#08 初めての友達

 花音は里律に追いついて、 声をかけた。


 そのとき、足元がガクッ、と落ちた。


「……?!」 


 前ばかりに気を取られて地面を見ていなかった花音は、階段を踏み外してしまったのだ。


 そのことに気がついたときにはとき既に遅かった。行き場を失った足は、花音の体と共に宙に落下した。


「……えっ?」


「うわぁぁぁ!」


 誰かの声が聞こえた気がしたが、そのままドダダダダダダ!!という音とともに、花音は階段から勢いよく転げ落ちた。

 

 階段の下まで辿り着き、地面に強く尻もちをつくと、ようやく花音の体は止まった。


「いったぁ…」


 止まってすぐに起き上がろうとしたが、体を強く地面に打ち付けた痛みで起き上がれなかった。


 転んだままの体制で痛みに悶絶していると、後ろから足音が聞こえてきた。


「あっ……」


 花音の後ろには、さっきまで花音の目の前を歩いていた里律が立っていた。


 里律はただ花音を見下ろしていた。無表情のまま、何も言わず。


 何を考えているか全く分からない里律を見て、花音は焦りが込み上げてきた。


「あっ…あっ、ごめんなさい!」


 花音は反射的に謝罪を口にすると、すぐに手すりを持ちながら急いで立ちあがった。


 ああ、またやらかしてしまった…と花音は情けなさや恥ずかしさでいっぱいだった。


 皆さん既にお察しだろうが、花音は自他ともに認める生粋のドジ娘だ。


 小さい頃からしょっちゅう転んでは、大した怪我もしてないのに大泣きして、周りの大人を困らせていた記憶がある。


 流石に今は泣きはしないが、中学生になっても相変わらずの鈍臭さなので、いい加減直したいと思って気を付けているつもりなのに。


 すると、立ち上がった花音を見た里律は『え?』と怪訝そうな顔に変わった。


「……立てるの…?」


「……?あ、うん…」


 里律はそう呟いた。もしかしたら、里律が心配してくれているのかと思って、花音は咄嗟に『うん』と言っていた。


 幸い、フローリングの上に転んだだけだったので怪我もないだろう。


「さっき、うちに話しかけた?」


 すると、里律はまた無表情に戻って、花音に別の質問をした。

  

 花音はドキリとした。


「あ、えっと…あの、あの……」


 花音はまた心臓のドキドキが止まらなくなる。里律の無表情がまた恐怖を掻き立て、うまく目が合わせられない。  


 変な汗が止まらない。胸に不快感が溜まり、言葉に詰まって上手く話せない。


「あの……にゅ、入部体験、来てたから、あの、吹奏楽部に入るのかなって、おも、思って…」


 話している最中、花音の頭の中は悪い妄想でいっぱいだった。


『それがなんなの?』『もしかして仲良くなろうとしてるの?キモ!』『お前なんかと友達になるわけないじゃん』


 もし里律と仲良くなろうとしていることが本人に伝わって、こんなことを言われるかもしれないと想像すると、花音は怖くて怖くてたまらなかった。


 わたしなんかと友達になりたいと思っている人なんて居ないのだろうと、花音はいつも本気で考えているからだ。


「うん。」


 と思っていたが、里律の返事は意外にも淡白なものだった。


「てか、篠宮さんも吹部入るの?」

 

「……えっ…」


 そのあっさりとした言葉を聞いて、花音はさっきまでの恐怖や胸の不快感がすっーと消えていくのを感じた。


 里律の顔を見ると真顔のままだったが、その顔に自分に対する悪意や嫌悪感はひとつも感じなかった。


 それに、クラスでいつも存在感がないに等しい自分の苗字を覚えてくれていたことに、さらっと名前で呼んでくれたことに、花音はひどく驚いた。

 

「あ…はい、そうなんです、入りたいなぁって…」


 花音は呆気に取られたまま答えると、里律は少しの間無言になったが、


「うち、友達がみんな他の部活入るって言ってて、体験、一緒に行く子が誰もいなかったんだよね。」


 里律は少し安心したような、ホッとしたような顔だった


「あのさ、篠宮さん明日も体験行く?」


「あっ、はい……」


「なら一緒に行かん?」


「……へえっ?!?!?!」


 花音は驚いて少しおかしな声を出した。

  

 わたしと一緒に部活体験に行くということは、わたしと一緒に行動するということ……?


