第4話


 シルリィリアは飛び出した眼球を垂れさせたままへたり込み、逃げることもせず、廃人のように途切れ途切れの呻き声を出していた。


「うぁ……、ぁっ、……あ」


 ――。


 彼女の目前に立ち、わずかに上半身を屈めた。私の声が彼女によく届くように。


「シルリィ。私は知りたいだけなのだ。私はお前たちに敵対したことなど一度もないし、生きることを脅かしたこともない。なのになぜ、お前たちは私に敵意を向ける?」


 愛称で呼びかけ柔らかに言ってやると、シルリィは私の声に反応を見せた。


「一度、も……?」

「そうだ。お前たちは私が母星の環境が異常変動したことの原因だと言ったが、私は何もしていない。魔力を宿さない星は、それだけで不安定だ。少しバランスが崩れれば環境などすぐに変わる。おそらく、急激な環境変動はそのバランスが大きく偏ったせいだろう。自然とそうなったのか、それともお前たち人間がそうさせたのか、そのどちらなのかはずっとここにいた私にもわからないがな」

「……ぁ、っ、で、れも……」

「さあ、わからなくなったな。お前たち四人は、私を憎む理由がなくなった。私はお前たちの世界に一切手を加えていない。だがお前たちは私を殺しにきた」

「れも……、AIが……」

「どうやらお前たちは己の技術を過信しているようだが、お前たち以外の誰かが私の存在を見つけたとして、どうしてそれが私を憎む理由になる?」

「わ、わから、ない……。わか、らない。らって、そうしないと、国同士が、バラバラにらって、戦争になるって、らから…………」

「なるほど。今回は私の存在が、お前たちの国の指導者たちにとって都合のいい共通の仮想敵だったというわけか」


 イグセリカ。シルリィリア。ドラヴィオラ。グウィレミナ。

 私は彼女ら四人が、私の前に現れ私に刃を向ける度に、殺してきた。


 

 世界を。人類を。花嫁たちを。

 四人が私の理想の花嫁となるように。

 人類の頂点であり最高峰であり最終収束点。

 それが私の前に現れた四人の花嫁である。


 本来ならば、彼女ら四人は来たるべきときに備えて、私の期待に適う存在となるはずなのだ。

 しかし、ある時点で私の存在に気づき、愛情を見せるどころか殺意を滾らせ、私を殺しにやってくる。彼女らは私と相見えたとき、拭い去れないほどの敵愾心を私に見せつけるのだ。

 それでは私の願いは叶わない。私の目的は達成されない。彼女らは針の穴ほどの敵意も反抗心も私に抱くべきではない。

 そうなった彼女らを殺害する以外の選択肢は私にはない。その時点で花嫁としての資格は喪失しているからだ。


 問題はない。またやり直すだけだ。

 私には無限の時間と創成の力があり、人類などまた最初から造り直すことができる。進化と進歩、遺伝子の拡散と収束の同じ道を辿った人類は、最終的にまた同じ四人の花嫁たちを誕生させる。

 私は私の願望が叶うまで、繰り返し人類を誕生させ、花嫁たちが生まれるまで待ち、私に刃向かえば殺し、またやり直せばいいだけなのだ。

 それを幾度となく、もはや数えることもやめたほど繰り返してきた。


 ただ私も無意味に同じ事を繰り返してきたわけではない。

 やり直す度に私は様々に条件を変え、何が彼女たちを私に刃向かわせるのかを明らかにしようとした。

 今回の条件は、元来大いなる魔力の使い手である花嫁たちから、魔力そのものを奪うことだった。

 魔力とは、私という存在を根源とし意思の異象化をもたらす媒体であり、あらゆる存在に宿るもののことだ。


 その力を、私は花嫁たちから奪うことにした。

 母星全体を覆っていた膨大な魔力層を月に移植し、母星の生きとし生けるもの全てが魔力の影響を受けないようにした。

 月は魔力を貯め込む性質を持っており、保存するには丁度いい場所だった。そして時が来るまで私も自らを月に閉じ込めた。

 彼女らは魔力で刃を造り出すことも空を飛ぶこともできず、非力な肉体のみで過酷な環境を生き抜かなければならない。

 ましてや月にいる私を見つけることはできず、この繰り返されてきた結末に何かしらの変化が起きるはずだと想定していたのだ。


 しかし結果はこのザマだ。

 彼女たちの行動は何も変わらなかった。そしてやはり、魔力を持たない花嫁たちはあまりにも脆く、弱い。

 私の花嫁たる資格は、その時点で喪失していたといってもいい。脆弱な花嫁など私は必要としていない。

 だが同時に、私は感嘆もした。 

 大したものだ。

 彼女らは魔力のない物質だけの世界で母星を飛び立ち、月にいる私まで辿り着いた。

 これで花嫁たちの叛乱の原因が魔力の有無ではないことが明らかになったわけだ。


 そしてまた『ではなぜ?』という疑問が生まれる。

 一つが明らかになればまた一つの疑問が生まれてくるこの無限回廊。

 答えを知っているのは、今私の目の前にいる花嫁たちだけなのだ。


「シルリィ。君ならうまく言葉にできるはずだ。何がおまえたちの憎悪を育み、私へと向けさせたのか。他にももっと何かきっかけがあったはずだ。思い出せ。心優しい君なら教えてくれるだろう?」


