#04 ひとりぼっちの音符

「おーいっ!花音っ!」


「うわぁっ?!」


 楽器庫を出た後、花音がひとりで帰っていると、突然背中とばしっと叩かれた。


「めずらしーじゃんっ!花音がこんなに遅くに帰ってるとか!」


「風歌…」


 風歌は人懐っこい笑みを浮かべると、花音の隣に並んだ。


「風歌、今日友達は?」

「ああ、ふーが先生に呼ばれてたから、先に帰ってもらったよ!」

「何で呼ばれたの?」

「宿題の漢字ノート出してなかったから!」

「風歌…」


 花音の唯一の親友・西江風歌にしえふうかは、かつて花音が『ふーちゃん』と呼んでいた、花音の近所に住むもうひとりの幼馴染だ。


「花音もそんなカンジ?」

「んーわたしは…」


 風歌は『ふーちゃん』だった頃と全く変わっていない。いつもニコニコで明るくて人懐っこくて、友達もたくさんいる。


 引っ込み思案で鈍臭くて、人間が超苦手な花音とは正反対だが、風歌は今でも花音とこうやって仲良くしている。  


「まぁ、ちょっとね」


 さっき起きた出来事をどうやって説明していいか分からず、曖昧に言葉を濁した。


「そういえばさぁ〜!もうすぐ部活体験が始まるね!」


 風歌は足をぴょんぴょん跳ねながら、楽しそうにスキップをし始めた。


「あー…」

「花音はやっぱ吹部?」

「うん、まぁ…」 


 風歌の問いに、花音は迷うことなくそう答えた。


「じゃないと、若中に来た意味がないし…」

「だよね。ふーも西中と迷ったけど、やっぱり友達が多い方がいいかなって思って…」


 花音と風歌が住んでいる地域からだと、若の宮中学校の他にもう一つ、隣の西雲町にある西雲中学校に進学することも可能だった。


 場所的にはふたりとも西中の方が近く、なんなら西中は校舎の綺麗さも通いさすさも若中よりもずっと良くて、割と好条件の中学校なのだ。


 だが、ふたりの母校である若の宮小学校からは若の宮中学校に進学する人がほとんどであるため、風歌はこっちを選んだと言っていた。


 そんな風歌とは裏腹に、元々友達がほとんどいない花音にとってそれはあまり重要ではない。


 花音はあくまでにここを選んだのだ。


「やっぱり花音は吹部だよね!だって昔からずっと入りたいって言ってたもんね!ふー、花音が演奏するところずっと見てみたいって思ってたんだぁ〜!」

「気が早いよ。下手くそだったらコンクールにも出られないかもしれないのに…」


 花音がそう言うと、風歌が不服そうに頰を膨らませた。


「んもー!入部してもないのに、またすぐ悪い方に考えて!花音ってばネガティブなんだから!」 

「いたっ!」


 風歌が花音の背中をバシッと叩いた。風歌は自覚していないだろうが、風歌は握力が強い方なので、結構痛かった。


「ピアノも歌も聴音もできる花音が楽器吹けないわけないじゃーん!」

「それは昔からやってたからね…風歌は?」


 風歌に質問を投げ返す。風歌は『えっと…』と少し間を置いて、


「バレー部にしようかなって」

「バレー部?」

「うん、クラスの子に一緒に入らないかって誘われたの。吹部もいいなって思ったんだけど、ふーは音楽全然できないからさぁ」


 風歌の答えに、花音はすぐに納得した。


 風歌は昔からじっとしているよりも、体を動かす方が性に合うと言っていた。特に室内球技のバドミントンやバレーは大得意で、本人も『楽しい』といっていたから。


「風歌にピッタリだと思うよ」

「えへへ、そうかなぁ。じゃあ頑張っちゃお!」


 風歌はそう言ってあかるく笑った。花音も同じように笑いながらも、そうやって言い切れる風歌に対して密かに羨望を抱いていた。


 わたしなんて、先輩や先生に優しく勧誘されても怖くて逃げ出してきちゃったのに。花音は自分が情けなく思えた。


 こんな自分が、をちゃんと果たせるのだろうか。

 

 ができるのだろうか。



【♪♪♪】

 


「ニャ〜」


 風歌と別れると、花音は自宅の近くにある『キタガミ楽器店』の桜の木の下で、白黒のボーダー柄の猫が居るのを見つけた。


 その猫は、さっきから仕切りにぴょんぴょんと跳ねながら、木から落ちてくる桜の花びらを懸命に掴もうとしている。


「メロディー!」


 花音はその猫の名前を呼ぶと、猫の、メロディーの近くに駆け寄った。


 メロディーは花音に気がつくと、花びらを掴むのをやめて花音に駆け寄った。


「ただいまぁ!」


 花音はしゃがみ込むと、メロディーの毛を優しく撫でた。


 メロディーは花音の膝の上に寝転がると、ニャンニャンと鳴きながら、花音に甘えてくる。


 花音はふふふ、と笑った。花音が一日の中で最も笑顔になるのは、メロディーと戯れるこの時間だ。

 

 メロディーは、『キタガミ楽器店』の店主である『キタガミおばあちゃん』の飼い猫だ。

 

