不死なる魔王の永劫回帰性花嫁たち

樺鯖芝ノスケ

第1話



 国統軍ハーモニーΣベースより、およそ二百五十キロ地点



 潜伏推定地



 四つの銃口を突きつけられていながら、その男は平然と立ち微動だにしなかった。


「なぜ私を殺そうとする? おまえたちははずなのに」


 男は無表情のままそう言い放った。

 危機から逃れるための苦し紛れの言い逃れや現実逃避の妄言、ではない。

 まるでそれが自然の摂理に反することのように、心底不可解そうにそう言うのだ。


「ハッ……。頭がイかれてんのか? ってやつは」


 粗野な女の声が、呆れ笑いを含めながら漏れた。

 男に襲いかかってくる気配はない。ただ静かに銃口を向ける四人の兵士を見つめ返している。


「……どう思う?」


 奇妙な緊張感が漂う中、自分の判断の域を超えていると感じたのか、一人の隊員が助けを求めるように口火を切った。


「どうもなにも。あらゆるものが理解を超えている。説明しようがない」

「月面で素顔を曝して平然としていられるなんて……。ここの酸素濃度は外と変わらないはずよ。基地ですらまだ補助装備が必要なのに」

「そんなのわかりきってんだろ。あの野郎が情報通り、魔王だからだよ」

「そんなふざけた理由が……」


 兵士たちが口々に言い合った。そうして目の前の現実を努めて認識しなければ、自分たちの方が発狂してしまいそうだというように。

 ここは約四十年前、探査機によって人類史上初めて確認された月面の地下空洞、その最奥。

 人類は幾年にもかけて月面に基地や展望台の建設を進めると共に、その場所の調査を進めた。

 そして、未知の扉を発見するに至る。

 さらに研究者を驚かせたのは、その内部に生物としか考えられない反応をあらゆる計測機器が観測したことだった。


 人類は、その未知なる生命を魔王と呼称した。

 四人の兵士は、魔王のいる月面地下の部屋を探索するために派遣された先遣隊だ。

 積まれたプラスチック爆薬が扉を破壊後、統率された動きで四人は一斉に中になだれ込んだ。

 内部の構造はあらゆる分析によって明らかになっている。予定通りの動きを全員がこなし、隊形を展開する。


 目標はただ一つ。

 だだっ広い真っ暗な部屋の中央に感知された生命反応。魔王。

 色覚補正暗視バイザーで、光がないこの空間の中でも突入した隊員全員がその男を視認できた。銃口を精確にピタリと向けたまま外さない。

 人形かと思うほど男の端正な顔立ちに表情はなく、大学生ほどの青年と見間違えるほどに若くひ弱で陰気そうな痩せ型。黒髪は肩に触れるほど長く、ゆるく癖がある。

 全身を包むようなコートは髪と同じ真っ黒で、それは服というよりかは一反の布地を巻き付けているだけのようにも見えた。


 非現実的な光景が四人がすぐさま引き金を引くのを躊躇わせていた。

 魔王は再度、口を開く。

 それは、今度こそ四人の兵士たちを十分に震え上がらせるだけの威力があった。


「イグセリカ・エルヘイム」

「っ!?」

「シルリィリア・ローゼンボーゲン」

「え、えっ」

「ドラヴィオラ・リオネス・グランジトー」

「なッ……?」

「グウィレミナ・クルシュファ」

「ど、どうやって私たちの名前を……!」


 魔王が告げたのは、ここにいる四人の兵士全員のフルネームだった。

 宙域兵用スーツにはもちろん名前など書かれていない。見た目にも、光学迷彩を備えた頭まで覆われた全身スーツと、それぞれ一丁のバトルライフル。装備は全員共通で、誰が誰なのかなど他人に区別できるはずもない。

 作戦行動中はコールサインで呼び合ってもいた。だというのに、寸毫の間も迷うことなく魔王は全員の名前をフルネームで言い当てたのだ。


 男は沈黙したまま隊員たちをジッと見返している。

 たったそれだけのことが、四人にとっては常識を覆されるほどの現実だった。

 ここは月面であり、四人のいる地下空洞内の大気はわずかに発生するガス類を除けばほぼ真空だ。当然、離れた場所にいる人間の生の音声など届くはずがなく、隊員たちは装備に内臓されている通信機器を利用して会話している。

 だが魔王の声は、地球上で会話しているのと変わらない程度の感覚で耳に響いた。フルフェイスメット越しであるにも関わらず、まるでカフェのテーブル越しに声をかけられたかのように自然に聞こえたのだ。


