私と一緒に、地獄に落ちてください

川木

地獄

「お姉ちゃん、地獄って、どういうところだと思いますか?」


 休日の昼下がり、穏やかな時間に似合わない単語をぶっこまれた。そんな物騒な質問をしてきたのは妹の詩子ちゃんだ。顔をあげると、私の肩に頭を預けたままにこっと笑う詩子ちゃんと目が合う。


 詩子ちゃんは私の三つ下の妹だ。今でもはっきり覚えている。詩子ちゃんが生まれた時のこと。私の一番最初の記憶は、詩子ちゃんが生まれた時の愛らしい笑顔。両親のことももちろん大事だけど、私の人生は詩子ちゃんが生まれた時から始まったようなものだ。少なくとも物心がついたのはその頃なのだから。

 そんな可愛い可愛い詩子ちゃんを、私はずっと可愛がってきた。小さな私にできることは少なかっただるけど、できるだけお世話をしたし、いいお姉ちゃんであろうとした。


 そして実際、詩子ちゃんは私を慕う可愛い可愛い妹として成長してくれた。中学二年生になる今も、こうして休日はわざわざ私の部屋に来て私にくっついて本を読むくらい、とっても可愛い妹だ。

 詩子ちゃんは高学年くらいからちょっと中二病がはいったのか、私に敬語をつかいだした。ぐんと大人びてもともと美少女なのにますます磨きがかかって、お人形さんみたいにはっとする美しさまである。頭のいい子だったけど、今では私も読まない小難しそうな本を読んでいる。私なんか普通にマンガ読んでいるのに。


 そんな詩子ちゃんなので、突拍子もない質問をされるのもこれが初めてではない。いつも私にできるだけいいお姉ちゃんとしてちゃんと質問に答えるようにしている。のだけど、これまた難しい質問をされてしまった。地獄がどういうところか? 考えたことがない。


「定番で言えば、釜茹でにされるとか、針の上を歩かされるとか、そういうのだけど、7種類くらいあるんだっけ?」

「そういう絵本的なのじゃなくて、お姉ちゃんにとって地獄ってどういうものかを聞いてるんです」

「えー」


 絵本的って。まあ実際、昔詩子ちゃんに読んであげていた絵本でそんな感じの絵本を読んだことはある。うまいこと地獄を渡り歩いていく感じのやつ。よく覚えてないけど。

 でもすぐにばれてしまうとは。あの頃詩子ちゃん幼稚園なのに絵本の内容ちゃんと覚えてるのか。さすが詩子ちゃん。幼児の頃からかしこいねぇ。


 それはさておき。私にとって何が地獄か? また面倒くさい質問だ。いいお姉ちゃんならなんと答えるだろうか。妹にふさわしい答えはなんだろうか。

 ようは詩子ちゃんはぼんやりしたイメージの地獄じゃなく、現実的に今生きている世界でどういうものが地獄か知りたいんだろう。どう生きるのが地獄か。つまり、こうなりたくない、こうなっちゃいけないというのを教えればいい。


「そうだね、例えば孤独とかかな。人は一人では生きていけないからね。親も友達も誰もいない一人きりで生きていかなければならないとなれば、それはとても辛くて地獄のように苦しいだろうね」

「そう、ですね。お母さんやお父さん、みんながいなくるのは、私も悲しいと思います」

「うん、そうだね。だからそうならないように、人の信頼を裏切っちゃだめだよ」


 信頼関係と言うのは、築くのは難しいのに、失うのは一瞬だ。世界と言うのは広いようで狭い。今自分がいる、自分を中心とした認識できる範囲の世界と言うのは小さくて狭くて、失ってしまえば精神的にどれだけ追いつめられるだろうか。

 人の気持ちを察するのは難しい。だからこそ考えないといけない。何が正しいか。自分にとっての正解を考えないといけない。私にとっての正解は、詩子ちゃんのいいお姉ちゃんでいることだ。

 いいお姉ちゃんとして、詩子ちゃんが幸せなのを見守ることだ。詩子ちゃんが笑顔でいられるように、詩子ちゃんが地獄に落ちないように、詩子ちゃんの信頼を裏切らないように。いつもそれを考えている。


