第二楽章 「部活体験」

#06 話したくて

【4月16日】


「うう……」


 週末明けの、月曜日の放課後。花音は、この日もまだ学校に残っていた。


 なぜなら、今日は。


「体験楽しみだね!」


「ねー!先輩達、怖くないかなぁ?」


 花音の前に並ぶ女子二人組がそう話しているのが聞こえてくる。そう、今日は一年生の部活体験の初日。


 だから、吹奏楽部に体験に行く生徒たちはみんな音楽室の前に集合するのである。


 まだ時間にならないから、体験希望の子達はみんな音楽室の扉の前で待機している。


 ここが、悪評の立っている部活だとは思わないくらいには、予想外に体験希望の子たちはたくさんいた。 


 前見ても人、右見ても人、左見ても人、後ろ見ても人……ではなく、ただの壁だが。これじゃあ下を見るしかないじゃない。


 それにしても、花音にとってはとんでもなく居心地が悪い場所たった。


 普段の教室とさほど変わらないけど、教室はまだ自分の席があり、そこで過ごせばいいのでまだ楽ではあった。……居心地は悪いのは変わりないが。


 しかも周りの子たちは楽しそうに、一緒に来た友達と話している。花音はひとりな分、余計に居づらい。


 あぁ。なんで風歌、一緒に来てくれなかったのだろう。と、花音は心の中で親友に対して思った。



【♪♪♪】

 


『え、ちょっと待って風歌、体験だけは一緒に行ってくれるっていったじゃん……』


 遡ること数十分前。花音は、風歌が自分を残して他の場所に行こうとしていることに心から絶望していた。


『んー、確かに言ったけど、ふーは入るつもり無いのに花音と行ったら、後々花音が困らない?』


 風歌はあっけらかんとそう言うと、花音の肩をポン!と叩く。


『やっぱり、ふーは決めたの!花音には新しい友達を作って欲しいなって!だからごめん!でもね花音、せっかく部活に入るんだから、友達作りのチャンスだよ!』


 風歌はそれだけ言うと、花音を残して階段を降りようとする。


『いやちょっと待って待って』と花音は必死になって風歌の服を掴み引き止めた。 


 普段、花音が風歌に対してこんなにしつこく迫ることは無かったのだが、今回ばかりは話が違う。

 

『ちょっと待ってよ、そんなのわたしには無理だよ……』


 風歌が一緒に行くと言ってくれたから安心していたのに。急に部活体験に行くのが怖くなってきた。


 だって、ここから音楽室の前の様子を窺うことができるけど、みんな友達と来ている。


 そんな中で一人でいったら孤立していまう図は、花音の頭の中でもうできている。


『もー!とにかく周りの子に声をかけたらいいんだよ!』


『えぇ、でも…』


『ほら!あそこに居るの花音と同じクラスの子じゃない?』


 風歌が指を指した方を見ると、音楽室の前に立っているショートボブの女の子の姿があった。


 花音はその女の子のことを知っていた。だって彼女は花音のクラスメイトだから。


『あれ、一組の子だよね?』


『あ…うん、そう。同じクラスの子だよ。』


 風歌の言うことは合っていた。風歌は他クラスなのに、なんで顔を知っているのかは謎だったが。


『あの子もひとりなんじゃない?話しかけてみたら?』


『ええ、うーん…』


『んじゃ!あとは頑張ってね!』


 風歌は花音に考えさせる暇もないまま、手を振って階段を降りてしまった。


『あ!ちょっと…』



【♪♪♪】

 


 という感じで取り残された花音は、ひとりでここまで来るしか無かったのだ。


 確かに風歌の言うことは正しい。これまであの子に散々世話になってきたが、流石に中学校まで今のまま、だという訳にはいかない。


 もう、そろそろ自分の力の友達一人くらいは作れるように自立しなければいけないと、花音は前から薄々思っていた。


 しかも、先週の金曜日に花音とまさかの再開を果たし、まさかの吹奏楽部への入部を希望していた響介も、今日は来ていない。


『体験?行かねーよ、もう入るって決めてるのにめんどくせえから。』


 響介はそう言っていたから、きっと明日も明後日も来ないだろう。


 入るつもりでいるなら、事前に楽器体験や、部活の雰囲気を知っておきたいと思うことは普通だと思うのだが。 

 

 花音は響介の思考回路がよくわからなかった。


 花音はちら、と横を見る。


 少し離れた先には、先程風歌が指さしたショートボブの女の子が立っている。


 彼女は一年一組の教室で、花音の四つ前の席に座る、加藤かとう里律りつというクラスメイトである。


 彼女とは確かに入学して以降、毎日のように同じ教室で過ごしている。ご立派なという関係で結ばれている。


 しかし、クラスメイトと友達は似ているようで大違いの単語だ。現に花音は、里律と全く関わったことがない。

 

