第6話 力こそ正義

 翠に右ミドルキックを教えるといよいよミット打ちをすることとした。

 やはり翠は飲み込みが早い。確か小学生の頃からずっと運動神経も良かったみたいで今も合気道をやっているみたいだし、武道の心得はあるようだ。

 どうせなら翠にもキックボクシングを楽しんでもらいたい。ミット打ちにおいて良い音を鳴らすには打つ側の力量ももちろん、ミットを持つ側の力量も重要である。姉や両親に教わったことを思い出しながら亮太は借りたミットを手に持ち、準備を進める。

 「よし、じゃあ始めようか」

 亮太が声をあげると翠は「おう!」と力強く返事をして構える。

 「とりあえず最初は教えた左ジャブ、右ストレート、右ミドルキックをランダムに指定してミットを俺が出すからそこに向かって打ち込んでくれ」

 「了解(オーキードーキー)!」

 グローブをつけているせいで敬礼のポーズになっていないが、翠は右手を額の辺りにあてて可愛らしく返事をする。

 「よし、じゃあまずは左ジャブ」

 「よしきた」

 パンッと良い音と共に亮太のミットを持つ手の芯に響く感触。翠も同じ感触なのか、気分良さそう。

 「右ストレート」

 「うい」

 ――パンッ!

 利き腕だけあって芯により強く届く感触。

 「右ミドルキック」

 「とりゃ」

 ――スパァンッ!

 元々筋が良いとは思っていたが、1分間程度同じようなことを繰り返していくうちに翠のそれらの動作はどんどん良くなってくる。普通は教えてもらったばかりの動作であるがゆえに頭の処理や運動神経が追い付かずについ指定された動作とは異なることをしてしまったり、手打ちになってしまったりするものだが翠にはそれがない。

 「よし、いったん休憩しよう」

 「あいあいさ」

 1分間とはいえ、翠の頬は蒸気して額には汗が浮かんでいる。キックボクシングは有酸素運動と無酸素運動の繰り返しなのでかなり強度が高いので無理はない。

 「ちょっと水飲んでくる」

 かと言って翠にバテた様子はない。レンタルしたタオルで軽く汗を拭き、水を飲むとあっという間に復活。

 「よしッ、身体あったまってきたしもう一回やろ! まだ全然殴り足りないよ!」

 ミットを持っているとよく分かるのだが、翠は殴るたびに喜びを浮かべている。さっきから疑問なのだが、この一見何不自由なさそうな同級生も相当ストレスが溜まっているようだ。隠れた暴力性には恐怖を禁じ得ないが、せっかく楽しそうなのだから今日はとことん付き合ってやろう。元は翠のせいではあるとはいえ学級裁判では助けてもらったし。

 「それなら今度は思いっきり打ち込んでみようか」

 「え、良いの?」

 「ああ」

 そう、もう一つ気になっていたのは翠は無意識のうちに力を抜いているようにも見えた。思いっきりブン殴りたいと公言していたのにも関わらず奇妙にも思えたが、もしかしたら亮太に気を遣ってくれていたのかもしれない。

 「俺家の手伝いで同じようなことやってるし、もっと厳つい兄ちゃんのミット打ちだってやっている。だから遠慮しなくていいよ」

 ――あれ、何か今の俺デキる男っぽくてカッコよくね?

 「円谷君……」

 亮太がナルシシズムに浸っていると、翠は思いの外尊敬の眼差しである。不覚にもその眼差しにときめきかけたが、デキる男はその程度では動じない。亮太は軽く咳払いをすると、ミットを構える。

 「よっし! じゃあ、始めるぞ! ワンツー!」

 「よっしゃあッ!」

 男前な声と共に翠は左ジャブと右ストレートを連続で放つ。

 「!?」

 想像以上に強烈な衝撃がミットを構えた手に――いや、身体の芯に響く。声をあげかけたが、そこは教える立場の意地。ぐっと堪え、亮太は「右ミドル!」と次なる指示。

 「うりゃあッ!」

 「ごふうッ!」

 ――いや、おかしいだろ!? 何でミット越しに俺がダメージ受けてんの!? どんな怪力だよ!

