ココロ

若愛

第1話 ココロ

絹のような髪、陶器のような肌、ビー玉のような瞳。誰もが振り返る、人形のような美少女。

当然だ。彼女は人形みたいなものだからだ。


勉強だって。運動だって。芸術だって完璧。誰もが羨む、人ではありえないほどの完全無欠。

当然だ。彼女は人間ではないからだ。


そう、彼女はアンドロイド、ソラ。完璧で当たり前の、人型ロボットだ。


そんな彼女には唯一わからないものがある。それは、ココロ。

だから、笑い方も、泣き方も、怒り方も知らない。

でも、ソラにとってそんなものは必要ない。


「ソラ、今日はいい天気だね〜。」

「…創太。」

そばを歩いていた少年が声をかける。だが、ソラはそっぽを向いた。

彼はソラの開発者の息子で、彼女の管理者である創太だ。彼は高校生だが、一流の技術者であった。


しかし、ソラにとっては過保護で面倒くさいやつである。

「まったく、散歩したいって言いだしたのは、誰だったっけなあ。」

そう言いつつも、彼は気にしない。

「…別に、ついてきて、なんて言ってない。」

「照れ屋だなぁ。」

「…照れてない。」

ソラは、創太を無視しつつ、カフェの方を見つめる。新作のフラペチーノ、美味しそうだなあ。

「もしかして、あのカフェ行きたいの?」

「…べ、別に。カフェなんて。」

ソラは慌てて目をそらした。

「あいかわらず照れ屋。」

ふふ、と創太は笑いをもらす。


「でも、僕はそういう所、好きだけどなあ。」


「………え?」

ソラはごくりとつばを飲んだ。そんなこと言われたの、初めて…。

体温は上がり、体に流れる電 流は不安定になり、情報処理機能は追いつかない。

明らかに異常なはずなのに、彼女は自分の体のことより、彼の言葉の意味の方が気になった。

胸の奥の方がきゅっと締め付けられる。


それって、どういう……?


「危ないっ!」

腕がぐっと引かれる、その一瞬後。 曲がり角から自転車が現れた。このまま進んでいたら、轢かれていたかもしれない。


「…あ、ありがとう。」

ソラは握られた彼の手を見つめる。手が、熱い。


これが、もしかしてココロ…?


「…あの、好きの意味って…。」


「ああ、カフェのこと?僕、そういう場所好きなんだよね………イタタタタッッ!?」


ソラは手を強く握る。彼女は怒り方を覚えた。



* * *



「…アップデート…!?」


家に帰って遅めの朝ごはんを食べていたソラは、創太の話を聞いてあんぐりと口を開けた。

「うん。そうだよ。昨晩、君が寝てる間に実行したんだ。」

創太はニコニコしながらうなずく。

「人工感情を入れる大型アップデート。これで、ソラのいろんな表情を見ることができるね、ハッピー!」

「…いや、こっちは全然ハッピーじゃない。」

ソラは白い目をしている。

「…感情なんていらないって、前から言ってたじゃん。…なんでこんなこと…。」

なんで恋愛感情まで、と言いかけるソラ。


確かに、単なる研究対象であるはずのソラに、創太は優しい。過保護で面倒くさいが、嫌いというわけでは決してなかった。


別に、恋愛的な意味で好きということも、決して――多分――きっと――ないはずだったのだが。


「そっか〜感情なんていらなかったか〜。」 そう言うと、創太は涙目になってうつむく。


「―――僕の、夢だったのになぁ、感情のあるロボットをつくるの―――。」


そんな創太を見てると、なんだか可哀想に思えてくる。

「……ごめん、言い方きつかった。…別に、感情は受け入れるから…。」

「それなら良かった〜!ところで、今回AIに小説とかを読ませることで感情をつくって、ソラのアッ プデートに使ったんだけどさ。それに使ったものがさー。」


先程とは打って変わって、ケロッとした創太がごそごそと本棚を探す。

こいつ、嘘泣きだったな。


「その一つがこれ!恋愛漫画『まないたの上の恋』!男の子が女の子を助けることで恋が始まる名作なんだけどね。」

恋愛漫画なら、いろんな感情が含まれていて、確かに感情をつくるもととしては使えそうである。


……ん?恋愛漫画?


