第2話



「これでいい。おまえたちの顔がよく見える。ああ、そうか。その兜がなければ私を見ることもできないのか。これでいいか?」


 真っ暗闇の中、魔王の背後で、突如バスケットボール大の光の玉が沸いて出た。ぼわ、と浮かび上がる魔王の姿。

 そして素顔を曝した、それぞれが眉目秀麗な四人の女性たち。


 輝く金髪に意思の強いヘーゼルの双眸。誰よりも先頭に立つ凜々しいイグセリカ。

 碧眼。肩までの栗毛。可憐な顔立ちに必死に強がりの表情を乗せるシルリィリア。

 赤髪に褐色肌。金色の眼。最も背の高く猛獣のごとき威圧を放つドラヴィオラ。

 知性的な深い緑の虹彩。黒髪を結い姿勢正しく聡明な雰囲気を纏うグウィレミナ。


 それが人類が魔王に初接触を試みるために組織された、四人の先遣隊だった。

 全員が女性であることに理由があるわけではなかった。軍の中で特に優れた成績を持つエリート兵士の中から、全軍部を統括する人工知能が総合的な能力を補完しあうように選んだ結果でしかない。出自も全員バラバラで、この任務で初めてチームを組む者同士だっていた。

 彼女たちの存在は、軍部の中でも機密レベルが最上に位置する極秘情報であり、直接軍部のシステムにでも介入しない限り、全員の名前など知り得るはずがないのだ。


 魔王は驚愕に身を竦める四人を、全く表情を動かすことなく見返してくる。

 そして告げる。


「私を愛せ。それがおまえたち四人の存在意義だ」


 恐怖を振り払い、イグセリカが怒号を飛ばす。


「ふざけたことをいつまでも!」


 魔王の一言で自分たちを定義付けられそれを認めるほど愚かではない。他の三人も同じ思いだった。


「なぜできない? 私はおまえたちにとってそれほど憎いのか」

「なぜ? なぜだと?」


 苛立ちを隠そうともしない声で、今度はドラヴィオラが吠えるように魔王に言い放つ。


「貴様が星を、地球をおかしくしたからだ!」

「世界中で起きた予想を遙かに超える大幅な気候変動、原因不明の生物の大量絶滅、人類を標的にしたかのような解析不能な致死性ウイルスの蔓延。どんなに優れた科学者も原因を特定できなかった。だが我々人類の保有する最高峰のAIが月にいる貴様を探知し、これまでの異常の全てが、貴様に関連していると判断を下した」

「おまえたちがここに来たのは、それが理由というわけか」


 捕捉するように言ったグウィレミナに、しかし魔王にはまだ納得した様子はみられない。


「そうよ。わたしたちは世界を救いたい。その想いでここに来ることを自分たちで選んだ。でも、本当はそれだけじゃない」


 シルリィリアの声には、使命を背負うだけじゃない個人的な感情が含まれていた。


「異常なほどの環境変動で、ここにいる全員が、家族、親友、恋人、大切な誰かを亡くしている。元凶が貴様だと言うなら、あたしたち全員に、魔王、貴様を恨む理由がある。ましてや愛するだと? はっ。ありえない」


 イグセリカが鼻で笑う。まさか、人類がその叡智を凝らして月の地下層から見つけ出した魔王と呼ばれているものが、女たちを侍らせたがるハーレム思想の持ち主だったとは。

 魔王はわずかに、ほんのわずかに肩を落としたような仕草を見せた。


「残念だ。――どちらにしろ、ここにきて私に攻撃を向けるおまえたちに、未来はない」


 イグセリカは、その言葉と魔王から沸き立った敵意を宣戦布告と受け取った。


「全員、武器尽きるまで応戦しろ!」


 魔王が攻撃意思を見せれば即抹殺。その許可は降りている。

 情報を引き出せないのは残念だが、魔王の存在自体が世界をおかしくしている元凶なら、ここで討ち取ってしまえばいい。

 人類に、超常の存在など必要ない。人の手を超えた救済も災厄も、神も悪魔も天使も魔王も、人類の存続を脅かす脅威でしかない。

 まさに今ここで、その存在を人類の叡智で抹消できるならそれに越したことはない。


 月の重力下では装備の重さを考慮する必要がさほどない。特殊仕様のライフルには装弾数が増えるように大型のマガジンが採用されていて、約一分のうちに、四人合わせて数百発の銃弾がフルオートで途切れることなく魔王を精確に撃ち抜いた。