 亮太は自らの危険を感じ、左手を前に差し出しながら息も絶え絶えに訴える。

 「……み……ど……! ……る! ……思いきり! ……って!(二ノ宮さん、ストップ! 訂正する!思いきり力抜いて!)」

 「オーキードーキー!」

 一時的な呼吸困難により奇跡的な途切れ方と発音となった亮太の命乞い。それは結果的に翠のさらなる力を引き出した。亮太の身体は強い衝撃と共に宙を浮き、壁に叩きつけられそのまま目の前が真っ暗になった。こうして意識を失う中でこれまでの16年の人生の思い出の数々が閉じた目に浮かんだが、もしかしてこれって走馬灯?



 「……はッ!?」

 「お、目覚ましたね。頭大丈夫?」

 目を開けるとそこにあるのは見慣れない天井……ではなく、偽彼女である二ノ宮翠の無駄に整った顔。聞きようによってはかなり強めな侮辱の言葉だが、不安が入り混じった表情で亮太の顔を覗き込むその様子からそうではないと判断。第一それ以上に何故このような状況なのか。目が覚めたばかりでまだ軽く混乱しているのだ。

 「……えっと、何で二ノ宮さんが……」

 「だって円谷君吹っ飛んでからずっと目覚まさないから」

 「……吹っ飛んで……ウッ、頭が」

 思い出した。ここには翠とキックボクシングをやりに来ていたのだ。翠に基本を教えた後にミット打ちをやっていたら突然目の前が真っ暗になったのだ。

 「いやー、ごめんね。すっかり忘れてたけど私人より力がちょっと強いみたいで……」

 「……」

 たはは、と照れ臭そうに頭をかく翠。1つツッコミを入れるならばちょっとどころではない。まさか生涯の中でヤムチャすることになるとは思わなかった。

 それに色々思い出したが、走馬灯らしきものを見た後ぼんやりとした意識の中で写真の中でしか会ったことのない曾祖父母が川の向こうで手を振っている景色を見ていたのだから。もし、あれを渡っていたらこうして目を覚ますことはなかっただろう。

 もし翠が格闘技をやりたいと言い出した暁には力の加減を覚えてもらわねばならない。

 「まあ、目を覚まして良かったよ。付き合って早々に未亡人は悲しいしね」

 その恋人が死因の場合、それは果たして未亡人と言うのだろうか。

 「いや、悪い。ここは医務室か」

 「んにゃ。普通に休憩用のベンチだよ」

 「え、じゃあこの柔らかい枕は?」

 「私の膝枕」

 「……え」

 思わずガバッと立ち上がる亮太。だから起きた瞬間、翠の顔が視界に入ったのか。気付くのが遅すぎる気がするが、生死を彷徨っていた以上は無理もない。

 「うわっと、危ない! いきなりチューは許さないよ。いくら私の膝枕が気持ち良いからってダメ、ゼッタイ」

 翠は珍しく慌てながら麻薬撲滅の標語みたいな叱り方で亮太の行動をたしなめる。

 「いや違うって。何で膝枕?」

 「喜ぶかなーって」

 「いや、そりゃ男子の憧れるシチュエーションランキングトップ3は堅いが……いや、そうじゃなくって!」

 さりげなく自分の願望をさらけ出しながらノリツッコミ。

 「オレ、キゼツ、何デ医務室運バナイ?」

 「何でカタコト?」

 「それな」

 それでもそれくらい許してほしい。いくら偽装彼女といえど、いきなりの膝枕は心臓に悪いのだ。

 「私も医務室運ぼうと思ったけど、通りすがりの医者を名乗る人がそのままにしておいた方が良いって言うから」

 何そのヤブ医者。怪しすぎるだろ。こちとら三途の川渡りかけてたんだぞ。

 「だからこの翠ちゃんが出血大サービスで膝枕してあげてたの」

 「どちらかというと出血したのは俺なんだけどな」

 「ははッ、円谷君面白いね」

 全く面白くないが、翠も悪気があったわけでない。幸い大きな怪我もなさそうだし、偽デート再開するか。

 亮太が切り替えようとすると、

 「あれ!? 目覚ましてるぞ!?」

 「ウソ!? さっき脈止まってたぜ!?」

 目の前に現れたのは2人組の男。――え、待って。俺脈止まってたの?