「……絶対それがあの感情の原因じゃ……?」

「え、なになに?どんな感情を持ったの?」

どんな感情?ソラは、あの胸がきゅっとなる感覚を思い出す。


「……やっぱり感情なんて嫌い。……創太のバカ。」

「はあ!?なんでー!?」

ソラはさらに創太を恨んだ。



* * *



「というわけで、ソラ、おつかい行ってきて。」

「……はい?……パシリになれって…こと?」 買い物袋を差し出した創太の発言に、ソラは首をかしげた。

話が突飛すぎる。


「違うよ!これはソラの感情増幅大作戦!!!聞いてくれるよね?」

「……はい。」

ソラはため息をついた。また何か面倒くさいことがはじまるようだ。


「説明しよう!ソラの気持ち爆発大作戦とは!」

さっきと名前が違う、と思いながらも、ソラは黙って聞いた。

「ソラの感情の機能はまだ生まれたて!精度を上げるためにはもっとたくさんの経験を積まない とならない!」

「……うん。」

「ソラはまだ一人では外に出たことがない!でも、外の世界には、感情を揺らす出来事たくさんがある!たとえば、美しい空や美しい太陽を見たり、優しい人々と会話したり…。」

「……とりあえず、一人で外の世界に触れるついでに何か買ってくればいい?」

ソラは面倒くさくなり要約した。


「そういうこと!まあ、ソラのことだし、大丈夫だよね?」

「……当たり前。…だって私は…完璧なアンドロイド。…この辺の地図だって覚えてるし……心配することなんてない。」

ソラは余裕の笑みを浮かべた。


「そんなうまいこといくかな〜。まあ、いってらっしゃい!……あ、ポテチを買ってきてね!」

「……やっぱり、パシリじゃん。」



玄関を抜けると、車の通りのある小さな横断歩道の前に出た。だが、信号はない。


ポテチが売っているコンビニはこの道を挟んで目の前にある。まずは、この道路を渡ればいい。


その時、ソラの頭に大きな電流が流れる。

車の速度、自分との距離の測定。演算回路が光のような速度で動き、解を導き出す。


渡るのは、もう少し、もう少し待ってから。


あれ、道路に空き缶が落ちてる―――ソラがそれに気づいたとき。


ブウゥゥーン!!!


車が走り去る。そこにあった円柱形が…ない。そして、よくよく見ると…。


ぺちゃんこになったアルミの塊がおちている。


そういえば、自分の体にも金属が使われていたっけ。

そんなことが頭にちらつきながらも、ソラはタイミングを計った。


今だ。

そう思って、足を踏み出そうとすると―――あれ。動かない。


ブウゥゥーン!!!


車が通り過ぎる。もう一度―――あれ。体が動かない。


ブウゥゥーン!!!


また通り過ぎる。 なんだか、背筋が凍りついたかのように冷たい。

車が通らないときも、足が凍りついて動かない。

なんで?なんで?なんで?