「はあ、はあ、はあっ……」


 息を切らす四人。全員がほぼ同時に撃つのを止めた。

 命令があったからではない。

 撃ち続けても目の前の光景が何ら変化を起こさないからだった。


「どうして……全部当たったはずなのに……」


 絶望的な表情でシルリィリアが冷や汗を垂らした。 


「息ができるのは、私の魔力でこの空間におまえたちが生きるに足る大気を作り出してやったからだ。そして、魔力のないおまえたちの武器ではそもそも私を殺せはしない。これで説明は足りたか?」

「ま、魔力……? 意味がわからない……」

「聞くな! 言葉に惑わされれば見抜けなくなる。銃弾がすり抜けたのはあの人間の男の姿がホロリアリティの映像か何かなだけ! 息ができるのは、最初から酸素を充満させていたのを後から作り出したように言っているだけよ! きっとどこかに本物がいるはず!」


 グウィレミナが戸惑うシルリィリアを叱咤し律させる。

 実際彼女の分析は現実的で、他の二人にも目の前の異常現象のトリックを自分に納得させるのに役立った。

 イグセリカを除いた三人が魔王から視線を外し周囲を探った。魔王の挙動を警戒するイグセリカだけが魔王と顔を向け合った。


「無駄だということがまだわからないのか」

「黙れ! 発言を許可した覚えはない!」

「イグセリカ。君は四人の中で最も行動力があり勇敢だが、周りの話を聞かない思慮の浅さが自らの窮地を招くことがあるのが欠点だ」

「黙れと言っている! 我々は貴様のトリックには惑わされない!」

「私の言いたいことだ。イグセリカ。君は少し黙っていてくれないか」


 魔王が腕を軽く振った。


「っ!? ――っぐはああ!」


 不可視の衝撃波がイグセリカの真横から襲いかかり、彼女を百メートルは離れた壁際まで吹き飛ばした。イグセリカは全身を打ち付けられ息も詰まるほどの激痛に身を悶えた。

 目の前で突然吹き飛んだ仲間の異変。シルリィリアが叫ぶ。


「エルケ1の救護に向かいながら周囲を探る! それまで持ちこたえて!」

「「了解」」


 シルリィリアが指示を出し、彼女を守るように他の二人が前に出て魔王に射撃を再開した。

 魔王は銃弾を雨のように浴びながら、その場から一歩も動こうともしなかった。

 一体、イグセリカに何が起きた?

 魔王は片腕を、虫を払うように振っただけだ。イグセリカから十メートル以上は離れていた。腕を振ったのはどこかへの合図? しかし、視認できた飛来物はない。

 光学迷彩の施された高度な榴弾か何か? いや、それならば近くにいた他の三人も巻き込まれていないとおかしい。爆発物ではなく、ただ何か大きな質量を持った見えない物体がピンポイントでイグセリカだけを吹き飛ばしたとしか思えない動きだった。

 暗視バイザーが使えない今、魔王が生み出した不可思議な光源が照らす範囲も限界がある。その外にある兵器類を肉眼で見つけるのは困難だ。


 シルリィリアは自分があの魔王のトリックを解明しなければならないと強く思っていた。この四人の中で、場を俯瞰し状況を理解することに最も優れた自分が。

 そのときだった。数十メートルは離れたはずの魔王の声が、まるで耳元で囁かれたかのように聞こえてきた。


「シルリィリア。君は目が良すぎることが美点であり、同時に私にとっても厄介なものだった。悪いが奪わせてもらう」

「え……!?」


 魔王が自分の片手の指を、視線上のシルリィリアに合わせて摘まむような仕草をした。


「ぴぎゃ」


 彼女は突然、そんな奇妙な悲鳴を上げた。

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