#09 なんでその楽器ぃ?!
【4月25日】
「あたしほんとに信じられない!」
「こんなに入ってくれるなんて、必死に勧誘した甲斐がありましたね!」
この日の放課後の音楽室は、集まった一年生の人数の多さに感激した先輩達によって、いつも以上に大盛り上がりだった。
一、二、三…女子九人男子二人の、全部で十一人の新入生が集まっている。二・三年生と比較すると、その人数の多さは一目瞭然である。
部活体験は昨日ですでに終わっていた。今日は部活発足会の日だ。一年生たちが入部届を提出し、正式に入部する。
花音もこの日、入部届けを持って音楽室に来ていた。
人それぞれ『相性の良い楽器』ならぬものがあるそうだが、沙楽の言う通り花音は100パーセント金管向きだった。
クラリネットが吹けなかった翌日、先輩に進められるまま、金管楽器の花型・トランペットを吹いた。
すると、あんなに悩んでたのが嘘みたいに、普通にそれらしい音が出たからである。
花音にとってはリードを震わせるよりも、自らの唇を震わせるほうがよっぽど簡単だったのだ。
よって、花音は吹奏楽部に入部することが可能になった。
「篠宮さん、第一希望の楽器何にしたの?」
花音の隣に立つ里津がそう聞く。
昨日、新一年生は希望楽器を第一希望から第三希望まで書き、提出したのだ。
「えっと、第一希望はトランペットにして、第二希望はクラリネットにしたけど音が出なくて…第三希望は書かなかった。えっと、加藤さんは?」
「うちサックス一択」
里津は迷いなくそう言った。
サックスパートはアルトサックスとバリトンサックスの男の先輩が各一人ずついるが、人数的にもう一人くらい居てもおかしくない。
サックスは里津しか体験していなかったため、高確率で里津はサックスになれるだろう。
「やっぱ一番人気なのはクラじゃない?」
里津はそう言って周りを見渡す。すると、周りの女子たちはとあるひとりの人物に夢中だった。
「あれ北上君…だよね。」
「ね、一組の…」
女子たちの噂する声が聞こえる。そこで花音はハッとした。そうだ、この人がいたんだ。
一年生の集団の中心にひとりで棒立ちしている花音の幼馴染は、結局一度も部活体験に現れることはなかった。
そのため、花音を除いた先輩や一年生たちは、今日初めて彼を音楽室で見ただろう。
そりゃあ、こんなに注目されるのも仕方ない。
加えて、響介自身の持つ派手な金髪と美貌や、『問題児』であるというあまりよろしくはない称号が、より一層彼の存在感を際出せている。
女子たちの視線に晒されている当の響介は、恥ずかしいのか上を向いて誰とも目線を合わせないようにしていた。
「はーい!じゃあ一年生は席についてくださーい!」
と、そこで先生からの集合がかかったので、新一年生は全員音楽室の椅子に座る。
「えーっと…これから吹奏楽部の部活発足会を始めていきたいと思うんですけど…新一年生のみなさんは誰?って感じだと思うので、まずは我々顧問の紹介からしていきたいと思います。まずは私から」
そう言うのは、眼鏡をかけた四十代くらいの女の先生だった。
「副顧問の
まるで聖母のような柔らかな微笑みは、『優しそう』という印象を生徒たち完全に与えていた。
これからよろしくね。と響子は自己紹介を終えると、その隣にいるパーマの短髪の女の先生にターンが変わる。
「Hello every one! my name is asahara siho!」
その先生は開始早々、英会話教室の会話のような英語を流暢に話しだした。
あれ、ここって吹奏楽部じゃなくて英会話部だっけ?花音は一瞬そう思ってしまった。
「みなさんこんにちは!今年から赴任してきて、この吹奏楽部の副顧問になる
詩歩は花音のクラスの副担任で、英語の先生だった。
「中学時代、吹奏楽部でトロンボーン吹いてました!美術部の正顧問もやってるから毎回の練習には来れないけど、経験者としてのアドバイスは可能な範囲やりたいと思ってるから!」
ハキハキとした明るい雰囲気で、高身長でスタイルも良く、年齢は三十代前半、といったところだろう。
「で、そこのピヨちゃんたち!この吹奏楽部に入ったからには、ビシバシ鍛えたいと思うから、覚悟しときなね!」
詩歩はそういうと、ピヨちゃんならぬ新一年生たちをビシっと指さす。
そこで花音は思い出した。詩歩は以前、響介たち不良生徒を怒鳴りながら追いかけまわしてた、あの怖い先生だ。
こう見えて、意外と厳しい先生なのかもしれない、と花音は思った。
「そんで、この若いレディはnew conductorの川本ティーチャー!」
「え…」
詩歩は自分の隣に立つ吹雪を手で指し示す。吹雪は大げさな紹介をされ、少し恥ずかしそうだった。
「えっと…今年から新しく指揮者になった、川本吹雪です。非常勤なので、担任は持ってないですが、音楽の授業を全学年担当しています。さっそくなんですけど、みなさんに知っておいてほしいことがあります」
そういうと、吹雪は横髪をさっと左耳に掛けた。
すると、普段は彼女の髪の毛に隠れて見えずらい茶色の補聴器が、その場の全員の目に晒された。
途端、みんながざわざわし始めた。
あれ補聴器?耳が聞こえないのかな。それなのに指揮者なの?噂する声たちは、花音にも聞こえた。
「先生は左耳がみんなよりも聞こえずらいです。でも補聴器を着けていればちゃんと聞こえるので、みんな遠慮なしに先生に話しかけてもらって構わないから」
吹雪はそう言うと丁寧にお辞儀をした。
周りの空気はシーンと静まってはいたものの、そこまで重苦しくも無かった。