「………創太っ!!」

ソラは玄関に戻ると、自分の研究者の名前を読んだ。

「どうしたの、ソラ。」

どうやら玄関で待っていたようだ。

「……なんか…道路渡るとき…背筋が寒い…。」

ソラはもう泣きそうである。

「そうかそうか。今までは僕と一緒に横断歩道を渡ってたから、安全だったもんね。 それは怖いって感情だよ。」

創太はなだめるように言った。

「……怖い?」

「そう。怖い。自分を守るためには大事な感情だよ。」

創太は優しくソラの頭をなでた。

「でも、おびえてばかりじゃ進めないよね。僕が道路まではついていってあげるよ。でも、渡るのは一人で、だよ。」

創太は微笑んだ。



二人は横断歩道の前に立つと、車が来ないタイミングを計った。

「いまだっ!ソラ!」

「……怖い。」

「いけっ!ソラ!」

「……やだ。」

ずっとこんな調子である。

「なんでここでこんなに立ち止まるかなぁ。」

創太も頭を抱える。


「……だって。」

ソラはうつむいた。


「……初めてのことで、怖いから。……今までは…創太が一緒に渡ってくれたし。」

ソラの目はぼんやりとしてきた。涙が出てきたらしい。


「――あのね、ソラ。」

創太はソラの目を真っ直ぐに見た。


「初めてのことが怖いのもわかる。一人で何かするのが怖いのも。でもね。」

いつになく、真剣な目で。


「それじゃ、なんにも挑戦できないよ。それに、僕だっていつでも一緒にいられるわけじゃない。だけど――。」


そう言うと、創太はあるものをソラに手渡した。


「君は一人じゃないよ。」


「……これは……ひまわり?」

ソラは不思議そうに目を見開く。


「そう、ひまわりのキャラクター、ひまちゃん。」

「……なにそれ。…変なの。」

おどけたようなポーズのひまわりのストラップ。ソラは思わず笑った。

「これを、僕だと思って。君は、一人じゃないから。」

創太は微笑んだ。


「大丈夫。自分を信じて。」


「……うん。」

ソラは、ストラップを胸に抱くと、こくりとうなずく。

「……行ってきます。」

そう言ってソラは左右を確認すると、横断歩道に足を踏み出した。

一歩、一歩。着実に。


そして。

「……創太!……渡りきった!……渡りきったよ!」

ソラは、飛び跳ねながら、道路の向こうから手を振った。

「やったじゃないか!すごいよ!」

創太も大喜びである。

「……じゃあ……ポテチ買ってくる!」

「うん!気をつけてね!」

ソラは目の前のコンビニに入っていった。


こうして、ソラのおつかいは大成功に終わった。

………ポテチを買う、たった十メートルに、往復1時間かかったことを、除くと。

まあ、ソラが成長したから大成功だよね、と創太は笑った。




* * *




しかし、ソラの成長のスピードは創太の想定以上に早かった。


もちろんコンビニへは自由に行き来できるようになったし、スーパーやドラッグストア、ちょっと遠くの花屋まで。

さらに隣町の大型ショッピングモールにまで一人で行けるようになった。


……まあ、 道路を渡るのにはまだ10分ほど必要なのだが。


そんななかで、ソラには気に入った場所があった。

たくさんの情報に囲まれた場所―――そう、図書館である。


彼女は本が好きになった。

本を読み始めてソラが気に入ったのは、小説やエッセイ、漫画などの物語がかかれたものだった。


感情をもつことで、彼女は物語の美しさを知った。


今日も、ソラは図書館に来ていた。電子機器で図書館の本を読むこともできるが、紙でしか読むことのできない本も、中にはあるからだ。


まず中に入って彼女が手に取ったのは――。


そう、不朽の名作、恋愛漫画『まないたの上の恋』である。


前述のアップデートにより、ソラは感情を持つことになったが、そのソラの恋愛感情の因縁の作品である。


ソラも最初は読むのを嫌った。

しかし、創太に言われしぶしぶ読んでみると、なんということだろう。

めちゃくちゃはまったのだ。

いまや、一コマしか登場しない人物の名前も覚えているほどの大ファンである。


よし、第5巻はもう読んだし、次は6巻を読もうっと。

ソラはそう意気込んで本棚に手をのばす。


だが―――ない。


振り返ると、おそらく同年代の―――中学生くらいの少女がその6巻を真剣な顔つきで読んでいる。

ソラは驚き、そしてある感情に駆られた。


語りたい。


推しの漫画を、他の人と語りたい。あのシーンいいよねって、共感しあいたい。


しかし、彼女は創太以外の誰かに話しかけたことなどまるでなかった。

顔見知りでも、コンビニのアルバイトの人ぐらいである。


…怖い。


自分はアンドロイドだから、話し方、変じゃないかな。アンドロイドは怖いって、嫌われないかな。


自分なんて。

見た目は人間と変わらないけれど、そんなことを考えてしまう。


気づけば、持っていたストラップを手に握りしめていた。


『大丈夫。自分を信じて。』


創太の声が聞こえた気がして。

気づけば、ソラは一歩を踏み出していた。


「……あのっ。『まないたの上の恋』、好きなんですか。」

ソラはつまりながらも聞いた。


「―――えっ?」