 今でも覚えている、花音が小学一年生だった夏休み。きょーちゃんとふーちゃんと三人で、毎日のように楽器店で遊んでいたときのことだった。


 ある日、キタガミおばあちゃんが『今日からこの子も家族になるから、名前を三人で考えてね。』と連れてきたのが、まだ子猫だったメロディーだった。


 メロディー当時は左足を怪我していて歩けず、更に痩せ細っていて、お世辞にも健康そうには見えなかったのを覚えている。

 

『メロディー』という名前を考えたのは花音だった。白と黒のボーダー柄の体毛が、ピアノの鍵盤にそっくりだと思ったから。


 きょーちゃんが『ピカチュウがいいと思う!』なんて言い出したときは大変だったなぁ。


 足を怪我して痩せ細っていたメロディーも、今では食いしん坊で丸々と太っていて、元気に町中を走り回っている。

 

 と、花音が昔の思い出に浸っていると、


「のんちゃん、おかえり!」


 楽器店の入口で掃除をしていたキタガミおばあちゃんが、メロディーと戯れている花音に気がついたのか、花音の目の前まで行くと、声をかけた。


「あ、おばあちゃん…」


 花音もそんなキタガミおばあちゃんに気がついた。


 色褪せたエプロンをつけて、優しそうに微笑むおばあちゃんは、昔と全然変わっていない。もう六十代半ばだろうが、それでもまだまだ元気だ。


「……ただいま」


 花音がそう言うと、おばあちゃんは『ああそうそう』と花音に近寄る。


「前に欲しいって言ってた楽器の本、この間ようやく見つかったのよ。今読んでく?」


 途端、花音は別人のように目を輝かせる。


「……本当?!じゃあ読んでく!」

「分かったよ。じゃあちょっと待ってて、おばあちゃんがもみじ饅頭作ってあげるから」

「ええ、いいのにそんな…」

「若者が遠慮しなさんな!そういえばのんちゃんの中学祝いもまだだったしねぇ」


 花音は手を振って遠慮したが、おばあちゃんの好意に押されて、花音はキタガミ楽器店にお邪魔することになった。



【♪♪♪】


「えーっと餡子と…」


 おばあちゃんが台所でもみじ饅頭を焼いてくれている間、花音は居間で用意された座布団の上に座る。


『キタガミ楽器店』は、デパートや町中にあるようなお洒落な楽器店とはかなり違っていて、木造建築の古家でおばあちゃんがひとりで営んでいる店だ。八百屋や青果店なんかと似た雰囲気かもしれない。


 並んでいる楽器も少し色あせていたり、種類もあまり多くないが、町の楽器屋で買うよりもよっぽど値段が安いらしい。

 

 ここで買うのが一番だと、花音のお母さんは言っていた。


 出された熱いお茶をちびちび飲みながら、饅頭ができるのを待つ。


 ポップな字体で『音楽をもっと好きになる本』と書かれた冊子を、花音は興味深く読み込む。


 棚の隅に置かれているラジオでは、さっきから音楽番組のオーケストラの演奏が流れている。感情込めたバイオリンの音色はとても綺麗で、聴いていて心地よい。


 ふと、花音が冊子から目を離すと、ブラウン管のテレビ台の上に、カラフルな八つの音符が飾ってあるのが目についた。


『とびだせ!おんぷちゃん』シリーズのミニぬいぐるみだった。


『おんぷちゃん』とは、ガチャガチャが発端の人気のキャラクターである。八分音符の形をしており、丸くて可愛らしいフォルムが特徴的である。


『ドレミファソラシド』の全八種類の主要キャラクターに加え、他にも追加キャラや敵キャラなども豊富だ。


『おんぷちゃん』は形は同じだが色はそれぞれ違い、また性格なども細かく設定されている。


 誕生したのがもう二十年近く前だが、今でも愛され続けていて、ガチャガチャの他に、ぬいぐるみ、文房具など、様々なバージョンも発売されている。


 毎週木曜日の四時から子供向け番組でアニメ放送もされている。


 花音も小さい頃はよくこの居間のテレビでリアルタイムで見て、家に帰ってから録画を何回も見返していたくらい、好きだった。


 かわいいなぁと思いながら眺めていると、突然なんの音沙汰もなく、水色の『ラーちゃん』という子だけがその場にパタンと倒れた。


 そのままテレビ台から落ち、小さな音を立てて、畳の上に転がった。


 すると、綺麗に並んでいたおんぷちゃんたちの見栄えが一気に悪くなった。


「あっ……」


 花音はそれがとても気になった。元に戻そうとして、畳の上に転がっている音符に手を伸ばす。


 しかし触れる瞬間になって、ふいに手を止めた。

 


『どっか行ってよ。邪魔』

『ほーらまたすぐ泣く』

『あんたって何もできないんだね』

『お前なんかいらない』



 一列に綺麗に並んである音符たち。


 それはまるで、一人の仲間が居なくなったことなんて、気にもしていないようだ。


 仲間から外された音符は、畳の上に暗い影を落として横たわっている。

 

 その姿は、あまりにも寂しそうだった。


「ばーちゃん!あのさー」


 そのとき、二階から男子の声が近づいてきた。花音はハッとして、急いで座布団の上に座り直す。


 階段を下りる足音がして、誰かがこっちに向かっている。

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