「お姉ちゃんはいつもいい子ちゃんですもんね」


 だというのに、詩子ちゃんときたら辛らつだ。ジト目になって私を見上げるのをやめ、つまらなさそうに私の太ももを意味なくたたいた。

 いい子ちゃん、まあ、詩子ちゃんからしたらそうだろうね。優等生で、親の言うこともよく聞いて、日々真面目に生きている。

 中二病で反抗期もはいっていて最近親に対してつんつんしている詩子ちゃんからしたら、私の行動はちょっと鼻につくのだろう。


 でもね、それでも私のことが好きでこうして傍にきてくれる詩子ちゃんだから、私は自分を変える気はない。このまま、どこまでもいい子ちゃんでいるよ。


「詩子ちゃん、いい子ちゃんっていうのは、生きるのが楽なんだよ」


 人に信頼してもらえる。失敗してもごまかせる。許してもらえる。細かく詮索されない。いい子ちゃんと言うのは、悪口にはならない。そういうのがまだわからない、思春期の詩子ちゃん。とっても可愛い。大好き。


「お姉ちゃん……私には、よくわかりません。楽じゃなきゃ駄目ですか?」

「駄目じゃないけど、楽な方がいいでしょ。誰だって、茨の道より、コンクリートの上が歩きやすいし、レールが引かれれば寝ぼけてたって進んでいけるんだから」

「お姉ちゃんって、ほんと、実は性格悪いですよね?」

「そう? 詩子ちゃんにとっていいお姉ちゃんのつもりだけど」


 詩子ちゃんに整備された道を歩いてほしい。詩子ちゃんに楽に生きてほしい。毎日笑顔になれる、幸せな人生を選んでほしい。そう思うからこそ、こんなどうでもいい日常の雑談でも、真面目にちゃんとアドバイスをしているのに。


 詩子ちゃんはどこか呆れた様子でため息をついた。そして私の隣に座った状態からころんと転がり、ベッドの上に伸ばしている私の足の上に頭を置いた。膝枕状態になり、開いていた本も閉じて甘えん坊の姿勢だ。


「ん……いいお姉ちゃんではありますけど。でも、いいお姉ちゃんじゃなくても、私はお姉ちゃんのこと、好きですよ」


 そう言って詩子ちゃんは目を閉じた。そっと頭を撫でる。


「ありがとう。私も詩子ちゃんのこと大好きだよ」


 そしてだからこそ、私はいいお姉ちゃんでいるんだ。詩子ちゃんはそのままじっとして、寝ちゃったみたいだ。


 本当に、可愛い。反抗期らしく私のことをちょっと小ばかにしてくるところも、その癖私に愛されている自覚があって躊躇なく甘えてくるところも、しぐさも声音も全部全部可愛い。

 だからこそ、いいお姉ちゃんでいなくてはならない。そうでなくなったら最後、私はすべてを失ってしまうから。


 孤独が地獄だ、と言うのは我ながらうまいこと言ったと思う。友達からはぶられたり、タイミングがあわなくて一人で行動することになったとか、ちょっとしたことで孤独を感じることはあるだろう。わかりやすいつらいこととして説明できたと思う。

 本当は何がつらくてどんな状況が地獄かなんて人による。それこそいじめを受けているとか、周りの人から嫌われて針の筵だとか、ちょっと孤独くらいよりもっとつらいのはいくらでもあるだろう。逆に何もないように見えて、友達もいて親もいて、それでも辛いと感じる人だっているだろう。


 そう、私にとっても。私にとっての本当の地獄は、今だ。


 いつからだろう。詩子ちゃんが、私の最愛の妹が、ただの妹ではなくなったのは。

 詩子ちゃんの体が成長してきた時か、詩子ちゃんが友達と仲良くしているのを見た時か、詩子ちゃんと一緒にお風呂にはいるのをやめた時か、部屋を別にした時か。

 今となってはわからない。だけど今、私にとって詩子ちゃんは女の子として、魅力的に映っている。可愛くて、愛しくて、それ以上に思っている。キスをして触れ合いたい。

 今私の膝の上にいる詩子ちゃんが、いつか私から離れて他の誰かと恋人になるかと思うと、気が狂いそうだ。いっそのこと、いますぐ詩子ちゃんを私のものにしてしまいたい。


 いつか失わなければならないなら、今すぐ私の手ですべてを奪ってしまいたい。

 どこにも行ってしまわないように、私の手の中に閉じ込めてしまわない。

 まだ何もわかっていない詩子ちゃんなら、私のいいようにして自分のものにできるんじゃないか。


 そんな風に、思ってしまう私がいる。

 今だってそうだ。私のすぐ手の届く距離、触れ合う熱を感じて、ずっと我慢をしている。無邪気に私を慕ってくれる詩子ちゃんに、私はずっと欲望を感じている。こんな風にどうしようもない自分勝手で醜い自分が、大嫌いだ。

