第一楽章 「六年後……」

一年目 四月

#01 変わらない毎日

【2020年4月13日】



「……みやさん!」



 あれ、どこかから声が……


 


篠宮しのみやさん!!」


 誰かに大きな声で名前を呼ばれ、花音かのんはハッとして目を覚ました。


 目を開けると、そこはいつも通っている教室だった。


 教卓では、担任である横山先生が立っている。

 

 他のクラスメイトは全員席についている。

 

 そして前の席の女子は、花音に一枚の紙を差し出している。


「篠宮さん、入部届け!」

「えっ…」


 そこでやっと気がついた。今は帰りのSHR中で、先生が部活について話をしている。


 その間に、いつの間にか眠ってしまったらしい。 


「あっ、ごめん…」


 花音はペコペコと謝りながら手を伸ばし、入部届けを受け取った。


「えー、今みんなに入部届けを配布したと思うんですけどね、ここに部活動名とね、自分の名前とね、保護者の名前を書いてね、来週の水曜日までに担任である僕に届けてくださいね」


 先生がそう言うと、クラスメイトたちからまばらに『はーい』という声が聞こえた。


 若くて少し小太りの男性教師・横山先生は、文末に必ず『ね。』とつける癖がある。『ね。』の主張が強すぎて、彼の話はそれしか頭に入ってこない。


 クラスメイトたちはどことなく落ち着かない様子で、いつもに増してざわざわしている。


 『何に入る?』『運動部がいいなー』、そんな声がどこからともなく聞こえてくる。入学したばかりの中学一年生にとって、部活選びは一大行事だ。 


 そんな中、花音はひとり考え事をしていた。

 

 窓の外から見える、すっかり花びらが散ってしまって、黄緑の葉ばかりになった桜の木を眺めながら。 

 

 ……もう、あれから約六年が経った。


 今の花音は、もう中学生だ。もう、おねえちゃんくらいのだろうか。



【♪♪♪】


 気づけばSHRが終わり、放課後になっていた。


 クラスメイトたちは友達同士で固まりだし、続々と教室を出て行った。さっきまでみっちり埋まっていた教室の机が、少しずつ空白になっていく。

 

 花音は明日提出の課題と筆箱を鞄の中に入れると、誰のことも待たずに教室を出た。


 ……もとより、花音には待たなければいけない友達など居ないが。 


 花音は教室を出たあと、他の生徒が行く方向の流れと逆らうように、反対方向に向かった。


 階段は西階段と東階段の二種類あるのだが、生徒の殆どは教室から近い東階段を使う。


 だから花音はあえて、人が少ない西階段をいつも使っている。


 廊下には、下校せずに友達や先生と立ち話をしている生徒も多く居た。


 人がたくさんいる場所は、やはりこっちが一人きりだと何かと通りにくい。早く抜けたい……


 すると突然、後ろから『邪魔!』という怒鳴り声と共に、花音の背中に『ドンッ!』と衝撃が走った。 


 その衝撃で、肩から掛けていた鞄が廊下の隅にボトッと落ちる。


「あぁ。ごめんね?」


 よろめいて転びそうになったのをなんとか堪えると、背後から嫌味たらしい声が聞こえた。


 ……あぁ、またか。


 花音はこの声を、もう嫌だというほど聞いてきた。聞き間違えるはずもない。


 嫌々ながらも振り返る。そこにはその声の主であるツインテールの女子と、その周りを囲む四、五人の女子たちが、花音を見ながらニヤニヤとほくそ笑んでいた。


「ごめんねぇ、あんた居たんだ。相変わらず陰が薄いから気が付かなかったぁ」


 彼女らは申し訳ないと思っている素振りを一切見せず、一度に声を上げて笑い出した。


 ……どうして、中学校まで山下やましたさんたちと同じなのだろう。


 今だって、どうせわざとぶつかってきたのだろうと、花音はすでに勘ぐっていた。


「今日もひとりぼっちなの?もう入学式から一週間だけど、一緒に帰る友達すらできなかったの?流石にヤバいでしょ。ねぇ?」 


 わざとらしく首を傾げる。その動きに合わせて、大きなツインテールがぴょこんと揺れる。女子のボス的な存在である山下愛梨あいりは、昔からずっと花音に対してこんな調子であった。 


 花音ももうすっかり慣れていたため、こんなことを言われても泣いたり、動揺したりはしない。


 黙って、俯いて、心を殺して、時間が過ぎるのを待つだけだ。


「まぁ、あんたはひとりで陰に潜んでるのがお似合いじゃない?そのほうが誰も迷惑かかんないしぃ」


 プッ、と誰かが吹き出し、それにつられるようにその場には笑いが起きた。耳に劈く甲高い声。自分に向けられた嘲笑を、花音は黙って聞いた。


 愛梨はそれで満足したのか『じゃ〜ね〜』と、友達と笑いながら去って行った。


 花音はその場に突っ立っているままだった。


 たまたま近くに居合わせてしまった無関係の女子たちは、花音を憐れむような眼で一瞥し、何かヒソヒソと話し始めた。

 

 そんな同情的な視線にだってもう慣れているはずなのに、今更、悲しみにも似た惨めな気持ちになった。 


 しばらく立ち尽くした後、床に落ちた鞄を拾うために屈んだ。そのとき、ちょうど教室の扉の窓に自分の姿が反射した。


 花音は反射した自分の姿を眺める。


 焦げ茶色の癖っ毛が酷くボサボサの髪と、目元にまでかかっている長すぎる前髪のせいで、顔はほとんど隠れていて見えない。


 無駄に人よりも背が高いのが恥ずかしくて、それを少しでも隠そうと、常に俯いて猫背。


 その姿は、まさに根暗さや陰気さを醸し出している。そんな自分を見ていると、花音はいつも憂鬱な気持ちになる。

 

 愛梨の言うことは間違ってはいない。すべて、今の花音にそのまま当てはまっているからだ。


 昔から何ひとつだって変わっていない、変われない自分と。


 そんなことを考えながら、花音は自分の酷い見た目から目を逸らし、鞄を拾い上げる。


 ……居心地が悪い。早く出たい。早く帰りたい。花音はそう思って、逃げるようにその場を去った。

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