#07 たった六人


「曲は一昨年『DA PUMP』がカバーして大ヒットしたあの曲です!それではどうぞ!」


 『大ヒットした』らしいが、歌手名は聞いたことなかったので、花音には何の曲なのか検討もつかなかった。


 沙楽が席に付き、他の奏者と同じ様に楽器を構える。  


 右からフルート、b♭クラリネット、アルトサックス、ホルン、バリトンサックス、ドラムで六人での演奏だ。


 部員、六人しかいないなんて本当に少ないんだなと花音は思った。


 花音は幼い頃からよくオーケストラや吹奏楽部の演奏を聞きに行っていた。


 そんな経験があっても、こんなに少人数の演奏を聞くのは初めてで、少し身構えてしまう。

 

 指揮棒が縦に振り下ろされた。それと同時に演奏が始まった。


 ドラムの拍を刻む音とともに、バリトンサックスとホルンによるメロディーでイントロが始まる。


 ずっしりと重い低音と軽快なドラムにより、これから演奏が始まるんだという高揚感を醸し出していく。


 まもなくアルトサックスとクラリネットも参入し、全員でAメロに行く。


 ホルンやアルトサックスのロングトーンを伴奏に、愉快なメロディーが乗っかる。


「この曲何?」


「分かった!『USA』だよ!」


 聞き覚えのありすぎるメロディーに、周りの子がざわざわと話し出す。


 冒頭のあの歌詞で誰もが知っているこの曲は、オリコン週刊7位を獲得し、NHK紅白歌合戦でも歌われるなど、爆発的にヒットした。


 軽快でノリノリの曲調が特徴のJ‐POPで、年齢問わず人気が高い。


 吹奏楽バージョンだと少し丁寧な印象が前面に出るが、それでも花音は聞いていてとても楽しくなり、気が付いたら曲と一緒に体を揺らしていた。


 さっきまで感じていた緊張や不安も、演奏を聞いた瞬間に一瞬にして消えてなくなった。


 音楽ってすごい力を持っている。心のこもった演奏は、それだけで聞いている人を元気にできる。


 だから、花音は音楽が好きなんだ。どんなに辛いことや悲しいことがあっても、音楽を聴けばそれらを忘れられる。元気を貰える。


 前で楽器を吹く先輩たちは、とてもかっこよく見えた。難しそうな楽器たちをあんな楽しそうに吹くなんて、花音はとてもすごいと思った。


 1年後、2年後には自分もあんなふうになっているのだろうか。


 なんだか想像もつかなくて、花音は少し不安になった。


 そんなことを考えていたら、演奏は終わりを迎えていた。


 司会進行を務めていた沙楽が再び前に出る。


「どうでしたか?この演奏を聞いて、少しでも吹奏楽っていいな!と思ってくれた子は、ぜび入部待ってます!」


 沙楽の笑顔は、周りがつい見惚れてしまうほどの可憐さを全面に振りまいていた。


 前に座る子が、『あの先輩かわいい…』とメロメロになりながら呟いた。


 なんか、あの先輩が居るだけで、特に何もしなくても新入生をたくさん稼げそうなのは気のせいだろうか。と花音は複雑な思いだった。


「では次に、楽器体験をしてもらいたいと思います!一年生はまずやりたい楽器のところに行ってください!」


 沙楽がそう言って初めて、花音はやりたい楽器を何も決めていなかったことを思い出した。


 花音は焦った。どうしよう、やりたい楽器なんて特にない。


 他の一年生たちはぞろぞろと立ち上がり、やりたい楽器のところへ各々移動している。


「どうしたの?」


 そんな中で花音だけ座りっぱなしだったので、気にかけた沙楽が花音の顔を覗き込み声をかけた。


「あ、えと…」


「あー!君この間の!」


沙楽は花音が先週準備室であった後輩であることに気がつくと、途端に笑顔になった。


「来てくれたんだぁ!嬉しいな!」


 沙楽はそう言うが、花音はつい『嬉しい?』と聞き返してしまいそうになった。

 