 毎日、いつだって無防備に私を慕ってくれる詩子ちゃんの姿を見る度、私は生殺しにされて、同時に自分の醜さが私を苦しめる。


 こんな気持ちは知りたくなかった。これが恋だというなら、一生恋愛感情と無関係でいたほうがましだった。

 相手はほかでもない、血のつながった姉妹である詩子ちゃんなのだ。詩子ちゃんからしても気持ちが悪いだろう。知られたら最後、詩子ちゃんに拒絶されるだろう。詩子ちゃんだけじゃない、親だって、友人だって、世間だって、この思いを肯定する人は私を含めて誰一人いないのだ。

 世界にはあきれるくらい人であふれているのに、許されない相手に恋をしてしまうなんて、不毛だ。しかも手に入らないならと暴力的な欲望が出てしまうなんて、人間としてもクズすぎる。


 詩子ちゃんには幸せになってほしい。詩子ちゃんは優しくて幼いから、今、無理やりお願いすれば恋人になれるかもしれない。今だけのお遊びとして、ごっこ遊びで夢を見られるかもしれない。だけどそんなことをすれば、私は取り返しがつかないほど詩子ちゃんを自分のものにしてしまうだろう。

 詩子ちゃんに恋をしたと自覚した日から、私の欲望がはっきりした日から、私は世界で一番私を信用できない。


 本当に、地獄だ。大好きで幸せになってほしいほど愛おしい詩子ちゃん。その詩子ちゃんを毒牙にかけたくて、めちゃくちゃにしたくて、泣き顔だって想像したら興奮してしまう。

 優しくしたい。好かれたい。笑ってほしい。それもまぎれもなく本音なのに、同時に詩子ちゃんの人生に私が刻み付けられて絶対に忘れられないくらい傷つけたいのだ。

 感情がいつでもめちゃくちゃで、頭の中は相反する感情でパンクしそうで、

めまいがしそうだ。


 そんな自分を、私はいつも抑えている。いいお姉ちゃんでいるために。それは一番最初、私が詩子ちゃんをただただ純粋に思っていた時からずっと願っていることだから。

 いいお姉ちゃんでいる間だけは、私の醜い欲望は抑えることができるから。


 だからずっと、真面目が過ぎて馬鹿をみるとしても、ほかならぬ詩子ちゃんにあきれられるとしても、私はいいお姉ちゃんでいなくてはならない。いいお姉ちゃんの仮面をはずした時、私は詩子ちゃんの傍にはもういれないから。


 本当に苦しい。全部投げ出して、逃げ出したい気持ちもある。誰だってそうだろう。地獄にずっといたい人なんていない。でも、嫌だ。少しでも詩子ちゃんと一緒にいたい。

 だってこの地獄は永遠じゃないから。詩子ちゃんはいつか大きくなれば、自然に姉離れをして、私から離れていく。他の誰かを見てしまうのだ。だからそれまでの、期間限定の地獄。


「……詩子ちゃん、大好きだよ」


 そっと詩子ちゃんの髪に触れていた手で、起こさないように額から鼻筋まで触れる。瞼に触れた指。このまま押し込めば、詩子ちゃんの目は、私を最後に見たまま他の誰かを映すことはない。

 ぞくりと、背筋が震える。そうしたら、どんな気持ちだろうか。詩子ちゃんの眼球はどんな感触だろうか。それを味わうのは世界で私が最初で最後なのだ。私も寝てしまって、うとうとして、うっかり。なんていう言い訳はへたくそすぎて通じないだろう。詩子ちゃんに憎まれるだろう。

 人生が終わりだ。そもそも詩子ちゃんの人生から目を奪うなんて、絶対にしてはいけない。絶対にいけないのに、どうして私はこんなことを考えてしまうのだろう。


 そっと指先を頬に滑らせる。ぷにぷにしたほっぺた。気持ちいい。その刺激のせいか、少しだけ詩子ちゃんの唇を弧を描いた。

 それだけで、私の心の中からすっと薄暗い気持ちがなくなる。なんて可愛らしいんだろう。ああ、ずっと幸せに、清らかで、なんの憂いもない道を歩いてほしい。死ぬまでずっと、苦労を知らず笑顔以外を浮かべる暇もなくて、涙の雨の降らない人生を送ってほしい。