 花音はそもそもクラスメイトとの関わりが全くない一方、里律は確かいつも決まった友達と数人で行動していたような気がする。


 花音は里律に対して、特別に目立っているとかクラスの中心人物だとか、そういう感情を抱いているわけではない。


 むしろ、里津はどちらかと言えばあまり目立たないタイプだろう。少なくとも花音から見れば。


 だが、里律がどんな性格だったとしても、話しかけることの難易度が変わるわけではない。


 というか、そもそもあちらはクラスの隅っこに潜んでいる花音の存在を認識しているのだろうか。まずそこからが不安だ。


 とはいえ、今なら里津も場所的には花音と似た立ち位置にいる。


 花音が里津に話しかけるのなら、この今が絶好のチャンスであろう。


 まずは物理的な距離が遠いので、そこから詰めてみよう。


 花音はそう思うと、周りから見て不自然に思われない程度に、里津に少しづつ近寄った。


 一歩、また一歩と少しずつ近寄る。


 花音は里津の様子をチラチラを伺っていたが、里津は近づいてくる花音の存在に気が付くことはなかった。


 里津は無表情で、ずっと自分の指のささくれをいじっていた。


 流石にこれ以上近寄るのは無理、というところで止まると、次はなんて話しかけようかと、花音は考えた。


『こんにちは!』……いやさっきも会ったわ!

『やっほー!』 ……いや流石に慣れ慣れしすぎ! 

『何してるの?』……いや部活体験!


 だめだ!何を言っても失敗する未来しか見えない!花音は絶望した。


 とはいえ、このチャンスを逃したくはない。


 考えに考え抜いた結果、無難に『吹奏楽部に入るんですか?』と聞くことにした。


 これなら『うん』と言われて、『わたしも』と言えば話が続きそうだし、変に馴れ馴れしくもない。


 最後は話しかけるのみ。しかし、ここが一番の最難関だ。


 さぁ!いざ話しかけよう!そう決意した瞬間、心臓が急にバクバクと激しく鳴り出した。


「あっあっあ……あの…」


 喉の奥からしぼりだしたような声は、鳥の鳴き声よりも小さいだろう。


 怖い、と花音は思った。


 怖くて声が出ない。心臓が破裂しそうだ。目を見て話さなきゃと思うのに、首すら動かない。


 もし、相手が自分のことが嫌いだったら?話しかけて冷たくされたら?友達になりたくないと思っていたら?


 相手が何を思っているのかもまだわからないのに、嫌な妄想が次々出てきて止まらなくなる。


 花音はいつもこうだった。


 誰かと友達になりたくて、勇気を出して話しかけてみようとしても、結構一歩が踏み出せないまま終わってしまう。


 でも、これからやっと念願の吹奏楽人生が始まろうとしているところなんだ。


 なのに、このままじゃ前の自分と何も変わらないじゃないか。でもそれじゃあ、花音は嫌だった。


 だから、勇気を振り絞った。


「あの…!」


「うわぁぁぁ!」


……花音が勇気を出した第一声は、悲しくも音楽室の扉を勢いよく開ける音と大きな歓喜の声で、跡形もなく掻き消された。


「なんでこんなに一年生来てるの?!凄い!!」


 音楽室から出てきたのは、副部長の沙楽だった。花音が先週この場所で会った、あの可愛い先輩だ。


 沙楽はひどく驚いている様子だった。食い入るように体験に集まった一年生たちをぐるっと見回すと、音楽室を覗いて叫んだ。


「みんな!一年生めちゃめちゃ多いよ!十人以上は居る!」


 すると、中から『ガチですか?!』とまたまた歓喜の声。


「えっと、ここにいる子達は吹奏楽部の体験…ってことだよね?」

 

 興奮冷めやらぬといった様子で沙楽が聞くと、体験の一年生の中からまちまち『…はい』『…そ…す』と応答の声が聞こえた。


 沙楽は目を輝かせながら嬉しそうに笑うと、


「吹奏楽部へようこそ!中に入って!」


 と、沙楽は一年生たちを案内した。一年生たちがぞろぞろと音楽室の中に入る。花音も入った。 


 音楽室はやっぱり広かった。黒板の前にグランドピアノが置いてあり、壁中に防音の小さな穴が空いている。


 座席には、楽器体験の準備なのか、各楽器がいくつも置いてある。


 椅子が何個もずらっと並べてあり、一年生はここに座るように言われた。 


 花音は一番端の席にそっと座る。


 前には楽器を持った先輩たちがぞろっと……いや、ぞろっとと言えるほど人数はいないが、準備万端で席についていた。


「一年生の皆さん!今日は吹奏楽部の体験に来てくれてありがとう!」


 沙楽は前に立ってそう言うと、指揮台に立っている顧問の吹雪がさっと指揮棒を構える。 


 すると、先輩たちがほぼ一斉にさっと楽器を構える。


「楽器体験の前に、今日まず一曲、わたしたちの演奏を聞いてもらいたいと思います!」


 


 




 


 






 

 



 





 


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