第8話



「な、何を言ってるんだよ、アルト。ダメに決まってるだろ!」

「そおだよ! 用心棒だよ用心棒! つよいんだよ! 危ないんだよ!」


 慌てて私を止めようとする二人。

 何も今腕を抑えつける必要はないだろうに。


「そもそもアルトはそういう作法? ができるのか?」

「なめないでください」


 私は二人の手を振り払い、姿勢を正した。


「本日はお日柄もよく僥倖に存じ上げます。領主様におきましては近頃の新しい方針の推進によりご活躍のご様子。我ら領民としてはとても頼もしく感じております。しかしながら双方の食い違いにより起きている窮状をお伝えするべく、此度は参上仕りました」


 そして遅すぎず速すぎず、鳥の羽の舞い落ちるように優雅に一礼する。


「おお…………」

「よくわかんないけど、しゅごい……」


 村の教育水準は決して高い方ではない。子どものための小さな学舎はあるが、文字の読み書きや単純な計算を学ぶ程度のもので、残念ながらそういった環境の影響はイグセリカもシルリィリアも受けていて、結構な世間知らずだ。

 人間とは、自分のいる世界の外から刺激を受けなければ成長しないもののようだ。

 獣魔という人間の天敵がいるために物質世界ほど文明が発達しなかったせいもあって、イグセリカたちは知識の輸入ができていない。

 その分、騙しやすくて助かりはするのだが。


「確かに、あたしやシルリィが同じことをしても、ぎくしゃくして大事な内容を十分に伝えきれないかもしれないな……」


 顎に手を当てて本気で悩み始めるイグセリカ。実に扱いやすい。


「ですので、シルリィさんには困窮を涙ながらに訴える村人として振る舞ってもらい、ぼくが冷静な立場で税金の見直しは領主にとってもメリットのあることだと説きます。例えば、水や食品のような命に直結するものにかける税金を抑え、特産品や農具などを売買する際に価格に数パーセントの税金を上乗せする。そうすれば富めるものほど多額の税金を払うことになり、貧富の是正の一環にもなります。その結果領地内の町村が恵み、中長期的には税金の徴収額は増加するということなどを主張すれば、領主も税金の見直しに一考の価値があると受け取るでしょう」


 この国の農村では王室が定める人頭税などの一律の税金の他に、領主が領地内の住民に課す別の税金があり、それは領主の一存で決められている。そのため領地によっては税金が大きく変わることもままある。

 善良な領主なら領民が富めるような仕組みに頭を悩ますだろうが、私欲を叶える領主は手当たり次第目につくものに税金を掛けてくる。しかしそんなやり方は弱った魚から水を奪うようなものだ。

 私がつらつらと語ると、シルリィが冷や汗を垂らして戦慄していた。


「前から思ってたけど、アルトくんって、子どもらしからぬ説得力を見せるときがあるよね……?」


 見た目は子どもでも頭脳は魔王だからな。

 だがあまり怪しまれるのはよくないな。誤魔化しておこう。


「気のせいですよ。本で読んだ知識です」

「そういえばアルトくんって、村に移住してきてすぐに、村にあった本を全部読破してたね……。あれもみんなびっくりしてたけど」


 すると、また横からイグセリカが口を挟んできた。


「でもそれって、シルリィが泣いてる横で、子どものアルトが真面目な顔で領主様を説得するってことだろう? その光景って、なんか、すごく変じゃないか?」

 ……確かにそれはあるかもしれないが。

「大丈夫ですよ。逆にそのギャップが領主の思考を混乱させ、判断を鈍くさせます。そうなればこっちのものでしょう。それが交渉というものです」

「なるほど。そういうものなのか。交渉って奥深いな」

「はい。そうです」


 扱いやすいのは結構なのだが、あまりにも簡単に納得しすぎて彼女らの花嫁としての資質の方が不安になってきた。主に頭の方の。 


「そういうわけで、ぼくも連れていってください」


 イグセリカは考えるように腕を組んで唸り、そして首を振った。


「……いや、やっぱりだめだ。いくら大人びていようと、アルトのような子どもを危険な場所に連れていくことはできない」

「ぼくは師匠の弟子ですよ? そこらの大人と取っ組み合いをしたとしても負けるはずがありません」

「アルトが他の子どもよりも強いのはあたしだって認めるよ。でもそれとこれとは話は別。師匠として、あたしは親のいないアルトの保護者としての責任だって負っているつもりなんだ」