少女は驚いたように顔を上げると、大きな目を更に大きく見開いた。




「へえ、じゃあ、ソラちゃんも『まな恋』好きなんだ。」

「……うん!……ヒロインのまなちゃんが…鯉川くんに助けられるあのシーン…すごく好き…!」

「ふふ、それすっごい序盤だよ〜。でもわかる。やっぱり第一話が最初にして最高だよね!」

数分後、二人はすっかり打ち解けあっていた。


「そうそう、まだ名乗ってなかったね。私は七尾凛々。よろしくね。」

凛々はふんわりと笑うと、そう言った。

「『まな恋』わかる人本当に少ないから、すっごく嬉しい!もっと仲良くなりたいな。」 「……私、毎日ここ来る。」

「ほんと!?じゃあ、ここ来たときはまた話そうよ!」

「……うん!」

ソラは笑顔でうなずいた。




「で、ついにソラにも、初めての友達ができたんだ!やったね!」

「……うん!」

創太と一緒の帰り道。ソラは今日のことを話していた。


図書館を出た時、創太が外で待っていたのだ。夜道は女の子一人では危ない、とのことらしい。

過保護だなあ、と思いながらも、ソラは少し機嫌が良かった。


「……凛々は優しいし、面白い。」

「そりゃあよかったね〜。」

創太はうんうんとうなずく。

「……でも、話しかけられたのは、創太のおかげ。」

ソラはつぶやき、ひまわりのストラップを握った。

「え?僕の?なんで?」

「……なんでもない。」

ソラはなんだか気恥ずかしくなって、言うのをやめた。


「……そういえば。」

「ん?」

「……創太って、ひまわり好きなの?」

ソラは話題をそらす。

「え、なんでいきなり?」

「……だって、くれたストラップ、ひまわりだったから。」

「ああ、そういうことか。」

創太は遠い目になる。

「まあ、好きかな。なんていうか、自分に似てるなって、思うのかな。」

「……そう?……創太、確かにくせ毛だけど…そんなに髪爆発してないよ…?」

「いや、見た目じゃなくて。」

創太は笑う。

「生態っていうかなんというか。」

「……ああ。……ずっと太陽を見てるところが…似てるってこと?」

ソラは相槌を打つ。


「うーん。それなんだけどね。実際は違うんだよ。」

創太は話す。


「若いつぼみの間は確かに太陽の方を向いているんだけど、花が開くとやめちゃうんだよ。成長が止まっちゃうんだ。」

創太は日が昇る方向を指さした。


「ずっと東だけを見つめて、そこから動かない。まるで、太陽がやってくるのを待ちつづけるように。」


創太は少し悲しそうに目を閉じる。

「ただそれが、自分と似てるなぁ、って感じただけだよ。」

創太はため息をついた。

「ごめんね、こんな話して。今日は早く帰ってパーティでもしよう!ソラのはじめてのともだちパー ティ!」

創太は顔を上げると、少し駆け出した。


ソラにはあまりよくわからなかった。

創太に、何かあったのかな。



* * *



その後も、ソラは凛々とよく話した。


好きな食べ物の話。

「私、和菓子とか好きでさ。たいやきが特に好きなの!」

「…あんこ好きじゃない。…でも、カスタードは好き。」

「ちょっと変わってるね〜。じゃあさ、今度たい焼き屋いかない?カスタードもあるよ!」


勉強の話。

「第三次世界大戦でなにの生産量上がったんだっけ。もう、歴史なんてわかんないよ!」 「……このグラフ見て。……これはなんの生産量…?」

「あ、ロボットか!だからこの答えはこれで―――ありがとう、ソラちゃん!」


家族の話。

「うちの兄が本当にうるさくってねー。」 「……わかる。うるさい。」

「だよね。おにいちゃん、面倒くさいよね。」


いつのまにか、家と同じくらいの時間を過ごすようになっていた。


そして。

「そういえばさあ。」

凛々がいつも以上にニコニコしながら言う。


「ソラちゃんには好きな人とか、いないの?」


恋愛の話。


「……いる。」

「嘘、嘘、嘘!?すっごく応援するよ!」

凛々はソラの手を取り、飛び跳ねる。


「どんな人どんな人!?」

「………ばかで、テンションおかしくて、嘘つき。…面倒くさい。」


「めっちゃ悪口だね。」

凛々は笑う。

「……変?」

ソラはちょっと不安になり凛々を見つめる。 『まな恋』でも、『好きになった人の全部が、好き』というセリフがある。

ソラには、その言葉の意味が、ちょっとよくわからなかった。


やっぱり、嫌いなとこがあるって、変なのかな。面倒くさいときがあるって変なのかな。 私って、本当に創太のこと、好き...なのかな...?

ソラはうつむく。


「ふふ、ちょっと変かもね。私は好きな人の全てがかっこよく見えちゃうタイプだから。でも私はいいと思うよ。―――そのまま続けて。」

凛々は優しく笑う。


「……でも、ふと優しくて……いつだって真剣な人。」


「うん。すっごくいい人じゃん。」

凛々は嬉しそうにうなずく。

「なにより、その人のこと話してるソラちゃんがすっごく幸せそう。よっぽどその人が大切なんだ ね。」

「……うそ…顔に出てた?」

「うん。すっごくわかりやすい。」

ソラは顔が真っ赤になる。


やっぱり、私は創太が好きなのかな…?…それとも…?