 私はそれを、それだけが知りたい。

 私はそれが無駄な質問であることを自覚しながら、それでもなお聞かずにはいられなかった。

 四人の花嫁たちが、私の満足する答えを返してくれたことなど、かつての一度もないというのに。


「…………」


 やはり、無駄な問いであったか。

 この最終局面に至り、私が花嫁たちから得られるものは何もない。

 わかっていたことではあるが、わずかばかりの落胆は拭えない。 

 早く楽にしてやるべきだろう。私は掴むような仕草で右手を彼女の頭に向けて掲げた。

 そこで不意に気づいた。シルリィリアは何かを喋ろうとしている。

 豆も通らないほど小さく口を開き、死に際の老人よりも弱いか細い声で。

 


「………………………………………………………………、っが……」



「……? それは、誰だ?」

「っ、ご、……ぇぶっ」


 シルリィは突然大量の血を吐いた。

 大きく痙攣した後、そのまま不自然な角度で首を大きく傾け、前のめりに倒れ込んで動かなくなった。

 どうやら視界を奪うだけのつもりが、他の内臓器官にも連鎖的にダメージを与えてしまっていたらしい。

 母星に満ちていた膨大な魔力全てが、月という小さな場所に収められていたせいだろう。 

 あまりに濃い魔力濃度の中にいるせいで、普段よりも力加減にわずかな差が生じてしまい、私にも想定以上の効力をもたらしてしまったようだ。


 私に死者を生き返らせる力はない。続きを聞けなかったのは残念だった。

 彼女たちの内の誰かが、他の誰かの名前を私に告げるのはこれが初めてのことだ。

 些か興味を惹かれた変化だったが、発言の主はすでに事切れていて深淵の底の沈黙のみが纏わり付いている。


 まあ、いい。

 まだ最後の一人が残っている。


「あが、が……放せ……! クソ魔王……! よくも、みんなを……、シルリィを――!」


 私は這い寄ってきたイグセリカの胸ぐらを掴み、宙に吊した。

 彼女は口以外の抵抗は見せなかった。吹き飛ばされたときに全身の骨が砕け、肩で地面を這う以外、全く動けなくなっていたようだ。


「どうか答えてほしい。イグセリカ。私を愛せない理由はなんだ?」

「貴様が……魔王だからだ……それ以外の、理由が、あるか……!」


 イグセリカの薄紅色の眼光が鋭く私を睨む。

 溜息しかでない。彼女たちはいくら拷問をしても似たような答えしか口にしない。

 懲りもせず同じ質問を繰り返す私も私ではあるが。


「最後にこれだけ訊いておきたい」


 シルリィリアが死に際に口にしたほどだ。イグセリカも知っているに違いない。


「ウィチャード・ラグナーとは何者だ?」


 その名を出した途端、イグセリカの口角が上がった。

 どころか、声を上げて笑い出した。


「あっ……はっ、はは。はははっ! おまえなんかに、教えてやるもんか……」

「……そうか。ならばいい」


 彼女たちにとってはひとかどの人物なのかもしれないが、私には関係あるまい。私は彼女たち四人の花嫁以外の人間に興味はない。

 ただほんの少し関心を持っただけの、つまらない戯れだ。 


「その代わり……いいことを、教えて、やるよ……」

「なんだ?」

「あたし、が卒業した……世界最高、峰の……工科大学じゃあな……おもしろいもんを……つくるやつが、山ほど……いる」

「それがどうした。そこにウィチャード・ラグナーがいるというのか?」

「ちげーよ……。まあ、聞きな……。おもしろいもん、ってのは……月面でも……俊敏に動いたり、フルサイズ弾薬をほぼ反動なしに、撃てる、ように……可変疑似重力、発生装置を、備えた宇宙服やら……、百万人規模の世界統一軍を……たった一人で統括する……超絶、人工知能やら……」


 イグセリカは私を威圧しようと試みているようだ。

 あるいは、単なる自慢かもしれない。

 どちらにせよ私にはたいして意味のないものではあるが。


「魔力のない世界で技術を極限まで発展させ、この場所まで辿り着いたお前たちは称賛に値する。だが所詮は物質世界でのみ有効な道具だ。私には通用しない」

「慌てんなよ……魔王。それからな…………」


 イグセリカは何が面白いのか、この状態で笑うことをやめない。 


「歯に仕込める……超小型、、とかだ……!」


 直後、イグセリカが強く歯を噛み締めた。

 一瞬にして周囲が閃光に包まれる。

 爆轟が一帯を吹き飛ばし、部屋は崩壊を始めた。





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