第4話 愛は永久、謎は迷宮

 「じゃーね、円谷君♡」

 屋上から戻って亮太の2年3組の教室前。人前だからか翠の声はワントーン上がる。

 「……ああ、永遠にな」

 「……なんか言った?」

 「……! いえ、なんでもございません!」

 ――なんだよちょっとした軽口じゃん!

 一瞬低くなった周囲の温度と翠の声に亮太の恐怖心が跳ね上がる。

 翠は亮太のその様子に満足がいったのか、ニッコリ笑ったのちにもう一度「じゃーね♡」とウインクを添えながら投げキッス。そんな普通の人間がやれば痛々しいことですら似合うのは流石である。

 亮太は自分がそんなことやる訳にもいかないので適当に手を振って答えると、翠はトタタと廊下を駆けていく。やれやれ元気な奴だ。

 「……チッ」

 「?」

 舌打ちの様な音が聞こえてきたので周囲を見渡すが、人が多すぎて誰だか分からない。というか流石にこんな公衆の面前で今みたいなやりとりをした自分達が悪いか。

 そう、反省をしながら亮太は教室のスライド式ドアを開ける。

 「円谷君遅いよ。席に着いて」

 「あ、すいません。……ってアレ? まだ予鈴鳴ってませんよね?」

 担任であり、5限の現国担当であり胃薬が友達である担任の相馬先生の低い声に思わず謝ってしまったがまだ10分前である。何故か姿勢正しく座っている他のクラスメイト達を見渡して援護射撃を求めるが、誰も味方してくれない。目の合った琉は気の毒そうな目で見返してくる。

 一体どういうことなのかと疑問に思っていると、相馬先生は亮太の反論を無視して低い声で告げる。

 「それでは皆さんの要望通りに始めましょうか」

 「……は?」

 意味が分からなく思わず声が漏れたが、そんな亮太がおかしいと言わんばかりに周りは全然気にしていない。

 「委員長、お願いします」

 相馬先生はそれだけ言うと、教壇から降りてパイプ椅子に腰掛ける。何だかその体躯がいつもより小さく見えるのは気のせいだろうか。

 「はい」

 委員長である小田という男子生徒が短く返事をして代わりに教壇へ。

 小田は堅物で有名で今どき珍しい規律を重んじるステレオタイプの委員長である。神経質そうに眼鏡をくいっと持ち上げると語りはじめる。

 「皆も聞いていると思うが、5限目は相馬先生に許可をいただき、急遽現国からロングホームルームへと変更になった」

 「……え、聞いてないけど」

 「ああ、円谷には言ってないからな」

 ――いや、言えよ! 何が「聞いてると思うが」だよ!

 亮太は納得いかないが多勢に無勢。ここは渋々黙っていることにする。

 急遽変更になった時間、そして何故か定例より早い開始時間、余程の緊急事態というわけか。その余程の緊急事態に何故自分だけ声を掛けられなかったのか。……もしかしてイジメだろうか?

 得意のネガティヴ思考を発揮して勝手に落ち込む亮太をよそに小田は仕切り直しとばかりに咳払いを挟むと話し始める。

 「いきなりの時間割変更に応じてくれた皆と相馬先生には改めて感謝する」

 小田はペコリと頭を下げる。

 「気にすんなよ」「緊急事態だしね」「学校全体の問題だもん」

 クラスからは小田を擁護するような声が次々に出てくる。

 しかし相馬先生が小さく溜息を吐いたのが気になる。

 全く何のことやら分からないが、とりあえず感動的なシーンらしい。小田は眼鏡を外し、涙を拭う。そんな小田に胸を打たれたのかクラスメイト達もウンウン頷いている。とりあえず亮太もそれに倣うことにする。

 涙を拭い終えた小田はしっかり佇まいを直す。

 「さて、それでは皆の時間を使ってるわけだから早速議題に入らせてもらう。『二ノ宮翠と円谷亮太の交際疑惑について』だ」

 「…………」

 唐突に教室内で高まる殺気。――これはマズい!