花音たちの住む市の全小学校では、視覚や聴覚などさまざまな身体障害について知り、身体障害者への理解を深めようという授業が年に何回かある。
その授業で、聴覚障害は先天性かもしくは重度だと、耳が聞こえないのと同時に言語障害も併発すると、当時の担任教諭から教えられた。
つまり、言葉が話せないということだ。
通常、乳児は親や周りの大人の話す声を聞いて、言葉や話し方を覚えるらしい。
しかし乳児期から全く耳が聞こえないと、その声が聞こえない状態で育ってしまう。
となると当然、言葉が分からず話し方も身につかないので、言葉が話せない状態なり、結果的に言語障害を患ってしまうらしい。
しかし、今の補聴器をつけた吹雪ははっきりとした声を出し、流暢に違和感なく言葉を話せている。
だから、『聞こえづらい』という吹雪の言葉通り、全く聞こえないわけではなく、そこまで重い障害ではないのだろうと、みんなきっと察したのだ。
「えっと、今は居ないんだけど、あともう一人、副顧問の横山
横山先生は、まさに花音の担任教師だった。確か、野球部の顧問と兼部しているのではなかっただろうか。
「次は三年生の紹介だね!」
顧問たちの紹介が終わると、横で待期していた沙楽がそう仕切り始める。
その更に隣に立つ、眼鏡をかけた利発そうな少年が話し始めた。
「えっと、僕はこの吹奏楽部の部長の
光輝はそう言うと、軽く頭を下げた。
見た目通りの話し方で、典型的な優等生、という感じの部長だった。
「皆さんはじめまして!あたしは副部長の松坂沙楽です!担当楽器はクラリネットです!」
副部長の沙楽にターンが移る。目の前の一年生たちにとびっきりの笑顔を向けると、可愛らしい声で自己紹介を始めた。
その瞬間、一年生たちの反応はガラリと変わった。メロメロになっているのか顔を赤くする者、「かわいい…」と思わず呟く者。その反応は千差万別だった。
沙楽は、もうすでに入部したばかりの新入生たちの憧れの的になっていた。
その事実の裏付けとして、最初にフルートを希望していた女子たちのほとんどが、この体験期間を通して見事に沙楽の担当楽器であるクラリネットに持っていかれたのだ。
クラリネットを希望楽器に入れている子がほとんどのはずだから、きっとクラリネットの倍率は今、とんでもないことになっているだろう。
それもそのはず、沙楽は圧倒的に可愛い容姿に加えて、初対面の後輩でも明るくフレンドリーに接することができる性格だ。共感力も高く、ノリもよいので話していて楽しい。おまけに優しくて演奏技術も高い。
もはや人に好かれるすべてを詰め込んだような人間だ。そんな完璧で憧れの先輩のもとで部活をしたいと考える一年生は、当然多かった。
無論、フルートの先輩になんらかの問題があったわけはない。普通に優しい人だったと思う。
それだけ沙楽が他の先輩と色々な意味で明らかに群を抜いていた、それだけの話である。
絶対的な人気者とは、ある意味ではとんでもなく怖いものなのだと、花音は思っている。
その後は、この部活についてのルールを軽く説明された。
活動は基本は週五で、平日は十六時から十八時まで。休日は午前練だと九時から十二時、午後練だと十三時から十六時、一日練だと九時から十六時。
朝練は基本自主参加で、定期休暇は木曜日と日曜日(ただし大会前は例外)。無断欠席は厳禁、先輩には敬語を使う、部室に入るときは『こんにちは』という、楽器や音楽室のものは丁寧に扱う……など。
「はい、じゃあいよいよお待ちかねの、一年生の楽器発表を始めます!」
沙楽が笑顔でそう言うと、席に座っていた二年生も前に出てきて、一列に並ぶ。
「これから川本先生がひとりずつ名前と担当楽器を言っていくので、呼ばれた子はその楽器の先輩のところへ行ってください!」
いよいよ、この部活で三年間担当する楽器が決まる。一年生たちの間にドキドキ感と不安が走る。
やりたい楽器になれるだろうか、もし希望していない楽器になってしまったら……と、不安に思うのも無理はないだろう。
「いーい?希望の楽器にならなくても文句言わないのよ!」
詩歩がそう釘を刺すと、吹雪が名前と担当楽器が書いてあるであろう紙を持って、名前を呼び出した。
「では、まずはフルートから。一年一組、仲谷明音さん。一年二組、桜庭…」
吹雪が名前を読んでいる間、花音は心臓の鼓動が速かった。
そこまで怖がっていたわけでもないが、いざ決まるとなるとやっぱり緊張してしまう。
そして花音の隣に座る里律は一人だけサックスに呼ばれて、前に出た。
大丈夫。トランペットは花型とはいえ、先輩もいないし、体験の子もあまり居なかったし。クラリネット辺りと比べたらまだ倍率は低いだろう。
わたしはクラリネットとトランペットくらいしか体験していないし、きっと選ばれるはずだ。花音は自分に言い聞かせていた。
「次、金管楽器。」
吹雪の声に、花音はぎゅっと目を瞑る。大丈夫、きっと大丈夫…!
「ホルン、一年一組、篠宮花音さん」
……え?
吹雪の淡々とした声に、花音は拍子抜けした。体から力がストン…と落ちる感覚がした。
今の、聞き間違え?
今、『篠宮さん』って言われた?
花音は、目の前で起きたことに実感がなかった。というか、信じられなかった。
「篠宮さん、呼ばれたよ」
しかし隣に座っている里律の声で、それは事実なのだということを、花音は思い知らされた。
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