第17話 告白

 突如現れた翠は私服姿だった。Tシャツにジーンズというラフなスタイルであるが故にいつも以上にそのモデルばりのスリムな体型が際立っているが、余程急いでこの場に向かったのか髪の毛はやや乱れ、頬は蒸気し、ほのかに汗をかいている。

 「何で円谷君が……」

 どうやら彼女は父親と家政婦を追いかけてきたようだ。亮太がいることに関して疑問の言葉を口にしたのでそれに応えてやることに。

 「俺は今日が反省文の提出期限だからな。提出して帰ろうとしたらなんか出くわした」

 他にも色々あったが話せば長くなりそうなので割愛することにした。だが翠は床のあちこちに散らばったクナイを見て状況を察したのか、両の手をグッと握って久と久遠の2人を睨み付ける。

 「円谷君に……私の彼氏に何したの……?」

 その声には確かな怒りが込められていた。付き合いが短いとはいえ亮太も初めて聞く声色にビビる。

 その声に怖気ついたのか久と久遠は見るからに動揺。

 「そ、その男はお前に催眠術を掛けてるというではないか! だからその辺の事情をだな……」

 「だからってこんな強引なことして良いと思うの?」  

 「……ッ」

 翠の至極真っ当な意見に久は申し訳程度にあった威厳を完全に失い、その大きな身体を縮こまらせる。

 「それに私の転校もなしだから」

 そう冷たく言い放つと、翠は亮太の方へ向き直る。

 「ごめんね、円谷君。今日のことは忘れて。私はこれから先生に転校のこと取り消すように言ってくるからもう今日は帰って。……ね?」

 「あ、ああ……」

 こんなにも弱々しい様子の翠は初めてだ。亮太は頷いてその場を去る他なかった。


 どうにも昼間の出来事が気になって普段より食欲が湧かなかった亮太は白米をどんぶりで3杯といういつもより控えめな食事を済ませて自室のベッドで寝っ転がっていると、脇に置いておいたスマホが軽く振動。翠からのLINEによるメッセージだ。

 【翠:今日のことで話がしたいけどいい?】

 先程は忘れてくれと言われた様な気がするが、翠のあの普段は見せない激情に弱々しい姿。どうやら1人では抱えきれなかったらしい。

 【Ryouta:おう】

 こっちは気にしてないぜ、と暗に伝わればと思い敢えていつも通りに返事をした。すぐに既読がつき、またスマホが振動。

 【翠:ごめんね】

 「……」

 とことんらしくない。

 するとLINE通話の呼び出しが。すぐに応答ボタンを押す。

 「おう、俺だ。俺俺」

 『急にごめんね。本当に……』

 「……」

 場を和ませようと敢えてボケをかましたのだが、思いの外ダメージが大きいらしく、見事にスルーされてしまった。そこは「詐欺かよ!」とツッコミ待ちだった。翠の声は昼間と変わらず沈んだ様子だ。

 「いや、気にするなよ」

 スルーされたことにより亮太のメンタルもダメージを負ったが、今回は相談に乗る以上はいちいち落ち込んではいられない。

 「それで? 話したいことあるんだろ?」

 何でもないと亮太は軽い調子で尋ねると、電話口の翠は一旦間を取る。

 『…………その、私実はねイジメを受けてたことがあるの』

 「……え」

 二ノ宮翠といえば天上天下唯我独尊を地でいく女だ。ジャイアンよりジャイアニズムを駆使するエゴイスト。そんな彼女が人をいじめることがあってもいじめられることなどあるのだろうか。

 『……円谷君、失礼なこと考えてない?』

 「いや、そそそ、そんな、そそんなことないぜ!」

 ――コイツ、怪力のうえにエスパーかよ!

 亮太は恐怖しながらも自分が知る翠の声を聞けて同時に安心した。

 『……まあいいか』

 翠もいつものやり取りに少し安心したように微笑んだのが電話越しでも分かった。

 『円谷君は私が転校してきたのは知ってるよね』

 「ああ、当時は軽い騒ぎになったしな」

 実際のところは軽くどころか大騒ぎだった。何せヨモギ高校という平々凡々どころか異性と交際しようものならクラスメイトからは殺意を向けられるという治安の悪さにおいては他の追随を許さない学校に、社長令嬢がいきなり転入してきたのだ。

 『その転校の原因がイジメだったの。元々私が通ってた高校は、まあその所謂お金持ちの子達が通う様な学校だったの』

 「ほう……」

 この辺でそんなお金持ちが通う高校といえば……

 「……もしかして鐘餅高校!?」

 『……うん、そう』

 鐘餅高校といえば、日本中のお金持ちがこぞって集まる小学校から高校まで一貫性の私立である。その制服を着ていることで取り入ろうとする大人の対応は丁寧になり、反対に不良からのカツアゲ被害が増えるらしい。世の中のお金の力の恐ろしさを体現している学校であると言えるだろう。まさか翠がそこから転校してきたとは。

 『私が元々の学校がどこかは言わないでほしいって言ってたし、知らなくて当然だよ。私はそこに小学生の頃から通ってたんだけど、ずっとイジメに遭ってた。それこそきっかけなんて本当に大したことないものだよ。小学校6年生の頃に、クラスの中心だった女の子の意中の相手が好きだったのが私だったってこと。それ以来私はその女の子のグループから毎日イジメに遭ってた』

 「なるほど痴情のもつれというやつか」

 『まあそんなとこ。最初こそ私がいない間に椅子をひっくり返したりとか可愛いもんだったよ。幼稚なことに変わりはないけど。それに対して私はある教えに倣って無視していた。まあ時々落ち込んだりしたけど』

 「教え?」

 『桜子がね言ってたんだ。『本当に強く気高い人は私利私欲の為に暴力を振るったりせずに笑って許す』って』

 「……?」

 何か良いことを言ってる様な気がするが、あの人俺には秒でクナイ投げてなかったっけ?

