第7話



 四人の花嫁たちの中で、私が行動を共にする相手として最初にイグセリカを選んだのは理由がある。

 それは、彼女が最も居場所を特定しやすいからだ。

 私は人類の誕生を手助けはするが、そこに生まれてくる一人ひとりを把握しているわけではないし、そんな能力もない。だから自分で探すしかない。

 そもそも、そんなことができていたらとっくにウィチャード・ラグナーを見つけている。


「ん? アルト。どうした? そんなぶすくれた顔をして」


 イグセリカが不思議そうに私を見下ろして聞いてくる。

 彼女の肩下まで伸びた癖のある金髪は、正午前の陽を浴びてキラキラと光る。まだ何にも染まっていない、無垢な少女のイグセリカ。

 女性らしい身体つきに、男にも勝るほど凜々しくそして美しい顔を乗せた彼女は、やはり姉御肌な気風があり、弟子になりたいと言い出した私を気前よく受け入れてくれた。


「なんでもありませんよ、師匠。それより何かあったんじゃなかったんですか?」


 イグセリカは人類の中でも類い希な、いや、無二の魔力の使い手だ。

 彼女は通常、人間が内包できる魔力の絶対量を大幅に超えた、膨大で甚大な魔力保有量を誇っている。

 生まれたときから彼女は人よりも多くの魔力を持っていた。成長するに従いその量は本人も無自覚なまま際限なく増加していった。

 だがそのあまりの膨大さに彼女は自分の魔力の制御を失い、十四歳前後のころに魔力暴発による周囲一帯を巻き込む大爆災を引き起こす。

 その度に地形が変わるほどの衝撃が起こるのだが、今回は人里から離れた場所で起きたために人的被害はなかったようだ。今は自分が生まれた村でみんなに好かれ、その腕っ節を褒め称えられ頼りにされている。


 彼女は魔力暴発を起こすことで、以降は魔力の精密な制御方法を身に着ける。

 思うがままに、気の昂ぶるがままに解放した魔力の動きを感じ取って、己が肉体の一部と成したのだ。

 まあ例えるならば、男児の精通に似たようなものであろう。


「いや伝えようかと思ったんだけど……。アルト、あたしはお前の、その、急に出てきたどこか遙かに高い場所から見下ろしているような、静かな笑顔がすごく気になるんだけど……」

「師匠、勘ぐりすぎるのはよくないっていつも言ってるじゃないですか。ぼくの表情なんて普通の子どもと同じですよ」

「そ、そうかなあ? 子どもが自分のこと普通の子どもって言うこと自体に違和感が……」

「それより、さっさと用件を話してください。急ぎなんでしょう?」


 彼女の魔力暴発によって起こる波動は、星の裏側にいたとしても私に伝わってくる。

 私はいつもその波動の発生を花嫁たちの誕生の合図にしていたが、それを今回はイグセリカの居場所を特定するために利用した、というわけだ。

 私は、二年前に村に移住してきた天涯孤独の子ども、アルトゥール・リープマンとなって、イグセリカを師だと慕い、何かと彼女と行動を共にしては親交を深めていった。

 そして私がイグセリカを選んだことは、さらにもう一つの利点があった。


「アルトくん! 大変だよーっ!」


 もう一人、イグセリカと同じ年頃の少女が、大きく手を振って走り寄ってくる。

 顎先あたりで切り揃えた胡桃色の艶やかな髪が揺れる、丸く大きな目が印象的な少女だ。


「シルリィさんまで。一体どうしたって言うんですか?」


 そう、我が花嫁の一人、シルリィリア・ローゼンボーゲンもここにいたのだ。

 イグセリカとシルリィはこの村で幼馴染み同士だった。

 彼女ら二人がいつもそうなのか、あるいは違うのか。そこまでは私にはわからないが、はやい段階で花嫁のうちすでに二人が集まっていたのは、彼女たちがウィチャード・ラグナーと接触する機会を監視したい私にとって大変好都合であった。


