第16話 二ノ宮家の人々

 「……まあ、平仮名が妙に多い気がするけど、これで良しとしよう。事情も事情だし」

 「ありがとうございます」

 担任である相馬は亮太の渾身の反省文(笑)を受け取ってその内容を確認すると一瞬表情をしかめたが、諦めた様に溜息を吐いて受理してくれた。

 「とりあえずこれで今日にて謹慎処分はおしまいだ。明日からは清く正しい学生生活を送るようにね」

 「つまり今まで通りってことですね」

 「……」

 亮太の心からのひと言に相馬は何か言いたげだったが、またひとつ溜息を吐くと気疲れした様子で「じゃあ、また明日」と一方的に会話を打ち切る。

 その気疲れやらストレスやらの最たる原因ともいえる亮太は「はーい」と呑気極まる返事と共に生徒指導室から出て行く。

 1週間も自宅謹慎となると流石に退屈だった。周りからの評判は下がる一方だが、長友佑都並みのブラボーなメンタルの持ち主の亮太にとっては退屈に勝るストレスなどない。

 「ふん♪ ふん、ふんふふん♪ ふーん♪」

 などと意味の分からない自作の鼻歌を歌うくらいには久しぶりの登校を楽しみにしていた。

 「ふふーん♪ ふー……っと! すいません」

 「むッ、こちらこそ」

 廊下の曲がり角にて食パンを咥えた美少女――でははく、お腹周りに脂肪を蓄えた中年男とぶつかりそうになった亮太。お互いに軽い会釈と共に謝罪。すると男の方は亮太をジッと頭の先から爪先まで見つめる。

 「……」

 ――ん、なんだ? ……ッ!? ま、まさか!?

 「……ん? おい? 何でちょっとずつ後ろ下がってるんだ!? 何で携帯取り出した!? おい、ホントやめて!」

 「……なんですか?」

 あまりに悲痛な叫びだったので武士の情けでとりあえず通報はしないでおくことにしたが、亮太の中でこの見知らぬ中年男の警戒度は高いまま。この男が結婚してるかどうかは知らないが、きっと家に帰っても妻や子供からは疎まれているか、独り寂しくしているに違いない(偏見)。そんな状況でこんなに良い男と少女漫画の冒頭の様な出会い方をしたら運命だの何だのと都合よく解釈して劣情を抱いてもしょうがないのではないだろうか。

 「……キミ、円谷亮太君だね?」

 「!」

 「こらッ! 通報はよしたまえ! とりあえず携帯をしまいなさい!」

 亮太の通報行為を何としても阻もうと、その男は押さえ込みに来る。体力では勝っているはずだが、体重で劣る亮太は上から抑え込まれる様な形に。

 「ああッ! やめてくださいよ! こ、こんなところで……そんな力づくで抑え込まないでください! や、やめ……」

 「紛らわしい声を出すのもやめたまえ!」

 ――パシャリ。

 「「!?」」

 突然聞こえてきたシャッター音に亮太と男は揃ってそちらへと視線をやる。

 するとそこに立っていたのはスマホをこちらに向けた黒髪ショートカットの女の姿が。

 その女は亮太達の視線に気が付くと、わざとらしく咳払いを1つ。そしてその男はその女と顔見知りなのか、しめたと言わんばかりの表情。

 「く、久遠君! キミもこの男を抑え込むのを手伝ってくれたまえ!」

 男の懇願にその久遠と呼ばれた女は一瞬だけ嫌悪感にまみれた表情を浮かべるとすぐにキリッとした表情へ。

 「その……旦那様。そういう性的なアレはあまり公衆の面前でするものではないかと」

 「だからそういうんじゃないってーの! 畜生、キミのせいだぞ! 勘違いされたじゃないか! ――こら、久遠君、下がるなッ! この男はアレだぞ! 例の円谷亮太だぞ!」

 「――何ですって!?」

 久遠は男の言葉に反応するや否やくの一のごとくクナイのような物を取り出すと亮太に向けて猛然と繰り出す。

 「うわあ!」

 「ひええッ!」

 亮太は辛うじて避ける。そしてもちろん亮太に覆い被さる形になっている男もその攻撃の被害を受けて、情けない悲鳴をあげる。

 「ちょ、ちょちょ、ちょいちょい! 久遠君! まだ私がいたよね? 見えてたよね?」

 「…………。すみません、自分ごと仕留めろという意味かと」

 「今の間は何だ!?」

 顔をタコのように赤くする男の尻に一本クナイが刺さっていることは黙っておいた方が良さそうだ。

 それに見知らぬ男の尻などどうでも良い。今はこの訳の分からぬ状況から自分の身の安全を確保することこそが最優先事項。

 「一体いきなり何なんですか!? これは殺人未遂ですよね!?」

 亮太が至極真っ当な意見を言うと男は尻にクナイが刺さったままどこか得意げな顔。

 「――何だかんだと聞かれたら答えてあげるが世の情けだな。それに安心したまえ、このクナイは私が彼女に護身用で渡したものでプラスチック製だ。当たるとスタンガンの様に電気を流すもので決して刺さったりはしない」

 「……」

 じゃあアンタの尻に刺さってるのは一体何なんですかね?