「泣きますよ?」

「おま……そういう典型的な脅しは卑怯じゃないかな?」


 割と本当に効きそうな声でイグセリカが呻く。


「わ、わたしは、アルトくんが泣いたとこ見たことないから、見てみたいなあ、なんて」


 なぜかシルリィが顔を赤らめて変な方向に走り出した。軌道修正。


「とはいえ、他に適任はいないと思いますよ。大きな町の方まで行けば教養のある人もいるでしょうが、今から探すのは手間でしょう」


 ここまで材料を並べ立ててやればさすがに反対する理由ももうないだろう。

 イグセリカは目を瞑って大きく頷いた。

 ゆっくり目を開いて私を見返して、人差し指を立ててにやりと笑った。


「わかった。そこまで言うなら、あたしが出す条件をクリアできたらついてくることを許可してやろう」

「はあ? 条件?」

「アルト……。あたしがおまえの思い通りの返事をしないからって、そんなあからさまに師匠に向かって顔を顰めるもんじゃないよ……」


 おっと。思わず。


「アルト、おまえに試練を一つ課す。それを自分の力だけで乗り越えてみせな。あたしもシルリィも一切手は貸さない」

「なぜそんなことをする必要があるんです?」

「簡単な理由だよ。あたしは弟子にはまだ危なっかしくて背中を預けられないが、仲間には自分の命を託すことができる。村の命運だってかかっているかもしれないことに、学習気分の弟子を連れていく気はさらさらない」


 ふむ。花嫁らしい矜恃ではある。


「だからこれはある意味、卒業試験でもある。おまえがあたしに、自分が命を預けるに足る仲間だと認めさせることができたら、あたしはこれからもアルトを頼りにするよ。例え強敵が目の前に現れたとしても、アルトの実力を信じて、アルトの意志を感じて、互いに信頼を置けるあたしたちは自分の実力以上の力を発揮できるようになる」

「師匠の強さをあてにしているようでは、ついてくる資格がないってことですか」 

「そういうことだね。あたしやシルリィは、もちろん危機に陥ればアルトを助けるよ。だけど、あたしと一緒に来るなら大事な局面で『一方的に助けられる』ような弱者になるな。あたしにおまえの心配をさせるな。あたしの集中を削ぐような真似はするな。おまえが弱者でいる限り、あたしは頭の中で『アルトを守らないといけない』という思考が残り続ける。それは戦いには邪魔なんだ。そうなるくらいなら、最初からいない方がマシだからね」


 いつになく真剣な声音でイグセルが私に説く。


「それは、英雄バンガの伝記の一節にあった言葉でもありますね」

「よく覚えてるな。そうだ。あたしが尊敬する英雄、バンガ・ロクシミリアンが、強さを突き詰めるために己の仲間に求めた気構えのひとつ。あたしが追っている背中であり、あたしは彼のような立派な武人になりたい。おまえはあたしの弟子だ。あたしと対等になりたいなら、同じ気構えを持ってもらわないと困るだろう?」


 そう言ってイグセリカが挑発的な笑みを向けてくる。

 英雄バンガとは、百年前にここ盟王国グラリスニア建国の際に、多大なる貢献を残した尊き益荒男のことだ。

 この国のどの歴史書を開いても必ず名が載っている過去の英傑で、イグセリカの畏敬の的でもある。


「イグセリカ、本気なの? アルトくんはまだ十一歳なんだよ?」

「シルリィさん。ぼくは師匠の言うことも理解できます。要するに師匠はぼくのことが信用できないってことでしょう」


 特に冷淡なことを言ったつもりはなかったのだが、シルリィが傍目にも心配になるほど慌てふためいた。


「ちっ、違うよ! イグセリカはアルトくんを信頼してるよ! 信頼しすぎてこの前『あたし、夢の中でアルトに叱られたんだけど、何か悪いことしたかなあ……』ってこっそり傷ついてたもん! それってアルトくんに嫌われたくないくらい信用してるってことでしょ?」


 そうなのかもしれないが、取り繕うためとはいえ暴露しすぎだろう。

 さすがに本人も慌てるかと思ったが、イグセリカは静かに続けた。


「そうだ。あたしはアルトのことが信用できない。今のままじゃね」


 シルリィもこれには怒号を飛ばした。


「イグセリカ! どおしてアルトくんにそんなこと言うの!」

「ぼくは構いませんよ。こと戦いや強さの本質に関しては、師匠の言っていることは正しいと思いますから」

「でも……」


 誰に向かって言っているのかとは言いたくはなるがな。


「あたしの信用を得るには試練を突破するしかないぞ。命を落とすかもしれないが、ここで死ぬ程度ならあたしたちと一緒に来ても無駄死にするだけだ。それがわかってでも、やるか?」

「わかりました。やりますよ」


 即答すると、面食らったように目を見開いたのはイグセリカの方だった。


「か、軽いなあ。ちょっとはビビるかと思ったのに」

「師匠が言い出したことでしょう。何をいまさら」

「いや、もうちょっとこう……『怖いけど、師匠に認められるためなら、やり遂げてみせます!』とか『そんな! でもその試練を突破しないといけないならぼくも命をかけます……!』みたいな意気込みをだね」

「ぼくがこれまでそんな阿呆みたいことを言った記憶がありますか?」

「……。アルト、ちょっと怒ってる?」

「いいえ?」


 渋っていたシルリィにも私がイグセリカの試練を受けることを承諾させ、私は晴れて試練を受ける資格を得た。


「で、何をすれば師匠に認めてもらうことができるんですか?」


 イグセリカは、おほんとわざとらしい咳払いをしてから人差し指を立てた。


「南のコルア渓谷に棲むヌシ、獣魔バジリコックをおまえ一人で退治してもらおうじゃないか」




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