 シルリィには大気に満ちる魔力の揺らぎ、奔流、波紋、そういったものを読み取る目が備わっている。ある種、千里眼や因果予測に近いものであり、遠く離れた場所にいる者すら性質を見抜き、隙を精確に狙ってくる。

 その特異な能力は生来的なものでもあるだろうし、彼女の魔力の動きに対する強い好奇心が成せる業でもあるのだろう。

 保有する魔力量こそイグセリカには遠く及ばないものの、魔力の扱いの精緻さで右に出るものはいない。私にとっても非常に厄介な相手であった。

 それ故に、私は花嫁たちを相手にするときはまず彼女の目を真っ先に奪う。


「アルトくん? どしたの? じっとわたしの顔見て」


 桜色の唇。湖面のような透き通った蒼い瞳。可憐なシルリィ。

 こうして無邪気な彼女の表情の変化を楽しんでいると、どこか胸を撫で下ろしたような落ち着いた気持ちになれるのは不思議なものだ。


「ははーん、アルト。あたしにはわかったぞ」


 すると、横からイグセリカが得意顔で口を挟んでくる。


「なんのことです?」


 私は内心、わずかに動揺した。

 いくら生まれ代わりと言えど、私がシルリィの目を幾度も潰してきたことが悟られるはずがないのだが。


「シルリィは女のあたしでも羨むくらい可愛らしい顔立ちなのは事実だ。でもダメだぞ。そろそろ女の子が気になる年頃だからって、いきなり年上を狙うのは!」

「えっ! えっ! アルトくん、そおなの!?」


 ……。


「いやー、最近アルトの様子がおかしいと思ってたんだよな。どこかよそよそしくてさ。まさか年上狙いとは思ってなかったけど」

「えーでもでも。アルトくんくらい可愛い男の子だったら悪い気はしないなーなんてぇ」


 …………。


「何か急ぎの用事があったんじゃなかったんですかねえ?」

「あ、そ、そうだった」

「ア、アルトくん、ごめんね?」


 花嫁たちは、普段これほどふざけているものなのだろうか?