 「おっと逃げようたってそうはいかないぜ」

 いち早く危機を察した亮太は廊下に飛び出そうとするが、何故か廊下から他クラスの生徒が現れて出入口を瞬く間に封鎖。

 「お、来たな。もう始めてるから椅子を持ってきた者は座って、スペースがなかったら悪いが立っててくれ。ああ、それと円谷を取り押さえるのに何人か頼む」

 「「「「「御意」」」」」

 小田の号令により同級生達は訓練された兵隊の如く連携を見せて亮太を拘束して、縛り上げたうえで全員からよく見える位置に吊るされる。

 「ちょ、ちょっと何するんですか!?」

 流石にこれは黙ってられない。亮太は抗議の声をあげるが、

 「うるせえ! この外道が!」

 とまさしく外道のごとき振る舞いをしている連中に怒鳴られてしまった。

 その様子を見ていた小田は満足げに頷く。

 「……よし、皆協力ありがとう。では改めて我らがアイドル二ノ宮翠が何故かこの円谷亮太被告と付き合っているという噂が流れている。現に今日の昼休みの時間、この教室に彼女が現れ、あろうことか円谷被告をランチに誘った。……ううッ」

 突如泣き始める小田委員長。堅物と言われる彼は一体どこへいったのか。そんなツッコミなど入れられる空気ではない。

 「そこで我々は話し合った。そもそも2人は本当に交際しているのか? 被告は何か卑劣な手段を用いて二ノ宮さんがそれに従わざるを得ないようにしているのか? 等々な。色々話し合った結果、我々は真実を知る為にこの五限の時間をロングホームルームとして学級裁判を行うことをした」

 「……」

 ――クラスメイト達がこんなにもアホだとは!

 「……って先生! 先生は何やってるんですか!? こんなアホみたいなことで授業の時間潰して良い訳ないでしょう!」

 亮太がパイプ椅子に腰掛けている相馬先生に異議申し立てると、当の相馬先生はゆるゆると首を横に振る。

 「いや、僕としてもそれはどうかなーって思ったんだけど、その……ね……」

 相馬先生は人の良さもあって人気だが押しに弱い。多勢に無勢と判断して亮太を損切りすることにしたのだろう。鱗滝さんなら判断が早いと絶賛するに違いない。

 「いや、そもそも普通に告られて付き合っただけなんだけど」

 亮太が混じりっ気なしの事実を伝えると、ゾッとするくらいに教室の温度が下がり、それと同時に殺気が高まるのを感じた。

 「まあまあその辺はゆっくり聞かせてもらおうじゃないか」「そうだな、幸い時間はたっぷりある」「穏便に行こう」

 何故か他クラスの生徒や教員まで学年関係なく、ゾロゾロと現れる。一体他クラスや他の先生が現れるとは。何故ここまで大事になっているのだ。そんなに自分と翠は不釣り合いだろうか。

 だがそれ以上に気になることが。

 「ちょっと待って? 何で釘付きバット? 何でスタンガン用意してるの?」

 穏便とは程遠いアイテムの数々に亮太の自分の生命の危機を悟る。

 「さて、もう一度聞こう」

 委員長が眼鏡を光らせながらクイっと上げる。

 「円谷、キミは本当に二ノ宮翠と付き合っているのか? もし付き合っているのならそこまで至るのに活用した術をここにいる全員に公表するんだ。それが出来ない場合は――」

 委員長は高校の教室に似つかわしくないアイテムの数々に目をやる。

 「身体に聞くとしよう」

 リアルでそんなこと言われたの初めてだ。しかも自分が翠と交際しているのが催眠術等ありきになっているのを言及したいし、そもそも偽彼氏とはいえ付き合っているのだから彼等の要求に応えられないし、そんなことを言える空気でない。

 ――どうする? どうするよ俺!?

