第6話
大海に、ひとしずくの血が滴る。
青い海に、生命の花が芽吹き生命が生まれる。
それは原生バクテリア類と結合し、次第に集合体を成し、様々な機能を備えながら大きくなっていく。
魔力が海洋や大気中に含まれていると、初期の生物の中に魔力を細胞の中に溶け込ませるものが生まれる。
魔性プランクトンだ。それが世界中に溢れる。
その生物はひどく単純な構造をしているが、やがてより複雑な構造を持つ他の生物に捕食されるようになる。魔性プランクトンを大量に摂取することで、捕食者自体も魔力を帯びていく。
魔力を帯びた生命は、より強い魔力を帯びる生命に惹き付けられ、捕食し、あるいは逆に吸収され、互いに魔力を奪い合い、大きくなっていく。そうして膨大な魔力を蓄えた獣を獣魔と呼ぶ。
同様に、人類の元となる生物も魔力を獲得することになる。
ある程度生物の進化が済んだところで、私はそこに進化の介入をする。別の星に保存してある情報を加算することで人類は驚異的な速度で進化し、私を模倣したような知性生物としての道を歩むことになる。
人類進化の道筋は魔王たる私によって短縮される。
前の環境では魔力による介入を最小限に留めたがために、生物種の進化は緩慢で成熟するのに数千万年の時間が必要だったが、その分、人類もまた私の知る限り最も長い間生存した。
だが、人類があれほどの文明の発展を遂げることはもうないだろう。
なぜなら魔力のある世界では、人間より先に魔力性生物を補食してきた獣魔がいるからだ。
とりわけ独特の進化を遂げた竜獣はその巨体と息だけで一つの街を滅ぼす力を持つ。それが大地の真なる支配者であり、人類の可住域はより限定され文明の進歩は抑制される。
そして人類が使う母星の呼び方もまた、その時時に変わる。
前回は、地球(アース)と呼ばれていたようだ。
母星。花嫁を生み出すための、私の箱庭。
今、星は人間たちからどう呼ばれているのだろう? 私にはまだわからない。
そう。わからない。
私は完璧ではないし、完全でもない。無能でもなければ、さりとて全能でもない。
人類の誕生に手を貸したからといって、その生態や活動までをも全て把握できるわけではないのだ。
私は神ではない。なぜなら私は神を信じているからだ。
時間という神を。不可侵の力を。
これだけは私は抗うことができない。時は私にとって牢獄と同じ意味を持つ。
無限の時間を持つということは、そのものつまり時間に縛られているということでもある。時間を支配したという意味にはならない。
だから私は人類の再誕をただ待っている必要がある。
宇宙空間の中で胎児のように丸まり、花嫁たちが生まれるのを待ち続ける。
不要になれば前人類の痕跡を全て消去し、新たな人類の誕生を待つ。
そして人類が誕生すれば、その頂点となる強さを兼ね備えた、四人の花嫁が生まれる。
イグセリカ。シルリィリア。ドラヴィオラ。グウィレミナ。
何度滅びようとも、人類は同じ名、同じ姿、同じ人格を持ったこの四人の花嫁を最終的に生み出す。そうなるように仕組まれている。
言い換えればどんなに環境が変わろうとも、進歩の過程で必ず同じ人間が生まれてくるということでもある。
稀にこの繰り返しを無意識のうちに感じ取り、哲学的に表現する人間もいたらしい。
彼はそれを「永劫回帰」と呼んでいたようだ。
四人の花嫁たちは人類という地盤に積み上がる個の頂点にして究極形。彼女らは何度滅ぼされようとも復活し、そして私は変わらず彼女たちを欲している。
何度でも。
理想に叶うまで。
彼女たちが私を愛するようになるまで。
――――だが。
首だけになってなお生かされていたドラヴィオラが言った。
「ワタシたちは、ウィチャード・ラグナーに、全てを託す……」
他の三人と融合させられ異形となったイグセリカが言った。
「あたしたちは……ウィチャード・ラグナーの本懐を……」
肉体に千本の杭を打たれ空中に磔のグウィレミナが言った。
「いつかウィチャード・ラグナーの鉄槌が、貴様を……」
……………………………………………………。
一体、ウィチャード・ラグナーとは何者なのだ?
魔力を排した物質世界の終焉を端緒に、何度やり直しても花嫁たちは繰り返しその名を口にするようになった。
だが伝えてくるのは名前だけだ。ウィチャード・ラグナーなる人物が何をしたのか。彼女らにとって何なのか。何一つとして明らかにしない。
仮にウィチャード・ラグナーなる者が花嫁たちに影響を与え、私に刃向かわせているのだとしたら…………。
私が直接彼女たちとの干渉を避けていたのには理由がある。
私は魔力の根源であり、彼女たちですら比較にならないほどの魔力保有者である。
私の存在は、魔力の使い手である花嫁たちに少なからず悪影響を与えてしまうのだ。星と星が強く引き付け合い、より大きな方がその中心となるように、膨大な魔力の質量は傍にいる者の魔力を引き付ける。
成長しきる前に私が彼女らの傍にいれば、花嫁たちの予期せぬ弱体化を招き、私が想定した高みに至らない結果となる可能性があった。
だから私は花嫁たちが成長するのを待つだけでよかった。待つ以外の選択がなかった。
来たるときが来れば、〈兆し〉が私に報せてくれるはずなのだ。
その〈兆し〉が現れたことは一度もない。代わりに花嫁たちは私に殺意を見せる。
ウィチャード・ラグナー。
花嫁たちが永劫回帰するように、ウィチャードも同じように再び世界に誕生しているはずだ。
ウィチャード・ラグナーなる者が、花嫁たちを使ってやつ自身の存在を私に意識させようとしているのは明らかだ。
ならば私がすべきことは、これまで避けてきていたことを、敢えて行うことであろう。
さあ、もう一度――――――
「おーい、アルトー! 大変だ!」
慌てた声で走り寄ってくる少女がいる。
イグセリカだ。まだ純情さの抜けていない、十八歳の。
私と相対するときには備えていた剣呑な表情も、今はまだ出てきたばかりの木の芽のように柔らかいが、同時にカルガモの子のようにどこにでも転びうるような危うさも残っている。
彼女は私に向かって走ってくる。大分焦っているようだ。
私は返事をする。
「師匠、落ち着いてください。何かあったんですか?」
…………。
自分でもなかなか違和感のある口調だとは思う。いまだ慣れない。
私はイグセリカを迎えるように、読んでいた本を閉じ地べたから立ち上がった。
精一杯真っ直ぐ立っても、私の目線は彼女の胸の高さ程度にしか届かない。
それもそのはず。私の姿は人間の子どもと同じなのだから。
私はアルトゥール・リープマンという名で自らを偽り、十一歳の人間の少年の姿でイグセリカ・エルヘイムの弟子として彼女に付き従っていた。
目的はただ一つ。
彼女たち花嫁が接触する前に、ウィチャード・ラグナーを見つけ出し殺す。
ただそのためだけに。
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