第3話




「あ、あああああああ……! 目が。目が見えないよぉ……」


 シルリィリアの異変にドラヴィオラとグウィレミナが振り向いて、蒼白する。


「……あなた、め、目が、飛び出……」


 無残な仲間の顔に、グウィレミナは救護に向かうことも忘れて股慄していた。

 二人が目にしたのは、こめかみから眉間にかけて骨が陥没し、目玉が外に飛び出て鼻血を垂らす、顔面崩壊した無残なシルリィリアの姿だった。


「少し強すぎたようだ。この場所はあまりに魔力濃度が濃すぎて細かい調整が効かないのだ。ただ視界を奪うだけのつもりだったのだが」


 魔王が軽い口調でそんなことを言った。


「ふ、ふざけんじゃねええええ!!」


 激昂したドラヴィオラが吠え、自棄になって撃ちまくる。

 だがそれは意図的に魔王の注意を自分に向けるためでもあった。


「シルリィに手を貸せ! イグセリカ拾って一度退くぞ!」

「わ、わかった!」


 落ち着きを取り戻したグウィレミナは銃口を下げシルリィリアの元へ走った。

 彼女は生きているものの、完全に脱力しきって呻き声を出す以外、自ら動こうとしない。

 月の重力なら人を一人抱えるくらいのことは容易だ。グウィレミナは悲惨な姿のシルリィリアを直視できず、軽く目を背けながらも腕を引っ張り上げ右腕を彼女の腰に回し支えながら担ぎ、後方の壁際まで運び座らせた。

 後はイグセリカを連れて脱出する。その時間は、ドラヴィオラが必死に稼いでくれている。


 魔王はドラヴィオラに向き合いフルオートで撃たれる銃弾を微動だにせずに受けている。

 その身体に穴が開くことはない。すり抜けているのか、弾そのものが消えているのかすらわからない。

 それでもドラヴィオラは撃ち続けた。突き動かすのは仲間を傷つけられたことへの抑えきれない怒りだった。


「ドラヴィオラ。乱暴な物言いが多いが、その実、君が一番の仲間思いだ。怒り狂った君は手をつけられない。神獣がごときその爪の鋭さは、この私でも防がねばならないときもあった」