 その辺りは大いに疑問だが、今の話の流れでそれを口にするのは野暮というものだろう。

 『その教えの通り、私はしばらくは落ち込みながらも耐えてた。幸い支えてくれる人もいたしね。でもある時気が付いたんだ。『いや、桜子も結構暴力振るってね?』ってね』

 「……」

 久遠桜子、以前から手が早いことに変わりはなかったらしい。

 『だからまあ黙ってやられてばかりじゃないんだぞって意味もあって睨み付けながら軽く小突いたんだよ。そして気が付いたら、いじめっ子達はみんな壁にめり込んでたり、地面に突っ伏してた』

 「はあ? 軽く小突いただけ――ああ、そうか」

 あの華奢な体型から忘れがちだが、翠は人並み外れた怪力だった。それなりに敵意を持って押したのならそれなりの威力だったのだろう。一瞬不可解な出来事にも思えたが亮太は深く納得。

 『その出来事によって相手の親からは猛反発。私の家も私の言ってることは信じてくれた。 ……でも、結果的に私は転校することになった』

 「え、何でだよ。多少やり過ぎたかもだけど、イジメがあったことは事実だろ」

 『……クラスメイト達の証言か決定打だった。要約すると、私がいきなりそのイジメっ子達をどついたんだって』

 「何だよそれ……」

 思わず声に怒気がこもる亮太に対して翠はなんてこともないといわんばかりにフラットな口調だ。

 『どうやらクラスメイト達に対してそのイジメっ子達が脅しを掛けてたみたいでね。最初こそ私を庇おうとした人もいたみたいだけど、数日もすればそんな声はなくなった。イジメっ子達のボスの親の会社とクラスメイト達の親の会社は取引があったんだよ。だからそういう圧力もあったんだと思う』

 それに証拠が残るやり方はしていなかったしね、とさらに不愉快な情報が付け加えられた。

 『だから私や私の親が何を言っても受け入れられなかった。流石にアレは堪えたなあ……』

 自嘲じみた溜息を吐く翠。

 まさか翠にそんな過去があるなんて思いもしなかった。亮太はなんて言葉を掛ければ良いか分からず押し黙る。

 『まあそんなこともあって転校してきたってわけ。だからお父さんも桜子もすっっっごく過保護なの』

 今度はウンザリした様に溜息を吐く。――まあ、心配掛けちゃったのは私だけどね、と翠は唇を尖らせる。

 『そんなわけで私はヨモギ高校では非の打ち所がない優等生として過ごしてた。誰からも嫌われないようにね。そして変な男を避ける為に円谷君、キミを彼氏役に任命した』

 「そこが未だに分からないんだよな。俺だって男だぜ? 変な気を起こすかもしれないだろ」

 『――え、変な気起こしてるの?』

 「え? いや、全然微塵もこれっぽちも」

 『ぶっ殺す』

 亮太の言葉を遮るシンプルな殺意。怖すぎる。

 「いや、待て落ち着け。そういうことじゃなくてだな。俺達ほぼ初対面だったのになんで彼氏役に俺を頼んだんだよ。前も聞いた時はぐらかされたし」

 『……』

 だがそんな亮太の質問に何故だか黙り込む翠。

 ――え、なにその沈黙。ちょっと気になるじゃん!

 沈黙に耐えられなくなった亮太は一方的に会話を打ち切るという逃げの選択。

 「まあ良いや。それで二ノ宮さんはある意味安全な学校生活を送る為に俺を彼氏役に選んだわけだな」

 『……そういうこと。ただ計算外だったのが、まさかそこまでを調べられていたこと。当初の計画だと私と円谷君は半年程度付き合って、私の方から『円谷君とはやっぱり良い友達が良いな』と言って別れるも円谷君は私へと好意を持ち続け、私に近寄る悪い虫は言われずとも排除するという設定でいこうと思ってて家族にはバレない予定だったんだけどな』

 「……え、待って? 俺振られる設定だったうえにそんな振られた後も俺の女みたいな感じのイタイ偏執的なストーカーになる予定だったの? その設定初めて聞いたんだけど?」

 『こうなったら方針を変えないといけないか』

 「おい、無視かオイ」

 『とりあえず私の家の人が円谷君に対してあんな態度なのはそういうわけなの。色々迷惑掛けてごめんね。これからどうするかは少しの間考えさせて。それじゃ、おやすみ』

 「おい、謝るのはそっちじゃ――って畜生、切りやがった!」

 本当にどこまでも身勝手な奴だ。

 だが、この電話を通じて色々とこれまでの出来事のバックグラウンドが分かった。二ノ宮翠の過去、そして自分が選ばれた要因。そして今日起きた出来事。

 家族の気持ちなど、自分は親になったことがないのでよく分からないが身近な人がイジメを受けていると聞けば自分もきっと心配するし、同時に強く束縛はされたくないという翠の気持ちも分からないでもない。一体どうすれば良いのか分からずにグルグルと考えを巡らせているとなかなか寝付けなかった。

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