 「あ、さっきの通りすがりのお医者さんだ」

 「――え、コレが!?」

 その2人組の容貌から亮太は思わず初対面をコレ呼ばわり。それも無理ない。何故ならその翠にお医者さんと呼ばれた2人組は揃ってこんがりと小麦色に焼けた肌に金髪に耳には痛々しいほどに空けまくったピアスの穴。どっからどう見ても【男2人で寂しくスポパラに遊びに来た暇な大学生】である。

 しかし、すっかり騙された形の翠は外行きの表情と佇まいでその2人に向けてペコリと頭を下げる。

 「お二人のアドバイスのお陰で彼が目を覚ましました。ありがとうございます」

 「……ちいッ! ……あ、いや失礼。それは良かった」

 「……あ、ああ! 本当にな」

 「……」今舌打ちしなかった? したよね?

 亮太の中で疑念がますます深まる中、翠は頭を上げる。

 「あれ? もしかしてその小瓶、さっき仰っていたお薬ですか?」

 「え゛!? あ、いやこれは違うんだ!」

 翠に指摘された背の低い方の男は慌てて小瓶らしきものを鞄に隠す。

 その小瓶に入っていた液体がまるで悪い魔法使いが大鍋でぐるぐる掻き回しているような毒々しい色をしているのを亮太は見逃さなかった。

 ……なるほど。状況が少し見えてきた。この2人はもちろん医者ではなく、その正体は見立て通り【男2人で寂しくスポパラに遊びに来た暇な大学生】だろう。

 さしずめ、この若い女子が集まるスポパラにてナンパをしようとしていたというところかで気絶した亮太を介抱しようとしていた翠を見て声を掛けたといったところか。恐らく亮太にあの禍々しい液体でトドメを刺して3人で遊ぼうという魂胆に違いない。

 普通の16歳がこんなことを考えるのはおかしなことだが、過去に偽ラブレターやら何やらに引っかかりすぎて若干性格が歪んだ亮太なので無理はない。

 とりあえず、亮太が目を覚ました以上奴らはこれ以上ナンパしようなんて気は起きないだろう。彼氏と一緒にいる女子を狙うなんてハードルが高いことわざわざしてこないだろう。

 「「…………」」

 「……」あれ? 帰んないの!?

 何だか物欲しそうな目でこちらを見つめるナンパ野郎達。そんな目で見つめるのは吐き気を催しそうになるから勘弁してほしい。それが許されるのは小動物くらいなものだ。

 ……もしかして、『彼氏持ちだけど、コイツ程度からなら奪えるかも』とか思われてる?

 「あのぉ……もし良ければお礼もあるし私達と遊びませんか?」

 両者の睨み合い(?)による静寂を破ったのは翠。

 「え、おいッ……」

 「良いね!」「今日は講義なくて暇だしな!」

 亮太が翠へ言葉を掛けようとするも時すでに遅し。2人は案の定乗っかった。講義とか言ってしまっている辺り医者という偽りの姿はもう忘れてしまったようだ。

 「まあ、聞きなって」

 憮然とする亮太に翠は肩を掛ける。……近い。

 「流石にあの2人がナンパだってことは分かってるよ。安心して。この身も心も円谷君のものだから」

 ウインクを添えながら何とも小っ恥ずかしいことを言う翠。

 「いい? ああいうエロい目をしたナンパはしつこいし、下手にあからさまに断ると逆上する場合もある。だったら上手くあしらうのが1番手っ取り早い」

 確かにあの2人はエロい目をしていた。言いたいことはわかる。

 「でも、遊ぶって言ってもどうするんだ?」

 「ここはスポパラだよ?」

 「!? ……ま、まさか!?」

 ――二ノ宮翠、恐ろしい子!

 亮太は思わず白目を剥く。

 「それにあの人達には円谷君を殺されかけたっていう借りがあるしね」

 「……」

 ――いや、真面目な顔してるけど、実質殺しかけたのキミだよ?

 堂々と責任転嫁する翠はそのまま2人組の方へ向き直ると、

 「それじゃあ、テニスのダブルスで対決しましょうか? 負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くという罰ゲーム付きで♡」

 「な、何でも……!?」「……ゴクリ」

 今2人組はとても口にし難い妄想をしているに違いない。それが叶うことはないというのに。

 「それじゃあテニスコートに行きましょ♡」

 「「よろこんでええええッ!!」」

 居酒屋店員の様に元気いっぱいに返事をして2人の男はテニスコートへと向かった。

 その後のことは亮太の思った通りだった。

 少々残酷な描写もあるので詳しいことは割愛させていただくが、敢えて言うならば亮太はこの日波動球の存在はフィクションの中だけでないこと、テニスに逆転ホームランは存在することを知った。

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