「他のみんなは学校の楽器だね。あ、ちなみによる見る新品のピカピカかっこいいやつを想像してるなら、そんな希望は捨てましょう。うちの学校はもれなく古い&ボロボロのしかないからね」
『うちの貧乏中学に期待しちゃ駄目よ』と美鈴はため息をつきながら、一年生に楽器の案内をする。
花音はどれがホルンなのか分からなくて迷ったが、美鈴に『あ、ホルンこれね。』と指示された。
焦げ茶色のケースだった。花音の髪の毛の色と、そっくり。
「てか、篠宮さん…だよね?トランペット体験してたよね?急にホルンになってびっくりしたでしょ」
美鈴が笑いながら花音にそう聞く。花音は先輩からそんな風に話しかけられた驚きのあまり、少し身構える。
だが、そう言えばそうだった。花音はどうして自分がホルン担当になったのか分からないままだった。
ホルンは第三希望にすら入れていないし、ましてや一度も体験していないし、触れてすらいない。
だから先程、吹雪に『ホルンね』と指名された瞬間、思わず『なんでですか?!』と叫びそうになった。
もしかして、ホルンが他に誰も希望してなかったから、消去法でわたしに…と、花音は密かに予測を立てていた。
「なんか自分が言うのも変だけど、災難だったね」
美鈴にそう言われ、花音は思わず『そうなんですよ!なんでわたしが…?!』とぶち撒けてしまいたい衝動に掛けられた。
しかし、まさにそのホルンを担当している先輩を前にしているので、その不満はぐっと堪える。
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