 花音は自分の存在を否定されたことはあっても、肯定されたことはあまりなかった。


 だから、なんで沙楽が喜んでいるのかがよく分からなかった。


「やりたい楽器とか決まってるの?」


「いや、特には…」 


 花音がそう答えると、『じゃあクラにしようよ!』と沙楽が言う。


『クラ』とは『クラリネット』の省略である。


 クラリネットとは木でできている縦笛で、リコーダーに形がそっくりな木管楽器の一種だ。


 柔らかい音が特徴的で、吹奏楽部では主にメロディーラインを担当するのでとても重要だ。


 沙楽は花音の手を引っ張ると、クラリネットの体験の場所まで連れて行った。


「クラリネット一人も居ないからさー」


 沙楽が寂しそうにそう言うので、花音は周りを見てみると、女の子は大半がフルートを体験していた。


 フルートとは鉄でできた横笛で、木管楽器の一種だ。


 高くて綺麗な音色が特徴的。知名度もそれなりに高く、特に女の子に人気の楽器だろう。


 体験では人が来すぎて楽器が足りていない様子で、吹けずに待機している子もいる。


 それにしても、クラリネットの体験が自分しかいないとなると、この可愛い先輩と二人っきり……


 花音はらしくもない邪なことを考え、少し胸が高鳴った。


 先輩の星のような目は、近くで見るとさらに輝きを放っていて綺麗だった。


 しかも、近づくと果物みたいないい香りもする。


「それじゃ、とりあえずマウスピースからね!」 


 沙楽はそう言うと、クラリネットの鞄型のケースの中からアイスの棒のような平たい木の欠片を取り出した。

 

「これが『リード』っていうの。ちょっと汚いんだけど、舐めて湿らせてくれる?」


 沙楽は花音にリードを渡す。


 これ、舐めるの?花音は少し抵抗感を感じたが、言われたままに口の中に入れた。


 舌にそっとリードを軽く乗せて、しばらくそのままにしていると、じわ〜と唾液でリードが湿ってくる。


 沙楽はその間に『マウスピース』と呼ばれる上部管だけ取り出していた。


 間近で見る楽器に、花音は少し高揚感を感じていた。


「それじゃ、ここの隙間に湿らせたリードを入れて。」


 『リガチャー』と呼ばれる銀色のカバーと、楽器本体の隙間にリードを差し込んで、ネジで固定する。


「よし!これで、先っちょだけ口に加えて、下の歯でリードをちょっとだけ噛んでみて。」


 口に加えると、なんだか思っていたより感触は悪く、ゴワゴワしていた。下の歯でリードを噛むと、パキッと割れてしまわないか心配になった。


「これでオッケー!このまま、思いっきり息を入れて!」


 言われたとおりに、全身で息を吸って思いっきり楽器に息を吹き込んだ。


 ……の、だけど。


「………」 


 花音が予想していたあの綺麗なクラリネットの音は、何故か出てきてくれなかった。


 ッー、ッー、と吹き込む息の音だけがする。


 花音はいくら息を吹き込んでも音らしい音が出ないので、だんだん焦り始めてきた。


「まぁまぁ!最初は出なくて当然だよ!」


 沙楽は笑顔だったが、結局、花音が吹くクラリネットから音らしい音は一度も出なかった。


    

    【  ♪  ♪  ♪  】

 


 5時になると、部活体験の一年生は帰ることになった。二、三年生は、このあと六時まで部活があるらしかった。


 はぁ、結局クラリネット全く音出せなかったな……と花音は落ち込んでいた。


 沙楽からは『花音ちゃんは金管向きなのかもね!』と励まされ、とりあえず明日はトランペット辺りをやることになったが。


 もし金管楽器も音が出なかったら、吹ける楽器がなくて入部を断られるのではないか…と花音は内心不安だった。


 せめて、一つでも音が出る楽器があればいいのだけれど。最悪、パーカッションになるのか…いや、リズム感0だしな…


「……あっ、」


 そんなことをぐるぐると考えながら階段を降りていると、先程花音が話しかけようとしたクラスメイトの里律が少し前で歩いていた。


 里律も花音同様に部活体験を終えて、帰る様子だった。周りには誰もいない。


 ……今なら、また話しかけられるかもしれない。


 花音は背負っている通学鞄の肩紐をギュッと握りしめると、思い切って歩くスピードを速めて、里律に追いつこうとした。


「あのっ…!」

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