「わたしたちは一体何を相手にしているの……?」

「知るかよ。全部含めて『魔王だから』なんだろうよ。ここじゃどんな理屈も常識も科学も通用しない。理解を超越してるなら、理解を放棄してことにあたれ」


 心細い呟きに、未知への存在に興奮と畏怖を湛えながらも強い意志の声が被さる。

 そのとき、兵士たちは別の通信を傍受した。


OPオペレーター:αより、エルケ1。魔王の様子を報告してください』

「突入後、八秒で魔王を捕捉。現在およそ二十メートルの距離で包囲中。魔王はこちらに気づくと、英語で意図不明な質問を我々に投げかけ、こちらを向いたまま沈黙。我々の返答を待っていると思われます」


 思えば言葉が通じることも謎めいている。月にいる魔王がどうして自分たちの言語を操っているのか。


『意図不明な質問とは?』

「なぜ我々が魔王に銃を向けるのか。そしてこちらがよくわかりませんが、いわく、我々は『魔王の花嫁であり、彼を愛すべき存在だ』だそうです」

『了解。アストラル・システムズに協議を要請します。二十秒待機してください』

「了解」


 きっかり二十秒後、オペレーターから通信が入った。


『協議結果を報告します。魔王の言動はこちらへの陽動である可能性が高いため、包囲網を維持。いざというときは、我々が後始末をつけます。魔王の尋問を続けてください』

「了解。尋問を続けます」


 内容は他の三人にも聞こえているはずだ。隊長であるエルケ1はオペレーターの指令を短く繰り返し、そして強く全員を律した。 


「未知の現象ばかりだが、魔王は実際に目の前にいる。それ以外の現実はない。エルケ3の言う通り、今は余計な分析は不要だ」


 魔王を尋問して情報を引き出し、そして可能ならば抹殺すること。

 それが四人に与えられた任務であった。

 魔王はこちらの動揺が収まるのを待っていたとでも言うように、改めて同じことを繰り返した。


「会議は終わったか? ならそろそろ私の質問に答えてもらおう。なぜ私を殺そうとする?」


 向こうから音声で疑問を投げかけてこれたということは、こちらの声も届くということ。

 言葉が通じる不可思議さを擲って、エルケ1は声を張り上げた。


「貴様は我々が保有する全ての武力に囲まれている。抵抗はせずこちらの指示に従え!」


 相手に優位性を感じさせてはならない。疑問に答えるなどもってのほかだ。


「我々は対話を望む。だが優位はこちらにある。抵抗を見せなければ撃ちはしない」

「そう、対話だ。この月面重力下仕様のZEL―TECH社製バトルライフルに加えて、この部屋の周囲を全方位囲む軍隊。そして上空からはワタシらの最高峰の兵器があんたを狙ってる。大人しくこっちの質問だけに答えな」


 未知の存在を前にして昂揚しているのだろう。エルケ3が手元の大型のライフルを機嫌が良さそうに見せつけながら告げる。

 エルケ1は調子を崩されてわずかに顔を顰めた。だがまあ、事実には変わりない。

 魔王はどういう反応を見せるだろうか。

 エルケ1は魔王の様子を慎重に窺った。もし暴れるようならば引き金を引くことに躊躇いは一切ない。たとえ相手が本当に魔王であれ、神であれ、だ。

 エルケ1が意を決しさらに一歩前に進み近付こうとしたときだった。魔王は再度、呟くように言葉を発した。


「対話は、私こそが最も必要としているものだ。だがその格好はいただけないな」


 魔王が動きを見せた。

 それはただ、右腕を前に掲げたに過ぎないものだった。

 余りに自然すぎて、全員が引き金に置いた指を動かすことすら忘れていた。

 そしてそれはその次に起こる異象をありのままに受け入れるという選択でもあった。


「さあ、我が花嫁たち。おまえたちの顔を見せてくれ」


 その直後、四人の頭部を覆っていたフルフェイスメットが同時に吹き飛んだ。

 すぐに月の薄い大気から守ってくれていたメットがなくなったことに気づき、全員が驚愕に目を剥いた。

 複雑な思考を巡らせ微動だにできなくなった者。これからやってくる苦しい窒息死への恐怖に叫び出す者。吹き飛んだ自分のメットを探して地べたを転げ回る者。冷静な判断を下して自らに自決の銃口を向ける者。

 四人がそれぞれの反応を見せる中、また、その異常さに気がついた。


「息が……できる……?」


 誰かが呟いた声を聞いて、他の三人も息を荒げながらもその事実を確認することができた。

 だが一度根付いた衝動は拭いきれなかった。死に向かっていた恐怖の対象は、平然と立つ魔王へと注がれる。





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