「アァ!? 勝手に知ったような口をききやがっ……」


 装填済みの予備マガジンを腰から抜き、ライフルに押し込みながら気づいた。

 魔王の周囲に、無数にキラキラと光り浮いているものがある。

 見覚えのある形の鉄の塊。全て、自分たちの銃に装填されているものと同じ形。

 自分たちがこれまで撃った銃弾が、無数にこっちを向いて浮いている。


「なっ……」

「だから私はいつも、君を真っ先に殺すようにしている」


 悲鳴のように叫ぶドラヴィオラの銃口から再びマズルフラッシュが瞬く。

 同時、魔王の周囲に浮いていた薬莢のないライフル弾頭が、無音で発射された。

 交差する二者の銃撃。

 ドラヴィオラの放ったほとんどは、魔王の操る数倍の量の弾頭に弾かれ一発たりとも魔王に届くことはなかった。


 四人が魔王に向けて撃った数百発の弾丸を、ドラヴィオラは一身に受け肉体を穿たれた。

 着ているスーツの防弾性能は指折りでも、放たれた数が尋常ではなかった。ましてや今は頭が剥き出しの状態だ。

 全ての弾がその行き先に辿り着いたときには、ドラヴィオラの身体は朝に食べるベーコンよりも小さな肉片となって散っていた。


「いやあああああっ!!」


 ドラヴィオラは数秒でこの世から消滅した。その光景を目の当たりにしていたグウィレミナが半狂乱となって叫んだ。


「こんなのおかしい! 意味がわからない! 今すぐ応援を呼ぶわ!」


 グウィレミナは視線を一点に向けた。

 そこにはさきほど遠くに吹き飛ばされたメットが転がっている。外部への通信機能はまだ生きているはずだった。

 一心不乱に走った。イグセリカもシルリィリアもまだ生きている。

 でも、このままじゃ何も出来ないまま全員殺される。

 外に連絡さえ取れれば――。

 倒れかけるほど前のめりに走って、グウィレミナの手がメットを掴み悲鳴のように叫んだ。


「こちらエルケ4! 魔王と交戦、エルケ3は死亡! 他二名も負傷! 戦闘継続は困難! 応援を要請する!」


 すぐに応答が入った。


『OP:αより報告。信号の発信を傍受しましたが音声が不明瞭で内容が確認できません。もう一度お願いします』


 グウィレミナは繰り返し叫んだ。だがオペレーターも同じ言葉を繰り返すだけだった。


「私の声が、届いてない……?」


 恐る恐る魔王の方を振り向いた。魔王は、右手を横に薙いだように腕を伸ばしていた。


「外の人間たちを呼ぶのは遠慮願おう。ここは、私と君たち四人だけの場なのだから」

「何をしたの……? もしかして私の声を」

「そうだ。遮断させてもらった」


 自分にも、魔王にも、声は届いているのに、通信機器にだけ声が届かないようにされている。

 音声を指向性のある波動に変えて、都合のいい相手にだけ聞こえるように操っている。そうとしか考えられない。そんなことができる人間なんているはずがない。

 頭のどこかで否定したかった、魔王が存在する、という事実。


 グウィレミナは認めるしかなかった。無神論者で無宗教の自分が、人類を遙かに超越する『何か』の存在を。それが目の前にいることを。

 そしてその存在にドラヴィオラが殺され、他の二人も満身創痍で、動けるのは自分だけ。


 そのとき初めて、魔王がその場から動いた。

 右足から、一歩前へ。続いて、左足。

 月面上で、何の装備もないのに、確実に地を踏み、地球の上で歩いているかのようにゆっくりと歩いている。ただ、それだけ。

 それだけのことが、グウィレミナの肩を震わせていた。


 魔王が、近付いてくる。

 グウィレミナは悟った。次は自分なのだ。

 右腿のホルスターに収まっていた拳銃を引き抜いた。

 銃口を一度魔王に向けてから、すぐにそれを自分の口蓋に突っ込んだ。


「ヴィオラ……。ごめんなさい……」


 戦友を失った責任を。自分の無力さを。耐えかねる恐怖を。

 引き金は軽かった。

 パン、と銃声が響いて、グウィレミナは自分が消え去るのを迎えた。

 だが、その瞬間はいつまでもやってこなかった。

 グウィレミナはおそるおそる拳銃の銃口を覗いた。撃った弾丸が、銃口から飛び出る寸前の場所でぴたりと止まっていた。

 詰まったんじゃない。何かの力によって堰き止められている。


「まだ君に死なれては困る。グウィレミナ。君は誰よりも聡明で話が通じる相手だ。君なら、私と正しく対話してくれると信じている」


 魔王が何か言っている。

 身体が芯から震えてきた。恐怖と、屈辱と、憤怒で。

 無理なのだ。魔王を殺すことも。応援を呼ぶことも。自害することすら。


「ばか! ばーか! しね! くそ魔王!」


 グウィレミナは子どものように魔王に悪罵を吐いた。

 弄ばれて、精神状態はボロボロだった。


「死んじまえ! おまえなんか! わけわかんないことばっかしやがって! ふざけんな!」


 魔王はほんのわずかに、不快そうに繭を顰めた。


「不愉快だ。見るに堪えない。君はそんな感情的な人間ではなかったはずだが」

「知るか! 私の何を知ってる! 世界に謝れ! 人類に謝れ! ヴィオラに謝れ!!」

「……話す気がないなら、もういい」

「死ね! くそ野郎! ひょろいガキのくせに! 私たちを嘲りやがって――――」


 グウィレミナは悪罵を吐き続けた。だが途中から、自分にも聞こえていた自分の声が、全く聞こえなくなったことに気づいた。

 聴覚を奪われた。

 グウィレミナは、まだ残っていた冷静な部分で、即座にそう思考していた。

 だがその分析が誤りだったと理解するまで、彼女は言葉を吐きすぎた。


 いつの間にか、自分の周囲に風が生まれている。

 ふと思い出した。魔王はさっき、この場に大気を造り出したと言っていた。それならこの場に風が吹いてもおかしくはない。

 だがその風の挙動がおかしい。だんだん強くなっていき、自分の周りを回るように吹いていくのだ。


「君が吐いた醜き言葉だ。君自身がその身で受けるがいい」


 グウィレミナは自分の勘違いに気づいて咄嗟に喉を両手で抑えた。

 音声は声帯から出る音波、空気の振動によって伝わる。

 奪われたのは聴覚じゃない。自分の声の方だ。

 この風は、大気の流れが起こす風じゃない。自分が発した声の音波の震動が、風を起こすほどに増幅され、周囲を取り囲んでいたのだ。


 気づけば、いや、自分の声が聞こえなくなってから既に、逃げ場などなくなっていた。

 グウィレミナの口が「嫌……」と言ったように動いた。それも音にはなっていなかった。

 一瞬だった。グウィレミナは、自分が叫んだ声によって作られた超震動の竜巻によって全身を捻じ切られ、人間の形状を留めない歪な肉塊となって月の大地の上に転がった。


「うあ、く……あ、みんな……!」


 イグセリカが力なく這いながら、そこに向かっていた。

 二人を助けられなかった。全身を走る激痛に動けなくて見ていることしかできなかった。

 泣くほど情けなかった。リーダーの自分が一番最初に無力化されるなんて。

 生き残っているのはもう、自分とシルリィリアだけだ。

 任務の遂行が不可能なことはもう思い知った。

 大人しく帰るから。だから、頼むから。


「もう、やめてくれ……シルリィだけは……っ!」


 イグセリカの願いも空しく、魔王は、力なく地べたにへたり込んでいるシルリィリアに悠然と歩き近付いていた。








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