「ふふ、可愛い」


 だから、これでいい。私は最後まで、この地獄を楽しむのだ。いいお姉ちゃんとして、死ぬまで地獄で生きてもいい。

 詩子ちゃん、この世は地獄だよ。でもだからこそ、私は幸せだよ。









 地獄って何。なんていう、それこそ子供じみた私の質問に、お姉ちゃんは真剣に答えてくれる。

 それも生真面目に、信頼を裏切っちゃダメ、なんてことを真剣に言う。道徳の先生だって、こんな急にそんなことを言わないだろう。もちろん私の質問自体が急で唐突だったけど。


 でも、言いたいことはわかる。味方がいないって、きっと地獄だ。私もお姉ちゃんもまだ子供だけど、それでも嫌なこと、つらいことが一度もなかったことはないだろう。私は顔が可愛いから、ちょっとそれで変になったことがある。

 小学生の時だ。その時、お姉ちゃんがずっと私の味方でいてくれた。励まして傍にいてくれて、下校時にからかわれた時に代わりに怒ってくれた。そんな親身になって、私以上に怒ったり悲しんだりしてくれるお姉ちゃんがいなかったら、きっと辛くてたまらなかっただろう。

 そしてそれと同時に、私はお姉ちゃんがどんなに私にとって大事で、お姉ちゃんが私の心の支えなのか知った。


 今、お姉ちゃんは私だけのお姉ちゃんだ。お母さんよりお父さんより、お姉ちゃんは私を世界で一番大事にしてくれてる。私はお姉ちゃんにとっての一番なんだ。

 だけど、それは永遠じゃない。お姉ちゃんは私より年上で、私より大人だ。私より早く一人前になって、どこかに行ってしまうんだ。それに気づいて、私は、自分の気持ちに気が付いた。


 お姉ちゃんが私以外の人を一番に思うなんて、絶対に嫌だった。私を一生見ていてほしい。いつだって一番愛してほしい。

 これはただの家族に向ける愛じゃない。もっともっと大きな感情だ。これこそが、恋と言うものだ。


 お姉ちゃんが誰かと手をつないでいるなら、それは私じゃなきゃ嫌だ。

 お姉ちゃんが膝枕してあげるのも、お姉ちゃんの優しいまなざしを向けられるのも、美味しいアイスを一緒にわけあうのも、寒い時にぎゅっと抱きしめあうのも、一緒にお風呂にはいるのも、つらい時に涙をぬぐうのも、何もかも、私じゃなきゃ嫌だ。

 それは、逆もそうだ。もしお姉ちゃんが泣いてしまうほどつらいなら、私に頼ってくれなきゃ嫌だ。何にもできないかもしれないけど、私以外にお姉ちゃんの弱いところをみせてほしくない。困ったときも悲しい時も怒った時も、一人でどうしようもない時私といてほしい。

 お姉ちゃんがそうしてくれるように、私がお姉ちゃんを支えたい。


 そう気が付いてしまえば、もう、そうとしか思えなかった。お姉ちゃんに恋をしているのだと気づけば、お姉ちゃんと恋人になりたいとはっきり思った。キスをするのも、デートをするのも、恋人としてのハグをするのも、私じゃなきゃ嫌だった。私も、お姉ちゃん以外の人となんて考えられない。


 だから少しでも大人になりたくて、お姉ちゃんに頼りになるって、いざと言う時の相手に選んでほしくて、私は勉強とかいろんなことも頑張るようになった。


 そうして私は中学二年生になった。今では学校のお友達とも、変な感じにはならないようにふるまうこともできるようになった。お姉ちゃんが中学生の時よりお勉強ができるようになった。

 でも、まだまだ、お姉ちゃんに並べない。私が大きくなった分、お姉ちゃんも大きくなった。身長も、手の大きさも、心も何もかもかなわない。


 お姉ちゃんは私が変わっても、何をしても褒めてくれる。敬語をつかってちょっとでも子供じゃないふりをしても、お姉ちゃんはいつだってマイペースで、全然変わらない。

 私が大人ぶって難しい本を読むようになっても、子供の時から変わらない同じ漫画雑誌を読んでいる。高校生になって大人っぽくなっているのに、コーンアイスを食べる時、途中からコーンの下側から食べて毎回ちょっとこぼしてしまうのも変わらない。