 花音はそう思うと本当に信じられず、怪奇現象でも起こったように手がふるふると震えてくる。


「えっ?!わたしと行動していいの?!」


「…はい?」


 驚いて急に声が大きくなった花音に、里律は困惑の表情を見せた。


「…うち変なこと言った?」


「あ、いや、違くて、あの、あのですね、わたし、誰かと行動なんてしたことなくて…!」


 興奮して急に早口になって捲し立てる花音に、里津は完全に戸惑っていた。


 『なんなのこの子』とでも言ってしまいそうな表情をしていた。


「ちょっとよくわかんないけど、とりあえず明日から一緒に行こうよ。」


「はい…!!」


 花音は何度も何度も首を縦に振って頷いた。


 信じられなかった。拒否されるどころか、ここまで受け入れてくれるだなんて。心底嬉しかった。

  

 風歌以外の人とこんなに話すのも、しかも一緒に行動するなんて今までになかったことだから。



【♪♪♪】



「篠宮さん若小だっけ?」  


「あ、そうです。」


 そのあと、花音と里律は一緒に昇降口まで行った。


 お互い同じ小学校に通っていたが、ほぼ初対面のような間柄だったので、軽い自己紹介をしながら。


「うちも。でも同じクラスになったことある?」


「あ、いや、なかったような…」


 花音の母校・若の宮小学校は、大体一学年で3〜4クラス、100人程度だった。


 こう言うとそこまで多くない気がする。が、クラス替えは二年に一回しかなかったので、どうしても付き合うメンバーが固定化される。


 一度も同じクラスになったことがない人だって居てもおかしくなかった。


 花音は横を歩く里津の横顔をふと見つめる。


 花音から見た里津は、基本的にニコニコしている親友の風歌や先輩の沙楽とは違い、あまり笑わないという印象だ。


 とはいえ、怒っているとか、暗いとか、特別そういう風にも見えない。


 一言で言えば、『無表情』。何か話しているときも、その表情に変化はほとんどない。


 声のトーンも全体的にあまり抑揚はなく、余分なことを言わずに端的に話す。クールというか、どこか冷めたような女の子だった。


 しかし花音はそれよりも、とにかくクラスの子が話してくれるのがたまらなく幸福だった。


 用があるから、じゃなくて。ずっと誰かとこんな風に、特に理由もなく、他愛もない日常会話をしてみたかったから。


「…あの、か、加藤さんは楽器…」


 だから、花音は思い切って自分から里津に『何の楽器がやりたいの?』と聞こうとした。


 しかし慣れてなくて思うように言葉が出てこなかった。


「ん?あ、楽器?っとね…サックスかな。」


 それでも里津は花音の言いたいことが読み取れた。


 サックスとは、ベル(音が出る穴)の先端がぐねりと曲がっている形が特徴で、金色なので一見は金管楽器っぽいが、実は木管楽器だ。


 種類も多く、ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックスと低音から高音までコンプリートしている。


「うち、高校生のねえちゃんがいるんだけどさ、中学のとき若中の吹部でアルトサックス吹いてたから…」


 里津はそんな姉の影響から、サックスを志望しているらしかった。


 サックスはジャズや軽音バンドなどにもよく使われていて、花音の中でお洒落でかっこいいイメージがある。

 

 吹奏楽でも立派な花形楽器の一つである。

 

「サックスかっ、かっこいいですよね!」 


 そんなことを話していると、気づいたら靴箱について。


「じゃあ、うち友達待たないとだから。」


 花音と里津はそこで別れた。


 里津は美術部の見学に行った友達を待つらしいから、花音だけ人足先に帰ることにした。


「あ、じゃあバイバ……」


 花音は別れの言葉くらい言わないとと思い、振り返った。

 

 花音は別れの言葉として『バイバイ』という言葉を思い付いたが、この言葉は家族と風歌にしか言ったことがない言葉だった。


 だから、流石にさっきはじめて話した人には馴れ馴れしいのかな…と思い言うのを躊躇ってしまった。 


「また明日ね。」


 里津は靴を履き替えながら、すでに背中を向けて帰っている花音に手を小さく振った。


『また明日』


 そう言われた花音は、ふと立ち止まった。


 ……また明日も、一緒に居ていいんだ。


「……うん!あっあの、今日はあっありがとうございました!」


 花音は振り返ると、里津に向かってお礼の言葉を言った。


 そして、いつものように速足で帰路についた。


 風歌、一瞬だけ恨みかけたけれど、勇気をくれてありがとう…!と、花音は心の中で親友にお礼を言った。



      【 ♪ ♪ ♪ 】



「ありがとう…?」


 花音にそう言われた里津は、花音の去っていく後ろ姿を見つめながら、また首を傾げた。


 花音の姿が完全に見えなくなると、里津は堪えきれずに『ふふっ』と吹きだした。


 そんな大したことはしていないのに、自分のする行動一つひとつにいちいち感激している花音は、里津から見ればかなり異質な存在だった。


 でも、嫌な気はしなかった。なぜか少し、面白いとまで思っていた。あんな子、見たことない。


「……変な子。」

 

 そう呟いた里津の顔は、うっすらと笑みを浮かべていた。









 


 


 



 


 

 




 




 


 







 





 

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