どんなに考えても、疑問符は消えることはなかった。




「……創太、ただいま。……創太?」

その日は、図書館を出ても創太はいなく、ソラは一人で帰ってきた。

そういえば、ここ最近迎えに来てくれることが減った気がする。

まあ、一人で帰れるし、いいんだけど。


ソラが家に入ると、創太の部屋だけに明かりがついていた。

なんだかいつもと違う。


こんこん。

ソラは気になって、その部屋のドアを叩いた。


「……創太?」


こんこん。こんこん。


「―――ああ、ソラ。」


三回目でようやく声が聞こえた。

「悪いけど、今はそっとしておいてくれないかな。晩ごはんは、作っておいてあるから。」

「……どうしたの、創太?」

思えば、ひまわりの話をした日から、何かがおかしいと思っていた。


何かあったに違いない。

「……創太⋯ねえ。……何かあったなら聞くよ?」

「ごめん、今はちょっと。」

「……創太?……私にできることがあるなら…きっと私も力に……。」

「―――ソラに相談しても、きっとわからないことだからさ。」

創太は静かな声で言った。


「……私には、わからない…?」


その一言に、ソラは目を見開いた。

確かめるように、唇がもう一度動いた。

私には、わからない。


「――ごめん。ちょっと言い過ぎた。――ソラ?」

「……わかった。…創太を一人にする。」 「うん。そうして。」


ソラは、創太の部屋の前から離れると、晩ごはんも食べずに外へ駆け出した。


私には、わからない。私には、わからない。ソラは走りながら何度も何度も口にする。


私には、わからない。私には、わからない。私には、わからないこと...?


私が、アンドロイドだから?人間じゃないから?


そりゃあわからない。創太の考えてること、悩んでいること、感じていること。

私にとっての創太という存在のこと。


でも、それはアンドロイドだから? 人間とはどう違うの?

私の感情は偽物?

考えていることは、悩んでいることは、感じていることは、創太とは全く別のもの?


