第3話 恋人デビュー

 「亮太、ご飯どーするナリ?」

 嵐のような放課後の翌日の昼休み。去年から同じクラスで何となく仲良くなった友人――小笠原りゅう――に声を掛けられる。

 琉は牛乳瓶の底の様な眼鏡が特徴のサッカー部所属。1年生からベンチ入りを果たすほどの優秀な選手で、スポーツテストでも表彰をされるほど運動能力が高く、学力も申し分ない。オマケにその眼鏡に隠された顔も良いときた。だが、本人曰く「2次元しか愛さない」とのことで彼女は作らず、昼はサッカーと学問に明け暮れ、夜はサッカーと漫画やアニメ、ラノベの研究に勤しんでいるという多忙な奴である。また語尾に何か言葉をつける癖があり、今は「ナリ」にハマっているようだ。

 いつもなら昼休みは昼食を摂りながら琉とサッカーの話題や漫画アニメ等の話題に花を咲かせるところだが、今日はそうはいかないのだ。

 「あ、悪い。今日は――」

 先約があるんだ、と口にしかけた瞬間、

 「円谷君、お昼ご飯食べよう?」

 決して声量があるわけでないのによく通る声。その声が聞こえてきた瞬間、亮太は反射的に眉をひそめる。

 「あれ? 二ノ宮氏ナリ?」

 思わぬ人物の登場に琉の眼鏡がずり落ち、形の良い瞳が露になる。

 「小笠原君だよね? こんにちは。実は今日円谷君は私とご飯食べることになってるんだけど……良いかな?」

 翠はよそゆきの清楚な微笑みを浮かべる。昨日の憎たらしい笑みとは異なり大人っぽい印象を受ける。

 「ああ、そういうことなら全然構わないナリが……」

 そう言いながら琉は周囲に目を配る。そう、先程から超有名人の二ノ宮翠が超平凡人の亮太を名指しでランチに誘うという信じ難い光景にクラスメイト達はもちろん廊下を歩く他クラスの生徒までが注目しているのだ。

 「珍しい、というか初めて見る組み合わせナリな?」

 そして誰もが気になっているであろう質問をしてきた。

 すると、翠は頬を赤らめてモジモジと両手の指を突き合わせる。翠の本性を知っている亮太からすると一体どうやって顔を赤くしているのか気になるところだ。

 「その、私達……実は昨日から付き合ってるんだ……」

 「「「「「「「え゛え゛!!!」」」」」」」

 ある者はアングリと口を開け、ある者はその場で吐血し、そしてまたある者は何故か絶叫しながら吹っ飛び壁に激突。……何故そうなる。

 そんな周りのリアクションに満足したかの様に頷くと翠は「ほら行こ。それじゃ小笠原君ごめんね」と亮太の手を引いて教室から駆け足気味で出て行く。

 琉は何を勘違いしたのかグッとサムズアップ。……誰かあの親指を逆方向に曲げてほしい。

 他のクラスメイト達からは「円谷のヤロウ、どんな手を使いやがった……?」と殺意に満ちた目を向けられているが、代われるなら代わってほしい。こちとら社会的な死が懸かっているのだから。



 「いやー、上手くいったね」

 屋上に到着すると翠は満足そうにそう言うとベンチに腰掛ける。そう、今回のこれは事前に打ち合わせていた。ごく自然に付き合っているということを周りに知らしめるためにひと芝居打った次第である。

 「まあ、皆驚いてたよな」

 自分に向けられた敵意のこもった視線には内心ガクブルだが、つまりそれだけ上手く騙せていたということだ。

 そういえばと思い至り、亮太は素朴な疑問をぶつける。

 「この偽彼氏作戦はいつまで続くんだ?」

 亮太の自由が奪われるという欠点に目を瞑れば非常にお手軽な作戦だが、これが効力を発揮するのは2人が付き合っていることが大前提である。

 翠はその割と重要な質問に対して「んー……」と指を顎に当てて可愛らしく考える仕草。そして、

 「…………まあ、とりあえずご飯食べようよ」

 「……つまり、何も考えてないんだな」

 「とりあえずご飯食べよう? 腹が減っては何とやらだよ」

 「戦なんかしないけどな」

 しかし腹が減っていることもまた事実。2人は並んでベンチに腰掛けてそれぞれお弁当を食べる。

 しっとりとした海苔が巻かれたおにぎり……昨晩の残りの鳥の唐揚げ……卵焼き……そして山盛りのキャベツ……。ご機嫌な昼飯だ。

 亮太がムシャムシャ食べていると隣から視線を感じる。飲み込んでから亮太は問い掛ける。

 「……どした?」

 「円谷君のお弁当美味しそうだね。もーらい!」

 「あ……」

 そう言うや否や翠は自分の使っていた箸で器用に亮太の弁当箱から楽しみに取っておいた唐揚げを強奪。そしてそれをそのまま口に運ぶ。

 「……うん! 美味しいッ! ……って何で泣いてんの!?」

 「……」

 だって唐揚げだぞ。好物だぞ。ウチの唐揚げめちゃくちゃ美味いんだぞ。

 「もう、泣かないでよ。私が悪いことしたみたいじゃん」

 事実悪いことをしたのだが、亮太の唐揚げへの愛を知らない翠に罪の意識は低い。

 「しょうがないな、じゃあこれチキンハム」

 翠は自身の弁当箱から綺麗な彩りのおかずを箸で取る。そのチキンハムは何やら特別なソースがかかっているのか宝石のようにキラキラ輝いていた。

 「え、いいの?」

 「うん、同じ鶏肉だしこれで許して」

 「お、おう……し、しょうがないな」

 許すどころか亮太はチキンハムなど食べたことないし、思わぬ形でこんな高級感溢れる食材にありつけることになり悲しみから一転喜びへ。謎のプライドが彼を素直にさせなかったが、隠し切れないくらいに瞳を輝かせていた。