 この事実は教えない方が良さそうだと判断し、亮太は話を続けることを選択。

 「まあそれは分かりましたけど、それでも何でいきなり襲い掛かってきたんですか? それに俺のこと知ってるみたいだし。……あれ? もしかして俺って有名人?」

 亮太の言葉に今度は久遠が答える。

 「……ええ、貴方は有名人です」

 「そっかー! それならしょうがな――」

 「催眠術や脅迫を駆使して学校中の女子を手篭めにすることを目的に活動しているともっぱらの噂ですね。しかもつい最近は男にも手を出して停学になっていたとか」

 ――畜生、やっぱりそっちかよ! しかも何か部分的に嫌な誤解されてないか!?

 「そしてそこで貴方に聞きたいのですが、二ノ宮翠様と交際しているというのは本当ですか?」

 「そ、そうだけど……」

 実態は異なれど、交際宣言はやはりむず痒い。

 亮太の心情とは裏腹にその回答とともにピシリと空気が固まったのが分かった。

 「……」

 なるほど。翠の名前、この見るからに社長ヅラした男に仕事のできそうな女……ここから導かれる結論、それは――

 「アンタら二ノ宮さんの両親――ってぐわあッ!」

 自分の考えを告げた亮太をクナイが襲い、電撃を食らってしまった。

 「私は翠お嬢様の下僕――もとい、忠実なペット……でもねーや。二ノ宮家の家政婦をやってます。久遠桜子です。以後お見知り置きを」

 なんだか聞き捨てならない本音が混じっていたが、どうやら家政婦だったようだ。言われてみれば自分の奥さんを苗字で君付けはしないか。

 「……久遠君、そんなに嫌だったかね。私と夫婦と勘違いされるのは」

 怒り心頭でクナイを投げつけてきた家政婦の姿に翠の父親である中年男は哀しげな瞳。

 「そんなことより旦那様も名乗るべきでは?」

 雇い主であるはずの男の言葉をそんなことより呼ばわりされたが、流石社長をやっているだけあってメンタルは強いようでその男は佇まいを直す。依然尻にはクナイが突き刺さったままだが。

 「私の名は二ノ宮久。二ノ宮コーポレーションの社長……というよりは翠の父親だと名乗った方がキミには分かりやすいかな」

 「二ノ宮さんのお父さん……」

 同級生の親に会うことすら慣れないというのに偽の彼女という複雑な関係であれば尚更だ。

 「丁度良かったよ。翠の転校の手続きをしにきていたんだ」

 「……え」

 突然思わぬ宣言をされて亮太は絶句。

 「転校って……何で!? ……ああ、もしかしてこの学校で働いた悪事がバレそうだからとか?」

 「キミは人の娘のことを何だと思ってるんだね!?」

 亮太の心の底からの本音に久はまたも顔を真っ赤にして猛反論。

 何だと聞かれれば長所といえば美貌と人並外れた怪力のみで肝心の中身は捨て身で人を脅迫する卑劣な性格の持ち主だと思ってますけど? という言葉を発するより先に久が真っ赤な顔のまま主張を続ける。

 「私のエンジェルである翠が悪事など働くはずがないだろう! 困っている人がいれば迷わず手を差し伸べ、人の喜びや悲しみを自分のことの様に思い涙を流せるのだからな」

 「……」

 おかしい。いつか一緒に帰って公園に立ち寄った際に子供達が蹴ったサッカーボールが亮太の股間に当たって悶絶していた際に手を叩いて涙を浮かべながら爆笑していたのはどこの二ノ宮翠だっただろうか。

 「やあ、それなら俺の彼女(笑)の二ノ宮翠とは同姓同名の別人物みたいですね」

 「ふざけるなッ! 二ノ宮翠というラブリーチャーミーな名前の人物が他にいるか!」

 知るかよそんなこと。

 「それに円谷様。貴方のことも知っていることが何よりの証拠です」

 ラブリーチャーミーの定義など亮太はまるで知らないが、久遠の言うことは確かな根拠だ。どうやら同一人物らしい。つまり、翠は近々転校するということになる。そんな話初耳である。

 亮太が驚きと何とも形容し難い自分の感情に戸惑い、何も言えずにいると、

 「いた! ……って円谷君!?」

 そこに現れたのはこの話の当事者、翠だった。

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