 そんな風に可愛いなって、気負うことなく一緒にいれて笑って楽しめるお姉ちゃんのままなのに、ちょっとした質問にもちゃんと向き合ってくれて、大人として答えてくれる。


 でもね、私だっていつまでも子供じゃない。わかってる。お姉ちゃんも私と同じ気持ちをもってくれているってこと。

 一緒にお風呂にはいるのをやめてから、雨に濡れて無理やり一緒にお風呂に入らされた時。お姉ちゃんがじっと私の体を見ていたのを私は気づいた。それからお姉ちゃんの動きを意識するようになった。

 私がお姉ちゃん以外の人との話をすると、ちょっと不満そうに口角がさがることも、お姉ちゃんが一番好きって言うと、前と同じですごく嬉しそうだけど一瞬だけ目をそらしてしまうことも、私はちゃんと気づいている。


 明確な何かがあるわけじゃない。私の気のせいだと言われたら断言できない、微妙な違い。だけど、そんな些細な違いがわからないわけない。だってお姉ちゃんは私が生まれた時からずっと一緒にいてくれたんだから。

 本当は、すぐにでも恋人になりたい。今は気の迷いで私にそんな思いを持ってくれていても、高校生のお姉ちゃんは魅力的で私よりずっと世界も広くて、私よりいい人といつ出会ってしまうかわかったものじゃないから。


 でも、私が都合よく考えているだけでお姉ちゃんはそんな気がない、と言う不安もゼロではないし、それ以上に、多分お姉ちゃんはいいお姉ちゃんでいることにこだわっているから、簡単にはOKしないだろうな。と言う思いがあった。

 さっきだってそうだ。いいお姉ちゃんでいて、いい子ちゃんでいて、周りに認められたいい生き方を、楽な生き方をしていきたいっていう風に言っていた。


 お姉ちゃんはきっと体面とか外面とか、そういうのにこだわっているんだろう。だからお姉ちゃんは休日はそういう疲れるのをお休みするためにおうちにいてくれる。それはいいことでもある。

 いいお姉ちゃんなお姉ちゃんだから好きになったし、そういう真面目なところも好き。でもだからこそ、真面目なじゃない面も私にだけ見てほしいとも思う。時々面倒くさがって、ごみ箱にごみをなげて、はいらなかったのにしばらく放置しちゃうところとか、私が部屋にはいると急にひろいだすようなところも可愛い。


 地獄がどんなものかと思うか、そう質問したのは、ただの雑談じゃない。お姉ちゃんにとって一番嫌なこと、こうだけはなりたくないこと。それを確認しておきたかった。

 だけど結果は、良いものではなかった。人の信頼を裏切ってはいけない。なんて、誰だって知ってる。でも、そんなことを言っていたら、姉妹で恋人になんてなれない。

 両親も、友達も、世間も、家族同士で恋愛関係になんてならないって思ってる。当たり前だ。日本では明言されていないだけで、外国だと犯罪にすらなる。絶対に許されない禁忌だ。

 元は同性でも国によっては結婚できると聞いて、姉妹でもできないかと調べたので、犯罪になる国があると知ってショックだった。つまりそれだけ、世間は姉妹で愛し合うことを認めないのだ。


 もし、私が勇気をだして、お姉ちゃんに無理をいって恋人になったとしよう。でもきっと、世間はそれを許さない。親も友達も許さない。場合によったら、反対されるだけじゃなくて、気持ち悪いとか嫌悪されたり、狂人だと蔑まれたりするかもしれない。

 それはとってもつらいだろう。だからこそ、お姉ちゃんのつらいことを確認したかった。


 でも答えは、それこそお姉ちゃんにとっての地獄だ、という答えだった。本当はうすうす気づいていた。でもやっぱりそうなんだ。

 お姉ちゃんを不幸にしてしまってまで、この恋を貫く必要があるのだろうか。あきらめて、こんなのは気のせいだってことにして、なかったことにして忘れたほうがいいんだろうか。

 私は、覚悟ができてる。お姉ちゃんとなら、お姉ちゃんがいてくれるなら、たとえどんなに針の筵のようなつらい状況でも、友達も親もいなくなっても、どんな地獄でもいい。

 お姉ちゃんさえいるなら、地獄でも構わない。そう覚悟している。


 でもお姉ちゃんがそうじゃないなら。それがお姉ちゃんの幸せじゃないなら。お姉ちゃんが何でもないみたいにいいお姉ちゃんとしてふるまっているみたいに、私もただいい妹としてふるまうべきなのかな?