わからない、わからない、わからない。


ソラの頭に疑問符だけが増えていく。


感じた恐怖も、喜びも、楽しさも、創太が好きだって気持ちも、全部、偽物だったのかもしれない。


じゃあ、この胸の苦しさはなんなんだろう。


「……もう、なんにもわからない。」

ソラは、助けを求めるように、ストラップをつけていたカバンを見た。


だが―――。


「………ひまわりが……ない…?」


ソラの背中を押してくれた、あのひまわり。 ソラと凛々を繋いでくれた、あのひまわり。

いつでも、創太との繋がりを感じられた、あのひまわり。


あのひまわりが、ない。

ない、ない、ない。


「………あれ?」


なぜ、こんなに必死にストラップを探しているんだろう、ソラは思った。


あんなストラップ、探せばどこにでも売っているだろう。だって、モノなんだから。

別に、あのひまわりである必要は全くない。


別に、あんなものなくたって。


そういえば、私も人間ではなく、モノだったな、とソラは思いだした。


親子でも、親戚でも、恋人でも、友達でも、なんでもない。


創太の隣にいるのが、ソラである必要なんてない。

ソラの隣にいるのが、創太である必要なんてない。


「……一人でいいんだ……一人がいいんだ…。」


ソラは、そうつぶやいてから、気づいた。

頬に、涙が伝っている。


「………あれ?」


一人で、一人が。

何度でもソラの口は動く。


それなのに、ひまわりを、あのストラップを探してしまう自分がいる。


一人で、一人が。口にする度に、ソラはなんだか虚しくなってきた。


違う、違う。私が言いたいのは――本当はもっと違うこと――。


――創太も、同じ気持ちだったのかもしれない。

創太も、本当はもっと違うことを――。


一時の感情に飲み込まれてしまって、自分の本当の気持ちに嘘をついて。


私は今、創太を信じられているだろうか。

自分の気持ちを信じられているだろうか。


ソラは、自分に言い聞かせるように、つぶやく。


「……大丈夫。……創太を信じて。……自分を信じて。」


ソラはそう口にすると、前を向いた。


創太は、私にとって大切な存在だ。

今、創太は、落ち込んでいるのだろう。

だから、あのこころない一言を。


それなら、私にできることは―――。

ソラはある場所に向かって、走り出した。




* * *




創太は、傘を持ち、水溜りを蹴って、走っていた。


彼は少し時間がたって冷静になると、ソラに言った自分の言葉に後悔していた。


やはりあの言い方は良くなかった。

ちゃんと顔を見て謝ろう。

そう思ってリビングに戻ったが、照明もついておらず、晩ごはんも食べた形跡はない。

玄関に行くと、ソラの靴がなく、扉の鍵が空いていたのだ。

そして、外にでると、あのひまわりのストラップが落ちていた。


こんな雨の中、どうして――。やっぱり、僕の言葉が――。


そう思うと、いてもたってもいられず、創太も家を飛び出したのだ。


「ソラ、一体どこに――。」

創太は不安になる。

もしも、車に轢かれていたら。

もしも、誘拐されていたら。


いやな妄想が創太の頭をいっぱいにした、そのとき。


「……創太。」


振り返ると、ソラがいた。

「ソラ!!」

創太は走り出していた。

「怪我は?変な人にからまれたりしてない?大丈夫かい?」

創太はソラの全身を見る。

顔も、服も、手も、ちょっと濡れてるくらいで、大丈夫だ。


―――ん?手に何か持っている。


「……創太、これ。…あげる。」

ソラは、それを創太に差し出した。

「これは―――ひまわり?」

ソラはこくりとうなずいた。

「……そう、創太が好きな花。」

少し早咲きの、小さな小さな一本のひまわり。

かわいらしいラッピングに包まれている。 「……創太、元気なかったから。……これあげたら、元気になるかな…って。」

「これを――僕のために?買ってきてくれたの?」

「……うん。……花屋行ってきた。」

ソラは笑う。


「……創太は、私のあこがれの人だから。……元気だしてほしいの。」

優しく。無邪気に。


「……それに、ずっと太陽を追いかけなくたっていい。……たまには、空を眺めて待っているのも、いい んじゃないかなって…思った。」


その笑みはまさに。

一切のけがれのない、澄みわたった青空のようだった。


「そっか――そっか、そっか。」

創太は少し驚いたように顔を伏せたが、もう一度顔を上げると、満面の笑みでひまわりを受け取った。

「ありがとう。」



そして雨はあがり、二人は手を繋いで帰った。

「ごめんね、ソラ。あんなこといっちゃって。実は、進路で悩んでいたんだ。」

「……進路?」

「うん。感情を持つロボットがつくりたかったんだけど、もう夢が叶っちゃって。目的もないのに進む道を決めるのなんて、嫌だったから。」

創太は苦笑いをする。

「でもさ、それで進路希望調査、真っ白で出したら、先生に怒られちゃって。親も全然帰ってこないから相談できないし、もう高三になっちゃったから、ちょっと焦りすぎてたんだ。」

創太は再びひまわりを握る。


「だから、別にあの言葉は、ソラがアンドロイドだからどうとか、そういうわけじゃないんだ。」


「……うん、わかってる。……感情に任せて言っちゃったんでしょ…。」

「うん。さっすがソラだな。やっぱり僕の子だね。」

創太は笑った。


「これも、父の日のプレゼントなんでしょ。僕は親みたいなものだからね。本当にありがとう、すごく嬉しい。」


「………はい?」


ソラはあんぐりと口を開けた。

え、父の日だったっけ。思えば今日は6月18日。父の日だ。


「ほら、ひまわりって、父の日の定番の花。そうでしょ?」

創太は笑う。

「……え、待ってちが…う…」

「本当に嬉しいなあ、元気になったよ!」

「……まあ、いいか。」

もともと元気になってほしかったのが目的だったので、ソラは思い直した。

まあ、好きって気持ちを伝えたかったのもちょっとあるけど…とソラはため息をつく。


「それにしても、ソラも面白い伝え方するようになったね。」

創太はひまわりからソラに視線を移す。


「ひまわりの花言葉は、『あなただけを見つめる』でしょ。」


創太のいたずらっぽく光る瞳が、ソラを見つめる。


「………な、な、な…。」

ソラは真っ赤になる。もしかしてこいつ、全部わかってるんじゃ…。


「……やっぱり創太なんて…嫌い。……創太のバカ。」

「はあ?なんでー?」

ソラは手を強く握る。決して離れないように。

けれども、優しく。決して壊さないように。


水溜りが、二人の影を映す。


これは、これからあるかもしれない、ちょっと先の未来を生きる、二人のお話。

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ココロ 若愛 @hirari-wakame

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