 「――失礼します」

 過去に見たクレジットカードのCMを思い出すのは走馬灯なのだろうか。だとしたらそんな走馬灯は嫌だ。そんなことを考えていたら昨日から嫌というほど聞いた声が。

 モーセの海割りの如く野次馬達はその声に反応して道を開ける。そこに立っていたのはやはりと言うべきか二ノ宮翠。

 10分弱ぶりの再会では感動もクソもないが、誤解を晴らせるかもしれない翠の登場に亮太には希望が芽生えた。

 本人の預かり知らぬところでこの裁判における被害者とされている翠の登場に委員長はアングリと口を開ける。

 「に、二ノ宮……様……!?」

 「……え、“様”!?」

 片や外道呼ばわりで縛りあげられてるのに二ノ宮さんには同い年なのに“様”なの!?

 「……これはどういうこと……かな?」

 「え、えーとですね……これは、その……」

 委員長は助けを求めるように周囲を見渡すが、助け舟は出そうにない。

 その理由は表向きは穏やかで虫も殺さなさそうなあの二ノ宮翠が顔を赤くして身体を震わせているほどの激情を露わにしているからだ。それが決して演技などではないことは誰の目から見ても明らかだ。

 しかし、亮太だけは周囲と違った目で翠のその姿を見ていた。

 ――こ、コイツ! 俺が縛られているのを見て笑ってやがる!

 そう、実際翠は怒ってなどいない。あくまで亮太は偽彼氏。そんな亮太が縛られていようが、釘付きバットでケツバットされようが、スタンガン食らって気絶しようが知ったことではない。寧ろこんな世紀末の様な光景に笑い転げるのを必死に堪えているといったところだろう。その証拠に実際口角が微かに上がっている。今の翠の心境としては『だ、駄目だ。まだ笑うな…こらえるんだ…し、しかし…』といったところか。

 だがそんなサディスティックな翠など知らない他の連中は翠が震えるほどの怒りで顔を染めていると解釈している。

 「に、二ノ宮さん助けてくれッ! 俺達の関係が誤解されている!」

 「……うん、聞いてるよ」

 翠はこの裁判の話を聞いてこの教室に駆け付けたのだろう。すぐに状況を理解してくれた。そう彼女としてもこの場面はおかしくてしょうがないが、亮太が万が一再起不能にされては偽彼氏計画に支障が出る。

 「ねえ、小田君? それに私の彼氏を押さえ付けてる皆?」

 綺麗ながらゾッとする様な声。“私の彼氏”という部分を聞いてその場にいた何人かが胸を押さえてうずくまり、何人かは吐血。ナニコレ。

 「そういう乱暴なことする人……私嫌いかな」

 「ぐああああああああああッ!」

 「い、委員長ーーー!!」

 翠に嫌いと言われた衝撃でどういう物理法則かは不明だが、委員長は壁まで吹っ飛び叩き付けられ、そのまま意識を失ったようだ。一体全体どういう物理法則なのだろうか。

 「私は自分の意思で円谷君と付き合ってるの。だから彼を傷付ける人は許さない」

 翠が野次馬達を凍てつく様な視線で見渡すと慄き、一部は泡を吹いて倒れた。これもどういう法則なのかは不明である。

 「おいおい、覇王色かよ……」

 亮太はその場にいる7割くらいの人間が気絶する学校の教室とはかけ離れた光景に思わず声が漏れる。ベンチャー企業を立ち上げた両親を持つ翠ならその資質があってもおかしくない。……いや、その理屈はおかしい。

 それにしても本気で怒っていないというのによくもまああんな表情ができるものだ。

 翠は満足したのか、亮太に近づき、拘束を解除。そして、亮太にだけ聞こえるくらいの声量で、

 「今日帰りいっしょに帰ろうね」

 こんな恐ろしい目に遭った以上可及的速やかに帰りたいところだが、助けてもらった亮太に選択肢などない。黙って頷いた。

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