第9話 台風女
「……で? 何だって俺にいきなり襲い掛かってきたんだよ」
亮太は鼻をかみ終えて、神妙な顔を作るがビンタされた頬は軽く腫れている。
「……」
花梨は不貞腐れたようにムスッとした顔。彼女は亮太の鼻水まみれになった顔を一度洗い、再度化粧してくるという徹底ぶり。そのまま逃げ出しても良かったと思うが、亮太にアレコレ言いふらされるリスクを考えて戻ってきた様だ。一度全て受け入れようと諦めた身としては何も言いふらせないが。
しかし、亮太には1つ考えがあった。
「もしかして二ノ宮さんが関係してるのか?」
「……!」
どうやらビンゴのようだ。
と言ってもそこまで驚くことでもない。花梨は亮太に翠との交際について確認してから襲い掛かってきた。簡単な推理だよ、ワトソン君。
恐らく小学生でも気が付くことに内心ドヤる亮太。
だが、そこからは頭の弱さと粗忽さに定評のある円谷亮太。スイッチが入っていない時の毛利小五郎ばりの迷推理を披露。
「ははーん、分かったぞ。佐倉さん、と言ったな。キミは二ノ宮さんに密かに想いを寄せていた。それはもう長い間内に秘めていた想いだ。だが、今のこの日本の法律ではまだ同姓同士の結婚は認められていない。だから諦めようとしていた。だが、そう思っていたところで俺という泥棒猫が現れた。キミとしてはいきなり掻っ攫われたような気分だっただろうな。だからそこで俺に無理やり迫り、浮気の証拠を作り上げて、二ノ宮さんと破局させようとした。――違うか?」
「全然違う」
「……え、うそん」
長々とドヤ顔で話した推理がたったひと言で木っ端微塵に粉砕された。それと同時に亮太のガラスのハートも木っ端微塵に。
「何急にベラベラと。オタク特有の早口ってやつ? 気持ち悪い」
「……やめろ」
「はあ? 何やめろって? やめなかったらどうするってのよ?」
「……くぞ」
「はあ? 何? ハッキリ言ってくんない? 聞こえないんですけど?」
「……泣くぞ」
「…………いや、もう泣いてんじゃん」
メンタルの弱さに定評のある亮太だった。
「……ぐすん。それだったら何でいきなり俺に襲い掛かってきたんだよ」
「ああ、もうごめんってば。ほらティッシュ。ちーんして」
「ちーん」
鼻水と共に弱気の虫も体外へ出した亮太は少し立ち直った。これはある意味長所でもあるが、単純さにも定評のある亮太だ。
「……私、二ノ宮翠が大っ嫌いなの」
「……へえ、見る目あんな」
「は?」
「あ、間違った。なんでもないぞ」
あの猫被りに騙されていないことへの感心から心の底からの本音が漏れた亮太は慌てて前言撤回。わざとらしく咳払いをする。
「まあその二ノ宮さんのことが嫌いなんだな、ウン」
亮太の不審過ぎる態度に花梨は訝しげ。
「普通付き合いたてホヤホヤの彼女が悪く言われたらもっと怒るもんじゃない?」
だって本当は付き合ってないし、という言葉を亮太は辛うじて飲み込んだ。
「ま、まあ俺はその辺寛容なんだよ。どうしても合わない人なんているしな! ……それで? 何でそれが俺を呼び出すことに繋がるんだ?」
そもそも翠が気に入らないのであれば、本人を呼び出せば良いのだ。いきなりキスしてこようとしてきたりめちゃくちゃだ。
「わたし、アイツのせいで彼と別れたの」
「……ほう」
「わたし、春休みくらいまで付き合ってる人がいたんだ。でも春休みの終わりに急に別れてくれって言われて……。急にそんなこと言われても納得できないよね。だから何でか聞いてみたんだ。そうしたら、あの女のこと好きだって……」
「……」
気の毒といえば気の毒だが、よくある別れ話の様な気もする。それに今のところそれがどうして今回の行動に繋がったのかはサッパリだが、とりあえず傾聴の姿勢を示す。
「彼、わたしのこと好きだって、1番だっていつも言ってくれたの。それなのにその1週間後にそれだよ。そこでわたしは思ったの。これは二ノ宮翠が何かしらの卑劣な手段、例えば催眠術とかを使ったってね」
「え」
何だか急に色々すっ飛んでないか。しかも何かその言い分、典型的な浮気男のそれな気がする。
「そして先週。二ノ宮翠に平凡でかつ粗忽そうな彼氏が出来たという噂が出てきた。そう、それが円谷君キミだよ」
亮太は思っていた以上の低評価にガックリきたが話の腰を折らない為にもグッと堪える。
「先週はその話題で持ちっきりだったよ。今まで誰とも付き合うことがなかった二ノ宮翠に彼氏ができたってね。円谷君が盗撮して脅迫しただのマインドコントロールを駆使しただのありとあらゆる噂が流れた。もう女子からは生ゴミ以下の扱いだった」
「……」
自分の評判が地の底まで落ちていることを改めて聞き、言葉を失う亮太に構わず花梨は続ける。
「でもわたしの考えは違う。全て逆だったんじゃないかって。つまり、円谷は被害者で二ノ宮翠は加害者。二ノ宮翠は何かしらの手段で円谷を脅迫、もしくは洗脳。それにより交際関係を結んでいるってね」
――す、すげえ! 過程はともかくとして殆ど当たってるぞ!