 しかし、交渉成立したのにも関わらず、翠は箸で取ったチキンハムを一向に亮太の弁当箱へと移そうとしなかった。

 「……あれ? くれないの?」

 「……」

 何か思い付いたのか何故かニンマリし始める翠。そして、

 「あーん」

 そのままチキンハムを亮太の顔前に出す。

 「……え」

 「ほら、あーん」

 「……」

 これはアレだ。男子が憧れるシチュエーションの1つである異性に食事を口に運んでもらう恋人同士でやるアレだ。

 「いや、その弁当箱に入れてくれれば……」

 「あーん」

 亮太の弱々しい言葉を押しつぶすかの如く翠はグイグイくる。

 ――交際していない男女間のあーんは何を意味するのか?

 人並み以下の恋愛経験の亮太はその答えを出すことができず、訳が分からなくなり、目を回しながら口を開ける。

 それを見て翠は満足そうに微笑むと、

 「あーん♡」

 心なしか先ほどより甘ったるいキャンディボイス。

 その不思議な魔力に抗えず大口を開けた亮太にチキンハムは運ばれる――ことはなく、綺麗にUターン。そしてそのまま翠の口へと運ばれる。

 「うん、美味しッ♪」

 「……」

 なんだ、この屈辱感は。

 アホみたいに大口を開けていた亮太は屈辱的な何かを誤魔化すようにその口に残りの弁当をかきこんだ。結局一方的に唐揚げを強奪されただけである。

 純情を弄ばれた形になった亮太は咀嚼しながらジロリと隣の翠を睨み付ける。

 そんな恨みがましい視線に全く気が付いていなさそうな翠はニコニコしながら綺麗な所作で食事を続けている。

 ――ホントに見てくれだけはいいよな。

 「なーに? 翠ちゃんのあーんが恋しい?」

 目ざとく亮太の視線に気が付いた翠はニヤリとイヤらしい笑み。

 「いや、見てくれだけは……」

 そう言いかけて亮太は閉口。思ったことをそのまま言えば『ふーん? 可愛いって思ってくれてるんだあ?』と自分に都合の良い部分だけを受け取りからかってくるに違いない。だから言い方を変えて、昨日から引っかかっていたことを聞くことに。

 「性格はさておき、二ノ宮さんなら引く手数多だろうに何で俺を彼氏役に選んだんだ?」

 結局遠回しに容姿を褒めているのだが、翠は「え、さておいておくの?」とそっちに気を取られた様子。

 「えーと、円谷君を選んだ理由だよね?」

 「うん。だって牽制としてならもっと適任いるだろうに」

 亮太は良くも悪くも平凡だと自身を評価している。寧ろ「アイツなら仕方ない」と思わせる様な超ハイスペックに頼んだ方が目的を果たせるのではないだろうか。実際翠はかなりモテる。翠に好意を寄せている相手の中にもっと適任がいるだろう。いや、いるに違いない。だから可及的速やかにこの役割を代わってくれ。

 「……うーん、例えば?」

 翠は本気で思い当たる人物がいないらしく首を傾げる。

 亮太は自分の頭の中でモテ男(彼女持ちを除く)について検索をかける。

 「そうだな、例えば4組の成田とか? 琉から聞いたけどアイツもサッカー部のレギュラー候補らしいじゃん」

 「成田君、LINEでエッチな自撮りや質問してきたから嫌」

 「……そうか」

 やっぱりサッカー部はチャラいな。(偏見)

 「それなら工藤は? 文芸部で成績優秀らしいじゃん」

 「書いた小説の感想が欲しいってハードな官能小説読まされたから嫌」

 「……マジか」

 本人の預かり知らぬところで性癖をバラされているムッツリ切長知的眼鏡。是非ともその小説読んでみたいところだ。

 「そ、それなら佐伯は? 確か生徒会に入ってるって」

 「……生徒会なんて入ってたら忙しそうだから嫌」

 忙しそうという曖昧な理由で振られるのは可哀想じゃないかな。いや、別に振られてはいないんだけども。

 「良いじゃん。それとも何か? 円谷君はこーんなに可愛い私と付き合うの……嫌?」

 翠は急に声のトーンを下げて目を潤ませる。亮太は優しく微笑む。

 「……ああ、嫌だ。可及的速やかに解放されたい」

 「……よくこんな可愛い子が上目遣いまでしてるのにそんなこと言えるね」

 とりあえずその可愛くない台詞と手元にある目薬をもう少し上手く隠してから出直して欲しい。

 「それはともかくとしてあの写真がある限りは私に逆らえないんだし、私のお眼鏡に適ったんだからそれを光栄に思ってよね!」

 暴君の様な台詞だ。結局、何故亮太が選ばれたのかは曖昧なまま残りの昼休みの時間を過ごした。

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