 まあまだ大きな戦争も起きていない平和な時代のようだ。気が抜けているのだろう。

 数年後にはいずれ彼らを大きく成長させてくれる何かが起こるはずだ。そう思いたい。

 そこに行く着くまでに、私はウィチャード・ラグナーを探し出す。

 ともあれ、今は目の前のことに順次対処していくとしよう。


「それで結局、一体何があったんですか?」

「領主様から村に通達がきたんだよ!」

「また税金の値上げだって! ひどいよね!」


 イグセリカとシルリィが住んでいる村は、盟王国グラリスニアという国の南方に位置する地方の田舎領地だ。

 この一帯の管理を王室から任されている領主は、以前から大して特徴もないこの土地で、地味で目立たない地位を維持させられていることに不満を持っていたらしい。

 領主はより多くの税金を回収することで、王室から注目されようとしているのだろう。


「三ヶ月前なんて農業用の馬車の通行にまで税金をかけてきたんだよ。こんなの横暴だよ! 暴政だよ!」


 シルリィが憤懣やるかたないといったように地団駄を踏む。

 二人とも眉目秀麗ではあるが、身に纏う衣服は端がすり切れていてボロボロだ。

 村の財政は逼迫の極地にある。

 税金の増加で村人の意欲は削がれ、農産物などの生産力が目に見えて落ちている。イグセリカとシルリィの獣魔狩りで得られる収入を頼りにしてなんとか保っている状況だ。

 私はそれも花嫁を育てる試練の一つだと思っていたのだが。


「アルト、あたし決めたんだ。今度はあたしが直接領主様に会いにいく」

「師匠が?」

「ああ。こうなったら直談判しかない。これまで送った陳情もおそらく握り潰されてる」

「しかし、なぜ師匠が行く必要があるんですか? 政治なら村の重役たちに任せたらいいでしょうに」


 私としては、そんな些事に関わる暇があるのならもっと獣魔でも狩って強くなってほしいのだが。

 私の見立てでは、彼女らの実力はまだ全盛期の半分にも達していない。


「わたしのおじさんも何度も行ってるんだよ。でも領主様は会ってくれなくて、みんな門前払いさせられてるの」


 シルリィは村長の補佐役の娘だ。村の運営の内部事情にも詳しい。


「話では、領主様は用心棒を雇っていて、そいつのせいで会うのが難しいらしいんだ」

「用心棒?」

「ああ。フードローブを目深に被った怪しいやつだったそうだ。やたらと腕が立つ暴れん坊で、そいつの妨害のせいであたしたちの村だけじゃなく、周辺の町村も領主様に話が通せないそうだよ」


 ……なるほど。

 そいつがウィチャード・ラグナーだと断定はまだできないが、私も多少は興味を惹かれた。


「確かにそれならこちらも同じように腕が立つ人間を揃えていく必要がありますね。暴力的な発展をさせるのは避けるべきですが、そもそも話も聞いてもらえないんじゃ、こちらにもただ黙っているだけではない強者がいることを示すしかない」

「さっすがアルト! あたしの弟子! 全て言わなくてもわかってくれたね!」


 気分良さそうに私の頭をがしがしと撫でくり回すイグセリカ。

 師としての自覚があるのは結構なことなのだが、扱いがまるで弟子というより弟のようになってきてる気がするのだが。


「そういうわけだから、アルトくん。しばらく特訓も休止するけど、戻ってきたらまたしてあげるからね!」


 は?


「ちょっと待ってください。シルリィさんも行くんですか?」

「そおだよ? イグセリカだけじゃ暴れるだけ暴れてそのまま帰ってきちゃうもの。ここはわたしがちゃんと交渉役として一緒に行ってあげないと!」


 得意気に腰に拳を当てて胸を張るシルリィ。大きさこそイグセリカよりも立派だが、正直、あまりに頼りない。


「あたしたちはしばらく村を離れる。もしかしたらそのまま他の街にも寄っていくかもね。アルト、おまえはあたしの一番弟子だ。あたしたちがいない間、村のことは頼んだよ」


 いやいや……、そんなことを看過できるわけがないだろう。

 そこにウィチャード・ラグナーがいたらどうするつもりなのだ?


「ダメです」

「へ?」

「ぼくは二人で行くことに反対です」

「で、でもみんな困ってるんだよ? わたしたちができることをやらないと!」

「そうだよ、アルト! これはあたしたちの村だけの危機じゃないんだ。今立ち上がらないとみんなが共倒れになってしまう!」

「早とちりしないでください。ぼくは『二人だけで』行くことに反対しているんです」


 二人揃って首を傾げてくる。


「誰か他に連れていけってこと?」 

「でも用心棒の対処ならあたしがするし、領主様への交渉はシルリィがしてくれるし……。他に何か必要な要員ってあるか? あっ、馬車の御者なら手配済みだよ」


 立場上の問題はあるとはいえ、この二人がいれば無理にでも領主に会うことはできるだろう。

 だが。やれやれ。


「師匠もシルリィさんも、領主に会う際の作法を知らないでしょう。いくら用心棒を倒したとしても、そこを省いて無理を通せば、下手をすれば反逆罪を問われてもおかしくない。そうなれば起こるのは税金の見直しではなく村への厳罰ですよ。今よりさらに生活は苦しくなる」


 そんな作法は聞いたことないのだが。適当なでっちあげだ。


「そうなのか? それは困るな……」

「師匠は武芸ばっかりで礼儀が元からないですし、シルリィさんもその場の勢いで押す分、人の話を聞かないでしょう。ですから、そういった政治面での仲裁役を兼ねられる人を連れていくべきです」

「アルトくんって、たまに辛辣なときあるよね……。でも、そ、そうなのかな……? うん、まあ確かにそうかも?」

「うーん、でも誰がついてきてくれるというんだろう。あたしたちはあまりそういうのを習ったことがないから」


 鈍いこの二人には、はっきりと自分の意志を言葉で伝えておかねばなるまい。


「ぼくがついていきます」





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