 そう、お姉ちゃんの膝枕でなぐさめてもらいながら考えていると、ふと私の頭を撫でているお姉ちゃんの手が額にきた。


「……詩子ちゃん、大好きだよ」


 そうして目元に触れながら、お姉ちゃんはぽつりと独り言として、ささやくように言った。

 その声音をなんて表現すればいいんだろう。どれだけ難しい本を読んでもまだ中学生の私にはわからなかった。だけどその声の中には確かに、妹としてではなく、私を求める声だった。


 私も大好きだって起きて言いたい。伝えたい。だけどお姉ちゃんがあくまで姉妹としてと言えばそれで終わってしまう。


「ふふ、可愛い」


 私がお姉ちゃんの声に心を震わせていると、お姉ちゃんはそう言って頬をなでた。ああ、もう無理だ。

 私は寝ているふりをしながら、にやけてしまうのを抑えられなかった。こんな声を聞いて、そんな風に触れられて、あきらめるなんて無理だ。


 ごめんね、お姉ちゃん。お姉ちゃんはいいお姉ちゃんでいたいよね。いい子ちゃんで、誰にも褒められて、誰にも認められて、誰からも文句を言われない明るい道を歩きたいんだよね。

 ごめんね。私、あきらめるなんて無理だ。お姉ちゃんといたい。それが間違っていても、お姉ちゃんがいなくちゃいやだ。


 ごめんね、お姉ちゃん。私と一緒に、地獄に落ちてください。そうしてくれたら、私だけはずっとそばにいるから。どんな地獄でも、お姉ちゃんを笑顔にできるよう、頑張るから。


「……お姉ちゃん」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」


 目を開けると、お姉ちゃんははっとしたように、慌てたようにそう言った。その様子はいつもと変わらないいいお姉ちゃんのもので、切り替えにちょっと笑ってしまう。


「ううん。大丈夫です。……私も、お姉ちゃんが大好きです」

「え……お、起きてたの?」

「うん。ちょっと眠かっただけです」

「そ、そう……ありがと。好きって言ってもらえて、嬉しい」


 寝たふりと気づいてお姉ちゃんはまた慌てたけど、そう何でもないように、ただの姉妹のやりとりのようにそうはにかみながらお礼を言った。

 それを見て、胸が苦しくなる。お姉ちゃんは私のことが好きだ。恋人になるような好きだ。間違いなんかじゃない。でも、お姉ちゃんはそれを望んでない。


「うん……お姉ちゃんのこと、本当に好きです。だから、お姉ちゃん。お願いがあります」

「え、なに? もしかして何かおねだり?」


 これは、私のわがままなのかもしれない。だけど、お願い。いい子にするから。もう他のわがままは言わないから。一生のお願い。


「うん。……私と一緒に、地獄に落ちてください」

「……え? 地獄って」

「嫌ですか?」

「えぇ……嫌じゃないけどさ」

「じゃあ、いいですか?」


 自分でもずるいと思う。でも、これしかできない。いま、まだ私はお姉ちゃんと並びたてないほど小さな子供だから。だからお願いするしかできない。そんな私にお姉ちゃんは少し驚いたようにしてから、柔らかく微笑んでくれた。


「……うん。いいよ。詩子ちゃんとなら、地獄に落ちるよ。だから大丈夫だよ。一緒にいるから。泣かないで」


 そう言われて初めて、私は泣いていることに気づいた。お姉ちゃんの指先が私の頬をぬぐう。

 訳が分からないだろう。急に地獄に落ちてなんて言って泣いて。それでもお姉ちゃんは全部を受け入れてくれる。


 こんな無理やり言質を取ったって、意味なんてない。わかっている。それでも、私はこれしかできないんだ。


「……うん。うん。ありがとう、ございます。ずっと、ずっとっ、一緒にいてっ」

「うん、いるよ。地獄でもどこでも、一緒にいるからね」


 そう言ってお姉ちゃんは私の心が落ち着くまで、そっと撫でてくれた。


 ごめんね、お姉ちゃん。だけど一生、地獄の底まで、一緒にいてね。

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私と一緒に、地獄に落ちてください 川木 @kspan

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