驚きのあまり出かけていた涙が一瞬で引っ込んだ。
「まあ、これは愛しの彼氏を奪われたわたしだから気付けたんだけどね。わたしでなかったら見逃しちゃうね」
亮太の驚愕の表情に満足いった様子の希望は得意げに髪をかき上げる。
「……ってちょい待ち。それが何で俺を屋上に呼び出して襲い掛かることに繋がるんだ?」
「……いやだって。わたしこんな屈辱を味合わされたんだよ。だったらわたしが二ノ宮翠から彼氏を奪えば屈辱をそのまま返せるじゃない。それに円谷の救済に繋がるし」
何だかまた雲行きが怪しくなってきた。
「きゅ、救済?」
「うん。彼が言ってたの。男子は性的に満たされると悟りを開いて、救われるって」
「……」
それは何か色々と違う気がする。かといって、それをわざわざ訂正するのも色々アレな気がするので亮太は黙殺。
「……えーと、その彼氏は二ノ宮さんのこと好きだと言ったんだよな。俺の知る限りだけど、二ノ宮さんは俺以外に付き合ってる人いないはずだし、今なら上手くいくんじゃないか?」
すると何故か花梨は哀れなものを見る目を亮太に向ける。
「円谷、アンタにはまだ分からないかもだけど、女には色々あるんだよ。二ノ宮翠ほどの卑劣な女が彼氏1人で満足できると思って?」
大概が妄想でしかないうえに何だか馬鹿にされている気がするが、亮太は黙って先を促すことに。
「アンタに黙って他にも男の10人や20人、いや100人くらいはべらしているんだよ。そして、彼もその中に! 嗚呼、可哀想な彼! そしてわたし!」
わあッと両手で顔を押さえて泣き出す花梨。とりあえず亮太は自分の方が余程可哀想だと考えている。
ましてや翠は告られるのが嫌で、亮太を利用しているのだ。花梨が言っていることは完全に言い掛かりだ。しかし、それは翠との契約上言えない。
「まあ、そうかもしれないけど、そんなに好きならもう一回くらいアプローチしてみたらどうだ? 相手の名前はなんて言うんだ?」
「江呂山覗久」
「……」
その名前を聞いた瞬間亮太の中で記憶が呼び起こされる。江呂山ってもしかして翠に卑猥なアプローチしてきて友達にボコられていた彼のことか。
「……今日はいい天気だな」
「何露骨に話逸らしてるの」
――ちいッ、そう誤魔化せないか。
さて、どうしたものか。とりあえず1番にやらなければいけないのは自身の安全の確保だ。
「話は分かった。だけど、二ノ宮さんに復讐する目的で俺に襲いかかっても江呂山の好意が佐倉さんに向くことはないんじゃないか?」
「む」
よし、良い反応だ。
「それにアレだぞ。二ノ宮さんの実態がどうあれ、二ノ宮さんから彼氏を奪ったということについては周りから良い反応が得られないんじゃないか? 友達無くすぞ」
「まあ友達はもういないけど。覗久君に『俺以外の連絡先消して。できるよね?』って言われて」
さっきからアレだが江呂山なかなかのクズ野郎っぷりである。
「ま、まあでもアレだ。学校通いづらくなるのは嫌だろ?」
「……まあ確かにそうかも」
「……」
――よしよし、これで俺の身の安全は確保された。
「だから復讐なんて止めな。江呂山にアプローチするのも良し、新たな恋を探すのも良し。俺は応援してるよ」
良い感じのセリフとキメ顔と共に踵を返した亮太の襟首に衝撃が。
「ぐえッ」
思わぬ衝撃に亮太は蛙の鳴き声の様な声を上げる。涙目で振り返ると、そこには真剣な表情の花梨が。
「……ま、まだ何か……?」
「……だって」
「は?」
「手伝って!」
「え。……もしかして江呂山へのアプローチを?」
「そうしろって言ったの円谷でしょ! 責任取ってよ!」
『責任取ってよ』は男が異性に言われたい台詞トップ3(亮太調べ)(ただし仕事は除く)だが、タイミングが悪い。しかも完全にその場凌ぎで言った台詞に対してなので非常に体裁が悪い。浮気性の男が一途な女子に迫られるのはこんな気持ちなのだろうか。
亮太の微妙な表情から何かを感じ取ったのか希望はムッとした表情を浮かべる。
「いいよ。そうしたらわたし円谷に汚されたって言うから」
「はあッ!? ちょっと待てよ……!」
いや待てよ。ある意味(鼻水まみれにした)では事実。否定が難しい……!
「わたしは友達少ないけど、円谷も今敵多いもんね。わたしがこれ言いふらしたらどうなるかな?」
間違いない。二ノ宮翠信奉者共の怒りを煽り、ヤキを入れられる。……いや、そもそもそれで済むのか?
亮太は自分の悲惨な末路を想像して身震い。
「待て待て待て。わかった。話し合おう」
話し合うことなく始末される人物の様な台詞を吐きながら、亮太は渋々頷いた。
「……協力するよ」
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